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19年09月




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オールタイムベスト、という訳ではないけれど――丸善津田沼店 沢田史郎

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 さて、今回は『読書日和』最終号ということで、「もっと読まれたらいいのに」とずっと思い続けてきた作品を紹介したい。

 と言っても、ここで挙げる作品が個人的なオールタイムベストだという訳ではない。そういったものは僕の場合、選ぶ時のノリや気分で軽薄に順位が入れ替わるので、「これこそが私の永遠のベストです!」と固定は出来ない。それでも、何度読み返してもその度に心が揺さぶられる、大好きな作品であるという点だけは断言する。

 という訳で、もっと読まれて欲しい作品その1は、景山民夫の『遠い海から来たCOO』。1993年にアニメ映画になった影響で、そして恐らくは『ドラえもん のび太の恐竜』のイメージも手伝って、ヤングアダルト作品と思われがちだが、歴とした第99回直木賞受賞作。1980年代の南太平洋を舞台に、12歳の少年と彼が保護した未知の生物との、愛と友情、信頼と思いやりが弾ける、最高にエキサイティングな冒険小説だ。

 舞台は南国フィジーのパゴパゴ島。12歳の小畑洋助は、週に3日は本島の学校までジェットスキーで通学し、あとの4日は、学問は海洋生物学者の父・哲郎に、大自然の美しさと厳しさは、2頭のバンドウイルカに教わる、という超贅沢な生活を始めて既に3年。

 物語の端緒となるその日も、ジェットスキーを駆って学校に向っていた洋助は、イルカたちに先導されるようにして寄り道した潮だまりで、奇妙な生物を発見する。アザラシの子どもにしては長い尻尾が変だし、甲羅が無いから亀でもない。無論、魚でもないしトカゲとも違う。では一体これは何ぞや?

 という謎を隠さないといけない類のミステリーではないので明かしてしまうが、要するに、6,500万年前の太古から生き延びてきたプレシオザウルス。洋助が拾った生き物は、その生まれたての赤ん坊である可能性が非常に高いと、父親の哲郎もそう結論付けて、この奇跡の生物が独り立ち出来るまで育ててみようと決心する。但し、哲郎が洋助に課した条件が1つだけ。

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《 だが、これを育てるのは、あくまでも最終的には海へ、野生へ帰すことが目的なんだ。父さんは、これが生物学的にどんなに貴重な資料だろうと、一生を研究室の水槽の中や、水族館のプールで終えるようにしむけるつもりはない 》

 以降、物語の中盤までは、幻想的と言うかファンタジックと言うか、抒情的と言うかメルヘンチックと言うか、とにかく、海の碧と空の蒼のコントラストが際立つ地上の楽園で、〈 ブルー 〉と〈 ホワイトチップ 〉と呼んで可愛がっている野生のバンドウイルカと、飼い犬の〈 クストー 〉も交えて、哲郎・洋助の父子が自分が目にしているものを半ば疑いながらも、〈 クー 〉と名付けた〝 生きている奇跡 〟と少しずつ心を通わせてゆく様子が、ひたすら温かく微笑ましく綴られてゆく(因みにクストーとは、20世紀を代表する偉大な海洋学者の名前です)。

 そこを読むだけでもこの作品を手に取る価値は充分以上にあると約束するが、実はその隙に、パゴパゴ島とは全く別なところで或る大国の野望が進行しつつあり、それが小畑父子と〈 クー 〉を、想像もしなかった危険な境遇に引きずり込んでゆく……。

 と、ここから先の血沸き肉踊るストーリーは伏せておくが、前半のファンタジックな描写と後半の疾風怒濤の展開が「木に竹を接いだようだ」という理由で、直木賞の選考会では結構モメたらしい。そう言われてみれば確かに、物語はちょうど真ん中あたりから、一気呵成に冒険小説の様相を呈してゆき、「木に竹を接ぐ」という形容もあながち的外れとは言えないとは思う。

 だが、である。〝 面白いか、面白くないか 〟それだけを基準に8年間やってきたこの『読書日和』では、そんな技術論的なことは関係ないのだ。

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 だからこそ言おう。めちゃくちゃ手に汗握るぞ、後半は! 読者はただただ、洋助と一緒になってクーとその一族を救いたい一心で、南太平洋の大海原を疾駆している気になるに違いない。それと同時に、人類の――勿論、自分自身をも含んだ意味での――自然に対する傲慢さとか身勝手さには嫌気がさすし、そんな人間どもの小細工などとっくにお見通しだとでも言うような、大自然の逞しさには、畏怖に近い感情を覚えるだろう。

