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すてきな日本語


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 近頃、日本語が〝 乱れている 〟と言うよりは〝 荒れている 〟と感じませんか? ちょっと周りを見渡せば、聞くに堪えない野次や言いがかり、誹謗中傷や差別的発言が、すぐに目や耳に飛び込んできます。
 ですが日本語は本来、世界の言語の中でも〈 卑罵語 〉〈 罵詈語 〉の類が少ない言葉だという説を聞いたことがあります。蔑んだりけなしたりといった類の単語が少ない、ということですね。ならば少ない語彙で罵り合うより、相手の心を和ませたり弾ませたり、或いは笑わせたりする方がずっといいとは思いませんか?
 明確な基準があるわけではなく、選書者の好みの問題ではありますが、〝 すてきな日本語 〟が読める作品を集めてみました。
担当:西尾文惠 沢田史郎



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『一握の砂/悲しき玩具』石川啄木

 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
 花を買ひ来て
 妻としたしむ


『永遠の1/2』佐藤正午

 失業したとたんにツキがまわってきた。
 というのは、あるいは正確な言い方ではないかもしれぬが、それはそれでかまわない。第一、なにも正確に物語ることがぼくの目的ではないし、第二、たぶんこちらの方が重要なのだが、ぼくは並外れて縁起をかつぐ人間である。



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『海潮音』上田 敏

 山のあなたの空遠く
 「幸」住むと人のいふ。
 噫、われひとゝ尋めゆきて、
 涙さしぐみかへりきぬ。
 山のあなたになほ遠く
 「幸」住むと人のいふ。


『カンバセイション・ピース』保坂和志

 前川はライトスタンド右端の中段あたりにいて、通路から見上げた私に手を上げ、私は席取りのお礼のビールを売り子から買って、両手にビールを持って階段をのぼっていった。ビールは「ドライ」で二連敗して以来「一番搾り」で、「一番搾り」にしてからは連敗がない。



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『霧のむこうに住みたい』須賀敦子

 夫が死んで、一年とちょっとの月日が経っていた。彼が逝ったそのおなじ夏、重病をわずらった母をみとるため、十カ月ほど日本に帰っていたあと、私はもういちどイタリアで暮らしはじめていた。夫のいないミラノは、ふだんよりはやく秋がきたように思えた。


『草枕』夏目漱石

 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。



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『ケンブリッジ・サーカス』柴田元幸

 横塚さんのおばさんと同じくらい、あるいはもっと頻繁に出くわすのが、永遠の出前おやぢである。自転車で出前を運んでいくラーメン屋の親父さんの、これまで百回は見たと思う後ろ姿を見ながら、あるときふと、(1)出前姿はしじゅう見かけるものの僕はこの親父さんの店自体を知らず、(2)また彼が出前先に到着した姿も見たことはなく、もっぱら自転車で道をとろとろ走っている姿だけ見ていて、(3)もう何十年も見ているのに彼の見かけがいっこうに変わっていない、という諸事実に思い当った。


『幸福は幸福を呼ぶ』宇野千代

 神さまと言うものは、その辺にはいないのである。そんな近まわりに、まごまごしてはいないのである。もっと眼に見えないところに、もっと雲の上のようなところにいるのである。きっと、雲の上のような、凡人の眼の届かないようなところにいるに違いない、と私は思うのである。だから、すぐ身近なところに、気ぜわしく、神さまを探したりしてはいけない。



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『さるのこしかけ』さくらももこ

 私が夫のパンツをはき始めて、かれこれ三年が過ぎようとしている。三年前、夫のトランクスがあまりにもラクそうだったため、試しにはいてみたところ、やみつきになったのである。
 夫にパンツを指摘された私はウヘヘと笑い「いいじゃん。だってラクなんだもん」と言いながら、腰を浮かせてオナラをプーとした。


『山月記・名人伝ほか』中島 敦

 隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。



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『潮騒』三島由紀夫

 若者は彼をとりまくこの豊饒な自然と、彼自身との無上の調和を感じた。彼の深く吸う息は、自然をつくりなす目に見えぬものの一部が、若者の体の深みにまで滲み入るように思われ、彼の聴く潮騒は、海の巨きな潮の流れが、彼の体内の若々しい血潮の流れと調べを合わせているように思われた。


『忍ぶ川』三浦哲郎

 木場は、木と運河の町である。いついってみても風がつよく、筏をうかべた貯水池はたえずさざ波立っていた。風は、木の香とどぶのにおいがした。そして、その風のなかには、目に見えない木の粉がどっさりとけこんでいて、それが馴れない人の目には焚火の煙のようにしみるのである。涙ぐんで木場をあるいている人は、よそ者だ。



