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15年03月 後編

⇒前編から続く



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以下、出版情報は『読書日和 03月号』製作時のもです。タイトル、価格、発売日など変更になっているかも知れませんので、ご注意ください。




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酒井七海の「きょうの音楽」
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短期集中連載
『世界一の本の町 神保町の歩き方
            ~超初心者向け』最終回
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青土社で、榎本さんにおすすめの本屋ないですか? と尋ねたところ帰ってきたのが次の目的地、小宮山書店

ここは芸術書と文芸書、特に海外文学が充実しているとのこと。一階はさながらアートギャラリーのよう。森山大道やロベルト・ドアノーなどのわたしでも名前くらいは知っている写真家の写真や、写真集が並ぶ。

かっこいい~。表紙を眺めているだけで全然あきない。昔の写真家の写真ってフィルムも機材も今よりずっと、劣っていたはずなのに、なんというか一枚の存在感が違いませんか? ハッと目も心も離せなくなる一枚があるというか。そういうのは眺めているだけでも本当に刺激になるんだよなぁ。

そして、窓際のガラスケースには希少価値の高いヴィンテージ写真集が。おおお、ふるえる。ウン十万円のものがいくつも。

細い階段をのぼっていくと二階、中二階とせまいながらもぎっしりと本が詰め込まれたフロアー。しかし時間の都合上飛ばしまして、三階へ。

三階がお目当て文学コーナー。こちらもところせましとぎっしり。でも、せまい古本屋さんにありがちな人も通れないほど、っていうわけではない。ほどほどで見やすい売り場。

やー、数年文芸書を担当しておりますが、まったく見たことない本ばかり。タイトルは知っているけど、この装丁ははじめて見る! とか。わー、文庫しか見たことないけど、函入りの単行本だ! とかがごろごろ。もちろん見たことも聞いたこともないってのもわんさかある。これは胸ときめきますわ。

はじからなめるように見ていくわたし。しかし、知らないということはイコールどれを買ってよいのかわからない。ということにつながるんですね。

けっきょくじーっくり見たけど、タイムアップ。そしてタイリョクアウト。

お茶でもしますか~っていうことになったのでした。

さて、最後に杉江氏が連れて行ってくれたのが 〝 ラドリオ 〟 という喫茶店。

こちらがまた本当にいい雰囲気。わたしこういう喫茶店大好物です。

カフェではなく、絶対に喫茶店という雰囲気。

外観はレンガ造りで(そもそもラドリオとはレンガ造りという意味なんだそう)古びていて、ちょっと意味のわからないものがごちゃごちゃ置いてあったりする。オシャレでもなんでもない植木鉢とか、大きなスプーンだとか。中も本当に落ち着く暗さで、珈琲のいい香り。

食べていないけど、絶対サンドイッチとか食事も美味しいだろうと思えるお店だ。素敵です。

こちらのお店、なんと日本ではじめてウィンナーコーヒーを出したお店なんだそう。そりゃ歴史ある佇まいだよなぁ。

杉江氏とふたりそのウィンナーコーヒーを注文。一口飲んで、にっこり。あぁ美味しい。お口に白いひげをつけた杉江氏がかわいいのでした。

あー、満喫した! これほど満喫した一日があっただろうか。

いや、ない! いまだかつてない!

わたしは、本当に半日わたしのためだけにつき合ってくれた杉江氏、いや杉江さまにぺこりぺこりと頭をさげ、何度も御礼を言ったのでした。

いや~ぼくも楽しかったですよ。と天使のような笑顔を見せる杉江氏に本当にいやされながらも、ここでお別れ。じゃあと仕事に戻るのを見送り、さて、わたしも帰ろうかと思ったところで、わたしはものすごく重大なことに気がついた。

なんと、わたしはこれだけたくさん本屋さんに足を踏み入れながら、一冊も本を買っていないじゃないか!!!

ショック。大ショックだ。今日は買う気まんまんで来たのに。わたしの手にはジャニスのビニール袋に入ったCDが三枚。

何やってるんだ、わたし!

