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16年09月 前編

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 山村美紗の初期作品を読むことがあった。八二年に刊行された『殺意のまつり』という短編集で、当然絶版になっている。なぜそんな作品を読むことになったのかという理由は詳しくは述べられないにしても、これをきっかけに今回のネタが浮かんでしまったのだから全く触れないというわけにはいかない。

 山村美紗といえば二時間サスペンスドラマの原作を大量に生産された作家であり、B××K ×FFとかにいけば必ず何十冊は在庫していて、長女が女優の山村紅葉という点で非常に有名な作家である。西村京太郎や内田康夫のようにシリーズのミステリを「書き飛ばした」いわゆる量産作家である。

 当然、作品もランキングに絡んでくる突出したものがあるのではなく、固定ファンを掴むような安定した質で仕上げていったのだろう。

 さて、それでは僕は山村美紗の固定ファンか。いや、ファンどころか実は一冊も読んだことがなかった。ではなぜ、山村美紗の、それも初期作品である『殺意のまつり』を読んだのか。

 それは『殺意のまつり』が初期作品だからだ。

 初期の作風と後期の作風が違ってくるというのはよくある話だ。連載開始はギャグ漫画だったのにいつの間にかバトル漫画になってる……という少年漫画あるあるはその典型か。さすがに山村美紗が初期に血肉沸き踊るバイオレンス小説を書いていたということは無い(と思う)が、同じミステリにしてもシリーズ物とは違う、凝ったトリックと捻ったプロットが魅せる本格ミステリを書いていたことは事実だ。

 つまり、「山村美紗の初期作品は本格。しかも解説は鮎川哲也」とどこからか聞いた僕が「ほう、それは気になる」と手を伸ばしたというのが事の次第だ。実際に読んでみた感想は、やや古臭さは感じさせるものの綺麗にまとまった作品集で自分が抱いていた山村美紗作品とは大違いだった。

 実はこのパターンは他の量産作家にも当てはまったりする。たとえば赤川次郎。三毛猫ホームズや三姉妹探偵といったユーモアミステリーシリーズで有名で、「トリックや謎解きの妙を楽しむというよりキャラクターや物語のユニークさを楽しむ作家」と認識している人がほとんどではないだろうか。一年前の『東京零年』でライトな印象がやや薄れたとはいえ、先述のような印象は拭い難い作家だ。ところがその赤川次郎、デビュー作「幽霊列車」は八五年版東西ミステリベスト一〇〇で85位、処女長編『マリオネットの罠』は同ランキング80位とオールタイムベスト級のミステリなのだ。

 この二作品は自社刊行物という事情もあって読んでみたが、「幽霊列車」は列車から乗客がそっくり消える人間消失トリックが鮮やかで、『マリオネットの罠』は二転三転する展開の先に待つ結末が予測不可能な見事なプロットだ。「しょせん赤川次郎でしょ!?」などとなめてかかった自分を猛省したしだいである。ちなみにミステリ好きの友人曰く、三毛猫ホームズの一作目『三毛猫ホームズの推理』の密室トリックも素晴らしいらしい。これも読んだのだが、いかんせん中学生の時に読んだものでほとんど記憶していない。残念極まりないが、赤川次郎はデビュー間もない頃はかなり本気の本格ミステリを書いていたのだ。

 同じようにして、十津川警部シリーズで有名な西村京太郎も初期作品には観光要素皆無の『殺しの双曲線』という大傑作があるらしい。らしい、というのも未読だからで詳しくは語れないのだが、こちらも二時間サスペンスのイメージと全く違った作家の本気のミステリを堪能することができる。

「読まず嫌い」とはいかないまでも、有名すぎて知ってるつもりになっている作家は意外にも多い。「どうせ自分の趣味じゃないから……」なんて思い込まないで、ふと気になった時にでもその作家の作品を調べてみると意外にその作風の広さに驚くかもしれない。その中にはきっと掘り出し物の一冊がある。そして、それを自慢げに他人に語れば僕のようにマニアのふりができるのだ。


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 誰もが一度は目にしたことがあるのではないだろうか。それも国語ないしは古典の授業で。苦手な人もいるだろうが私はわりかし好きで楽しんで読んでいた気がする。遡ること千年以上前、時は平安。絢爛豪華、雅な朝廷の中誕生した最古の長編小説と呼ばれる『源氏物語』。下は幼女、上は年増まで見境なく手を出すという現代ならば間違いなく女の敵 であろう、光源氏を主役とした紫式部の小説だ。

