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17年04月 後編

⇒前編から続く
 
 
 
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 窪美澄と言えば、いびつな愛情と歪んだ家族を描くイメージが強いけれども、僕の場合は、彼女が紡ぐ「要領が悪い人たち」の生き方に、より強く惹かれてきた。
 
 最新刊『やめるときも、すこやかなるときも』でも、やはり「要領が悪い」人たちが、誠実に生を紡いでいく様子が綴られる。
 
 主人公は32歳独身の桜子さん。数年前に仕事で知り合った男性と付き合って、二股かけられて結局は捨てられたという、それが唯一の恋愛らしい恋愛で、以降《 私は恋愛そのものに向いていないのかもしれません。いろいろ考えすぎてしまって、ふられてばかりいますから 》と、恋も結婚も半ば諦めている気配。その上、実家の印刷会社が潰れて以来、酒に酔っては暴れる父と、そんな父に恭順することだけが務めだと思っているような母とに縛られて、まるで網にかかった小鳥の如く、じたばたともがくような日々を暮らしている。
 
 というプロフィールだけでも、桜子さんが生きるのが下手過ぎて、だけども決して悪い人ではなさそうで、と言うかむしろ多分いい人なんだろうけど自分には取り柄が無いと思い過ぎていて、美人でおしゃれな二人の親友と自分を比べて《この二人に会うと、この二人ですら縁遠いのだから、自分なんて縁がなくて当然だとなぜだか安心することができた 》などと言うぐらい徹底して後ろ向き。更には《 仕事にやりがいがないわけではない。責任のある仕事だって任せてもらえるようになった。けれど会社と自宅だけを往復する毎日に私は少し、疲れてる 》と、うつむきがちにトボトボと歩を進めるようなうつろな毎日。
 
 そんな桜子さんに、不意打ちのようにして大恋愛が訪れる。が、この新たな恋でもやはり彼女は要領が悪く不器用な振る舞いを繰り返し、そのギクシャクとした一生懸命さが健気と言うかピュアーと言うか、一読者として応援せずにはいられないのだけれど、前出の二人の親友も同様に勇気づけたり助言したりと気が気ではない様子で、その友情にもまた心を揺さぶられる読者はさぞ多かろう。
 
 例えば、桜子さんがつい有頂天になり過ぎた時に、親友の片方が《 桜子は今までこういう経験ないかもしんないけど 》と優しく諭す場面がある。《 うまくいってる恋愛を女友達に話すときは最大限に気を遣わなきゃ。(中略)桜子の恋愛を喜んでないわけじゃないんだよ。だけどそれと同じくらい、ねたみとか、そねみとか……やっぱりあるわけよ人間だから。顔にはださねども 》。そして直後に付け加える。《 でも、桜子、きれいだよ今 》と。
 
 こんな素敵な友達に支えられて、桜子さんは、おぼつかない足取りながらも歩みを進める。時には《 恋愛ってつらいものだな 》と泣きが入ることもあるけれど、駆け引きだのテクニックだのとは無縁に、誠実に自らの恋を見つめてゆく。そのまっすぐな姿に、「要領」より大事なことってあるんだなと、目を開かれる思いをするのは僕だけではない筈だ。
 
 つまり、だ。窪美澄の小説に出てくる要領が悪い人、後ろ向きに考えるのが癖になっている人、生きるのが下手な人、そして「仕方が無い」という一言で多くの事を諦めてきた人。そんな人たちが、それでも諦めたくない何かが胸の中に残っていることに気がついて、「仕方が無い」に懸命に抗う姿に、僕はいつも励まされるのだ。
 
 その好例として、2012年の『晴天の迷いクジラ』も挙げてみたい。
 登場人物は主に三人。20代半ばの田宮由人は、倒産寸前のデザイン会社で自宅に帰るヒマも無い程の社畜労働を強いられる。殆ど会えずにいた恋人には手ひどくフラれ、挙句の果てにはウツを患って死を思う。
 
 そのデザイン会社の社長の中島野乃花は、裸一貫から築き上げた会社の断末魔を目の当たりにして絶望し、こちらも同じく死を考える。
 
 そんな二人が、日本列島の南の方の小さな漁港に迷い込んだクジラのニュースを偶然見かけて、とっさの気まぐれで機上の人となる。《 死にかけてるクジラ見に行ってからうちらも死にましょうよ 》と、殆ど破れかぶれで南へ向かう。
 
