読書日和

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「読書日和」備忘録

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18年06月

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日本の、世界の、ロシアの夏――文藝春秋営業部 川本悟士

 初めて野球場に行ったのは、2000年のことだ。階段を上がり、客席に入る瞬間、光景が目に飛び込んできた。比喩でもなく、熱気の壁にぶつかったような気がした。当時はまだ広島市民球場。狭いといわれた球場だったが、コロシアムのようにグラウンドに注がれる視線、メガホンのかちあう轟音、特有の凪が生み出す熱気……。あの熱狂の渦は、私にとってこの職業につくほどに忘れられないものになった。

 週刊ベースボール5/28号『球場物語』特集で、あの日のことを思い出した。スポーツは生で見ると違うんだと思うようになったのは、あの経験が影響していると思う。ただ、たぶん、スポーツを「生で」見るという言葉には、「その時代のなかで見る」、「リアルタイムで見る」という側面もある。

 この文章が出る頃は、いよいよサッカーW杯が……という空気感のなかだろう。『Number PLUS「ロシアW杯蹴球読本」』にもあるように、悲願の初出場から二十年。「出て当たり前」、「トップリーグでプレーするタレントがいる」とみなされるようになった日本が迎える次のW杯は、平成最後のW杯になる。いい機会なので、会社の資料室にこもって昔の記事を漁ってみた。

 先日の読売新聞5月21日の特集で、サッカー界にとって平成の30年は大きな飛躍の時代だったとあった。記事の言葉を借りれば、日本人が本当の意味でW杯のすごさを知ったのはドーハの悲劇である。それまで大半の日本人にとって遠い存在だったW杯……。平成最初のイタリア大会ではアジアの一次予選で北朝鮮を上回れなかった。敗退を報じた当時の新聞には、写真さえなかったという。



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 それが、ドーハのときにはどうだ。1993年4月5日発売の『Number 313号』では(ちなみに表紙は背番号10を背負ったラモス「選手」である)、「世界へ!」と大きく見出しが出ている。少し長いが、その33頁から引用しよう。

《 日本サッカーは、異常なまでの勢いで拡大した。かつての寒い状況を考えれば、それは素晴らしいことには違いない。Jリーグ開幕戦のチケットは瞬く間に完売。サッカー専門誌は月刊から月二回となり、新たな雑誌も続々と参入して、女性誌の表紙まで飾った選手もいる。…(中略)…でも、それは一時的な流行に過ぎない。大事なのはそんなことじゃない。日本代表チームの22人は今、人生で最も大切な戦いに臨もうとしている。…(中略)…ハンス・オフトが率いているのは、この国がこれまでに持つことのできた最強のチームであることに疑いの余地はない。だから私たちは、ただ力いっぱいの声援を送ろう。彼らはきっと連れていってくれる。世界へ! 》

 熱い、実に熱い……! 四年前はわずかな扱いだったことが考えられないほど、社会全体が熱狂していくその只中の言説である。ご存知の通り、このあと日本は目前でW杯を逃す。1993年11月5日発売の『Number 327号』はその衝撃をもって、「夢の終わり、真実の始まり。」という巻頭から始まる(本当に強烈なタイトルだと思う)。そして、この時間を経たからこそ、1997年11月20日発売の『Number 432号』の表紙に踊る文字がより光って見える。「We did it!」――次のような言葉が、興奮を物語る。



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《 思えば、4年前の10月28日、日本で日付が変わろうとする時、天国への扉が開く合図のホイッスルまであと49秒と迫ったところで、悲劇は起った。無情にも、49秒後に訪れるはずの天国は、4年間の試練に成り変わってしまった。そして日本代表は、再び遠い先にあるゴールのテープを切るために走り出した。…(中略)…世間からのプレッシャーの中、彼らは限界を超えたところで我々の夢でもあるW杯出場を叶えるために戦った。戦いは厳しくとも、この2ヶ月で日本代表は間違いなく拍手で迎えられる勇士となった。 》