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『〆切本』編=左右社

 朝たいてい九時には机に向かう。昼食の時間を除くと、日が暮れて窓のむこうが暗くなるまで腰かけている。しかし、その間、仕事をしているのではない。大半の時間は、机には向かっているが、鉛筆をいじったり、パイプを掃除したり、同じ新聞を何度も何度も読みかえしたりしているのだ。正直な話、私は毎日、イヤイヤながら仕事をしているのである。(遠藤周作「私の小説作法」)


『ジャッカ・ドフニ』津島佑子

 明るい灰色の空はとりとめなくひろがり、灰色の海も静かに平坦にひろがっていた。バスの窓からは、雲に隠された太陽の淡い光がひろびろとした空と海に溶けこみ、浜辺や人家の壁にまで、その光が染みいっているように見える。



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『庶民の発見』宮本常一

 大東亜戦(われわれはこうよんでいた)のおこったとき、私は深いかなしみにとざされた。敗戦の日のいたましい姿が目さきにちらついてならなかった。私にはこの戦争が勝てるとは思えなかった。


『素敵なダイナマイトスキャンダル』末井 昭

 芸術は爆発だったりすることもあるのだが、僕の場合、お母さんが爆発だった。
 最初は派手なものがいいと思って、僕の体験の中で一番派手なものを書いているのであるが、要するに僕のお母さんは、爆発して死んでしまったのである。と言っても、別にお母さんが爆発物であったわけではない。自慢するわけじゃないが、お母さんは、れっきとした人間だった。



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『清兵衛と瓢箪/小僧の神様』志賀直哉

 全く清兵衛の凝りようは烈しかった。ある日彼はやはり瓢箪のことを考え考え浜通りを歩いていると、ふと、目に入ったものがある。彼ははッとした。それは路端に浜を背にしてズラリと並んだ屋台店の一つから飛び出して来た爺さんの禿頭であった。清兵衛はそれを瓢箪だと思ったのである。


『世界はもっと美しくなる』詩=受刑者 編=寮 美千子

 ある警察官は
 僕の父に質問をしました
 「子どもを
 漢字一文字でたとえると
 なんですか?」
 まっ白な紙に
 大きく
 大きく
 書かれた文字は
 「宝」でした
 そのとき ぼくは
 おさえられない
 なにかを感じました



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『そして夜は甦る』原 尞

 秋の終りの午前十時頃だった。三階建モルタル塗りの雑居ビルの裏の駐車場は、毎年のことだが、あたりに一本の樹木も見当たらないのに落ち葉だらけなっていた。私は、まだ走るというだけの理由で乗っているブルーバードをバックで駐車して、ビルの正面にまわった。


『空にみずうみ』佐伯一麦

 そのまま小さな合歓は、抜かれはしなかったものの、二年間ほったらかしのだった。今から振り返ると、柚子も早瀬も、仕事の忙しさや身辺の慌ただしさが増した時期だった。それでも合歓は、その間も、合歓であることを知らせるかのように、葉の軸をはさんで左右に細長い楕円形の小葉を対にして付ける特徴のある葉を伸ばし続けていた。



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『竹光始末』藤沢周平

 ――明日からは飢えないで済む。
 多美や子供の顔を思い浮かべて、丹十郎はそう思ったが、その瞬間、さながら懐かしいもののように、日に焼かれ、風に吹かれてあてもなく旅した日々が記憶に甦るのを感じた。


『旅の理不尽 アジア悶絶篇』宮田珠己

 私は最初にコロンボに降り立った。
 ここは紅茶がうまい。ゴルフェイスホテルで飲んだ紅茶はめっちゃうまく、これはおみやげにもって帰り、みんなを激しく喜ばせてあげようと思い、よーしよーしとたくさん買って帰って自分で飲んだ。



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『小さき者へ/生れ出づる悩み』有島武郎

 小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
 行け。勇んで。小さき者よ。


『テロリストのパラソル』藤原伊織

 目が覚めたのは、いつものように十時過ぎだった。蛍光灯のスイッチをいれ、いつものように窓から首をつきだした。陽のささない部屋の住人が、いつのまにか身につけた習慣だ。ひとつしかない窓からは隣のビルに手が届く。だが、空はみえる。ビルの輪郭にうすく切りとられた空にすぎないが、目に沁みる青さが久しぶりだった。セーターに腕を通し部屋を出た。そんな日には陽射しのなかにいるのも悪くない。一日の最初の一杯にとって、陽の当たる場所も悪くはない。だがなによりそれは、晴れた日の私の日課だった。くたびれたアル中の中年バーテンダーにだって日課はある。