自分を最大限にののしりながら、駅への道をたどっていたのをくるりと引き返し、近くにある古本屋さんに駆け込んだのでした。何か買わねば! と目をらんらんとさせて。

〝 おしまい 〟

長らく神保町ツアー記、読んでいただいてありがとうございました。これにておしまいです。書いていてとても楽しい日記となりました。また機会がありましたら、お目にかかりましょう(って普通の読書感想文は毎月書いておりますが、、、)さようなら~!(酒井七海)



編集後記
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連載四コマ「本屋日和」
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# by dokusho-biyori | 2015-03-02 20:07 | バックナンバー

15年03月 前編

今月の表紙は、去年の春に撮った小湊鉄道「飯給駅」
宮部みゆきさんの『小暮写眞館』(講談社文庫)の表紙も飯給駅です。
そして「飯給」と書いて「イタブ」と読むらしいです。なんでやねん。

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『低地』ジュンパ・ラヒリ/小川高義 訳 新潮社 9784105901103 ¥2,500+税

過激な革命運動のさなか、両親と身重の妻の眼前、カルカッタの低湿地で射殺された弟。遺された若い妻をアメリカに連れ帰った学究肌の兄。仲睦まじかった兄弟は二十代半ばで生死を分かち、喪失を抱えた男女は、アメリカで新しい家族として歩みだす――。着想から16年、両大陸を舞台に繰り広げられる波乱の家族史。(新潮社HPより)

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凛とした紫色の花と丸みを帯びた可愛らしい緑の葉が絶妙に配置され、これまた絶妙な位置に置かれたタイトル『低地』。

新潮クレストブックスの装丁はいつも素敵だと思うけれど、満を持して発売されたラヒリの新作はひときわ目を引きました。

ひとめで恋に落ちる瞬間……というのは残念ながら今のところ経験したことがないけれど、こと本に関しては何度かあります。

内容はどうだっていい、この本がほしい。と思ってしまうのです。結局あとで読むのだから、内容がどうだっていいってことはないのだけれど、見た瞬間にそのくらい欲しいと思ってしまうということです。

それに装丁が素晴らしいもので、内容があまりにもダメだということはたぶんないと実は思っております。装丁にきちんと手をかけているということは、その本を作った人たちにとっても思い入れのある本だということ。それに個人的には、装丁の好みは文章の好みに通じると思うので自分の好みにあった装丁はその文章も好みにあっている可能性が高いと思うというのが、わたしの小さな持論です。

そんな強烈な衝動によって、手に入れたジュンパ・ラヒリの最新長編小説がこちら。読み終えてまずひとこと。

すごい……。

それしか出てきませんでした。

圧倒的な筆力で、ひとつの家族が生きるということを描ききった作品。

いつも一緒だった兄弟。しかし、弟は大人になるにつれとあるグループの思想に傾倒してゆく。そして、テロリストとして処刑されてしまう。残された家族はそれぞれの想いを引きずりながらその後の人生を行きてゆく。兄は弟の身重の妻をつれてアメリカへ。そこで三人で生きる決心をするのだけど……。

人は弱い。失ったものはどうしても埋められません。それでも前へ、前へ進まなければなりません。生きなくちゃ。どんなにそこにとどまっていたくても。

そういうことを本当に丁寧にすくいとり、じっくりと書いた作品だと思いました。

兄弟で遊んだ低地。ウダヤンが死んだ低地。母が毎日祈りを捧げる低地。そしてその低地から逃げた兄、スバシュ。

ものごとがどんどん変わっていき、失うことを何度経験しても、低地は変わらずそこにあるように思えました。でも、それは……。

永遠なんてものはないのですね。いつだって生まれては消えていく、その繰り返し。

でも生まれるものあれば、そこに喜びがあります。喜びがあれば、生きることができます。そんなふうに感じることができたラスト、わたしは読んでいてとても幸せでした。(酒井七海)



『天使のナイフ』薬丸岳 講談社文庫 9784062761383 ¥667+税

生後5ヵ月の娘の目の前で妻は殺された。だが、犯行に及んだ3人は、13歳の少年だったため、罪に問われることはなかった。4年後、犯人の一人が殺され、桧山貴志は疑惑の人となる。「殺してやりたかった。でも俺は殺していない」。裁かれなかった真実と必死に向き合う男を描いた、第51回江戸川乱歩賞受賞作。