 そして彼らが現地で出会った、小汚い身なりの女の子――16歳になる篠田正子は、度を越えた母親の干渉に擦り切れるように消耗し続けた結果、自分の部屋に引きこもってリストカットを繰り返す。その延長として無自覚ながらも「死」を思い、早朝にフラフラと街をさまよっていたところを、空港からクジラの海に向かうべくレンタカーを走らせていた件の二人に拾われる。
 
 といった書き方をすると典型的なロードノベルのようだがそうではなく、ページの大半が割かれるのは、回想的に描かれる由人、野乃花、正子それぞれの生い立ち。
 
 そこで読者が目にするのは、これぞ窪文学とでも評すべき、ボタンをかけ違えまくった親子の姿。「あなたのため」の一言を水戸黄門の印籠の如く振りかざし、自身の価値観で子どもをがんじがらめにする母親。その母親がお仕着せる理想像を拒む術を知らず、言われるがまま操り人形のように生きる幼い由人、野乃花、そして正子。それはまるで、四角や三角の箱をかぶせられて不自然な形に熟れ育ったスイカやメロンのようであり、読んでいるこちらまで息苦しくなる程の窮屈な日常を「仕方がない」と受け入れてしまっているかつての三人に、恐らく大半の読者は「そんな親など放り出せばいいのに」とじれったいやら苛立たしいやらの気持ちを抱くだろうけど、そこで放り出せないところが「要領が悪い人」たる所以な訳で、そんな彼らが、自分で勝手に浅瀬に座礁してしまったマッコウクジラを目にした時に、どうにかして再び広い海を自由に泳がせてやりたいと願うのは、決して動物愛護の精神からだけではないだろうというのは容易く想像がつくことで、要するに死を思って南の果ての漁村まで辿り着いた三人ではあるけれど積極的に死にたかった筈はなく、それしか方法が見つからなかっただけの話であって、生きてゆく術があるのなら当然ながら彼らだって生きていたいに決まっているのだ。
 
 そんな風に不器用ではあるけれど決して卑怯ではない彼らに、作者はまるでご褒美のような優しい出会いを用意する。《 なーんにも我慢することはなか。正子ちゃんのやりたいことすればよか。正子ちゃんはそんために生れてきたとよ 》 《 薬のんだって、入院したってよかと。どげなことしたって、そこにいてくれたらそいで、そいだけでよかと 》 《 由人くん、死ぬなよ。絶対に死ぬな。生きてるだけでいいんだ 》。――素朴な漁村で素朴に生きる人たちから貰った飾り気のない思い遣りが、涸れた田畑に降りそそぐ雨のように、三人の心に沁み込んでゆく。
 
 そう、人生は彼ら三人が考えているよりも、もしかしたら遥かにシンプルなものなのだ。急がないこと、比べないこと、怖がらないこと、そして自分自身を信頼することetc……。かのチャーリー・チャップリンだって、映画『ライムライト』の中で言っている。《人生には勇気と想像力と、あとはほんの少しのお金があれば充分さ( All it(=life) needs is courage,imagination and a little dough. )》と。
 
 とにかく何しろ、「要領が悪い」と言う時、確かに「悪」という字を使いはするけれど、それは善悪とか正邪という意味での「悪」ではなく、「不得手」とか「未熟」とか「拙い」とかいう語感に近い訳で、だとしたら、寝技も裏技も使えない馬鹿正直な人たちはどちらかと言うとむしろ「善」であり、窪美澄作品に登場するそんな不器用な人たちが、ドーピングもカンニングもせずに愚直に生きる姿にこそ、僕は、派手なサクセスストーリーよりも遥かに励まされることが多いのだ。
 
 
 
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『犬神家の一族』横溝正史
『江戸川乱歩傑作選 獣』江戸川乱歩
『残穢』小野不由美
『刺青殺人事件』高木彬光
『11枚のトランプ』泡坂妻夫
『晴天の迷いクジラ』窪美澄
『ゼロの焦点』松本清張
『匣の中の失楽』竹本建治
『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午
『乱れからくり』泡坂妻夫
『模倣犯』宮部みゆき
『やめるときも、すこやかなるときも』窪美澄
『りら荘事件』鮎川哲也
 
 
 
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編集後記
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連載四コマ「本屋日和」
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4月のイベントカレンダー
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by dokusho-biyori | 2017-04-01 21:04 | バックナンバー