13年10月

焼き芋~! 秋刀魚~!
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『いつも手遅れ』アントニオ・タブッキ/訳=和田忠彦 河出書房新社 9784309206325 ¥2,520

 ありえたかもしれないこと、後悔、恋慕、痛ましい家族の思い出……。人生の時間に限りが見えたとき、人は何を願うのか。現代イタリア文学の巨匠が18通の手紙の形で精緻に綴った短篇集。(河出書房新社HPより)
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タブッキが亡くなってから、1年がたった。
この1年この本が出ることを待ち望んでいたわたしは、先月河出書房さんからの新刊案内を見て、文字通り狂喜乱舞した。
職場だったのでアレだったのだが、心の中では小躍りどころじゃなく踊りまくっていた。

わたしがタブッキに出会ったのは、10年ほど前。
とある本屋さんで面陳されていた『インド夜想曲』(白水社)を手にとったときだった。
タイトルにあらがえないほど強く惹かれてしまい、そのままレジへ持っていったことを覚えている。
当時のわたしは本屋でもなかったし、読書は好きだったがそんな買い方をすることはまずなかった。

はじめて読んだときは、なんだかよくわからなかった。
なんだかよくわからなかったけど、確かにいままでそんな本は読んだことがなかった。
あとでずっと尾を引くほどの強い印象を残すに充分な文章だった。
そこにはたしかに、音楽があった。少なくとも音楽のようなものが。

まさかこういった場所で、タブッキの新刊を紹介する機会にめぐまれるとは思わなかった。わたしは今、本当にうれしい。うちの犬がよっぽどうれしいときにしっ ぽをぶるんぶるんと回すようにふるんだけど、もしもわたしにしっぽがあったらきっとちぎれるほどに回しただろうと思う。そのくらいうれしい。

さて、いつも前置きが長くなってしまう。はじめよう。
『いつも手遅れ』まずタイトルがいい。
人生のザンネン感がにじみでている。いつだって気付いたときにはもう手遅れなんだわたしたちは。
短編集なのだけど、18通の手紙のかたちをしている。
おそらくはどれも読まれなかった手紙。
たくさん愛した人、もしくは少しだけ愛した人たち(中にはヘモグロビン様へなんていうのもあるが、、)に書かれた非常に個人的な手紙だ。
恋文だったり、懺悔や後悔の言葉だったり、感謝の言葉だったり、、、。
個人的なものだから、だからなんなのかという問いはここではまったく無意味なものなのだと思う。
ただ、わたしにはすべて終わったあと彼岸の向こう岸から、もう会えなくなった人たちにむけて書かれたことばのように思えた。

ことばを使って記憶を旅する。
ここでの記憶はただ現実に起きたことだけじゃない。流れていた感情の波、音楽を使ってたどっていた本物の幻想のこと。その幻想のためだけに生きていたこともあるという記憶。
それから一滴の血もそうだ。
血液は赤血球と白血球だけでできているわけじゃなくて、とりわけ記憶から成っているという話があった。
そうしてその血を取り巻く有刺鉄線があるのだと。わたしはそれに覚えがあった。

読んでいるあいだ、このうえない幸せを感じていた。
わからないところはわからないまま読んだし、それでいいと思うのだ。
いつものことだけれど、とにかく文章が美しい。
それでわたしは音楽を聴いている気分になる。

というか、、、この文章がもはや音楽なのだ。
リストの「ため息」のような、、
(酒井七海)