 そもそも光源氏はなぜ見境なく女性に手を出し始めたのか。それは彼の両親が関係してくる。光源氏の実母である桐壺の女御は、それはもう国が傾くんじゃないかと心配されるほど帝の寵愛を受け、その反面他の女性陣に妬まれていた。そんな中彼女は光源氏を生みまもなくして、精神的ストレスなどが重なり病で亡くなってしまう。さて、最愛の妻を亡くした帝の心境はどうだろうか。言うまでもなくショックを受ける。それはもう立ち上がれないほどにまでショックを受け、これじゃあまずいと周りが心配して桐壺の女御にとてもよく似た藤壺という女性を連れてくる。するとどうだろう、似ているからか、面影を重ねたからかあっという間に復活しあまつさえ彼女と婚姻まで結んでしまう。いやはや単純……と呆れるのはまだ早い。父が父なら、息子も息子だった。

 母親の愛情というものをほとんど知らないまま光源氏は義母である藤壺に懐いていく。幼き頃はそれこそ母のように慕っていた面もあったが、月日を重ねるごとにそれはやがて恋慕へと変わっていく。やだ禁断、なんて言ってられる場合ではない。こいつもまた若いとはいえ単純だった。この時代成人した女性は男性に顔を見せてはいけないというしきた りがあった。その為御簾越しでの会話や、扇で顔を隠して話をするのだが元服(今でいう成人式)を終えた光源氏は、まあ、やってくれた。藤壺は成長した光源氏を〝一人の男〟 として扱い顔を見せようとしなかったのである。だがそれを不服とする恋に芽生えちゃった光源氏は強引なまでに御簾の中に侵入。……まごうことなき父の血を継いでる、と思ってしまった瞬間である。

 藤壺に思いを寄せながらも光源氏は多くの女性に手を出していく。時には人妻、時には幼女、時には……なんて挙げていたらきりがないのだが。正妻を迎えてもなおなのだ。ここまでくると現代人の感覚としては「無節操な女たらし」と捉えられてもおかしくない。事実私も思っている。だが彼は権力が物を言う平安という時代の中で、ひたすらに愛を求め続けていた。それは親愛であったり恋愛だったりと様々ではあるが、実母からの愛情をあまり受けないまま成長し、尚且つ母のように慕っていた義母にですら壁を作られてしまう。藤壺は親子としての繋がりは決して切るつもりはなかっただろうし、無償の愛を注いでいただろう。しかし光源氏が求めた愛は違った。そうしてこじれてこじれて、多くの女性を片っ端から手をつけながらも藤壺をどこかで重ねていた。

 源氏物語に出てくる女性たちは、こうしてみると可哀想になってくる。そしてそれと同じように光源氏も、だ。ただの長編恋物語で終わらせるにはあまりにも複雑で、どこまでも光源氏が求めていたものを掘り下げていきたくなる。色恋ばかりの場面が目立つが、当時の政治など朝廷内の生活も伺えることから私はどちらかというと、恋物語よりも政治物語なのではないかと見解を示す。

 ところで光源氏のモデルとなった人物をご存知だろうか? 何人もの候補がいるが私はその中でも藤原道長を押したい。著者である紫式部が道長に恋慕を抱いていたという説があるというのもそうだが、当時の政権を握り朝廷内を我が物にしていたのは間違いなく道長及び藤原家だからだ。

 話が長い上に古典ということもあり敬遠されがちだが、教科書に載っている章は比較的読みやすい。と言うよりも、単語さえ分かればなんとなくでも話が掴める。どうかめげないでほしい。複雑極まりない物語だが、それ故に当時の風潮なども分かってくる。もしかすると自分と近しい登場人物も見つかるかもしれない。

 私は光源氏を蹴り飛ばして正座させ説教したいぐらいには最低な男だと思っているが、決して嫌いにはなれない。それは彼の子孫たちもだ。その嫌いになれないあたりが憎たらしいが『源氏物語』というお話にのめり込む要素なのではないだろうか。

 余談だが私は空蝉、末摘花、浮舟が好きだが彼女たちが出てくる章はほぼ教科書には取り上げられないので、もしも興味があれば是非読んでほしい。とても光源氏を殴りたくなるが、凛とした女性は私は好きだ。


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 舞台は、今どきコンビニもゲーセンも無い過疎の村。そのとっぱずれにある山奥から、突如姿を現した宇宙船!? それを偶然見つけたのは、田舎の生活に飽き飽きしている高校生たち。こいつは退屈しのぎに丁度いいとばかりに、訳も解らないままイジリ倒しているうちに、想定外が想定外を呼ぶ連鎖反応で事態はあらぬ方向に横滑りしていく。『ドラえもん』か『グーニーズ』にでもありそうな、或いはスピルバーグの『E.T.』を彷彿とさせるような、こんな設定が三度の飯より私は好きだ。

