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18年12月

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年暮の今、手に取った本――文藝春秋営業部 川本悟士

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 いつの頃からでしょうか、「ハロウィンでメインストリートから裏通りまですごいことになっています!」というニュースが流れ、学校でも街でもひとしきり盛り上がり終わると、一気にクリスマスの足音が耳元近くに響くようになりました。

 一方ではプレゼントに添えるカードに一筆いれ、他方では年賀状のシーズン……。筆まめな人は大変だなぁとつくづく思います。この時期になるたびに、「自分の文字はどうしてこういう形なんだろう……。なんかこう、もっとパッとしないもんかしら……」と思うことも多いのですが、新保信長『字が汚い!』を読む限り、世のなかには私と同じような実感をもつ人がたくさんいそうで心強く思います。

 それにしても、12月25日の夜から一夜にして門松をおかねばならない変わり身の早さもどうかとは思うものの、かといってハロウィン当日を境目として、11月からほぼ2ヶ月クリスマスムードなのも不思議といえば不思議な気がしますね。

 境目といえば、先日「なにかクリスマスっぽい本もってなかったかな」と何気なく手にとったレヴィ=ストロース『火あぶりにされたサンタクロース』も、この時期に読むと子どもたちを見る目に変化が生じる一冊だと思います。


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 人類学者として名高い彼によれば、そもそもクリスマスの背景には生と死の境があったそうです。なぜ「サンタクロース」がここまで世のなかで浸透し、クリスマスにはどんな意味があったのか……。しきたりの背後にある大きな構造が描き出され、「生きていることの穏やかさ」に捧げられた構図が示されるうちに、生と死の境といいますか、超えると一気に景色が変わってみえる一線といいますか、そういった境界は意識できるところ――日常のすぐそば――にあるのかもしれないなあ、と思わされました。

 最近でいうと、そういう感覚は特に「杉村三郎シリーズ」の読後感にやってきました。最新刊の『昨日がなければ明日もない』でもそうですし、『希望荘』でもそうですが、何気ない日常のなかでひゅっと背中に冷たいものがあたったような、急激にあらわれる「みえてなかったもの」にびっくりしてしまうあの感じ。誰かと会ってしまったがばっかりに人生が変わり、たまたま起きた地震で見えていたものがみえなくなる……。

 ミステリーについてはあまりネタバレのようなことをしたくないのでこれ以上は触れませんが、先日読んで以来、駅のホームに立つたびに「ここから一歩踏み出してしまうと戻ってこれないかもしれない」といううすら寒い不安感を感じるのは、気温が低くなってきたからだけではない気がします。


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 さて、戻ってこれないかもしれない、というと、いま一番その言葉がふさわしいのは森見登美彦『熱帯』といっていいと思います。年末休みが近づく今だからこそ読んでほしい、誰も読み終わったことのない不思議な一冊の本をめぐる冒険譚。
 私も読んでいて何度「戻ってこれるのだろうか」と不安に思ったことでしょう。そのたびに触り心地で残り何ページなのかを確かめて、「戻ってこれるんだ!」と前に読み進めていきました。その意味でも「本」の形で手にとっていただきたい一冊ですが、ぜひこの本を手に入れた方は読みながらカバーを外してみてください。本当に凝った装幀の一冊で、最初に見たときはモノとしてとてもオシャレだなぁと年甲斐もなくテンションが上りました。

 それにしても、読後、「この本を最後まで読んだ人間はいないんです」という読書好きの心をくすぐる帯をみるたびに、小学生のときに図書館で見つけて読んでいた、『はてしない物語』を思い出します。

 思えば、人生のなかで一番本を読んだ時期はいつだろうな、と思うと、案外小学生の頃かもしれません。中学生以降はマンガ、大学生ではなんだかんだ学術書と種類は変わりましたが、小学生の頃に読んだ小説の山がいつの間にか自分のベースに残っているような、そんな感じ……。三つ子の魂百までではありませんが、結局「振り返れば奴がいる」感とでもいいますか、自分は過去の自分が歩いた先から逃れられないのだと思います。それこそ、「昨日がなければ明日もない」わけですね。

