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18年11月

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読書の秋、積読の秋――文藝春秋営業部 川本悟士

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 いわゆる読書の秋、ということで、いよいよ秋も深まってきました。私の学生時代は中学校以来約10年間ずっと「文化祭」と呼ばれる秋のイベントが11月の第1週に開催されていたので、だいたいこの時期をすぎるとぐっと冷え込むな……としみじみします。私のような引きこもりにはうってつけの季節です。

 ということで世の中的にも読書シーズンですが、先日来、私にもにわかに読書シーズンが来たというのか、読書しなきゃいけないシーズンが来たというのか、いつも以上に急激に部屋に本があふれかえっています。

 思えば、先輩と先日、「僕は『罪の声』が好きで……」という話をしていたときに「じゃあ『レディ・ジョーカー』は読んでみないと!」とプッシュされたあたりから雲行きが怪しくなり、『沈黙のパレード』がでるなら……、杉村三郎の新刊が出るなら……と、一気に巻数の多いシリーズものを読むことになりました。

 ただでさえ『本で床は抜けるのか』を切実な実感から買ってしまう人間なのですが、こう一気に風が吹いてくるといかんせん自分の読書スピードの遅さを呪うばかり。身の周りに文庫本くらいなら1時間もかからないで読んでしまう同級生がいたので、部屋に積まれていく本を見ていると、がーっと一気に読んでしまえれば……と恨めしい……。

 と、こういう時期は今までも何度もあって、そのたびに、どうして俺はこんなに本を読むのが遅いんだ! 一体世の中の人はどうやって本を読んでいるんだ……! と「読書法の本を買う」というさらなる泥沼にハマっていくわけですが(笑)、というわけで、読書の秋。部屋の片隅から「読書についての本」を引っ張り出してみました。


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 私の持っているなかである意味一番の「読書本」は、レーニンの『哲学ノート』かもしれません。いきなり「怪しげ」な本が出てきましたが、この本は、いってみればレーニンの読書ノートの書籍化で、彼自身のノートの記された、哲学書の要点を書き抜き、自身のまとめ、コメントを記したものです。随所に「注意!」などの書きこみや、大事な文章や概念の整理が残されていて、彼がどのように本にマーキングをし、どんなノートをつくっていたのかがわかるかたちになっています。

 この本を手に取るたび、大学の先生に、抜書をしたりまとめたりコメントをつけたりして読書ノートを作るんだよ、と言われたことを思い出します。ただ、えてして凝り性の私がノートをつけ始めるともう考えたくないくらい時間がかかるんですよね……。

 ということで、もっとすっきりシンプルに行こう、と次の本に手を伸ばしました。いわゆる読書法の本については色々あるのですが、そのなかでも有名であり、いってみればそのものズバリのタイトルのものが、『本を読む本』でしょうか。この本によれば、読書は大きく4つのレベルに分けることができるといいます。

 まず第1レベルが初級読書。単純にその文章が何を言っているのか、という文法や単語レベルで理解することです。当たり前と言われればそれまでですが、実は難しいんですよね。

 第2のレベルが、点検読書。限られた時間内にできるだけ多くの情報を手に入れるべく、目次をみたり、拾い読みをしたり、カバーや帯の謳い文句を見たりして、ざっと情報をとってくるレベルです。

 第3レベルが分析読書。この本がどんな本なのかを分類し、テーマや構造をチェックして、キーとなる部分を見つけ、そのうえで正しく批評することです。

 第4のレベルが、シントピカル読書。ほかの本と比較・関連させながら複数の本を読んでいくことです。私を含め、多くの人が書店さんで「この本どんな本かな、買おうかな」とやっている読書方法が点検読書なのかもしれません。真正面からあたって1回でわかろうとしてはいかんよ、ということでしょうか。


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 この4段階をマスターできたらそれで十分だとは思うのですが、もっと踏み込んで、ある意味でこの手の本のなかで究極なのが『読んでいない本について堂々と語る方法』です。