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『透明人間は204号室の夢を見る』奥田亜希子

 今、この瞬間のことを自分は何度も思い出すだろうと、実緒は思った。海がこんなに強く光るものだと知らなかった。波がこんなに儚く砂浜に吸われていくものだと知らなかった。いつかは消えゆくとしても、飴玉を噛まずに舐めきるように、自分はきっとこの記憶をしゃぶりつくす。


『跳ぶ男』青山文平

 その川は藤戸藩で最も大きい川だった。
 にもかかわらず、名を持たなかった。
 正しく言えば、藤戸藩では誰もその名を口にしようとしなかった。
 藤戸藩の領地のあらかたは台地の上に広がっていて、そして、川は台地を形づくる高い段丘の裾を、縁取るように流れていたからだ。



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『流れる』幸田 文

 小路小路はようやく醒めかかっているが、おおかたの二階にはまだ雨戸があり、雨戸には冬の陽が貼りついている。階下の庇は霜どけに濡れてまだ低く沈んでいる。そういうこの一区劃をぬけて電車通りへ出れば、店々ははやしごとに油の乗ったところ、きょうの商売の潮の上げはなといった活気である。


『日本の心』小泉八雲

 いつの日か日本へ行かれるのなら、是非一度は縁日へ足を運ばれるとよい。縁日は夜見るに限る。無数のランプや提灯の光のもと、ものみなこの上なく素晴らしく見える。縁日に出かけてみるまで、日本とは何なのか到底わかるまい。日本の庶民の生活にうかがえる、あの奇妙だがかわいげのある魅力、奇怪だが美しくもあるすばらしさなど想像もつくまい。



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『氷川清話』勝 海舟 編/江藤 淳、松浦 玲

 ちやうど寺町通りで三人の壮士がいきなりおれの前へ顕はれて、ものも言はず切り付けた。驚いておれは後ろへ避けたところが、おれの側に居た土州の岡田以蔵が忽ち長刀を引き抜いて、一人の壮士を真つ二ツに斬つた。「弱虫どもが何をするか」と一喝したので、後の二人はその勢ひに辟易して何処ともなく逃げて行つた。おれもやつとの事で虎の口を遁れたが、なにぶん岡田の早業には感心したよ。後日おれは岡田に向つて、『君は人を殺すことを嗜んではいけない、先日のような挙動は改めたがよからう』と忠告したら、「先生それでもあの時私が居なかつたら、先生の首は既に飛んでしまつて居ませう」といつたが、これにはおれも一言もなかつたよ。


『百年の手紙』梯 久美子

 吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何よりの誇りとしている。僕は若し生まれ替って妻を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しわが子を択ぶということが出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない。君はなお父母に孝養を尽したいと思っているかも知れないが、吾々夫婦は、今日までの二十四年の間に、凡そ人の親として享け得る限りの幸福は既に享けた。親に対し、妹に対し、なお仕残したことがあると思ってはならぬ。(小泉信三が出征する息子に手渡した手紙)



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『ふつうがえらい』佐野洋子

 二、三日前、短編集を読んでいた。十八編あった。次々にずんずん読んだ。読んでいる間中感心したり、ちょっと涙っぽくなったり、わくわくしたりした。もう一気に読んだのね。あー面白かった。と私は本を閉じて大変満足して、もう一度ちょろっと目次を広げた。ぎょっとした。
 十八の短編のタイトルを見ても、何も思い出せない。


『ボタニカル・ライフ』いとうせいこう

 ベランダ園芸という言葉はある。したがってベランダ園芸家という呼称もある、だが、ガーデナーと違って我々の階級には洒落た英語がなかったのである。おかげで、庭もないのにベランダ・ガーデナーなどとひどい語義矛盾がはびこる始末だ。なんだそれは、一体。ベランダなのか庭なのかはっきりしろと迫りたくなる。



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『魔術から数学へ』森 毅

 式を操る術ということなら、ちょっとコツをおぼえてしまえば、どうということもない。だが、それが操れないと、すっかり落ちこぼれた気になって、式の操れる人間なんて異人種であるかのよに思う人もある。


『魔法のことば』星野道夫

 アラスカはアメリカの州の一つにすぎないのですが、とても広く、面積は日本の四倍ほどあります。ほとんどの地域には道がなくて、自分の足で行くしかない。スキーを使ったりカヤックを使ったり、ときには飛行機を使ったりして入っていかなくてはなりません。こういう大きな自然の中にいると、まず最初に思うのは、人間と言うのはなんてちっぽけなんだろうということです。



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『見えない配達夫』茨木のり子

 わたしが一番きれいだったとき
 だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
 男たちは挙手の礼しか知らなくて
 きれいな眼差だけを残し皆発っていった


