13年11月

りす。
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まつぼっくり。
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『沈むフランシス』松家仁之 新潮社 9784103328124 ¥1,470

 北海道の小さな村を郵便配達車でめぐる女。川のほとりの木造家屋に「フランシス」とともに暮らす男。小麦畑を撫でる風、結晶のまま落ちてくる雪、凍土の下を流れる水、黒曜石に刻まれた太古の記憶、からだをふれあうことでしかもたらされない安息と畏れ。――五官のすべてがひらかれてゆくような深く鮮やかな恋愛小説。(新潮社HPより)

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松家さん、この表紙の愛らしくもかっこよい犬ころは、、、まさかアレですか?
アレですよね。それは!なかなかやりますな~、むふふ。
と思ったわたしは変態であろうか、、。

昔読んだ本にこんなことが書いてあった。
人間はみな変態である、、、、、と。(意訳)
念のため言っておくけど、ふざけた本ではない。
心の中の欲望を解放すれば、すべての人がわけへだてなく変態なんだそうだ。
ちょっと感動した。

この『沈むフランシス』は、その解放した本能を呼び覚ますほど、むせかえるようなにおいに満ちていた。
原始から脈々と水は流れ、土を育み、生き物たちを見守ってきた森が生まれる。
今、街が建っている大地も決してずっと同じだったわけではない。長い時を経て少しずつ少しずつ育ち、形を変えてきた。水の流れや光の移り変わりとともに。
北海道のそんな自然のある小さな街を舞台に、都会から引っ越してきて郵便配達をはじめる主人公、撫養 桂子(むよう けいこ)。
小さな街の閉ざされた空間で、好気の目と表面上の無関心さとの間でとまどう桂子は、ある日この世のあらゆる音を集めている男に出会う。
と書くとまるでファンタジーのようだが、そうではなく彼はオーディオマニア。というか、音マニアか。自身で真空管のアンプを作り、特殊な集音機でさまざまな音を集め、電気の回路にまでこだわったオーディオシステムで聞くというちょっと、いやかなり変わった人物だ。

このスピーカーで音を聴くときの描写がすごい。
あまりにも臨場感にあふれているので、本当にその音が聴こえてくるような気がするうえ、鳥肌までたつ。
ここで引用してもいいのだけど、短文を抜き出してもその効果は半減するような気がするし、そもそも音というのは場所(空間)が絶対的に重要なものであるので、ぜひご自分の場所で本物を読んでみてほしい。

前作『火山のふもとで』のときにも感じたけれど、松家さんは音に対しておそらくなみなみならぬこだわりのある人だ。その繊細な文章も常にどういう音で書くのか、そこに重点をおいているような気がしてならない。だから美しいのだと思う。
生き物がうごめく世界では、音のない場所などありえない。つまりはそれは本質なのだ。

ふたりは、出会い、音を聴き、食事をともにする。そうして大きなベッドへゆく。フランシスがなんなのかはここではまだ言えない。

ラブストーリーとして読んでもいいし、ミステリーとして読んでもいい(なんせしょっぱなから人が死んで、川を流れてる)。純粋に音楽を聴く気分でことばを聴いてもいいし、満点の星を見る気分で、眺めていたっていい。

読み終えてしばらくたったのだけど、いまだに受けた感想を口に出すことにとまどってしまう。それは、手のひらですぐに溶けてしまう雪の結晶そのもののようだったから。
表紙の愛らしいワンコの鼻づらを眺めていたら、ひとつぶ小さな雪の結晶がのっていることに気がついた。
その瞬間、わたしはこの本をしっかりと抱きしめたくなったのだった。(酒井七海)
こちらで試し読みができますよ!


『灰とダイヤモンド 三宅高校野球部、復興へのプレイボール』平山讓 PHP研究所 9784569813370 ¥1,785

 あの日、三宅島は無人島になった。東日本大震災の11年前、災害で故郷を失いながらも、あきらめなかった監督と選手たちがいた――。2000年、全島民が避難生活を余儀なくされた三宅島。島の高校の先生と生徒が、野球を支えに困難に立ち向かう姿を描いた真実の物語。(PHP研究所HPより)

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 なぜやらなかったのか言い訳をするより、ちゃんとやる方が簡単である。――マーティン・ヴァン・ビューレン(米国第八代大統領)