 いいタイトルですよね。私は『ヘッテルとフエーテル』と同じくらい好きなタイトルの一つです。この本は「読んでいない本についてコメントする」状況別に――全然読んだことがないのか、ざっと読んだことしかないのか、人から聞いただけなのか、それを大勢の前で話すのかなど――色々な逸話を入れながらぶった切っていきます。

 なかなかおもしろい本で、たしかに「読書」といわれれば最初から最後まで通読するものだと思いがちだけど、別に通読しても一部しか覚えていないもので、重要なのは本の位置づけを大づかみに捉えることではないか、といわれると、少し肩の力が抜けてきます。

 と、こうやって色々とみてみると、焦って一度でわかろうとするな、ということが色んな形で言われているような気がするわけです。なんだか師匠に諭される弟子みたいですね。

 一方で、本は存外に生鮮食品に似たところがあって、足が早いというか、今日そこにある本とまた別の日に会えるかはわかりません。今日見たその瞬間が、人生でその本を見かけられる最後の日になるかもしれない……。「弟子」としては、だからこそがばーっと読めたらなぁと思うのですが、他方で、別に一度しか読んじゃだめというわけでもないので、振り返って何回も手にとってみる……。大切なのは、そういう時間なのかも……と、先人はいっているのかもしれませんね。

 読書には時間がかかって当然。だから本が積まれていってもしょうがない……! そう言い訳しながら増やした積読本を眺めることが、私にとっての読書の秋なのでした。



残る言葉、沁みるセリフ

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《 たとえ、嫌いな奴でも愛想よく振る舞っていれば、相手もこちらに悪い感情は抱かない。そうなると、こちらも嫌いな気持ちが薄れてくる 》


 例えば車の運転中なんかでも、割り込みにイライラせずに譲ってやると、意外とハザードランプでお礼されたりすることがある。そうするとやっぱりこっちも嬉しい訳で、絶対に妥協できない状況でないなら、無駄に摩擦を増やすより一歩引いて相手をたてた方が、結局は自分が生き易くなる気がします。



新刊案内

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永野裕介のスクリーンからこんにちは。

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『テルマ』

 北欧の張り詰めた空気と、少女テルマの青春の危うさが見事にマッチ! 平成最後の年に『キャリー』を彷彿とさせる作品が上陸です。

『キャリー』を例に上げたが、実は方向性や角度は結構違う所があって、こちらの方が舞台設定も相まって喪失感が凄い。『キャリー』も相当な喪失感を感じたが、それよりも怒り! 血みどろ! てな感じ。こちらは幻想的で透明感溢れたラヴストーリー! 血が苦手な人はこちらの方がオススメ。しかーし、チカチカ演出があるので注意! 私は何より、チカチカ演出が苦手だったので困った~(汗)。

 と、言っておりますが、それを差し引いても北欧ホラーとして傑作だと思います。そして何と言っても、ラスト! 観る人によって解釈が違うだろう素晴らしい余韻。私は良い方に解釈しました。



〈 異能 〉を手にした者たち――丸善津田沼店 沢田史郎

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 マンガ的、という言い方をすると語弊があるが、人物や状況の設定が極端で「現実には絶対あり得ねー」と思いながらも、ついつい引き込まれてしまう小説というものがあって、難しい事を考えずに、それこそ〝 マンガ的 〟に読めるから、疲れている時などには重宝する。

 上村佑『セイギのチカラ』はまさにソレ。何しろ、狂気の連続殺人犯をやっつける為、超能力を持った七人の老若男女が参集するのだ。これを〝 マンガ的 〟と言わずして何と言おう。

 但し、『幻魔大戦』的な壮大でシリアスな世界観を想像してはいけない。何となれば、彼らの持っている超能力が、どうにもトホホで馬鹿馬鹿しいのだ。

 幕開けは、秋の初めの月食の夜。新宿のネットカフェで女子高生が殺される。駆けつけた警察官が《 被害者が人間であるのかさえ分からなかった 》と言う程のスプラッターな犯行現場には、しかし、捜査のヒントになるような遺留品も目撃者も、何一つ見つからない。