『名作コピーの時間』宣伝会議書籍編集部

想像力と数百円
新潮社「新潮文庫の100冊」
(一九八四年)ⓒ糸井重里



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『夜明け前 第1部』島崎藤村

 木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。


『羅生門/蜘蛛の糸/杜子春』芥川龍之介

 ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。



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『「吾輩は猫である」殺人事件』奥泉 光

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。吾輩はいま上海に居る。征露戦役の二年目にあたる昨秋の或る暮れ方、麦酒の酔いに足を捉られて水甕の底に溺死すると云う、天性の茶人的猫たるにふさわしい仕方であの世へと旅立ったはずの吾輩が、故国を遠く離るること数百里、千尋の蒼海を隔てたユーラシアの一劃に何故斯くあらねばならぬのか。


『われに五月を』寺山修司

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

























# by dokusho-biyori | 2019-06-28 15:47 | 開催中フェア | Comments(0)

19年06月


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「医療」が医療にいたるまで――文藝春秋営業部 川本悟士

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 みなさん、そろそろ梅雨ですね!……爽やかにいえば気候がスッキリするかというとそういうわけではありませんが、そもそもみなさんはスッキリとした毎日をお過ごしですか? 結構五月病を引きずっていて……という人もいらっしゃるのではないでしょうか。

 五月病。ゴールデンウイーク直後というわけではありませんが、たしかに梅雨が近づいてくる頃になるとなんとも言えない体調不良がやってくる……なんて人も多いのではないでしょうか。気分の問題だと片付けられてしまいがちですが、実際のところ身体は重たいし具合は悪いし、文字通り「病」という文言をつけてしまいたくなる気分はよくわかります。

 実際、「病気」と一言に言っても、その範囲を定めるのは本当に難しいものです。これだけ医療が発達した現在でもうまいこと解決できないことはたくさんありますし、「なんか具合がわるいけど、病院に行っても『疲れですかね』とか、『ストレスですかね』、『もう年齢も重なっていますしね』なんて体のいい言葉を使われて、はっきりしないまま帰されてしまった」なんてことも、悲しいかな、日常茶飯事なんですよね。

 いってみれば、現在の医療として私たちの目に見えているものは多くの失敗や試行錯誤のうえに成り立っているわけで、今日をもってわからないことは多いし、いまわかっていることの背景には結構な悪戦苦闘や盛大な勘違いがあったわけです。そして、これからもその失敗を積み重ねていかないことには、そのフロンティアは開拓されていきません。

 とはいえ、もちろんそういったことはわかっているんですが、今から振り返ってみれば「それにしたってこれはないでしょう!」と言いたくなるような失敗の数々があるもので……。


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 というわけで、今回はジトジトした毎日を吹き飛ばすほどの大真面目な大失敗について、こんな本を手にとって見てはいかがでしょうか。

 リディア・ケイン&ネイト・リーダーセン『世にも危険な医療の世界史』は、今からすれば「インチキ療法」ともいえてしまう、かつての医療に存在した「残念な常識」を集めた一冊です。「生まれる時代が違ったら誰もが受けていたかもしれない『医療行為』がどんなものだったのか」ということについてまとめていった本ですね。

 せっかく具体例が豊富に出てくるので、では二つほど事例をピックアップしてみましょう。

 たとえば、あなたが子どもの夜泣きに悩まされているとします。夜泣きは今も昔も悩みの種ですね。解決すればいいなぁと思う親御さんたちも多いはず。百年前にその望みを叶えてくれたのは、モルヒネやアヘンの含まれた「治療薬」でした。「騒々しい子どもをドラッグで黙らせる」というとかなりヤバい字面ですが、古代エジプトの医学文書にも泣き止まない子どもにはケシとスズメバチの糞を混ぜ合わせたものを与えるべしとあったそうです。実に伝統的な治療方法だったんですね。ちなみにこの治療法には問題もあって、子どもを預かった乳母自身がアヘンに手を出して中毒になったりもしたそうです。問題ってそこかよ、という気がしないではないですが。

 また、仮にあなたが失恋のショックで落ち込んだとしましょう。いまだと定番は何でしょうか。友達と愚痴りながら一杯ひっかけにいくのも、馬鹿みたいにヤケ食いするのもいいかもしれません。ちなみに、もしこれが17世紀だったら、イチオシの方法は外科手術だそうです。外科手術。失恋のショックから立ち直るにしてはいかにもヤバそうですね。それもそのはず、「心不全になるまで血を抜き続ける」のだそうです。ただ、これは古代中国でも興奮状態が続いてしまう躁の状態にも対処法として用いられていたようで、「いくらか血を抜けば落ち着くだろう」という思考プロセスかと思われます。それは落ち着いていると言うより単に具合が悪くなっているだけのような気もしますが……。


