読書日和

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「読書日和」備忘録

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15年02月 前半

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『八月の青い蝶』周防柳 集英社 ¥1,400+税 9784087715477

白血病で療養する父の持物の中にみつけた、小さな青い蝶がとめられた標本箱。それは昭和20年8月に突然断ち切られた、淡く切ない恋物語を記憶する品だった。圧倒的な筆力が賞賛された感動のデビュー作。第26回小説すばる新人賞受賞作。(集英社HPより)

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1945年、8月6日。

その日付を耳にしてもわたしには特になんの感情もわいてこない。よく考えればああ、広島に原爆の落ちた日だということを思い出す。もっとよく考えれば、他には何も知らない。

そんな程度の知識なので、この本に出会ったことは偶然であり、奇跡的でした。

冒頭は現代。末期の白血病を煩った父の最期のときをむかえ入れる準備をする母と娘。父が大切にしていたお仏壇の整理をしていると、中から翅の欠けた青い蝶の標本が見つかる。そこから父の少年時代へと物語はさかのぼってゆく。

著者はこの作品がデビュー作なのだそうです。小説すばる新人賞を受賞ということだけど、納得。というか新人ということが信じられないくらい小説自体が生き生きとした印象を残しました。

まず読んでいて楽しかったのは、主人公・亮輔(父)と、恋に落ちる年上の希恵の交流の様子。初恋のみずみずしさ、初々しさ、せつなさが亮輔の目線で無邪気にまっすぐとらえられていて、読んでいるものの心をぎゅーっとつかんでくる。ためらいなくぎゅーっと。

ただの恋愛小説ではなく、そこには戦争がありました。

でも、国がいくらそこに力を注いでいても、毎日何千人何万人の人たちが死んでいたとしても、まったく頓着しない無邪気さでそこには恋もありました。

今と何も変わらない人間が生きていました。

そういうところをこの本は本当に丁寧に、みずみずしい文章で描き出しています。気がつくと亮輔にも希恵にもこころが移って、全力で応援したくなってしまう自分がいました。

〝 戦争はくり返しちゃだめ。何があってもくり返しちゃだめよ 〟 念仏のように手を合わせ何度も何度も言っていた祖母を思い出しました。

わたしたちは戦争を知りません。だからそう言われても実感がわかないです。

でも、年配の人の言うことには耳をかたむけなさいと誰しもが一度は教わるはず。経験した人のことばは重みがあります。耳をかたむけようという気にもなります。

わたしたちはこれから、そんな経験をした人がだれもいない世界を生きなければなりません。

そんな世界に大切なのは、本の力なのかもしれないと、この本を読んでそう思いました。(酒井七海)



『聖灰の暗号』帚木蓬生 新潮文庫 上巻9784101288192 ¥594+税 下巻9784101288208 ¥637+税

歴史学者・須貝彰は、南仏の図書館で世紀の発見をした。異端としてカトリックに憎悪され、十字軍の総攻撃を受けたカタリ派についての古文書を探りあてたのだ。運命的に出会った精神科医クリスチーヌ・サンドルとともに、須貝は、後世に密かに伝えられた 〝 人間の大罪 〟 を追い始める。

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 クリスマスで騒いだ一週間後に、何の後ろめたさも感じることなく、神社に詣でて柏手を打つ。恐らくは大半の日本人がそうであるように、僕も、そんな支離滅裂な行動を長年繰り返してきた。無宗教と言うより、無節操(笑)。だけどそんな僕でも大いに疑問に思うことがある。
 たとえどんな理由であろうとも、殺人を許容したり示唆したり或いは命じたりする神様って、心狭くね? それこそ「神様」って敬われるぐらいなんだから、もっと清濁併せのむ度量とか、大海は芥を選ばずみたいな懐の広さを、持っていなきゃいかんでしょう? これを書いている今現在も、世界中のあちこちで宗教的大義名分の元にたくさんの命が奪われているようだけど、異教徒だからとか、教義に反するからとか、布教の妨げになるからとか、その他様々な理由で人殺しを容認する神様って、絶対偽物でしょ。ってか、神様のくせに器が小さ過ぎるだろっちゅーねん。あのイエス・キリストだって、汝の敵を愛せよって言ってるじゃん。