 そして僕がこの小説を推す何よりの理由。それは、こんなにも現実離れしたストーリーであるにもかかわらず、「どこかで生き残っていて欲しい」と大真面目に祈りたくなってしまうという点だ。常識的には、生き残っている訳はない。生存している証拠も無い。だがそれでも読後は、「0.0001%ぐらいの本当に僅かな確率かも知れないけど、もしかしたら、地球上のどこかにクーのような生物がひっそりと生存しているんじゃないか? 絶対にいないと言い切れる程には、人類は海を知らないんじゃないか?」と、そう思わずにはいられない。

 何を夢みたいなことをと、笑わば笑え。生活することに追われて乾燥しきった心に、〝 夢 〟という潤いを与えてくれるもの――。仮にそれが〈 文学 〉の効用の一つであるならば、『遠い海から来たCOO』は、間違いなく第一級の〈 文学 〉であると断言したい。

 皆さんは〈 ディスレクシア 〉という言葉をご存じだろうか? 難読症とか失読症、または識字障害などと訳されることもあるらしいが、その名が示す通り〝 文字が読めない 〟という学習障害の一種らしい。

 そのディスレクシアの少年の成長を描いた、中山智幸の『暗号のポラリス』を、もっと読まれて欲しい作品その2に挙げよう。

 小学6年生の斎賀結望(ユノ)はディスレクシアの持ち主で、学校では《 ユノの辞書に文字はない 》などとからかわれたり、そこまで露骨ではなくても《 読めないってどんな感じ 》と好奇心丸出しで質問されたりしてきた。確かに、《 読めないってどんな感じ 》なのかを、感覚として理解出る人は稀だろう。


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 が、ユノにしてみれば〝 読める 〟ことの方が不思議であって、《 聞くと、読むの、なにが違うんですか 》などと、大真面目に質問したりするのだが、この質問に応えられる人もやっぱり稀に違いない。

 つまりはユノは、そのぐらい〝 フツー 〟とはかけ離れた条件で生きている訳で、そんな彼に今は亡き母親は、ディスレクシアを公表した映画俳優の名前を挙げて《 難読症でもハリウッドスターになれるの 》などと励ましたが、ユノにとっては《 ハリウッドスターにでもならないことにはあなたは無価値だ 》と言われるに等しく、《 ごめんね、ぼく、ばかで 》とひきつった笑顔で応えるのが精一杯だった。

 だが、そんな彼がひょんなことから、九州に在る巨大な電波塔を目指して旅をすることになる。何のために行くのか? 行ったら何が変わるのか? そんなことは分からない。行けるかどうかさえ覚束ない。それでも一つだけ、《 やったことのないことをやってみる 》、その決意に背中を押されて、ユノは歩き出す。

 その旅はユノにとっては、自身との対話を重ねながら、〈 自分とは何か 〉を考える初めての機会になる。そして知る。世の中には、或いは人生には、分からないことや思い通りにならないことが、山ほど待ち受けているということを。相手を理解すること、自分を理解して貰うことが、如何に難しく間違いやすいかということを。そして、〝 正しさ 〟というものが、如何に曖昧でいい加減なものであるかということを。

 そこに気付いた時に初めて彼は、亡き両親が自分に降り注いだ愛情と声援の意味を理解する。かつて母は言った。
《 近くばかり気にするから怖くなるの。遠くを見なさい 》

登山を趣味にしていた父も似たような言葉を口にしていた。
《 まずは見晴らしのいいところに立つんだ。未来まで見渡せそうな、胸のすく場所へ行け。そこで自分の北極星を決めるんだ 》

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 そうなのだ。これまでのユノは〈 ディスレクシア 〉という足元の問題だけをクローズアップして、尻込みしたり諦めたり、或いは頑なになったり殻に閉じこもったりしてきたが、高い所に登って遠くを見るような気持で眺めれば、ディスレクシアなど些細な凸凹に過ぎず、言ってみれば人生の〝 誤差 〟のようなものなのだ。

 そして彼は、タブレットの音読で馴染んだスティーヴン・キングの『IT』になぞらえて、ディスレクシアとともに生きる決意を……いや、決意と言うようなしゃっちょこばったものではなく、恐らくはもっと自然に、心の底から湧き出るような高揚感を自覚する。