 一方、とあるネットのチャットルーム。〈 異能者の館 〉と名付けられたそこでは、人とは違った能力を持ってしまったが故にちょっと困ったことになっている男女が、お互いの悩みを打ち明け合って、同類相憐れんでいた。せっかく知り合ったんだから一度会おうということになり、所謂〈 オフ会 〉を開催したのが、たまたま件のネットカフェ。事件の捜査を焦った警察に仲間の一人が犯人と誤解されて拘留されたことから、〈 異能 〉を使って真犯人を探し当て、彼女の無実を証明しよう、ということになったのだが……。


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 問題はその〈 異能 〉だ。不随意筋である起毛筋を意識的に動かして、猫のように毛を逆立てられる。30センチだけテレポーテーション出来る。どんなに目の前に立っていても、全く気付いて貰えない。犬や猫と話が出来る、etc……。

 それが一体何の役に立つんじゃー!? という疑問は当の本人たちも痛感しながら生きてきた訳だが、三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったもので、みんなでアイデアを出し合う内に、それぞれの持つ〈 異能 〉に意外な使い道があることに気が付いて、作戦を練り、役割を分担して、警察と真犯人の両方を敵に回していざ勝負!

 各々のキャラがステロタイプと言えばステロタイプ――例えば、異能者の一人である老人は「~じゃ」というのが口癖だけど、実際に「~じゃ」なんて話し方する人は、まさにマンガか時代劇の中にしかいないじゃん――ではあるんだが、その分、所謂〝 キャラ立ち 〟が良くて共感はし易い。全編を通して力の抜け加減が絶妙で、馬鹿馬鹿しいとは思いつつも、その馬鹿馬鹿しさが癖になる。

 そうかと思うと主人公たちの正義感だけは冷やかし抜きで描かれていて、唐突にシビレるセリフが出てきたりするから油断がならない。《 正義は単純なものじゃ。人を傷つけてはいかん。人を騙してはいかん。人から盗んではいかん。子供でも分かるようなことこそ正義じゃ。ああだ、こうだと能書き付きの正義は偽もんじゃ! 》なんて、まるでほんもののヒーローみたいではないか。

 ともあれ、感動で滂沱の涙を流したり、インスパイアされて人生観が変わったりするような作品ではないけれど、税込500円でこれだけ楽しめれば超大特価。お気に召した方には、第2弾『セイギのチカラ Psychic Guardian』、第3弾『セイギのチカラ アングラサイトに潜入せよ!』とシリーズ化されてもいるからそちらも是非!

 さて、〈 異能 〉つながりで思い出したのが、原田宗典『平成トム・ソーヤー』。ネットどころか、まだケータイもろくに普及していない時代の話だから、今の20代、30代にはちょっと違和感があるかも知れないけど、それを補って余りあるスリルと興奮を、必ずや堪能出来るに違いない。


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 本書に登場する〈 異能 〉は超能力のような非現実的なものではなく、指先の違法芸術――掏摸。

 高校3年生のノムラノブオが、自分の指先の器用さに気が付いたのは小学生の頃。当初は家族や友人に手品めいた技術を披露して満足していたが、中学生の頃、ふとした偶然が重なって初めて電車で掏摸を働く。捕まりはしないかという緊張で心臓が飛び出そうな程ドキドキしながら電車を降りたその後には、彼の心の中では、初めて犯罪を犯した罪悪感ではなく、予想以上に上手くいった高揚感が膨らんでいた。

 以来今日まで、ノムラノブオは、ゲーセンやらカラオケやらで遊ぶ金を、通勤の車内で稼いできた。僅か数年で、テクニックも格段に上達した。掏った財布から札だけ抜いて財布は再び持ち主のポケットに戻す、なんていう芸当を、ほんの数秒でやってのける。