 もちろん、それだけにときたま過去の自分ながら「そこまで読んでてどうしてこれを読んでないんだ」と今からそいつを殴りに行きたくもなるのですが(笑)。

 と、気になる『熱帯』の内容についても深く立ち入っていきたいところですが、「これは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう」ということで、本日はここまで……。クリスマスがすぎればお正月。来年は2010年代最後の一年。この10年色々ありましたが、来るべき年がいい一年になりますように。



残る言葉、沁みるセリフ

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《 鳩が或る日、神様にお願いした、『私が飛ぶ時、どうも空気というものが邪魔になって早く前方に進行できない、どうか空気というものを無くして欲しい』神様はその願いを聞き容れてやった。 》


 台詞はこの後こう続く。《 然るに鳩は、いくらはばたいても飛び上がることが出来なかった 》。この鳩にとっての〈 空気 〉と同じ性質のものが、僕らの身の回りにも結構ありはしないだろうか。普段は邪魔だ邪魔だと感じていても、本当はそれが無くなると困ってしまう、というものが。それが何かは、勿論、人それぞれだろうけど。



苗木と添え木――丸善津田沼店 沢田史郎

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 宮本輝は、人と人とのつながりを描き続ける作家だと思う。もう少しくどく言うと、人が人とつながることによって生き方や価値観が変わってゆく、そのプロセスを、劇的な出来事ではなく日常の小さなエピソードや会話を使って丁寧に浮き彫りにする、そういう作家だと思う。その構成を例えるならば、霧に覆われた道の上でどっちが前か後ろかも分からない冒頭から、読み進めるうちに少しずつ視界が晴れてきて、最終的には「あぁ、ここに向かって歩いていたのか」と合点がゆく、そんなイメージをいつも抱く。

 今回紹介する『三十光年の星たち』もまさにそれ。

 主人公は坪木仁志、30歳。自ら始めた小商いがトラブルで水泡に帰し、80万円ほどの借金を背負いこむ。その借金の相手が佐伯平蔵という75歳の老人で、たまたま隣に住んでいるというだけで何をやって暮らしているのか、家族はいるのか、その他〝 素姓 〟というものが全く分からない。

 と言っても先方にとってはこちらの方こそ素姓が分からない若造である筈で、そんな自分に無利子無担保でどうして金を貸してくれたのか、ちょっと薄気味悪くも思っていたら案の定。

 商売が立ち行かなくなったので、車を売って借金返済の一部に充てるつもりだと正直に白状すると、「ならばその車を売らずに、暫くの間、運転手をやれ」と言う。一体どんな風にこき使われるのかと恐る恐る承諾すると、まずは福知山に向えとの指示。道々、佐伯老人が話すともなく話すのを総合すると、その福知山には32年前に200万円を貸した女性が住んでいるという。そして彼女は、月によって3千円だったり5千円だったりという小額ながら、32年間一度も滞ることなく毎月返済を続けてきたという。

 それは確かに立派なことだとは思うけど、だから何やねん? と言うか、その女性のところに行って何するつもりやねん、このおっさん……。というのは一人仁志だけの疑問ではなく、本書を読み始めた全ての読者に共通に浮かぶ問いだろう。


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 物語はその後も、佐伯老人が随分昔にお金を貸した人のところをあっちこっち回る形で進んでゆく。仁志はその間、律儀に運転手をやりながら、貸した金の取り立てなんぞもやらされて殆どパシリ。当然ブツクサと不平ばかりこぼしていた仁志だが、佐伯老人の命令や説教は常に一本筋が通っていることに気が付き始める。

《 現代人には二つのタイプがある。見えるものしか見ないタイプと、見えないものを見ようと努力するタイプだ。きみは後者だ。現場が発しているかすかな情報から見えない全体を読み取りなさい 》

《 自分なりになら、だれでもできるよ。自分なりにという壁を越えるんだ。きみは世の中に出てからずっと自分なりにしか頑張ってこなかったんだ 》

《 きみが、十年必死に稽古をしても、大相撲の横綱にはなれないんだ。横綱どころか幕内力士にもなれない。(略)きみは、これからの十年、自分の何を磨くのか。それを決めなさい 》