《 ぼくに襲い来る問題も、ありふれたものが増えていくんだろう。ディスレクシアはぼくだけのペニーワイズとしてこの先もつきまとってくるんだろうけど、だけど、そいつばかりを怖がってはいられなくなるのだろう 》

 要するに、だ。この作品は、「逆境に見舞われた少年が努力で克服しました~」みたいな能天気な物語では、決してない。むしろ、努力しても克服出来ないこと、頑張っても届かないものが人生にはある、ということを学びながら、ハンデを背負った少年がそのハンデに抵抗するのではなく、背負ったハンデをひっくるめて自分自身を肯定してゆくという、そういう形の〝 成長 〟を描いた、一人立ち小説なのである。

 成人後のユノが、鉄塔までの一人旅を回想して恩師と語らう場面がある。《 片付けられる問題があるっていうのも、悪くないですね 》とその時彼は口にするのだけれど、それは言い換えれば、ディスレクシアには散々苦労させられた半面、だからこそ手に入れることが出来た数多の出会いや経験は何物にも代えがたいという、彼なりの人生肯定の宣言ではなかったろうか。

 物語の最終盤、ユノが、リュックにぶら下げていた星型の反射板を揺らしながら、生まれたばかりの甥っ子をあやすシーン。

《 ほら、星だよ、星があるよ 》
そう言って赤ん坊に笑いかけるユノは、実は亡き父母に向って「ぼくも、星を見つけたよ」と、「だからもう、心配しなくて大丈夫だよ」と、語りかけているように思えてならない。人生の凸凹でつまづいた小さな命が、もう一度起き上がって歩き出す大きな勇気を描いた物語として、中山智幸の『暗号のポラリス』を大いに推したい。


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 そして最後は、高野和明の『幽霊人命救助隊』。人生で一体何度読み返したろう。そして、どれだけの勇気と励ましを貰ったろう。

 主役を務めるのは、青春まっただ中の青年から間も無く古希という老人まで、生まれも育ちもバラバラの4人の男女。これまで一面識すら無かった彼らに唯一共通するのは、彼らが揃って幽霊だということ。しかも死因は皆、自殺。暴力団・八木組の組長、八木剛造――1979年にピストル自殺、享年68。会社経営・市川春男――1988年に服毒自殺、享年43。家事手伝い・安西美晴――1986年に飛び降り自殺、享年24。受験浪人・高岡裕一――2003年に首つり自殺、享年19。

 彼らが出会ったのは、地上と天国の中間地点。草一本生えない荒野のような場所で戸惑っていると空から神様が降りて来て、「お前たちは命を粗末にしたから、天国へは入れてやらん」とのたまった。但し、これから地上に降りて、自殺志願者100人の命を救えば許してやるという。

 斯くして4人は浮かばれない霊となって地上に舞い戻り、7週間=49日というタイムリミットを課されて、人命救助に奔走することになる……。

 いつの間にか「RESCUE」とバックプリントが入ったオレンジ色のツナギを着せられた彼らには、他にも神様から貸与されたらしい装備が幾つか。例えば特殊部隊の暗視ゴーグル様のものは、それをかけると他人の心の揺れが目に見える。問題無くやれている人は普通に映るが、抱えている悩みや苦悩が大きければ大きいほど、その人の姿はブレて見える。自殺を考える程になるともう、顔の判別もつかないぐらいにブレまくる。

 或いは、プロ野球の応援団の如きメガホンは、それを使って生きている人に呼び掛けると、声が聞こえる訳ではないけれど、ほら、〝 ふと気が変わった 〟といったことが誰でもしばしばあるでしょう? あんな風に、思考を誘導することが出来てしまう。

 などと書くと何ともマンガチックな小説だと誤解を招きかねないが、そして事実、思わず声を上げて笑ってしまう描写も数えきれないが、ただの娯楽作品だとナメてもらっては困るでござる。

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 裕一たち4人の幽霊人命救助隊は、自殺したぐらいだから、この世に未練とか後悔とか恨みとかをたくさん抱えて死んでいった。だからこそ〝 浮かばれない霊 〟になったのだとも言えるが、とにかく初めは《 早く成仏して、この心の苦しみから解放されたい 》という一心で、自殺志願者たちを説得していく。

 孤独に耐えかねている老人。仕事で行き詰ったサラリーマン。友だちを作れない大学生。障害を持った子どもを抱えて疲れ果てた母親。イジメの標的にされている小学生。男に捨てられてやけっぱちになっている女性。長患いに希望を失くした病人。うつ病で自分の価値を見失った中年男。借金でにっちもさっちもいかなくなった経営者etc……。