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〝 秀丸さん、退院したよ 〟(帚木蓬生『閉鎖病棟』)
〝 太陽の光の七つの色。それはいつもは見えないけれど、たったひと筋の水の流れによって姿を現す。光はもともとあったのに、その色は隠れていたのだ。たぶん、この世界には隠れているもの、見えないものがいっぱいあるんだろう 〟(湯本香樹実『夏の庭』)
〝 それにしても、どんな歌であれ、今までにぜんぜん聞いたことのない歌を、なんと聞きたかったことか! 〟(ケン・グリムウッド『リプレイ』)

 とまぁ思いつくままに挙げたのは、それぞれの作品で「ここだけは読み落としてくれるな」という文章。勿論、僕が勝手にそう感じたというだけで、同じ作品でもどこを挙げるかは人によって違うだろうし、そもそも作者の意図に沿っているかどうかさえ甚だ怪しい。だとしてもやはり、お気に入りの作品ならば誰だって、「この数行があるからこそ、この作品が自分は好きなのだ」という場面があるでしょう。

 そんな自分だけの名場面の中から、今回改めて紹介したいのは、薬丸岳さんのデビュー作で第51回江戸川乱歩賞受賞作『天使のナイフ』。
 ほぼクライマックスの場面で、文庫だと415ページ目。
〝 歩美の瞳が大きく揺れた。抑えようのないものを瞳いっぱいに湛えながら何か呟いた。
 桧山はその言葉を聞き取れなかった。だけど、何と言ったのかはわかったような気がした 〟
では何と言ったのか? それは、作中では明記されないのだけど、この作品を丁寧に読んでいけば、きっと解ると思います。ってか、解って欲しい。ここを書かずに読者の想像に委ねるところが、薬丸さんの凄味ですね。

 さて、肝心の物語の紹介いきます。主人公の桧山貴志は、喫茶店のオーナー店長をしながら、四歳の娘を育てるシングルファザー。と言ってもバツイチではなく、奥さんは娘を産んで間もない頃に亡くなっている。中学生に殺されて――。
 事件当時、犯人の三人組はすぐに捕まったものの、少年法は未熟な彼らの「可塑性」を錦の御旗に、罰することを認めていない。未熟な者の犯した過ちには、罰ではなく更生のための教育を、という耳当たりのいいモットーは、被害者の痛みや苦しみを決して掬い取ろうとはせず、遺族の怒りや悲しみは、行き場を失くしてくすぶり続ける……。桧山はそんな無念さを抱えたまま、娘の成長だけを心の支えに、父娘二人で四年間を過ごしてきた。
 ところが、かつて桧山の妻を殺した少年たちの一人が殺された。それも、桧山の職場の目と鼻の先で、よりによって桧山のアリバイが無い時間帯に! 殺してやりたかった。でも俺は殺していない――。警察から容疑者扱いされた桧山は、事件の真相を知る為に行動を開始する。

 とまぁ、だれがどう読んでも紛う方無きミステリーなんですけど、僕はこの作品、それ以上に 〝 恋愛小説 〟 であると思っています。詳細は伏せますが、亡き妻への桧山の想いが、終盤で奔流の如く読者の心を押し流す筈。ちょっとした小道具の使い方も絶妙で、二転三転する謎解き要素はむしろ、桧山夫婦の絆を際立たせる為の陽動作戦ではないか、という気さえします。
 これから初めて読もうという方は、是非、謎解きと並走するそんなストーリーにも着目して頂けたら、と思います。

 で、その薬丸さんの最新作が、三月下旬に幻冬舎から発売予定です。『誓約』という仮タイトルのゲラを一足お先に読ませて貰いましたが、いやぁ凄いもん読んだ! 薬丸さんがデビュー以来こだわり続けている 〝 罪とは何か? 償うとは何か? 〟 という命題を踏襲しているのは勿論のこと、それ以上に、〝 大切な人を大切にしようとする一生懸命な気持ち 〟 が、これでもかっ! ってぐらいに行間から溢れ出してくる作品で、間違い無く、2010年代を代表するエンターテインメントの一つになるでしょう!
 店頭での試し読み「ちょいゲラ」の準備も進めておりますので、どうか存分にご期待下さい。今年はきっと、薬丸岳の年になる!(沢田史郎)