 と同時に仁志は、仕事にしろ人間関係にしろ、気に入らないこと、苦しいことからはいつも逃げ出していた自分の生き方を、否が応でも振り返ることになる。

《 規模の大小にかかわらず、会社というところには、どうにも尊敬しようのない上司が多い。(略)自分は、社会に出て以来、ずっとそういう連中のもとで働いて、すぐに愛想が尽きて癇癪をおこし、こんなところで辛抱してもどうにもならないと決めつけて見切りをつけ、勤め先を転々としてきたのだ。そのあげくが、このていたらくだ 》

《 自分は、なにか間違った考え方をしてきたのではないのか。すぐに人の欠点に腹をたてるという己の性格を省みることがいちどとしてあったか。それこそ「慢心」というやつではないのか…… 》

 こうやって、仁志が自分を見つめ直し、一から磨き直そうと腹をくくる、この辺りからがこの小説の多分キモ。


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 著者は、「あとがき」の中で、若い人たちのトライ&エラーに対して冷淡になってゆく世の中を見渡して、こんなことを言っている。

《 人間には何らかの支えが必要だ。とりわけ若い人は、有形無形の支えを得て、難破船とならずに嵐をくぐり抜ける時期が必ずある。だが、いまのこのけちくさい世の中は、若者という苗木に対してあまりにも冷淡で、わずかな添え木すら惜しんでいるかに見える。/私は「三十光年の星たち」で、その苗木と添え木を書いたつもりである 》

 要するに、だ。この作品は、現代の若者に向けた(我ながら、じじむさい言い方だなぁ)宮本輝からの厳しくも温かい声援であり、それ以上に、能力主義だの成果主義だのと尤もらしい理屈で若者を縛り付けて追いたてている大人たちに対する、痛烈な叱責ではないだろうか。

 それが証拠に、仁志が行く先々で出会う〝 大人 〟たちの中で、真摯に後継者を育てることを考えている人物は、異口同音に、若者には時間が必要なことを説く。曰く

《 自分で考えてつかんだもの。自分で体験して学んだもの。それ以外は現場では役に立たない 》

《 やれ、と言われたことを、やれ。こんなことをして何になるんですかなんて、いちいち訊くな。なんでこんなことをさせられたのかは、何年かあとになってわかる 》

《 これから先、三十年のあいだ、そのつどそのつど、悩んだり苦しんだり、師匠を疑って反発したり、ときには恨んだりもするだろう。そしてそのつど、なぜだろうと考えつづけるだろう。/そうやって考えつづけて、あるときふっと、ああそうなのかと自分で気づいたこと以外は何の役にもたたないのだ 》

 これらの台詞は、若い人たちにも響くんだろうが、それ以上に〝 かつて若い人だった世代 〟が、その〝 かつて 〟を振り返った時に、大いに首肯するのではあるまいか。

 あの時、あの上司に怒られて無性に腹が立ったけど、あれは俺を一人前に育てようとしての一言だったんだな……。

 そんな追想こそが、我々中高年の武器だろう。体力では若い者には叶わない。記憶力も衰えた。多分もう、自分自身の伸びしろは殆ど残っていないだろう。だけどまだ、出来ることはあるんじゃないか? 多分、宮本輝はそう言っている。自分たちが伸び切ってしまったその代わりに、周りを見回せば、これから漸く伸びようとしている苗木たちが、きっと見つかるに違いない。だったらその添え木になることが、我々中高年の存在価値だろう。

 さぁ、一緒に添え木にならないか? もうすぐ50に手が届く歳になった僕が読むと、『三十光年の星たち』という小説は、そんな風に語りかけて来るように思えるのだ。


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 人生の先輩が後輩を導き諭す系の小説を、もう一つ。

 青春小説のイメージが強い古内一絵の異色作かつ意欲作。『赤道 星降る夜』は、青春小説と言えばまぁ青春小説なんだけど、頑張りました、挫折しました、汗と涙と友情のトライアゲインを経て、遂に大きな壁を乗り越えました、といったよくあるタイプの青春ものとはだいぶ違う。