『鏡の花』道尾秀介 集英社 9784087715293 ¥1,680

 少年が抱える切ない空想、曼珠沙華が語る夫の過去。老夫婦に届いた絵葉書の謎、少女が見る奇妙なサソリの夢。姉弟の哀しみを知る月の兎、製鏡所の娘が願う亡き人との再会。ほんの小さな行為で、世界は変わってしまった。それでも――。六つの世界が呼応し合い、眩しく美しい光を放つ。まだ誰も見たことのない群像劇。(集英社HPより)
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 高校生の頃、Tという友人がいた。部活は違ったから放課後はバラバラだったけど、それ以外は四六時中一緒にいた。とにかく問答無用で仲が良かった。Tはバイクにハマっていて二言目にはバイク、バイクと煩く騒いだが、僕には何がそんなにいいのかてんで理解不能だった。バイクなんて二人しか乗れないし、雨降りゃ濡れるし、冬は寒いし、車の方が全然ラクじゃん。そう言って相手にしようとしない僕らに、「いや、乗れば解るって。ラクだとか便利だとかそういう基準じゃ計れないんだよ、バイクの良さは!」と顔を赤くして反論する姿が可笑しくて、しばしばみんなでバイクの欠点をあげつらってTをからかった。
 そのTが、二年生の時に事故って死んだ。400ccのバイクで電柱に激突、首を折ってほぼ即死だったそうだ。僕は通夜の席でもお葬式でも、あんなに仲が良かったのに何故か一滴も涙が出て来ず、自分は薄情な奴なんだろうかと、かなり本気で心配になった。
 その帰り道、まっすぐ家に帰る気にならず特に用も無いのに立ち寄った書店で、ふと目についたバイク雑誌を、「何がそんなに良かったんだろうね一体?」という程度の気持ちで手に取った。巻頭の記事では、どうやらニューモデルらしい二台のバイクが採り上げられていた。白地に赤や青のラインが入ったバイクが、今にも転ぶんじゃないかというぐらいに傾いてコーナーを回っている姿を、ほぼ正面から捉えた写真は素人目にも美しかった。雨上がりらしく、路面は黒く濡れていた。ヘルメットのシールドには路肩の緑が映っていた。生まれて初めてバイクを格好良いと思った。そして不意に涙が出て来た。涙はひとたび零れると、それまで泣けなかった分を埋め合わせるかのように次から次へと溢れて止まらなかった。僕はその雑誌を買って帰り、そして数年後、二輪の免許を取った。
 以来二十数年間、事故って入院した事もあれば、赤キップで一発免停を食らったこともある。けど、死んではいない。「死ぬこと」それ自体には、多分意味なんて無い。だからこそ、残された方が意味を感じてやらなければいけないんじゃないか。Tが死んだ時、そう思った。バイクで死ぬ事は決して難しいことじゃない。Tの死にそれを教わった僕だからバイクで死んではいけないんだと、そんな事を思いながらバイクに乗り続けてきた。

 なんてことを思い出しながら、道尾さんの『鏡の花』を読了した。
 幾つかの夫婦や姉弟や親子が代わる代わる主役を務める連作形式……なんだけど、ちょっと解釈が難しいと言うか、例えば第一章では事故で姉を失った少年が登場するんだが、第四章では、同じ姉弟の弟の方が亡くなったことになっている!? 別の章では、夫が亡くなった筈なのに、次の章では「危ういところだった」ってことになってたり、要するに、誰かを死に至らしめたきっかけと言うか引き金みたいなものは、実はちょっとした連鎖の結果であって、その連鎖の内のどれか一つでも欠けていれば「無かったこと」だったかも知れないし、逆に言うと、「生」と「死」の境い目というのは小さな偶然やら不運やらが無数に重なった結果であり……。
 ネタを割らずにこれ以上紹介するのが難しいんだが、今在る世界は、ほんの些細な引き金で全然別の世界になっていたかも知れないし、だとすると今生きているという事実でさえも、ごく微小なきっかけで「無かったこと」だったかも知れないし、そう考えると、僕らが生まれて育って大きくなったのは決して当たり前ではなく、死と隣り合わせになった無数の瞬間を、誰かの庇護や単なる偶然によってすり抜けて来た貴重な結果なんだと、そんな謙虚な気持ちにしてくれた。
 勿論いつもの道尾さんの通り、単なるエンターテインメントとして一括してしまうには美し過ぎる日本語も満載。人間の感情や風景の変化は「ここからここまで」と一線を引けるようなものではなく、無限のグラデーションで成り立っている訳だけれども、道尾さんの文体は、そのグラデーションの微妙な差異を見逃さずに言葉に置き換え、しかも全部は言わずに読者の想像に委ねる職人技。例えば、風がカーテンを揺らす描写一つとっても、以下の如し。

【ちょうどそのとき、背後のレースのカーテンをゆったりとふくらませて風が吹き込んできた。カーテンは妊婦の服を着た人みたいに丸くお腹を突き出し、やがてそのお腹が下のほうへ移動していくと、ふわっと裾がひるがえって風を室内へ逃がした】

 どうでしょう、まるでスローのVTRを見ているようでしょ? こういう、言わば「映像よりも映像的」な表現も道尾作品の醍醐味の一つだという点、念を押しつつ、私の駄文はそろそろ終わりにしておきます。
(沢田史郎)