 いや、解ってます。宗教の名において行われる虐待や殺人なんて、全ては、欲にまみれた人間どもが自分たちの行為を正当化する為に「宗教」で偽装しているだけで、実際には正義でも神聖でもなんでもない。だけどもそういったインチキ神託が大昔から幾度となく繰り返されてきたのは、世界史の授業で習った通り。中でも十字軍なんかは誰もが知ってる代表例。ではその十字軍が、同じキリスト教徒を虐殺した「アルビジョア十字軍」はご存知ですか? 因みに、僕は知りませんでした。

 アルビジョア十字軍――。ごく大雑把に説明しますと、今から700~800年前、日本では丁度鎌倉幕府が開かれた頃、南仏はピレネーの麓を中心に、「カタリ派」と呼ばれる宗派が信者を増やしていたそうです。その教義はと言うと、別に目新しいものではなく、むしろ、堕落が目立ち始めていた当時のカトリックよりも遥かに純度の高い、歴としたキリスト教だったらしいです。ところが、聖書の教えに忠実であろうとする彼らの暮らしぶりは、華美で豪奢な粉飾を好むローマ教会にとっては、実に邪魔な存在ということになる。そんなバチカンの思惑に、ルイ王朝の領土的野心が合致して、それならいっそ異端ということにして滅ぼしてしまおうか、ということになり、実際に100年余りの時間を費やして、全てのカタリ派信者を根こそぎ虐殺してしまったんだそうな。

 そして、こういった歴史の常として、勝者の側に都合の悪い記録は抹消されていて、700年前に何が行われたのかを正確に知るのは非常に困難なんだけど、奇跡的に遺されていた敗者の側の記録が発見された! というのが本書の筋。ところが、その遺稿の調査を進める主人公の周囲で不審な死が相次いで……というサスペンス風味の現代パートに、遺稿そのもの――700年前に虐殺を目撃した修道僧の記述――が挟まるという二重構造。現代パートは、主人公と意気投合した幾人かのサブキャラも非常に魅力的で、これだけでも充分以上に楽しめるけど、圧巻は、過去パート。異端者は人に非ず、とでも言うかのような極悪非道ぶりには、それが神のすることかっ!? と読んだ誰もが糾弾を叫びたくなる筈。にも関わらず、最後まで宗旨変えを受け入れず、カタリ派として従容と火あぶりにされる信者たちには、荘厳ささえ感じて襟を正さずにはいられない。

 これまでにも、ナチス政権下のユダヤ人(『ヒトラーの防具』新潮文庫)や、旧日本軍に強制連行された朝鮮の人々(『三たびの海峡』同)など、虐げられた人々の悲しみと艱苦を採り上げてきた帚木さんが、全霊で描き切った中世の異端審問。その行間から溢れ出す「死ぬな、殺すな」というメッセージは、人種や宗教を越えて多くの人の共感を呼ぶと信じている。(沢田史郎)



『透明カメレオン』道尾秀介 KADOKAWA 9784041014288 ¥1,700+税

冴えない容姿と 〝 特殊 〟 な声を持つラジオのパーソナリティの恭太郎はある雨の日、行きつけのバーでびしょ濡れの美女に出逢う。ひょんなことから彼女の企てた殺害計画に参加することになる恭太郎だったが――。(KADOKAWA・HPより)

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 例えば、抜ける! と思われた打球に楽々と追いついて捕球する野球選手。ルーチンワークのように淡々と包丁を動かして、千切りの山を築いていく料理人。無造作に粘土を撫で回している内に、いつの間にか茶碗を形作っている陶芸家。etc。
 その道を極めたプロの仕事ってのは、一見すると実に簡単そうに見えるのだけど、いざやってみるととてもじゃないが真似出来ない。余りにも当り前のようにやってのけるから、素人目にはその難しさが判らない。そんな職人技を文章でやってのけるのが、道尾さんだと思うのです。