『哀愁の町に霧が降るのだ』椎名誠 小学館文庫 上9784094060751 ¥690+税 下9784094060768 ¥680+税

東京・江戸川区小岩の中川放水路近くにあるアパート「克美荘」。家賃はべらぼうに安いが、昼でも太陽の光が入ることのない暗く汚い六畳の部屋で、四人の男たちの共同貧乏生活がはじまった――。椎名誠と個性豊かな仲間たちが繰り広げる、大酒と食欲と友情と恋の日々。悲しくもバカバカしく、けれどひたむきな青春の姿を描いた傑作長編。

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 多分これ、マンガ以外で初めて爆笑した本。あれは21歳の時だったから、殆ど四半世紀前。今は無き水道橋の旭屋書店さんで、椎名作品のフェアをやっていて、当時は「フェア」なんて概念も知らず、なんだか同じ人の本がいっぱい並んでるな? などとトンチンカンなことを思いつつ、妙に長いタイトルに惹かれて手に取った。
 一読、驚いたね俺は。
 まず第一章の章題が「話はなかなか始まらない」で、第二章が「まだ話は始まらない」。一体何が書いてあるのかと言うと、この本を書くに至った経緯――初めて「ホテルに缶詰め」になっていっぱしの作家気分だとか、そのホテルのディナーショウがなんだか大変困ったもんだとか――を延々と並べ立てている。いくら 〝 自伝的 〟 とは言え、フツーそんなこと書かんだろー小説には(笑)。
 で、第三章から漸くストーリーが始まるのかと思いきや、さにあらず。「緊急対策中途解説の項」とか言って、このままでは一向に物語が進まない困った困った、などという趣旨の発言を連発しているのだ(笑)。これは果たして小説と呼べるのか(笑)?
 斬新だったなぁ。今でこそ、こういう力の抜けた文章を書く人は増えてきたけど、初めて読んだ時には、ホントにビックリしましましたよ。こんな日本語アリなのか!? 文学としてこういうのはどうなんだ? こんな不真面目な小説が許されるのか? と、その非常識ぶりに無数の疑問符を投げかけながらも、ひたすら笑い転げて没頭し、続編である『新橋烏森口青春篇』(この三月に、小学館文庫から復刊!)も一気読みした頃には完全にシーナ中毒患者になっていて、それからはもう右から左へと椎名作品を読みまくりました。結果、シーナ文体が染みついちゃって、学校のレポート書く時に大変苦労した記憶があります。

 で、そんな僕だからこそ、この機に言っておきたい。『哀愁の町~』『新橋烏森口~』の次に読むべきシーナ文学お薦めリスト。

 まず『岳物語』『続・岳物語』(ともに集英社文庫)は必須でしょう。シーナ家の長男・岳くんとシーナさんの触れ合いを描いた親子小説。岳くんが親離れしていく『続』の切なさは特筆もの。
 それから短編集の『ハマボウフウの花や風』(文春文庫)。同級生の悲しい恋を描いた表題作も一級品ですが、それ以上に、巻頭の「倉庫作業員」がいい。『哀愁の町~』でも描かれるエピソードを元にした暖かい青春小説で、山田洋次監督、三國連太郎、永瀬正敏、和久井映見らの出演で映画化もされました。しかも先ごろ講談社から、『山田洋次・名作映画DVDマガジン』の第八号として発売されたので、是非是非ご覧頂きたい。本の方は現在絶版なので、小学館さん、こっちも思い切って復刊を!
 そして、最後にもう一つ! 本の雑誌社から出版されている『発作的座談会』。これを読まずしてシーナ文学は語れまい。シーナ作品には度々登場する木村晋介弁護士と、『本の雑誌』のイラストでお馴染み沢野ひとしさん、そして本の雑誌社社長(当時)の目黒考二さんの四人が、実にどーでもいいことを一生懸命話し合うという、実用上は何の役にも立たないオモシロ本だ。どんな話し合いが行われるのかと言うと、例えば「オリンピックを考える」の回では、〝 長距離五万メートルのムカデ競走 〟 だの、〝 玉が砲丸投げみたいに重い玉入れ(危険!) 〟 だの、〝 オーストラリアの広い砂漠で開催する、一千万人の綱引き(人口が少ない国は負けちゃう)〟 だの、よくもまぁそんな馬鹿馬鹿しい事を大の大人が真剣に話し合うね(笑)。