 ここまでお読みになった方には、正直に打ち明けたい。私がこの原稿を書いている原動力は、ひとえに、「羨ましいなぁ」という感覚なのだ。当時の社会を取り巻く空気。熱狂の渦。飲み込まれ、興奮し、一瞬のワンプレーに見入ってしまう。それができるのは、リアルタイムにいた人たちだけだ。その瞬間、その時間をもつ人ひとりひとりが、私は本当に羨ましい。ある書店員さんから、ジョホールバルの歓喜の際に、本屋の雑誌コーナーを『Number』で一杯にしたことがあって……という話を聞いたことがある。それを語る横顔が、楽しそうで、面白そうで……。ただただ、羨ましかった。ひがみにも似た感情が、この原稿を書く原動力である。

 一方で、大切なことを忘れてはいけない。今まさに、私たちはその大きなイベントを目の前にしているのだ。リアルタイムのW杯。この原稿を書いていて、資料室にこもっていて、手にする当時の雑誌がついつい面白くて読み込んでしまった。今、書店さんにならぶその一冊一冊が、20年後のあなたにとってそういう一冊になるかもしれない。なら、思いっきり楽しんで、未来の誰かを精一杯、羨ましがらせてやりたいと思う。



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《 手前のわるい事は悪るかったと言ってしまわないうちは罪は消えないもんだ。 》

『坊っちゃん』夏目漱石

 有名な〝 バッタ事件及び咄喊事件 〟の際の痛快なセリフ。同じ章の別の場所には、《 いたずらだけで罰はご免蒙るなんて下劣な根性がどこの国に流行ると思ってるんだ。金は借りるが、返す事はご免だと云う連中はみんな、こんな奴等が卒業してやる仕事に相違ない 》なんて言葉もある。ちゃんと謝れない大人をTVの画面で続けざまに見せられて、坊ちゃんに叱って貰いたくなった。



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旅は道連れ、世は情け――丸善津田沼店・沢田史郎

 27歳のジェスは、《 人のためになりなさい 》をモットーに、ズルや怠惰とは無縁の真面目な人生を歩んできた。だけど、これまでのところその生活は、ラッキーと言うには程遠い。

 彼女は17歳の時に産んだ娘タンジーの母親である。そして夫の連れ子、16歳のニッキーの育ての親も兼務している。二人はそれぞれの学校でちょっと浮いていて、しばしばイジメられたりもしている様子だ。ところが頼りにしたい夫は心を病んで生れ故郷に引きこもってしまい、実質的には、ジェスのシングルマザー常態である。しかしジェスには手に職も無いし学歴もコネも資産も無い。故に、清掃業とパブのウエイターをかけ持ちしながら、ギリギリで家計をやりくりしている。

 そんな極貧一家が、ひょんなことからIT長者のエドと知り合って、運命のいたずら的に、イングランド南部のサウサンプトンからスコットランドのアバディーンまで、1,000キロの旅に出る。ジョジョ・モイーズ『ワン・プラス・ワン』(訳=最所篤子)は、愉快で軽妙でちょっと切なくて、だけどその何倍も温かいロードノベルの傑作だ。

 旅の目的は、アバディーンで開催される数学オリンピック。その優勝賞金は五千ポンド。数学の才能を認められ、超難関のセント・アン校に入学を許されたタンジーの、学費をそれで賄おうという計画だ。

 ところが旅は、のっけからトラブル続き。乗り物が苦手なタンジーが後部座席でゲェゲェ吐くから高速道路は使えない。老犬のノーマンは出もの腫れもの所嫌わずで、始終オナラをこきまくる。そのノーマンと一緒に泊まれる宿が見つからない夜は、車内で縮こまって仮眠する。そんな旅の間にも、ニッキーへのイジメは加熱していて、不良たちはフェイスブックでニッキーを笑い者にして盛り上がる。漸くアバディーンに辿り着いた後も、まるで貧乏神に取り憑かれたかの如く、やること為すこと裏目に出る。



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 とうとうニッキーは、堪え切れずにブログで嘆く。《 俺にはわからない。うちの家族は一応、正しいことをやってるのに、なんで必ず結果は滅茶苦茶になるんだろう 》と。タンジーも拙い語彙力ながら失望を隠さない。《 家に帰ったってなんにも楽しみがないよ、だってなにもかも駄目になっちゃったし 》と。そして遂にジェスまでもが、自分たちの人生を否定する。《 昔から、子供たちにうるさく言ってきたの。(中略)盗むな。嘘をつくな。正しいことをしなさいってね。そうすれば宇宙が見てて、ちゃんと報われるからって。ふん、そんなのみんなたわごとよね 》……。