 具体的な例を幾つか挙げます。『水の柩』(講談社文庫)では、ろくに言葉も交わしたことのない中学生の男女の気まずさを、こう表現します。
【敦子は曖昧に言葉を濁し、そのまま黙った。逸夫も一度話しかけたことで何か義務を果たしたような気になり、黙って歩いた】
また、『ノエル』(新潮社)では、母親にぶたれて今にも泣き出す寸前の女の子を、こう描きます。
【莉子は息を止め、痛みが自分の中から過ぎ去ってくれるのを待った。しかしそれはいっこうに過ぎ去ってくれず、やがて胸が勝手にひくひく震えはじめ、唇の両端が痙攣しながら隙間をあけた】
或いは『鏡の花』(集英社)では、風がカーテンを揺らす様子を、こんな言葉で視覚化してしまいます。
【ちょうどそのとき、背後のレースのカーテンをゆったりとふくらませて風が吹き込んで来た。カーテンは妊婦の服を着た人みたいに丸くお腹を突き出し、やがてそのお腹が下の方へ移動していくと、ふわっと裾がひるがえって風を室内へ逃がした】

 どうでしょう。ごくありふれた、中学生でも知っている簡単な単語ばかりを使って「これ以上ピッタリくる言葉は無い」というものを選び出し、それらを(恐らくは「けど」にするか「けれど」にするかといった細部にまで気を配って)コツコツとつないで描出されたどの場面でも、読者は、実際にこの目で見ているかの如き立体感を抱かずにはいられない筈です。のみならず、文章のリズムがいいから全くつっかえることなくスイスイ読み進められる上に、道尾作品では定番の伏線やどんでん返しに気を取られて我知らず読み急ぐから、その文章が如何に精緻に磨き抜かれたものであるかには、ついぞ気付かずに読了してしまう。そういう読者は、かなりいるんじゃないかと思っています。
 だから、この機会に断言します。道尾秀介は、謎解きやトリックだけが凄いのでは決してない! と。仮に彼が、そういった技巧を一切用いずに小説を書き上げたとしても、冒頭の一語から最後の一文まで、僕は、全く飽きることなく読了する自信があります。

 そしてその手腕は、新作『透明カメレオン』でも冴えわたりまくってます。例えば次は、クライマックスの少し手前。主人公が一生懸命恐怖と闘い、勇気を絞り出そうとする場面。
【僕の勇気は、最後にそれを見かけたときのことを思い出せないくらい長いこと仕舞われていたので、野菜室で放置されていたキュウリのように、胸の奥でどろどろになっていた。僕はそのどろどろの勇気を掴み、滑り落ちないよう手のひら全体に力を込めながら、慎重に引き出していった。まだ中のほうに芯が溶け残っているのを確かめ、ゆっくり、じっくり、少しずつたぐり寄せた】
 どうですか? 映像で見るよりも鮮やかに、主人公の心の揺れが伝わってくるでしょう! こんな例を挙げ出せばキリが無いのですが、とにかく、本書に限らず道尾さんの作品を読む時は、一度目はどうしてもストーリーに引きずられてしまうから、是非とも二回以上読むことをお薦めします。

 とか言ってる間に、そのストーリーを紹介するスペースが殆ど無くなったじゃないですか(泣)。今回の主人公は、ラジオのパーソナリティで、めっちゃラジオ向きの美声を持っている代わりに容姿には全く自信が無いという桐畑恭太郎。彼が行きつけのバーで巻き込まれた珍騒動が描かれるわけですが、驚いたことに、中盤過ぎまではかなりユーモラスな進行で、堪え切れずに吹き出してしまった場面は二カ所や三カ所ではききません。勿論その後は、これぞ道尾節! とでも言うべき驚きと温もりの展開がしっかりと用意されているので、以前からの道尾ファンも、今回初めて読む人も、安心してページをめくって頂きたい。(沢田史郎)

⇒後編に続く
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by dokusho-biyori | 2015-01-27 22:34 | バックナンバー | Comments(0)