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 こんな感じに事例が積み重なった本だけに、気になったところだけつまみ食いもできる本ですが、ざっと列挙してみても、強壮剤として金粉を飲み、美容のためにヒ素を食べ、頭痛の治療薬として水銀を飲んだ人たちは、現在の常識からすればかなりヤバいことをしているように思います。一方で、そのときどきの当人たちは本気で治そうと真面目に信じてやっていたのであって、そこには一種の真剣さがあり、それっぽい理屈や、効能らしきものがありました。

 私が気になったのは実はこの部分でして、この「何となくどうにかなっていそうなロジック」や「何だかきいているような感じがするという実感」というのがいってみれば曲者で、それがあったからこそ、どうにもならない具合の悪さに直面したときに、人々はそれを信じて没入できたのかもしれません。その構図自体は、実は現代でも容易に当てはまることでしょう。

「色んな状況のなかで、いまはひとまず何の気なしに常識だと思っており、しかもそれが普通に通じているものの、何かのきっかけに常識ではないものとして分類されるようになり、その瞬間にこれまでが急に古びて見えてしまう」という感触。

 こう広げてしまえば、それは医療に限られた話ではありません。ゲラゲラと笑ってスッキリしたあとに、どこか妙に頭の冴えるような感覚が残る……。まさに湿気の多い季節にピッタリの一冊かもしれませんね。



新刊案内

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永野裕介のスクリーンからこんにちは。

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『アベンジャーズ/エンドゲーム』

 終わってしまった……。この作品を観るために、2019年は存在していたと言っても過言ではない! 素晴らしい終わり方でした!

 MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)は、『アイアンマン』から始まって11年間で22作品……長いシリーズでした。長い筈なのに短くも感じる面白い作品の数々でした。

 今作は、『インフィニティ・ウォー』で最狂の敵サノスに全生命体を半分にされた後の世界から始まります。絶望的な状況です。残されたアベンジャーズの面々はどうするのか? もちろんサノスを倒しに行きます。

 ここで、最狂の敵サノスを知らない人の為に紹介します。単純に腕っぷしが強い! のは勿論だが、一番厄介なのが〝 独善者 〟という点。自らの世界征服の為ではなく、全宇宙の為に行動していて、目的の為なら犠牲は問わないと思っている事です。独りよがりで明らかに狂った考えの敵です。ここから少しネタバレになってしまうのを許してほしい……なぜなら、あっさりサノスを倒してからこの作品の本当の物語が始まるからです。

 まず、なぜサノスはあっさり倒されてしまうのか? サノスの人物像を考えてみると簡単な事です。既にサノスは、自分の計画を終えていて、戦意を持ってないからです。サノスのゴール(勝利)は〝 全生命体を半分にする事 〟なので、もう終えているのです。その証拠に、作品の中で老後の生活を始めているではないですか(笑)。土いじりしてるサノスに可愛さを感じたのは私だけではないはず!

 そんな事はどうでも良くて、本来の目的は、失った仲間・家族を取り戻す事。それには、サノスが奪い取って使用した六つのインフィニティ・ストーンを奪い返す事。しかし、既にサノスは持っておらず消滅させた模様。元に戻せないと知り、残されたアベンジャーズは再び絶望します。怒り狂ったソーがサノスの首を取り、物語は一旦暗転します。そう、ここからです! ここから壮大な奇跡のような感動物語が始まるのです!

 5年後。絶望を感じながらも少しづつ現実と向き合い始めた世界。あの男が姿を現します! アントマンです。量子の世界から奇跡的に帰還した男は、自分の経験を元に驚きの提案をします。タイムトラベルです。この夢みたいな提案を形に出来ちゃうのがアイアンマン。急速に物語が動き始めます!

「タイムトラベルずりぃ~」と思われている方がいると思う。私も思った! しかーし、予想は遥かに超えて11年間全作品観てくれてありがとう物語が幕を開けます!

 2回観終わった今(潤沢な資金があれば後3回観たい)、この作品のシリーズに携わった全ての人に言いたい……3,000回愛してる!