 が、或る日、同級生の一人――全国模試の数学と物理で満点をとるほどの秀才で〝 スウガク 〟と渾名される鏑木――に掏摸の現場を見破られる。そして誘われる。

《 この計画はすごく単純なんだ。文房具屋で消しゴムを万引きするのと大差ない。いや、正確に言うなら、誰かが万引きした消しゴムを、さらにかっぱらうんだな。万引きした張本人は、文句の持って行き所がないというわけだ 》。

 要するに――。暴力団関係のある男が、自分の馬鹿息子を一流大学に入れる為に、金やら脅迫やらの手段を駆使して、入試の数日前に試験問題を受け取る手筈を整えた。それを偶然知った女子高生のキクチが、中学からの友人であるスウガクに相談し、二人してその入試問題を横取り出来ないものかと思案に暮れていた時期に、ノムラノブオの離れワザを目の当たりにして、「これは、仲間に引き込むに如くはない」と声をかけて来た……。というところまでが、起承転結の〝 起 〟の部分。


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 そこに、掏摸の世界の大親分のような老女が絡んで来る辺りからが〝 承 〟になり、ストーリーは急加速。素質があるとは言え、その道ン十年のプロから見ればまだまだ危なっかしいノブオの技術を、本番までに完璧に仕上げるために、例の老女が特訓する。爪にカッターの刃を接着して、ポッケに手を突っ込んでいる人のポッケを下から割いて、中身を掏り取る。アタッシュケースを持って歩いてる人の内ポケットからまずはアタッシュケースの鍵を掏り、アタッシュケースを開けて中身を掏る。手に持っている何かを掏り取ると同時に替わりの物を掴ませて、持ってる物が掏り替わった事に気付かせない……。

 もうその神業を読んでるだけで、例えばポールニューマン&ロバート・レッドフォードの『スティング』だとかブラッド・ピットの『オーシャンズ11』なんかを観てるみたいな、ハラハラとワクワクが錯綜した興奮状態。悪い事やってる奴らなのに、拳を握って応援せずにはいられない。

 そしてそして、珍しく東京に雪が降り積もる1月の或る日、物語の結末は刻一刻と近づいて、それからどうなる? 勿論そんなのこここで言う訳ないじゃんか。それでも一つだけ言っとくと、犯罪小説と恋愛小説と友情小説と青春小説が絶妙に融合したのが『平成トム・ソーヤー』だってこと。十数年ぶりに読み返したけど、変わらずにハラハラドキドキさせまくってくれました。

 さて、〈 異能 〉もの特集の3作目は高野和明の『6時間後に君は死ぬ』

 ストーリーはタイトル通り。主人公の美緒が街で若い男に声をかけられる。ナンパかと思って適当にあしらったら、然に非ず。その青年・江川圭史は、いつもいつもと言う訳ではないけれど、何かのはずみで他人の未来が見えてしまうことがあるらしい。そしてつい今しがた、美緒とすれ違った瞬間に分かってしまったのだと言う。即ち、《 6時間後に君は死ぬ 》と……。

 ってな幕開けの後は当然ながら、どうすれば美緒が死なずに済むのか、そもそも未来が分かったからと言ってそれを覆す事が可能なのか、二人で右往左往しながら打開を目指す。


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 こういうの書かせると、この作家はホント巧い! 右に行ったら壁に遮られて、左に行ったら落とし穴があって、後ろに戻ったら待ち伏せされててみたいな焦りと危機感を、文字だけで味わわせてくれるんだからもう!