 とかなんとか言ってる内に紙数が尽きたので無理やりまとめてしまうけど、とにかく何しろ、『哀愁の町~』に出会わなければ、僕は読書の楽しさを知らずにいたかも知れず、だとすると当然ながら本屋で働きたいなんぞと血迷う訳もなく、そう考えると、僕の人生の航路を定めたのがシーナ文学であるという言い方も、あながち大袈裟ではないのかも知れない。(沢田史郎)



⇒後編に続く
# by dokusho-biyori | 2015-03-02 19:57 | バックナンバー

15年02月 前半

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『八月の青い蝶』周防柳 集英社 ¥1,400+税 9784087715477

白血病で療養する父の持物の中にみつけた、小さな青い蝶がとめられた標本箱。それは昭和20年8月に突然断ち切られた、淡く切ない恋物語を記憶する品だった。圧倒的な筆力が賞賛された感動のデビュー作。第26回小説すばる新人賞受賞作。(集英社HPより)

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1945年、8月6日。

その日付を耳にしてもわたしには特になんの感情もわいてこない。よく考えればああ、広島に原爆の落ちた日だということを思い出す。もっとよく考えれば、他には何も知らない。

そんな程度の知識なので、この本に出会ったことは偶然であり、奇跡的でした。

冒頭は現代。末期の白血病を煩った父の最期のときをむかえ入れる準備をする母と娘。父が大切にしていたお仏壇の整理をしていると、中から翅の欠けた青い蝶の標本が見つかる。そこから父の少年時代へと物語はさかのぼってゆく。

著者はこの作品がデビュー作なのだそうです。小説すばる新人賞を受賞ということだけど、納得。というか新人ということが信じられないくらい小説自体が生き生きとした印象を残しました。

まず読んでいて楽しかったのは、主人公・亮輔(父)と、恋に落ちる年上の希恵の交流の様子。初恋のみずみずしさ、初々しさ、せつなさが亮輔の目線で無邪気にまっすぐとらえられていて、読んでいるものの心をぎゅーっとつかんでくる。ためらいなくぎゅーっと。

ただの恋愛小説ではなく、そこには戦争がありました。

でも、国がいくらそこに力を注いでいても、毎日何千人何万人の人たちが死んでいたとしても、まったく頓着しない無邪気さでそこには恋もありました。

今と何も変わらない人間が生きていました。

そういうところをこの本は本当に丁寧に、みずみずしい文章で描き出しています。気がつくと亮輔にも希恵にもこころが移って、全力で応援したくなってしまう自分がいました。

〝 戦争はくり返しちゃだめ。何があってもくり返しちゃだめよ 〟 念仏のように手を合わせ何度も何度も言っていた祖母を思い出しました。

わたしたちは戦争を知りません。だからそう言われても実感がわかないです。

でも、年配の人の言うことには耳をかたむけなさいと誰しもが一度は教わるはず。経験した人のことばは重みがあります。耳をかたむけようという気にもなります。

わたしたちはこれから、そんな経験をした人がだれもいない世界を生きなければなりません。

そんな世界に大切なのは、本の力なのかもしれないと、この本を読んでそう思いました。(酒井七海)



『聖灰の暗号』帚木蓬生 新潮文庫 上巻9784101288192 ¥594+税 下巻9784101288208 ¥637+税

歴史学者・須貝彰は、南仏の図書館で世紀の発見をした。異端としてカトリックに憎悪され、十字軍の総攻撃を受けたカタリ派についての古文書を探りあてたのだ。運命的に出会った精神科医クリスチーヌ・サンドルとともに、須貝は、後世に密かに伝えられた 〝 人間の大罪 〟 を追い始める。