 まぁ確かにおっしゃる通りだ、とは思う。おっしゃる通りだとは思うけど、やっぱり言い訳したくなる時はある。忙しいから、体調が悪いから、天候がよくないから、周りが協力してくれないから、etc、etc……。そんな甘ったれた私の頬ゲタを張り飛ばしてくれた作品を紹介したい。

 舞台は、東京から南へ200km、伊豆諸島の三宅島。登場するのは、島で唯一の高校、都立三宅高校野球部の部員たちと彼らを率いる山本政信監督。
 何しろね、島の中には他に高校なんて無いから、練習試合もろくに出来ない。それどころか、全校生徒が漸く百人を越える程度だから――甲子園常連校の中には、野球部員だけで百人を越えるところもあるというのに!――慢性的な部員不足で、三年生が引退する夏以降は毎年毎年廃部の危機。春になって新一年生を勧誘してどうにか野球が出来る人数を確保しても、九人や十人では試合形式の練習なんて勿論無理。即ち彼らが日常やっているのは「野球」そのものではなく、あくまでも「野球の練習」に過ぎず、故に夏の甲子園予選というのは三宅高校ナインにとっては、甲子園出場を争う試合であるという以上に、練習ではなく「本物の野球」が出来る日であり、一年間待ちに待っていた特別な一日なのだ。

 ところが、だ。平成十二年七月、三宅高校野球部の東東京地区予選第一回戦が予定されていたまさにその日に、三宅島の雄山が大噴火する。試合当日の朝、宿のテレビでそれを知った高校生たちに「落ち着け」と言う方が無理だろう。最悪の場合、試合が終わった頃には帰る家が失くなっているかも知れないのだ。動揺しまくった三宅高校はボロ負けした上に、彼らが島に帰った後も噴火は日毎に勢いを増し、1ヶ月後には遂に「全島避難」を余儀なくされる。島は無人島となり、三宅高校の生徒たちは、廃校が決まっていた都立秋川高校を臨時の学校兼宿舎として、まるで戦時中の集団疎開よろしく全寮制の避難生活を送ることになる。しかも、この避難生活がいつ終わるのか、誰にも解らない……。
 神様が何を考えているのかは知らないが、これは酷だ。言い訳や愚痴の一つや二つ口にしたところで、誰が彼らを責められよう。噴火が無ければ、不便な避難生活じゃなければ、いやその前に離島ではなく本土の学校に通えていれば、etc、etc……。だけれど彼らは弱音を吐かない! それどころか、全国から届いたバットやボールの寄付に感謝し、本土にいるお蔭で対外試合が出来ると喜び、その試合で芽生えた友情を大切に育み、島の人々が東京で避難生活を送っている今だからこそ、球場に応援に来て貰えると感激する。
 誰かのせいにしたりせず、どうせ俺たちはなんて卑屈になったりもせず、あたえられた条件でベストを尽くす。とにかくその姿勢が潔くて格好いい。言い訳をしない、というただそれだけのことが、これほどまでに清々しいとは初めて知った。同時に、彼らに比べれば遥かに恵まれた環境で生活しているにもかかわらず、四六時中愚痴と言い訳ばっかで何やってんだお前は!? って、三宅高校野球部の面々に頬ゲタ張られたような読後感。

 最後に、山本監督が奥さんにふと漏らしたという述懐を引用して、本書の紹介を締めくくろう。曰く

【勝ったとか、負けたとか、結果ばかりを追いかけているわけじゃあ、ないんだよ。あいつらに教えてやりたいのは、過程で全力を尽くすことの大切さなんだ。結果はどうあれ、過程で精いっぱいにやれたなら、自信をもって社会へ羽ばたいていけるだろ】

三宅高校野球部に、幸あれ!(沢田史郎)


『ふるさと銀河線』髙田郁 双葉文庫(11月中旬発売予定) 9784575516302 税込予価 ¥600

 大ベストセラー「みをつくし料理帖」シリーズの著者が、初めて現代の家族を舞台にした珠玉の短編集。ふるさとへの愛と、夢への思いの間で揺れ動く少女が主人公の表題作をはじめ、遠い遠い先にある幸福を信じ、苦難のなかで真の生き方を追い求める人びとの姿を、美しい列車の風景を織りこみながら描いた感動的な九編を収録。

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 今から四半世紀ほど前に活躍した和製パンクに、THE BLUE HEARTSというグループがあった。『リンダリンダ』とか『トレイントレイン』なんかは今でも比較的よく耳にするから、お若い方でもご存知の方は多かろう。そんな彼らの『情熱の薔薇』という曲に、こんな詩がある。