視野狭窄という魔法――丸善津田沼店 沢田史郎

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 以前この項で(2017年12月号)、《 後ろ向きにしか生きられないネガティブな人物を描かせたら、奥田亜希子が断トツだろう 》と書いたことがある。今回、14か月ぶりの新刊『魔法がとけたあとも』と併せて過去の作品も久し振りに読み返してみたら、ネガティブなのは相変わらずなんだが、それ以上に、彼や彼女たちの視野狭窄の方が強く心に焼き付いた。

 デビュー作の『左目に映る星』では、主人公の早季子は幼い頃の体験が元で、自分と価値観が重なる人はこの世にいないと、諦めにも似た思い込みに捉われて生きている。故に、恋愛などは自分には無縁だと決め付けていて、誰かに本気で交際を申し込まれると、《 特定の人の恋人になるようには、性格ができていないみたい 》などと嘯いてはぐらかす。そのくせ、合コンで知り合った行きずりの相手と、一夜限りの情事を楽しんだりして、その生き方はルーズと言うか嗜虐的と言うか、まだ26歳なのに随分と投げやりで危なっかしい。

 2作目の『透明人間は204号室の夢を見る』の実緒はもっと極端だ。子供の頃から意思表示が不器用で、あからさまなイジメは受けなかったものの、いわゆる〝 変な奴 〟として遠巻きに敬遠されるような十代を過ごしてきた結果、《 自分なんかに関われば、相手の素晴らしい性質はきっとマイナスに傾き、損なわれてしまうだろう 》とまで自分を否定するようになる。

 高校生の頃に出版社の新人賞を受賞して華やかにデビューしたものの、2年も保たずに書けなくなり、デビューから6年が経った今では、《 書けない作家は作家ではない 》と、自身の存在意義すら疑い始めている。


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 3作目の『ファミリー・レス』は短編集だ。挙式直前に結婚が破談になり、以来、実家でダラダラと真昼間から酒ばかり飲んでいる……という亜砂が主人公を務めるのは、最終話「アオシは世界を選べない」。婚約破棄は相手の浮気が原因で、誰が考えても亜砂に非が無いのは明らかなのに、《 でも、私が悪かったような気もする。彼の優しさに、ものすごくつけいっていたんだよね 》などと自分を責めながら、じめじめとした毎日を送っている。

 6編を収録した短編集、4作目の『五つ星をつけてよ』からは、表題作を紹介したい。

 42歳バツイチの恵美は、どんな些細なことでも自分一人では決められない。成人する頃までは着るものから受験する高校、大学まで、母親の勧めを素直に受け入れた。長じてからは、もっぱらネットの口コミが頼みの綱。買い物からその日の献立まで、ネットでの評価を確認しないと行動できない。

 そして今、母親の介護をゆだねているホームヘルパーの不穏な噂を耳にして、恵美の心は大揺れに揺れる。それまでは何とも思わなかったような日々の些細な出来事が、噂を耳にしてからはいちいち虐待の兆候であるかのような気がしてくる。頼みのネットも、片田舎の小さな事業所のたった一人のホームヘルパーの優劣までは、さすがに網羅してはいない。このまま母親を託し続けていいのか、それとも別のヘルパーに切り替えるべきなのか、答えを出せないまま、恵美は悶々と悩み続ける。


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 5作目『リバース&リバース』では、ティーンズ雑誌の編集部で読者の相談コーナーを担当する菊池禄が、読者からの手紙が激減していることに密かに傷ついている。同時に、かつて恋人に言われた「もっと面白い人かと思ってた」という言葉がフラッシュバックして、担当するページもろとも、読者から〝 つまらない 〟とそっぽを向かれたかのような寄る辺なさに苛まれている。

〝 つまらない 〟ことは罪ではない。けれど、誰かの役に立つこともない。そんな自分の価値は、果たしてどこにあるのだろう……。

 6作目『青春のジョーカー』の島田基哉は、中学3年生。学校生活での最優先事項は、クラスで嘲笑の的にならない事という、典型的なマイナー系。ロバがどんなに頑張ってもサラブレッドにはなれないように、自分はひのき舞台に立つことも、スポットライトを浴びることも、一度も無いまま大人になってしまうのではないかと、焦りと不安を募らせている。そうしていつの頃からか、彼は、世の中を強弱の二元論で見るようになってゆく。

《 自分は総理大臣にも俳優にもなれない。それと同じで、クラスの人気者になることも、異性から好かれることもない。おそらくは、強者の影に怯えて一生を過ごす 》 《 本当に魅力的なものはすべて強者の世界にあり、自分は所詮、貧しく惨めな場所で、かろうじて喜びを見出しているに過ぎないのではないか 》

 だからこそ強者の側に行けさえすれば、鬱々とした毎日が一変するに違いないと、身分の飛躍を夢に見る。

 といった調子で、どの作品の主人公たちも己を信じていないこと甚だしい。ちょっと周りを見渡せば、自分を必要としてくれる人や寄って立てる場所が見つかる筈なのに、過去の失敗から帰納して「私なんかには無理だ」と、端から可能性を排除してしまう。独り善がりならぬ〝 独り悪がり 〟とでも言うべき精神の金縛り状態は、奥田作品ではもはや定番と言っていい。