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 クリスマスで騒いだ一週間後に、何の後ろめたさも感じることなく、神社に詣でて柏手を打つ。恐らくは大半の日本人がそうであるように、僕も、そんな支離滅裂な行動を長年繰り返してきた。無宗教と言うより、無節操(笑)。だけどそんな僕でも大いに疑問に思うことがある。
 たとえどんな理由であろうとも、殺人を許容したり示唆したり或いは命じたりする神様って、心狭くね? それこそ「神様」って敬われるぐらいなんだから、もっと清濁併せのむ度量とか、大海は芥を選ばずみたいな懐の広さを、持っていなきゃいかんでしょう? これを書いている今現在も、世界中のあちこちで宗教的大義名分の元にたくさんの命が奪われているようだけど、異教徒だからとか、教義に反するからとか、布教の妨げになるからとか、その他様々な理由で人殺しを容認する神様って、絶対偽物でしょ。ってか、神様のくせに器が小さ過ぎるだろっちゅーねん。あのイエス・キリストだって、汝の敵を愛せよって言ってるじゃん。

 いや、解ってます。宗教の名において行われる虐待や殺人なんて、全ては、欲にまみれた人間どもが自分たちの行為を正当化する為に「宗教」で偽装しているだけで、実際には正義でも神聖でもなんでもない。だけどもそういったインチキ神託が大昔から幾度となく繰り返されてきたのは、世界史の授業で習った通り。中でも十字軍なんかは誰もが知ってる代表例。ではその十字軍が、同じキリスト教徒を虐殺した「アルビジョア十字軍」はご存知ですか? 因みに、僕は知りませんでした。

 アルビジョア十字軍――。ごく大雑把に説明しますと、今から700~800年前、日本では丁度鎌倉幕府が開かれた頃、南仏はピレネーの麓を中心に、「カタリ派」と呼ばれる宗派が信者を増やしていたそうです。その教義はと言うと、別に目新しいものではなく、むしろ、堕落が目立ち始めていた当時のカトリックよりも遥かに純度の高い、歴としたキリスト教だったらしいです。ところが、聖書の教えに忠実であろうとする彼らの暮らしぶりは、華美で豪奢な粉飾を好むローマ教会にとっては、実に邪魔な存在ということになる。そんなバチカンの思惑に、ルイ王朝の領土的野心が合致して、それならいっそ異端ということにして滅ぼしてしまおうか、ということになり、実際に100年余りの時間を費やして、全てのカタリ派信者を根こそぎ虐殺してしまったんだそうな。

 そして、こういった歴史の常として、勝者の側に都合の悪い記録は抹消されていて、700年前に何が行われたのかを正確に知るのは非常に困難なんだけど、奇跡的に遺されていた敗者の側の記録が発見された! というのが本書の筋。ところが、その遺稿の調査を進める主人公の周囲で不審な死が相次いで……というサスペンス風味の現代パートに、遺稿そのもの――700年前に虐殺を目撃した修道僧の記述――が挟まるという二重構造。現代パートは、主人公と意気投合した幾人かのサブキャラも非常に魅力的で、これだけでも充分以上に楽しめるけど、圧巻は、過去パート。異端者は人に非ず、とでも言うかのような極悪非道ぶりには、それが神のすることかっ!? と読んだ誰もが糾弾を叫びたくなる筈。にも関わらず、最後まで宗旨変えを受け入れず、カタリ派として従容と火あぶりにされる信者たちには、荘厳ささえ感じて襟を正さずにはいられない。

 これまでにも、ナチス政権下のユダヤ人(『ヒトラーの防具』新潮文庫)や、旧日本軍に強制連行された朝鮮の人々(『三たびの海峡』同)など、虐げられた人々の悲しみと艱苦を採り上げてきた帚木さんが、全霊で描き切った中世の異端審問。その行間から溢れ出す「死ぬな、殺すな」というメッセージは、人種や宗教を越えて多くの人の共感を呼ぶと信じている。(沢田史郎)



『透明カメレオン』道尾秀介 KADOKAWA 9784041014288 ¥1,700+税

冴えない容姿と 〝 特殊 〟 な声を持つラジオのパーソナリティの恭太郎はある雨の日、行きつけのバーでびしょ濡れの美女に出逢う。ひょんなことから彼女の企てた殺害計画に参加することになる恭太郎だったが――。(KADOKAWA・HPより)

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 例えば、抜ける! と思われた打球に楽々と追いついて捕球する野球選手。ルーチンワークのように淡々と包丁を動かして、千切りの山を築いていく料理人。無造作に粘土を撫で回している内に、いつの間にか茶碗を形作っている陶芸家。etc。
 その道を極めたプロの仕事ってのは、一見すると実に簡単そうに見えるのだけど、いざやってみるととてもじゃないが真似出来ない。余りにも当り前のようにやってのけるから、素人目にはその難しさが判らない。そんな職人技を文章でやってのけるのが、道尾さんだと思うのです。