 そうして1人、また1人と、自殺しようとしている人たちを救っていくうちに、彼らはおぼろげながらも理解してゆく。

 自殺の動機は人それぞれである。しかし、《 一つ一つの悩みは小さいのに、全部が複雑に絡み合って 》死を選ぼうとしている点は、不思議と皆に共通しているのだ。或いは《 不確定なはずの未来を、不必要に怖れている 》と言い換えてもいいのだが、とにかく一言で言えば、「何も死ぬことはなかろうに」というような些細な理由で、人はあっけなく自らを死に追いやることがあるということを、何度も目撃して学んでゆく。

 ということは、だ。もしかしたら自分たちだって、〝 何も死ぬことはなかった 〟のではないか?

 その問いに目を向けることは、勿論、辛い作業に違いない。何しろ、今更いくら後悔したところで二度と現世には戻れないのだから。しかし、そんな彼らだからこそ、自殺志願者に向ける言葉の1つ1つに説得力が宿るのだ。

《 丁半博打じゃねえんだ! 結果は二つに一つじゃねえ! 中間っていうものがあるんだ! テメエのやってきたことに白黒つけるな! 六〇点も取れりゃ、御の字だろう! 》

《 哲学者や宗教家よりも、お笑い芸人のほうが役に立つ場合もあります! 》

《 プロペラもジェットエンジンも必要ありません。グライダーになって風が吹くのを待ちましょう! 》


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 それらのアドバイスや激励は、そのままブーメランとなって、4人の救助隊にその都度その都度跳ね返って来る。俺だって、私だって、本当は死にたくなかった。死ぬ必要も無かった。それをあの時分かっていれば……。そんな彼らだからこそ、いや、そんな彼らにしか言えない言葉がある。そう、死んでから後悔しても遅いんだぞっ!

 救助活動を始めた頃は、さっさと天国に行きたい一心だった彼らだが、いつの間にか、自分たちと同じ悲しみを味わう人間を1人でも減らすために、西に東に奔走する。疲労でボロボロになりながら、1人、また1人、更にもう1人と自殺者の心を翻してゆく。

 そして、そろそろ約束の100人救助が見えてきた頃、救助隊のリーダー的存在になっていた元ヤクザの八木が、ぽつりと呟く。《 死のうとしてる奴らが怖れるのは未来だ。この先、いいことなんか何もないと思い込んでる。だがな、誰も預言者じゃねえ。ノストラダムスの大予言だって見事に外れたんだ 》と。その後に飛び出すセリフこそが、この作品の脊梁を貫き通す最大のテーマだろう。曰く

《 未来が定まっていない以上、すべての絶望は勘違いである 》

 禍福は糾える縄の如し、などと言う。人間万事塞翁が馬なんて格言もある。今は不幸せでも、その不幸せが永遠に続くとは誰にも断言できないということだけは、断言できる筈なのだ。

 だから、生活に疲れちゃった人、自分を肯定出来ない人、他人の幸せが妬ましくてしょうがない人、何のために生きているのか分からない人、明日が来るのが怖い人、大切なものを失くして気落ちしている人、夢破れて進む方向を見失っている人、その他とにかく、何かしらの不運や不幸せを感じている人は、1度手に取ってみて欲しい。あなたのその絶望が、ちょっとした勘違いに思えてくるに違いないから。


永野裕介のスクリーンからこんにちは。


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 私を映画好きにした張本人スティーヴン・スピルバーグ。超有名映画監督なので知らない人はいないと思う。超有名で凄すぎる為、あえて話題にもしないこの監督を私に語らせてほしい。

 まず、子どもの頃にテレビで初めて観て衝撃を受けた『ジュラシック・パーク』。絶滅したはずの恐竜を蘇らせ、こんな筈じゃなかったのに~と人間の醜い所と恐竜のカッコ良さが存分に味わえる作品。彼の最も凄い所は〝 観客ファースト 〟で作っている所だと私は思う。他の監督さんも、この事に関しては当たり前だと思っているに違いないが、スピルバーグは群を抜いていると思う。

 1つ例を挙げるとすると、静かな車の中に水の入ったコップがあり、その水の揺れが徐々に強くなりティラノサウルスが登場するシーンがある。彼はおそらく常に考えている。どうすれば観客の心を掴めるか? このシーンの凄い所は、水が揺れ始める描写を子どものリアクションと共に観客に見せる事によって、いつの間にか子どもと同じ感情を抱いてしまっている事です。