 しかし、である。ひょんなことから、彼または彼女たちは、その金縛りをふりほどく。


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『左目に映る星』の早季子は、アイドルのおっかけに全精力を傾ける青年と知り合うことで、価値観が違う者同士が理解を深めてゆく過程を初めて体験する。そして一人、胸の内で宣誓する。

《 でも、伝わらなかったならば、また言えばいい。いつだってどこでだって、何度だって言えばいいのだ。通じたという勘違いが得られるそのときまで 》

『透明人間は204号室の夢を見る』の実緒のコミュ障は、結局いつまで経っても改善しない。けれども彼女は、大事だと思い込んでいたものが全て崩れ去った後に、書きっ放しで放り出していたたくさんの原稿を思い出す。そして、自分には文章という表現手段があることを確信する。丸腰ではなく、自分にも武器があることを実感する。

《 私には小説しかない、のではない。私は小説を書く。読んで欲しい人は、いつだって私の中にいる 》

「アオシは世界を選べない」の亜砂は、たまたま知り合った青年と、将来の夢について語るうちに、自身の選択が正解だったのか間違いだったのか、それを決めることが出来るのは世界中で自分だけだと諭される。

《 自分で選んだものには、もうそれだけで意味がある。それこそ瞬きくらいに些細なことでも、決して無価値じゃない。なにも選ばずに生きていくことは絶対にできないから、だったらせめてそうあって欲しいなって 》

「五つ星をつけてよ」の恵美は、根拠薄弱な噂に振り回されるうちに、とうとう全てを信じられなくなってしまう。しかしそのギリギリの状態で脳裏に浮かんできたのは、契約しているホームヘルパーの朗らかな心遣いだった。《 あの弾けんばかりの笑顔が嘘だったとは、とても思えない 》と己の気持ちを確かめ得た次の瞬間、何かに頼らなければ決断できない自分に別れを告げる。

《 随分長いあいだ、自分を照らしてくれる光ばかり求めていた。しかし、暗闇を進む方法はほかにもある 》


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 自分の記事ばかりか自分自身についてまで存在価値を見失っていた、『リバース&リバース』の菊池禄。しかし、彼の文章は、彼の知らないところでそれを必要とする誰かに、しっかりと届いていた。《 でも、いつか君もきっと、誰かから否定されるときがくるよ。人は、否定する側にだけい続けることはできません。価値観や考え方が人それぞれだというのは、そういうことのように思います 》という、かつて読者に向けて書いた文章が、今になって自分の胸に深々と刺さる。

 否定する側にだけい続けることができないなら、逆に、否定され続けるだけの人生というのも無いのではないか。自分が励ましたつもりでいたかつての読者に、逆にそう教えられて確信する。そして、自信を持って宣言する。

《 取り柄のない人間に価値がないなんてこと、絶対にない 》

 どうにかして強者の側に所属したいと歯噛みするような思いでいた、『青春のジョーカー』の基哉はしかし、いざ強者のグループに入ってみると、〈 強さ 〉というものの本質を見誤っていたことに、おぼろげながらも気付いてゆく。強さを誇示する為に標的をいたぶる〝 強者 〟たち。そんな強者たちにいいように利用されながらも、常に基哉にだけは優しかった兄。或いは、強者たちから白眼視されながらも、卑屈になることなく胸を張る二葉。彼らに囲まれながら基哉は、本当の〈 強さ 〉とは、弱者の上に君臨することではないと悟ってゆく。

《 大丈夫だから。声には出さず、基哉は小さくかぶりを振ってみせた。偽物のジョーカーで、裏技で、向う側に行こうとしたことが、そもそもの間違いだったのだ。気分は不思議と明るかった 》

基哉は、せっかく加盟できた〝 強者 〟のグループに、自ら背を向ける。

 過去6作を駆け足で振り返ってみたが、さて、どうだろう?


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 例えば、雨の中、傘をさして歩いている。前も周りも見ずに、ただ足元だけを見つめている。嫌な雨だと思いながらも、自分にはどうしようもないと諦めて歩を進める。

 ところが、ふとした拍子に――垂れてきた前髪を掻き上げるためか、飛んできた虫を払おうとしてか――顔を上げると、周りの人はみんな傘を畳んで手にぶら下げている。あれっ? と思ってそっと傘を下ろすと、向うには雲の切れ間から薄陽も差している。なんだ、雨やんでたのか(笑)。

 そんなちっぽけな発見で、見えていた景色がガラリと変わる。まるでミステリーのどんでん返しのような視野の転回こそが、奥田亜希子の十八番ではないだろうか。

 ならば、久し振りの新刊『魔法がとけたあとも』はどうだろう? 収められた5編の短編に共通するのは、身体の変化。妊娠、腫瘍、ホクロ、白髪、顔の傷、etc。それらをきっかけにして、生活の一部が微妙にズレる。その違和感をそれぞれの目線でスケッチしていくような五つの物語。