 更にはジェスが生涯悔やむことになるであろう痛恨のミスを犯して、物語もジェスの一家もジ・エンド……。かと思われたのだが、天は自ら助くる者を助くのだ。

 例えば――。《 隣近所ってのはそういうときのためのもんだろ 》と言って、ジェスからの謝礼を断る隣人がいる。《 いいかい、ジェシカ・レイ・トーマス、人の助けを受け入れるべきときってのがあるんだよ 》と、助力を申し出てくれる友達もいる。《 僕も一年前は、きみみたいに感じてたけど、ほんとにいろんなことがいいほうに変わった。それをどうしても言いたかったんだ。大丈夫。元気出せ! 》と、見知らぬ誰かが励ましてくれたこともある。そして、《 彼女がそんなことをしたのは間違ってないって言ってるんじゃないわよ。ただね、その瞬間だけを取り上げて、彼女のすべてを決めつけるべきじゃないって言ってるの 》と、ジェスを擁護してくれる人物さえ現れる。



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 彼らがジェス一家を助けようとしたのは、何もボランティアのつもりではなく、恐らくは、善良で裏表の無いジェスとその子供たちがいつもいつも頑張っているのを見て、そんな彼らが一度の過ちで全てを失うのは不公平だと感じたからだろう。そして、今まで努力を積み重ねてきたんだから、そろそろ彼女たちは報われるべきだと考えたからでもあるだろう。

 要するに……。努力とはその結果が問題なのではなく、努力することそれ自体に価値があるのではないか? たとえ期待通りにはいかなかったとしても、第二のチャンスを与えられるかどうかは、それまでに積み上げてきた努力がものを言うのではないか? だから即ち、努力が必ずしも結果に結びつくとは限らないけど、努力をした事実そのものは、決して無駄にはならないのではないか?

 金にも運にも縁の無い若きシングルマザーとその子供たちが七転び八起きで艱難を乗り越えるこの物語の、一番の読みどころは、まさにそこだと強く思う。

 さて、旅は道連れ世は情け。道連れと言えば宮本輝である。ハンガリーからの留学生を迎えた一家の泣き笑いを描いた『彗星物語』、一頭の名馬がまるで車輪のハブのように、様々な人びとの希望をつなぎ合わせる『優駿』、たまたま貰った文机と茶碗が不思議な縁をもたらす『水のかたち』、人生に倦んだアラフィフ男女と、親に育児放棄された少年が、偶然の出会いから新たな一歩を踏み出す『草原の椅子』……。ちょっとした偶然で知り合った老若男女が、行動を共にするうちにお互いの〝 生きる姿勢 〟に共感して、今までとは違う未来が開けてゆくといったストーリーが、この作家は本当に上手い。『ドナウの旅人』も、そんな宮本輝の魅力が凝縮した一冊だ。



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 と言っても、ストーリーに驚天動地の仕掛けがある訳ではない。主人公は28歳の麻沙子。5年間ドイツのフランクフルトで暮らしていたことがあり、今は日本で、ドイツ語の翻訳を生業にしている。その麻沙子の、50歳になる母親が、なんとびっくり夫も家庭も捨てて出奔した。フランクフルトから届いた手紙によると、「ドナウ川に沿って黒海までの旅をしながら、離婚する決意を夫にはっきり伝える」というではないか。驚いた麻沙子が取るものも取り敢えずフランクフルトに向かうと、そこには、かつて麻沙子が青春を過ごした頃と変わらぬ街と人が待っていた。という辺りが第一幕。

 第二幕では、麻沙子の母親・絹子が17歳も年下(即ち33歳)の恋人と行を共にしていることが分かって麻沙子は怒り心頭、「みっともない真似するんじゃない!」とばかりに母親の後を追うが、その道中で旧友の優しい計略にハマり、2年前にお互いに悔いを残しながら別れた恋人・シギィと再会。すったもんだの末に、麻沙子&シギィ、絹子&道雄(絹子の恋人)という二組のカップルが珍妙な連れとなって、美しく青きドナウを下る。