 そう、少年少女には冒険がよく似合う。

 発端は、一学期の期末テストを間近に控えた、七月の或る日。高校二年生の佐貫文が愛犬の散歩をしていると、ゆうべの台風で土砂崩れした崖の中から、何やら黒い金属質の物体が顔を覗かせている。これはもしや、村に古くから伝わる天女伝説の元ネタ、数百年前に落下したと言われる岩船の正体、即ち地球に不時着した宇宙船ではないだろうか!? ということを文が一人で考えた訳ではなく、彼女が部長を務める部活――民俗伝承研究会という地味で人気の無い部活――の仲間数人と話し合い、と言うか勝手に想像を膨らました結果、そう結論付けられた。となると当然、この謎の物体を掘り出してみようということになる訳だ。

 ここで例えば、警察や消防に連絡なんかしてはいけない。勿論、親にも先生にも内緒である。何故なら、そうやって自分たちだけで秘密を共有し、欲得にまみれた大人は抜きにして、法的な問題とか金儲けとか安全上の疑問とかに縛られずに、純然たる好奇心だけを原動力に突っ走るのは若者の特権であり、そういう軽はずみなバイタリティこそ青春にふさわしいのだ。かの司馬遼太郎だって、『坂の上の雲』の中でこう言っている。

《 青春というのは、ひまで、ときに死ぬほど退屈で、しかもエネルギッシュで、こまったことにそのエネルギーを知恵が支配していない 》

 とまぁそんな経緯で、発掘作業がスタートする訳だけど、ここまででページ数にして100ページ。文たちの会話が漫画的なボケとツッコミ満載でユーモラスなのはいいけれど、話がいやはや進まない。正直、この調子で延々続くと読み切る自信無いなぁ、と不安が兆すレベルのまどろっこしさだったことを白状しておく。尤もこれは文章の良し悪しと言うよりも単純に好みの問題で、しかも発掘が始まるとストーリーはサクサク進むから、序盤でウザいと感じても我慢して読み進めて損は無い。

 で、とにかく発掘作業が始まる訳だけど、ここからは「宇宙船っぽい得体の知れないもの」を巡って、細かい描写がなかなかリアルで頼もしい。

 例えば、予想以上に巨大らしいと判明した宇宙船(らしきもの)の入り口がどこにあるのかという問題で、発掘メンバーの一人は「横か上だろう」と予想する。その根拠は《 大気圏突入できる宇宙船の場合、一番高温になる先端部と底面はできるだけ丈夫にしなくちゃならないから、そんなところにドアはつけない 》。ほほうナルホドと感心したその僅か数行後、別の一人が疑問を呈する。曰く《 仮にお前さんが言ってる通りだとしてだ、こいつのどっちが上でどっちが横だと判断するんだ? 》。ほほうナルホド! いや確かに、相手は宇宙の彼方からの物体Xだからね、人類の常識がそう容易く通用する筈がない。以後物語の至る処で、我らが民俗伝承研究会のメンバーは、地球での科学的前提が役に立たず、《 にしても、ここまで見事に使い方の見当もつかないとは思わなかったなあ 》と途方に暮れる。そういう、些細なリアリティの積み重ねのお蔭で、物語全体の説得力がじわじわと増してゆく。

 で、結局この物体は何なのか? その正体がおぼろげながら解った後にも、もうひと波乱ふた波乱あって、下巻を読み始める頃にはもう無我夢中。著者が「あとがき」で述べているように、SF初心者でも楽しめる、SFへの入り口になるような作品だと思う。何しろ、SF音痴の俺があっと言う間に読了したんだから間違いない。

 という訳で、少年少女には冒険がよく似合う。そしてその冒険には、出会いと友情と、ほんの少しの切なさが、詰まっているに違いないのだ。


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『裏山の宇宙船』笹本祐一

『殺しの双曲線』西村京太郎

『殺意のまつり』山村美紗

『全訳 源氏物語』紫式部 与謝野晶子

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『東京零年』赤川次郎

『ノルウェイの森』村上春樹


『マリオネットの罠』赤川次郎


『三毛猫ホームズの推理』赤川次郎

『幽霊列車』赤川次郎



⇒後編に続く

by dokusho-biyori | 2016-09-03 09:39 | バックナンバー