 そしてやはり、視野を狭めて自らを息苦しい環境に追い込むかのような、そんな生き方を誰もが選んでしまっている。

 例えば第3話「君の線、僕の点」の主人公、晴希は、鼻の付け根にあるホクロに、幼い頃からコンプレックスを抱いてきた。ホクロを見られるのが嫌で、人と話す時きちんと相手と目を合わせらなかった。そのせいかどうか、幼少期からずっと、休日を一緒に過ごせる友人がいたことはないし、会社の昼休みに一緒に食事をする相手すら見つけられない。

 これは読者としての勝手な想像だが、恐らく晴希は、「このホクロさえ無ければ」と何度も思ったことだろう。或いは「このホクロのせいで」と恨んだりもしただろう。ことによると、「このホクロがあるから」と、ホクロを言い訳に使ったこともあったかも知れない。


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 晴希の場合はホクロだが、第1話「理想のいれもの」の志摩の場合は、妊娠だった。待望の第一子ではあるものの、妊娠が判明して以降、どんな場合でも〝 妊婦の志摩 〟という枠の中からはみ出すことができずに苛立ちを募らせる。

 第4話「彼方のアイドル」の敦子の場合は、自身の白髪と息子の髭だった。白髪によって突きつけられた老い。髭によって暗示される息子の親離れ。それらを肯定できずにただ苛立ち、焦り、うろたえる。

 やはり今回も、である。どの短編の主人公たちも、悩みや憂い、或いはコンプレックスを顕微鏡で眺めるが如くにクローズアップして、当然の帰結として周囲の風景はまるで目に入らずに、狭い視野の中で身を縮こまらせている。それはあたかも、悪い魔女によって〈 視野狭窄 〉という魔法にかけられたかのように僕には見える。その魔法にかかったが最後、自分を肯定する材料を見つけられずに、じわじわと自分を嫌いになってゆく。

 だがしかし、だ。奥田亜希子は、その魔法を解く鍵も、ちゃんと彼らに与えている。それを詳述してしまうとネタバレになるので控えるが、悪い魔法にかけられて自分を否定していた老若男女が、ちょっとした鍵――それは例えば夫の大らかさだったり、幼馴染の涙だったり、或いは20年間追いかけていたアイドルの一言だったりと、当人以外には意味を持たない瑣末な事柄――を見つけて、自分にかけられていた魔法を振りほどく。そこに至るまでの七転び八起きこそが、この短編集の読みどころではなかろうか。

 更に、である。魔法にかけられる前には輝いていた。それが魔法で色彩を失った。けれど魔法が解けた時、それは再び光を取り戻した。そんな何物かをも、仄めかすようにして暗示しているのがこの短編集だと思うのだ。つまり、である。〝 魔法がとけたあとも 〟それぞれの胸の中で輝き続けるものこそが、『魔法がとけたあとも』を貫通する一番のテーマではないか。

〈 視野狭窄 〉という魔法。それによる〈 自己否定 〉。そして、視野の転換とそれまでとは違う方向に踏み出す新しい一歩。そういうものを描くことで、僕らを控えめに励ましてくれている作家。それが、奥田亜希子だと結論しつつ、全ての作品を自信を持って勧めたい。



残 る 言 葉 、 沁 み る セ リ フ

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「知っておいてほしいことがある。君は私を独占できない。みんなと分かち合わなくちゃならないんだ」
「みんなって?」
「私の生徒たちだ」


 東ドイツのとある高校教師が、妻となる女性に贈ったプロポーズの言葉。こういう先生に導かれた生徒たちは、幸せだったんじゃなかろうか。因みにその生徒たちが1956年の冬、自由を求めて西ドイツに亡命した時も、この先生は次のような言葉で応援している。《 私が若かったら同じことをしただろう。一致団結し、熱狂して何かをするのは、若者の特権だ 》。




編集後記

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連載四コマ「本屋日和」

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6月のイベントガイド

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# by dokusho-biyori | 2019-06-06 23:19 | バックナンバー | Comments(0)

警備員さん



今日の昼休み、近くのビルのデッキのベンチで横になっていたら、
警備員さんに「大丈夫ですか?」と声をかけられた。

どうやら、熱中症か何かでぐったりしているのかと思われたようだ。
すみませんすみません、眠かっただけです。

警備員さん、心配して下さってありがとうございます。
























# by dokusho-biyori | 2019-06-05 21:30 | サワダのひとりごと | Comments(0)