♪ なるべく小さな幸せと、なるべく小さな不幸せ、なるべくいっぱい集めよう。そんな気持ち分かるでしょ。

 藪から棒に何を言い出すのか訝る向きもあるかも知れないが、要するに僕ら庶民の大多数は、べらぼうな大金持ちになりたいとか、誰もが羨む大成功を収めたいなどとは思っていない。衣食住の心配をせずにすみ、日々泣いたり笑ったりしながら家族が健康に暮らしていければそれで幸せ。そう思っている人が殆どだと思うのだ。しかるに、そんなささやかな望みであっても、それを守り通すのがこんなにも辛く険しいことだとは、子どもの頃には想像すら出来なかった。悲しいことや苦しいことは次から次へとやって来るし、いつも何かに追われているようで焦っている。檻の中の回し車で走るハムスターの如く、終わりなく休みなくこれからも走り続けるのかと思うと、気が遠くなって投げ出したくなる。

 生きている内には、そんな後ろ向きな気持ちになることが何度もある。だけど、そんな僕たちに髙田郁さんはそっと言う。辛いのはあなただけではないんだよ、と。道ですれ違ったサラリーマンも、電車で隣り合ったOLも、さっき買い物をしたコンビニの店員も、宅配便を運んできたドライバーも、みんなそれぞれに辛いことや悲しいことを抱えながら、それでも今日に明日を継ぎ足しながら、一歩ずつ歩いているんだよ、と。

『ふるさと銀河線』には、鉄道を背景――と言うよりも借景にして、九つの人生が描かれている。そのどれを採っても、順風満帆の幸せは一つも無い。リストラされた事を打ち明けられず、いつもと同じ時間に「出勤」してひたすら電車に乗り続ける元ビジネスマン。親代わりに育ててくれた兄を気遣い、望む進路を諦めかけている女子中学生。アルツハイマーの初期症状を自覚して、自分が崩壊していくことに怯える老夫人。明治末から続いた酒蔵の当主として金策に四苦八苦した挙句、遂に倒産を覚悟したアラサー女子。皆々、人一倍幸せになりたいなどと欲張っている訳ではない。ただ平凡に大過なく過ごしたいと願っているだけである。にも関わらず、運命はそれを簡単には許してくれない。だから時に、疲れて立ち止まってしまうこともある。何の為に生きているのか、解らなくなる時もある。でも、少し休んだらまた歩き出す。その姿が健気で凛々しくて、何度目頭を熱くしたか数え切れない。
 例えば第六章では、アルコール依存症を克服しようと懸命な努力を続ける女性がふと漏らす。

【明日は飲んでしまうかも知れない。けれど今日は飲まない。そんな「今日」を積み重ねて行こうと思うのです。みっともなくても、それが私なのです】

 長い人生の間には辛いことや悲しいことに直面して、負けてしまうこともあるだろうし、逃げ出してしまうこともあるかも知れない。でも、神様じゃないんだから仕方が無いじゃん。人間なんだから、間違いもあるし弱さも持ってる。明日は誘惑に負けてしまうかもしれないけど、明日はサボってしまうかも知れないけど、明日は諦めてしまうかも知れないけど、明日は逃げ出してしまうかも知れないけど……。それでも今日一日は頑張れた。そんな「今日」を一つずつ積み重ねて生きていくことが、勇気でなくて何だろう。髙田さんのそんな人生観の結晶が、『ふるさと銀河線』という作品なのではなかろうか。と同時にこの作品は、髙田さんからの、読者一人一人に向けた声援でもある、と言ったら邪推だろうか。「毎日弱い自分と戦いながら暮らしているあなただって、同じ『勇気』の持ち主なんだよ」という声が聞こえるような気がするのは、決して僕だけではないのではあるまいか。

 髙田郁さんの初めての現代ものである『ふるさと銀河線』は、これから先、暮らして行くことにちょっと疲れた時などに、きっと何度も読み返す本になると確信している。(沢田史郎)
こちらで試し読みが出来ますよ!

(*`▽´*) (∩.∩) ┐(´ー)┌ (*´∀`) (*`▽´*) (∩.∩) ┐(´ー)┌ (*´∀`) 

以下、出版情報は『読書日和 11月号』製作時のもです。タイトル、価格、発売日など変更になっているかも知れませんので、ご注意ください。

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編集後記
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連載四コマ『本屋日和』
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by dokusho-biyori | 2013-10-25 21:56 | バックナンバー | Comments(0)