 冒頭、ブラック企業で上司に追い込まれ、自殺を計るのが、主人公の達希青年。それをすんでのところで救ったのが、なんと、今は鬼籍に入っている勉、即ち達希のおじいさんの幽霊で、助けてやった礼にボルネオに連れて行けと言う。

 ボルネオという地名だけで、勘のいい人はお察しだろうが、勉じいさんは青春時代を、ボルネオのジャングルで過ごしたのだ。大日本帝国の軍人として。英雄扱いされて故郷を離れ、お国の為にと勇んで向った赤道直下の島で、しかし勉が実際に目にしたのは――。

《 見えない敵の艦砲射撃を浴び、有無もなく突然肉塊と化してしまう爆死と、爆撃の負傷や熱帯の病気に罹り、満足な薬もない野戦病院に放置され、下半身を糞尿で真っ黒に汚し、傷口に蛆を湧かせ、次第に瞬きすることもできなくなっていく衰弱死ばかりだった 》

《 そこには見事なものはもちろん、勇壮さの欠片もなかった 》

 つまりはこの旅は、成仏できずに彷徨っていた勉の鎮魂の旅であり、同時に、仕事で失敗した程度で自らの命を断とうとした達希が、〝 生きたくても生きられなかった 〟数十年前の青春を知る旅でもあるのだ。

 ならば達希がそこで何を学んだか。それを文字にしてしまうと途端にキレイゴトに堕してしまうのでここでは敢えて書かないが、《 彼らが見られなかった新しい世の中を、今、自分は生きている 》と気付いた彼が、そこから思考を膨らませていく過程は、清々しいと言う以外に言葉が無い。

 そしてもう一つ。この作品が秀でているのは、かつての戦争で日本が被った被害だけでなく、日本が他国の人々に及ぼした〈 加害 〉をも、偽装することなく描いている点だろう。そして現地の人々が歴史を客観的に学び直し、《 恨むことよりも赦すことを、自ら選び取っていた 》ことを、感謝と尊敬の念を込めた筆遣いで、浮かび上がらせている点だろう。

 巻末の「あとがきにかえて」で著者は言う。

《 今なお多くの組織で改竄や隠蔽が繰り返されていること等から、執筆時の四年前以上に、社会情勢はますます危うい状況に瀕しているのではないかと考えずにはいられなかった。慰霊祭で出会った誰もが口にした「過去を学んで前へ進む」という言葉を実践することが、真実求められていると痛感する 》

 例えば初めての土地で道を間違えた時、「俺は今、道を間違えているようだ」ということを認識しないと、正しい道を調べ直すことが出来ないように、間違いは間違い、失敗は失敗と認めることからしかやり直せないことってのは、やっぱりあるんじゃなかろうか? 個人でも会社でも、国家でも。



永野裕介のスクリーンからこんにちは。

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『ボヘミアン・ラプソディ』

映画史に残るであろうラスト21分のライブシーン! QUEENの素晴らしさ、そしてフレディ・マーキュリーの魅力が爆盛の大傑作でした!

 私はQUEENのファンでもなけりゃ世代でもない。何曲かは耳にした事がある程度の者。だったのは、この作品を観る前までの自分……今は違う! めっっちゃ好き! CD買っちゃったし(笑)。

 この作品は、宣伝の段階で〈 彼 〉の物語と言っていた通り〈 フレディ・マーキュリー 〉視点。天才は孤独とよく言うが、まさにこの作品がそれでした。フレディのセクシャリティの部分も隠さず描いていて、スターになってからの苦悩と葛藤が上手く表現されている様に感じました。その為、ラストのライブシーンにとてつもない感動が押し寄せて来るのです! そして、フレディ役を演じたラミ・マレックも完全に本人が憑依してるんではなかろうかという熱演!

 個人的には雨のシーンも好きでしたが、やはりラスト! 30分前位から涙腺崩壊状態でライブシーンで感情が爆発する感覚は、是非映画館で味わってほしい。とても愛が詰まった作品で素晴らしかった! 彼こそが史上最高のエンターテイナーでチャンピオンだ! ありがとう! 応援上映行こうかな(笑)。









by dokusho-biyori | 2018-12-13 09:58 | バックナンバー | Comments(0)