 ただそれだけの話なのに、なぜこの作家が書くとこうも目が離せないのだろう。

 宮本輝は〝 縁 〟を描く作家だと思う。「縁は異なもの味なもの」とは本来、男女の機微を表す言い回しではあるが、宮本作品の場合、男女を問わずに当てはめられるような気がする。

 多くの宮本文学に共通することだけれど、彼の作品に登場する人びとは、最初から運命に導かれた如くに意気投合する訳ではない。先に挙げた四作もそうだし、『にぎやかな天地』『田園発港行き自転車』『三十光年の星たち』『三千枚の金貨』など多くの作品で、登場人物たちは当初、赤の他人である。「この出会いが一生の宝になる」などとは露ほどにも思っていない。それが、本人たちの恣意や作為を越えたところで人生が重なり合い、共感や仲間意識へと化学変化を起こしてゆく。そこには青春小説のような押しつけがましい友情は無く、「リスペクトすべき人物」として認め合った者同士が、ゆるく静かに、そして深く心を通わせてゆく。その雰囲気に、多分僕は惹かれるのだ。



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 本書でも、ドナウを下る四人のみならず、行く先々で出会う老若男女が、お互いに敬意を以って接する様子は、読んでいて実に清々しい。ウィーンでの、音楽学校の学生たちとの交友などは、「困った時はお互い様」という古き良き日本語を彷彿させるような温かさで、そこだけ取り出しても一編の素敵な短編になり得るのではなかろうか。

 旅の途中で、初めて気付いたといった感じでシギィが呟く。《 人生の扉って、ゆっくり少しずつ開いていくもんじゃないんだな。あるとき、ぱっと開く 》。本来だったらすれ違うだけで終わる筈の人びとが、神様の気まぐれで親密さを増し、それによって人生の歯車が大きく回り出す。そんな宮本文学の醍醐味を、シギィのセリフはものの見事に言い表しているような気がするのだ。

 川を巡る旅ならば、遠藤周作の『深い河』も忘れてはいけない。こちらの〝 河 〟は、ヒンズー教徒にとっての聖なる川、ガンジス。そこを目指すツアーで道連れになった幾人かの視点で、生と死、宗教、神、善と悪など、多様なテーマを炙り出そうとした作品。

 妻に癌で先立たれた後、漸くその愛情に気付いた中年男性。戦時中のビルマで、飢餓とマラリアに苛まれながらの退却戦を生き延びた元兵士の老人。結核と気管支漏の大手術で九死に一生を得た絵本作家。自堕落に男性遍歴を重ねながらも、本当に愛せる相手とは遂に巡り合えなかった魔性の女。カトリックの洗礼を受けフランスの神学校で修業を積みつつも、日本独特の多神教的価値観を捨てきれない修道士。彼らが、それぞれの鬱屈を抱え、或る者は赦しを請うために、或る者は癒しを求めて、また或る者は人生の答えを探して、ガンジスに向かう。



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 遠藤周作の作品は往々にして、答えを明確には提示してくれない。様々なサンプルを挙げるだけで、それのどれが正しいとも言わずに、最後は読者の判断に委ねられてしまう。当然その受け止め方は十人十色で、だから読書会向けではあっても、正直、書評は書きにくい。

 本書も、そんな遠藤周作カラーがモロに出た作品で、何しろ五人の語り手たちの旅の目的がバラバラだから、彼らがそこで見出す〝 答え 〟も各人各様で、しかもどれが正解とも言わずに終わるから、「この作品の主題はコレだ!」とはなかなか言い切れるもんじゃない。

 ならば僕の場合はどう感じたかと言うと――〝 人間は間違いを犯す生き物である 〟ということを一つ一つ例を挙げて論証し、しかも人間のその不完全さを是認するというか、そんなもんだよと許容した上で、不完全だからダメなのではなく、〝 不完全であるにも関わらず前に進もうとすることが尊いのだ 〟といった人生肯定のメッセージ。そんなものを僕は、本書を読む度に勝手に受け取った気になっている。