 ネタに抵触するから詳述はしないけど、例えば、或る事態を避ける為には、終了予定の三時を三分ほど過ぎてしまうと予知されるパーティを、遅滞なく三時ピッタリに終わらせる必要がある。美緒は二人の人物に働きかける事で、パーティを予定通りに終了させようと考えるのだが、圭史曰く《 もしかしたら今の段階で、パーティはもっと遅れることになっているのかもしれない。手塚さんと教授に働きかけることで、それが早まって三時三分に終了を迎えてしまうかも 》……。って、そんな事考え出したらキリが無いじゃんか!

 といったスリルだけでなく、《 未来が定まっていない以上、すべての絶望は勘違いである 》――『幽霊人命救助隊』や、《この世に、生まれてくるべきではなかった人なんているんでしょうか。誰かをつかまえて、お前は生まれてこなかったほうが良かったなどと、他人が言えるんですか?》――『K・Nの悲劇』などと共通する高野節も、勿論健在。

《 普通、というのは、多くの人がいいと思って選んだからこそ、普通になったんじゃないでしょうか 》

《 弱気なこと言わないで。絶望なんてものが人の役に立ったことがあるの? 》

 多分僕は、高野和明のこういった〝 人生肯定 〟の姿勢に惹かれるからこそ、彼の物語を何度も何度も読み返してきたんだと思う。決して、大団円のハッピーエンドではないけれど、そして、苦しい事や悲しい事から解放される訳でもないけれど、それでも、人生は生きるに値する。そんなメッセージが、高野和明の作品には途切れずに流れ続けているように思えるのだ。


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 そして、このテの〈 異能もの 〉と言えば宮部みゆきの『龍は眠る』を外す訳にはいくまいのう。

 こちらの異能は、触れた相手の〝 心を読む 〟と言うか、〝 記憶を読む 〟力。対象は人間だけとは限らなくって、例えば物語の冒頭で、道端に落ちている傘を手にした途端に、その傘の持ち主が数十分前にどうなったか〝 見えて 〟しまう。

 その〈 異能 〉を誰かの為に積極的に使おうと考える少年と、同じ能力を持ちながらそれをひた隠し、極力使うまいとする青年。ふとした偶然から二人と関わることになった雑誌記者・高坂は、当初は半信半疑ながら、或る事件に巻き込まれてゆく過程で、彼らの〈 異能 〉に頼らざるを得なくなり……。

 他のサイキックもの、異能ものと大きく違う点は、この著者の『クロスファイア』なんかもそうだけど、〝 持てる者 〟の悲しさ、生きづらさを描く点だろう。

 例えば、自分にも〝 他者の心や記憶が見える力 〟が備わっていたとしたらどうだろう、と考えてみる。友情とか恋愛とか、成り立つかな? どんなに好きな者同士だって、たまには一緒にいて「面倒くせーな」と思っちゃうことはあるだろうし、どんなに仲が良い相手でも「チェッ」って舌打ちしたくなることはあるだろう。そういうのが全部、一から十までこっちの心に流れ込んで来ちゃったらもう、誰の事も心からは好きになれないし、本当の意味で信頼し合うことなんか出来ないんじゃないかなぁ。

 本作に於いても、〈 異能 〉で人を救いつつも、その〈 異能 〉によって傷ついていく二人の姿が、まるで体験談の如き生々しさで描写されてゆく。

 それでも宮部みゆきもやっぱり人生肯定派であることを、読了後に疑う者はいなかろう。

《僕、誰かの役に立てると思うよ。僕だけじゃないや、みんな、そのために生きてるんじゃないの? すっごく気障かもしれないけどさ、でもね、一年に一度ぐらい、夜中、一人っきりになって、そんなふうに考えてみるのも悪くないよ、きっとね 》

 個人と個人も、国と国も、駅のホームや街角でも、ネット上でも、なんだかギスギスと攻撃的な姿が目立つようになった昨今、サイキックである少年の右のセリフは、とても多くの事を語っているような気がしてならない。



今月の紹介本




編集後記

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連載四コマ「本屋日和」

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by dokusho-biyori | 2018-11-10 06:35 | バックナンバー | Comments(0)


「読書日和」備忘録


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