 具体的な例を幾つか挙げます。『水の柩』(講談社文庫)では、ろくに言葉も交わしたことのない中学生の男女の気まずさを、こう表現します。
【敦子は曖昧に言葉を濁し、そのまま黙った。逸夫も一度話しかけたことで何か義務を果たしたような気になり、黙って歩いた】
また、『ノエル』(新潮社)では、母親にぶたれて今にも泣き出す寸前の女の子を、こう描きます。
【莉子は息を止め、痛みが自分の中から過ぎ去ってくれるのを待った。しかしそれはいっこうに過ぎ去ってくれず、やがて胸が勝手にひくひく震えはじめ、唇の両端が痙攣しながら隙間をあけた】
或いは『鏡の花』(集英社)では、風がカーテンを揺らす様子を、こんな言葉で視覚化してしまいます。
【ちょうどそのとき、背後のレースのカーテンをゆったりとふくらませて風が吹き込んで来た。カーテンは妊婦の服を着た人みたいに丸くお腹を突き出し、やがてそのお腹が下の方へ移動していくと、ふわっと裾がひるがえって風を室内へ逃がした】

 どうでしょう。ごくありふれた、中学生でも知っている簡単な単語ばかりを使って「これ以上ピッタリくる言葉は無い」というものを選び出し、それらを(恐らくは「けど」にするか「けれど」にするかといった細部にまで気を配って)コツコツとつないで描出されたどの場面でも、読者は、実際にこの目で見ているかの如き立体感を抱かずにはいられない筈です。のみならず、文章のリズムがいいから全くつっかえることなくスイスイ読み進められる上に、道尾作品では定番の伏線やどんでん返しに気を取られて我知らず読み急ぐから、その文章が如何に精緻に磨き抜かれたものであるかには、ついぞ気付かずに読了してしまう。そういう読者は、かなりいるんじゃないかと思っています。
 だから、この機会に断言します。道尾秀介は、謎解きやトリックだけが凄いのでは決してない! と。仮に彼が、そういった技巧を一切用いずに小説を書き上げたとしても、冒頭の一語から最後の一文まで、僕は、全く飽きることなく読了する自信があります。

 そしてその手腕は、新作『透明カメレオン』でも冴えわたりまくってます。例えば次は、クライマックスの少し手前。主人公が一生懸命恐怖と闘い、勇気を絞り出そうとする場面。
【僕の勇気は、最後にそれを見かけたときのことを思い出せないくらい長いこと仕舞われていたので、野菜室で放置されていたキュウリのように、胸の奥でどろどろになっていた。僕はそのどろどろの勇気を掴み、滑り落ちないよう手のひら全体に力を込めながら、慎重に引き出していった。まだ中のほうに芯が溶け残っているのを確かめ、ゆっくり、じっくり、少しずつたぐり寄せた】
 どうですか? 映像で見るよりも鮮やかに、主人公の心の揺れが伝わってくるでしょう! こんな例を挙げ出せばキリが無いのですが、とにかく、本書に限らず道尾さんの作品を読む時は、一度目はどうしてもストーリーに引きずられてしまうから、是非とも二回以上読むことをお薦めします。

 とか言ってる間に、そのストーリーを紹介するスペースが殆ど無くなったじゃないですか(泣)。今回の主人公は、ラジオのパーソナリティで、めっちゃラジオ向きの美声を持っている代わりに容姿には全く自信が無いという桐畑恭太郎。彼が行きつけのバーで巻き込まれた珍騒動が描かれるわけですが、驚いたことに、中盤過ぎまではかなりユーモラスな進行で、堪え切れずに吹き出してしまった場面は二カ所や三カ所ではききません。勿論その後は、これぞ道尾節! とでも言うべき驚きと温もりの展開がしっかりと用意されているので、以前からの道尾ファンも、今回初めて読む人も、安心してページをめくって頂きたい。(沢田史郎)

⇒後編に続く
# by dokusho-biyori | 2015-01-27 22:34 | バックナンバー