 この作品だけではない。彼はその作品の〝 顔 〟を、対象物のリアクションを見せる事によって観客を魅了する。

『E.T.』もそうです。この作品、E・Tの登場を煽りに煽りまくります。あおり運転もビックリの煽り方です(笑)。冒頭からスモークや照明で良い具合に隠し、やっと出て来たと思ったら子どものリアクション。正にここです! このワンクッションが観客の感情を高ぶらせるのです。煽ってからのワンクッション……天才か! と思いましたね。

 で、E・Tよ~く見てみると、ちょっと気持ち悪い造形だと思いませんか? なのに何故あんなに愛されるキャラクターになったのか? 1つは不器用な立ち振る舞いだと思うが、最大の要因はやはり対象物〝 子ども 〟のリアクションだと思う。この作品の主役は紛れもなく子どもであり、子どもに感情移入しやすい様に作られている。ここでも彼は、作品の〝 顔 〟を目立たせる為に対象物を上手く使っていると言いたい。

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 煽るどころか、全貌がほとんど出てこない作品『JAWS』。サメ映画というジャンルを作り出した名作。あのスピルバーグもこの頃は制作費をあまり出して貰えなかったそうで、サメの全貌をほとんど出さず、背ビレとあの音楽で煽るというアイディア! 天才です。

 今やサメ映画の定番を作り出した作品だと思います。現在サメ映画はB級と言われる事が多いが、この作品だけはA級! なぜなら、パニックムービーにありがちな荒い人物描写ではなく、繊細にキャラクターを作り込んでいるからです。特に、主人公のよそ者警察署長が終始板挟み(笑)。島の利益しか考えない市長。個人的な要求を訴える市民。荒くれ者の海男。サメ大好きオタク調査員。この追い込まれた状況でサメを退治しに行くのだから面白いんだな~と。

 今まで、私が思う彼の中心的な娯楽作3作品を紹介したのだが、ほんの一角! 更に、彼は社会派の作品も一級品! 『シンドラーのリスト』、『プライベート・ライアン』など、素晴らしい作品が沢山ある。その中でも大好きなのが『ブリッジ・オブ・スパイ』という作品。

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 この作品の主役は、紛れもなく弁護士役のトム・ハンクスなのだが、個人的に1番輝いていたと思うのが、ソ連のスパイ役のマーク・ライランス。この作品の〝 顔 〟と言ってもいい。彼のお得意の手法は社会派の作品でも健在なのです。恐竜、地球外生命体、サメなど、娯楽作ではヒトではないものを〝 顔 〟にしてきた彼が、トムの対象物として選んだのが、この頃映像世界では無名だったマークでした。そして、マークはこの作品でアカデミー賞の最優秀助演男優賞を獲りました。納得です!

 これまで、映画界の巨匠を偉そうに語ってしまい申し訳ない。改めて彼の凄さを伝えたかった一心で熱くなってしまいました(汗)。来年度末には『ウエスト・サイド物語』のリメイクが公開予定だとか……。きっとまた面白い作品を作り上げる事と思います。なぜなら彼は、エンターテイメント界が産み落とした奇跡そのものだからです!

 最後に、今まで個人的な感想に付き合ってくれてありがとうございました! 読書日和になぜ映画の感想? と思った方もいたと思います。私としましては、映画と本は〝 手軽に楽しめる娯楽 〟 という共通点があると思います。最近では原作本からの映像化の流れも珍しくはありません(個人的にはオリジナルの作品が観たいが)。

 では、映画好きになって20年弱の若輩者オールタイムベストテンです。どうぞ!

⑩横道世之介
⑨クレヨンしんちゃん オラの引越し物語 サボテン大襲撃
⑧THE GUILTY/ギルティ
⑦ヒメアノ~ル
⑥湯を沸かすほどの熱い愛
⑤インターステラー
④ターミネーター2
③シン・ゴジラ
②ジュラシック・パーク
①ダークナイト





《 あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい 》


 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。有名な草枕の冒頭部分だ。その住みにくい世の中に潤いを与え、或いは安らぎを添え得るのが、詩や絵や音楽や映画や、そして文学なのだ。
 本なんて読まなくても生きてはいける。でも読めば、人生にすこしだけ楽しいことが増えると思う。



連載四コマ「本屋日和」

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編集後記

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9月のイベントガイド

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by dokusho-biyori | 2019-09-18 18:09 | バックナンバー