『獄門島』横溝正史 角川文庫 9784041304037 ¥580

 獄門島――江戸三百年を通じて流刑の地とされてきたこの島へ金田一耕助が渡ったのは、復員船の中で死んだ戦友、鬼頭千万太に遺言を託されたためであった。『三人の妹たちが殺される……おれの代わりに獄門島へ行ってくれ……』瀬戸内海に浮かぶ小島で網元として君臨する鬼頭家を訪れた金田一は、美しいが、どこか尋常でない三姉妹に会った。だが、その後、遺言通り悪夢のような連続殺人事件が! トリックを象徴する芭蕉の俳句。後世の推理作家に多大な影響を与え、今なお燦然と輝く、ミステリーの金字塔!!(KADOKAWAHPより)
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たまには、こんなのどうでしょう。
金田一!
みなさん、好きですよね??
え、金田一君?? かめなしくん?? 堂本剛でもないの? いや、しらんけど、それ孫ね、孫。

元祖金田一シリーズは『八墓村』から始まる横溝正史原作のものであります(若い方向けに一応ご説明)。
当時、たいへんな人気を博したこのシリーズは市川崑監督と石坂浩二のタッグによって、何度も映画化。一代ムーヴメントを引き起こしたのでした(この映画も日本映画史に残る大傑作!)。
『犬神家の一族』や、『悪魔の手毬唄』など名作は数あれど、今回は『獄門島』のご紹介を。いや、たんに自分が最近読んだからっていうだけだったりするのですけど。

金田一シリーズの魅力は、主役金田一のキャラというのももちろんあるのですが、わたしはなんといっても小道具と舞台設定にこそあるのではないかと思っております。
瀬戸内海の中ほどにある切り立った小さな島 “ 獄門島 ”。それがこちらの作品の舞台。
外観だけでも、人を容易には寄せつけない雰囲気ですが、さらに江戸時代には罪人の流刑場となっていたというのだから、ますますおどろおどろしい。
一瞬にして、荒れ狂う波にうたれる断崖絶壁と、貧しそうな掘建て小屋がぽつりぽつりと建つ、寂しげな島が目に浮かびます。
その獄門島出身の戦友が、無念の戦死をする際に金田一に託したのが、島で暮らす自分の妹たちを助けてほしいということ。
なんのことやらわからずも、そこは金田一耕助。もちろん行きますよ。彼の地獄門島へ。家族に息子の戦死を伝えると村はいっぺんに不穏な空気に、、、。
ところでその家族もかなり変わっていて、主のおじいさんはすでに亡くなってしまって、残っているのが妾のばあさんと、従兄弟で家のことをすべて切り盛りしている早苗、異常なほどに美しい三人の妹たち。それから謎につつまれた “ 気ちがい ” の父(地下牢に幽閉!)。
金田一が村の人たちとすごしながら、少しずつ様子をさぐっていく間に第一の事件が、、、。というストーリー。

そして小道具ですが、のたくった文字が書かれた衝立や、一人では運ぶことができない釣り鐘、とある恋文、獄彩色の帯、梅の古木、妖しげな祈祷師の離れ、、、、などなど、劇的に印象深いものがたくさんあり、雰囲気をどんどん盛り上げてくれます。
これがもうたまらない。
ひとつ情景が浮かぶたびに、そこになにやら緊張とときめきに似たようなものが生まれて、早く先が知りたい! と読み急いでしまう。
これぞ極上のエンターテイメントじゃないでしょうか。人間に生まれてよかった!
だって、夜中にポテトチップスをぱりぱりしながら、金田一シリーズを読むことの贅沢さはうちの猫どもにはわからんのですよ。あーかわいそう。

シリーズ、25作もあるから秋の夜長たっぷり楽しめます。
さて次はどれを読みましょう!