 インドへの旅で僕が最も推したいのは、実はこっちの方だったりする。さくら剛のデビュー作『インドなんて二度と行くか! ボケ!!』がそれだ。何だかタイトルからしてB級感漂いまくりだが、これが面白い。もう10年以上前に出版された本だが、当時も今も、読む度に笑い転げずにはいられない。

 お笑い芸人の夢破れ、恋人にもフラれた著者は、絶望の底で魔がさしたようにふと思う。《 インドでも行こうか…… 》。そしてホントに行ってしまう。ツアーではなく、一人旅。到着した夜の宿も決めずに行ってしまう。

 当然ながら、旅は初日からトラブル続きだ。一歩外に出た途端に群がる詐欺&タカリ。隙あらば自分が契約しているみやげ物屋に誘導しようとするタクシー。駅に行けば「切符売り場は閉鎖中」などと嘘八百を並べたて、つながりのある旅行会社に連れて行こうとする。何をするにもどこに行くにも、一から十までこの調子。結果、インド放浪第一日目にして《 インド人、信用しないことに決定 》と、著者は断固結論する。



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 人の不幸は蜜の味とはよく言ったもので、トラブルから脱しようとする著者が一生懸命であればあるほど、能天気なインド人とのギャップが際立って、読んでるこちらは抱腹絶倒。デリー、バラナシ、ジャイプル、アーグラと、バックパッカーとして一ヶ月もかけてインドを回ったひきこもり青年が記す、もう一つの『深い河』。難しいこと考えずに馬鹿笑いしたい時にお薦めだ。

 最後に、馬鹿笑い系の旅行記をもう一冊。宮田珠己のエッセイはどれもこれも大抵〝 馬鹿笑い系 〟ではあるのだが、今回は『ジェットコースターにもほどがある』をプッシュする。

 例えば、だ。ロサンゼルスのとある遊園地でのこと。一般的にウォーターシュートと呼ばれる、轟々と流れる滝をコースターが滑り落ちるタイプのジェットコースターに乗ったはいいが、降車場に着いた時には頭のてっぺんから爪先まで全身ずぶ濡れ。あっけに取られた宮田氏は曰く《 あたりにポンチョなどの防水着を貸す気配がまったくなかったことから、アメリカ人は水をはじく、というのが私の仮説である 》だそうである(笑)。

 こんな調子で、最初っから最後までひたすらジェットコースターだけ乗り続けるという、他に類を見ない珍しい旅行記。ジェットコースターには全く興味がない私でも、宮田氏の語り口のトンチキぶりに笑って笑って窒息寸前。ネットで検索すると結構動画も上がっているようなので、それを観ながら読めば、臨場感も抜群だ。






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 今年最高の日本映画。コンプライアンスに怯えている昨今、ガツンとかましてくれました。

 原作は柚月裕子さんの『孤狼の血』で、監督はR15専門の漢、白石和彌。

 昭和63年夏、舞台は広島……ヤクザの抗争を警察はどうするのか!? 暴言・暴挙の連続で好みが分かれる作品かもしれないが……私は凄い好きでした。

 なぜ私がこの作品を今年最高と謳ったかと言うと、単純なヤクザ抗争作品ではなく、刑事バディ作品として秀逸。役所広司演じるアウトローなベテラン刑事・大上と、松坂桃李演じる大卒エリートの新人・日岡がぴったりハマっていて気持ちが良い。とにかく大上が日岡を振り回す。この二人を観てるだけでも単純に面白い。特に、松坂桃李はこの作品のMVPだと思う。去年の『彼女がその名を知らない鳥たち』今年は『娼年』とこの作品で大化けしたと思います。他にも、クラブのママ役をやらせたら個人的に今No.1の真木よう子。安定の悪役でいつも最高の石橋蓮司と演者全員が気持ち良さそうにスクリーンで大暴れしてます。

 セリフも印象的で、大上が『警察じゃけぇ、何してもええんじゃ』というセリフを言うのだが、まさか後半こんなに響いてくるとは思いませんでした。

 とにかく、アウトローの東映が帰ってきてくれて感謝です。あっ、言い忘れてた(汗)薬剤師役の阿部純子……ブレイクの予感。



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編集後記
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連載四コマ「本屋日和」
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6月のイベントカレンダー
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by dokusho-biyori | 2018-06-07 09:04 | バックナンバー | Comments(0)