※文中、不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品発表時の時代背景と文学性を考え合わせ、そのまま使わせていただきました。なお、夜中のポテトチップスぱりぱりに関しましては、その背徳性は充分承知しておりますが、ご意見ご助言などは一切承っておりませんので、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
(酒井七海)

『遠い海から来たCOO』景山民夫 角川文庫 9784041736067 ¥580

 六千万年以上も昔に絶滅したはずのプレシオザウルスの子を発見した洋助。奇跡の恐竜クーと少年とのきらめく至福の日々がはじまったが……。直木賞にかがやく、感動の冒険ファンタジー。(KADOKAWAHPより)
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 地球の表面積の70%を占める、海。一説によると宇宙空間よりも未知の部分が多いそうで、そう言われてみれば確かに、7,800万キロメートルも離れた火星にまで人類を送ろうかっていう時代にあって、僅か数千メートルの深海は未解明の部分が殆どだし、新種の生物も毎年何かしらが必ず発見されている。例えば2001年にインド洋で見つかったスケーリーフットなどは、海が如何に謎に包まれているかを示す一典型。何しろこの深海生物ときたら、巻貝の癖に海底から噴出する硫化鉄を取り込んで鉄製の鱗を身にまとい、しかも溶融酸素が多い環境下では“ 錆びて ”死んでしまうと言うから、もはや謎の宇宙生命体レベルのへんてこさではないか。
 とまぁ話が脱線しかかっているが要するに、海こそが人類に残された最後の秘境だというのは決して大袈裟な言い方ではないのだろうし、だから、数千万年前に滅びたとされるプレシオサウルスだって、どこかの海域で密かに生き残っていないとは、誰にも断言できないのではあるまいか。

 なんていう気になるんだ、『遠い海から来たCOO』を読む度に。アニメ化されたせいで子供向けのイメージが強くなっちゃったけど、歴とした第99回直木賞受賞作。
 舞台は南太平洋、フィジー共和国のパゴパゴ島。登場するのは、海洋生物学者の小畑徹郎と、その一人息子の洋介(12歳)。そして彼らが飼っているレトリーバーのクストーと、この辺りの海をテリトリーにしている二頭のバンドウイルカ、ブルーとホワイトチップ。
 で、ある日洋介が本島にある学校へ行く為にジェットスキーを走らせていると、ホワイトチップが洋介の注意を引こうとするかのように、一ヶ所でジャンプを繰り返している。不審に思って近づくと、サンゴ礁の潮だまりに今まで一度も見たことがない生き物がうずくまっていた。その不思議な生き物をリュックに詰めて家に持ち帰り、父親の徹郎が実験で使う水槽に移しかえ、その鳴き声から「クー」と名付けて飼うことにしたはいいのだけれど、さてこの生き物は一体何だ?
 徹郎は曲がりなりにも海洋生物学者だし、洋介だって12歳とは言え徹郎の薫陶を受けて育って来たのだ。これがアザラシでもジュゴンでもイルカでもないことは最初っから分かっているし、考えられる可能性は一つしかないことも承知している。あとは、常識を破り捨ててその信じ難い仮説を受け容れる事が出来るかどうか、だが、徹郎は意を決して宣言するように言い放つ。

【こいつは、このクーは、現代の生物学の常識をひっくり返すのに充分な生き物なんだよ。もういい、もう既成の学術的概念に縛られるのは沢山だ。クーはまぎれもなく生きている奇跡だ】

 ところが、だ。クーの種族が生息している海域では、フランスが核実験を計画していたというから、物語の雲行きは俄かに怪しくなってくる。フランス軍、及びフランス政府としては、そんな奇跡的な生き物がいることが公になればとても核実験など出来なくなるし、実験後に「実はいたんだ」ということが露わになっても世界中から非難轟々だろうから、その生き物が存在した痕跡を残らず末梢する必要がある。何にも知らずに長閑にクーを育てる小畑親子の周りには、いつの間にか諜報機関の影が忍び寄り……。

 毎日が「昨日のリピート」で新しい発見など何も無い。「可能性」とか「奇跡」とかいう言葉は自分には関係無いから目を逸らす。現状維持に汲々としている内に停滞が当たり前になっている。いつの頃からかそんな垢がこびり付いた私の心を、読む度にきれいに洗い流してくれるのが『遠い海から来たCOO』という作品。フィジーの真っ青な海を思い浮かべながらリフレッシュしたい時は、皆さんも是非。
(沢田史郎)


(*`▽´*) (∩.∩) ┐(´ー)┌ (*´∀`) (*`▽´*) (∩.∩) ┐(´ー)┌ (*´∀`) 

以下、出版情報は『読書日和 10月号』製作時のもです。タイトル、価格、発売日など変更になっているかも知れませんので、ご注意ください。
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編集後記
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連載四コマ『本屋日和』
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by dokusho-biyori | 2013-09-27 10:06 | バックナンバー | Comments(0)