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ごあいさつ

丸善津田沼店の有志スタッフが発行しているフリーペーパー『読書日和』のブログです。『読書日和』は2011年10月創刊以来、毎月25日を目途に発刊、店頭でお配りしています。尤も、目標通り25日に出た試しは殆どなく、大抵は28日とか29日辺りにずれ込みます。

あくまでもサークル的な活動であって、必ずしも丸善の公式発表・見解を表すものではありません。オフィシャルな発表に関しては丸善ジュンク堂書店のホームページ等をご覧下さいませ。

頂いた質問やご意見などについては可能な限り返信致しますが、全てに対応することはお約束出来かねます。

以上、あらかじめご了承ください。

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# by dokusho-biyori | 2019-12-31 20:29 | ごあいさつ | Comments(0)

19年07月



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夏休みの読書にむけて――文藝春秋営業部 川本悟士
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 7月というと、あと少しで夏休みという学生さんも多い時期でしょうか。梅雨もあけると空はモクモクとした入道雲であふれ、鮮やかな青空に思わず目を細めてしまうような季節。私自身はインドア派ですが、一方でその鮮やかなスカイブルーも好きだったので、学生時代は晴れた夏の日に友だちとどこかに行くとなると、それだけでちょっと楽しくなってしまう気持ちもわかります。

 そんな外に出たくて仕方がない時期に、まるで外に出ることを阻むように出ることが多いのが、読書感想文でしょうか(笑)。

 読書感想文。本の内容を半分まとめながら、自分の意見や立場を書く……大まかな構成は色々と言われますが、最大公約数をとるとこんな感じになるように思います。他人の話をまとめながら自分なりのメモを残すという作業は学生を終えても使われる能力ですが、読書感想文という作業となると、まとまった文量があるだけにそれよりも手間のかかる作業のような気がしますね。

 それだけに苦手というか、読書自体から距離をおいてしまいがちなときもあるのですが、今回はそんなときに「それでもまあ、本でも読んでみるか」と思えるような言葉から取り上げてみたいと思います。

 ショウペンハウエルという人の書いた本に『読書について』というそのものズバリのものがありますが、そこでの有名なフレーズに、読書とは他人にものを考えてもらうことである、というものがあります。他人がどんなものの考え方をしているのか、その人の視点からだと世の中はどんなふうに見えているのか。そういうものを得ることができ、その本に出会うまでとは違う自分になってしまう体験が、読書なのかもしれません。


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 私がそれを実感したのは、スポーツを取り上げた本でした。私はスポーツが単純に好きです。勝敗を楽しみ、チャンスになれば盛り上がり、得点が決まるとテンションが上ります。一方で、見方は人それぞれなわけで、何かしらの本をきっかけに、それまで見えなかった、ゲーム全体の景色が見えてくることもあります。

 たとえば、サッカーや野球を例にしてみましょう。

 突然ですが、サッカーのゲームとしての特徴は何だと思いますか? 私が中学生の頃に読んだ体育の教科書では、テニスのようなネットを挟んでやるネット系の球技、サッカーのようなゴールを目指したゴール系の球技、野球のような塁を進めていく球技と、大まかに3種類にわけて球技を紹介していました。

『砕かれたハリルホジッチ・プラン』によれば、この2つ目の、サッカーやバスケットのようなゴール型ボールゲームの特徴は、敵陣・自陣にそれぞれゴールが存在し、攻守の切り替えが行われながら得点を目指すスポーツ、とまとめられるといいます。同じようなスポーツにはバスケットやラグビーなんかがありますね。

 そのなかでもグラウンドの広さ・プレイヤーの人数を比べてみると、サッカーはとりわけ人数に対してカバーしなければならない範囲が広く、脚を使って一気にボールを移動させることが際立っています。それゆえに、サッカーの試合ではしばしば、その広いスペースをどうやって守り、そして攻めていくのか、というのが問題になる、と本は語ります。

 同じように、野球というスポーツの特徴は何でしょうか。 『セイバーメトリクスの落とし穴』では、野球を考える原点として、3アウトになるまでに塁を進むと得点できるイニングを9回繰り返す、すごろくやボードゲームの要素が強い競技、というものをおいています。できるだけアウトにならないようにしながら、できるだけランナーを1つでも次の塁に進めていくゲーム。


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 団体競技だけど個人競技でもある、という言葉でも表現されるスポーツですが、ストライクを投げ、打てる球を打ち、できるだけ再現性を高めてプレーを重ねながら、一方でその時々で出てくる色んな状況に対応して、アウトにならないように塁を狙っていくスポーツ、とまとめられるのかもしれません。

 本を読んでこんな見方に触れて以降、サッカーやバスケットを見るときにもボールをもった選手だけでなく全体のスペースの空き具合が気になるようになりましたし、野球を見ていても強いチームは色んな形でそつなくランナーを進めていることに目がいくようになりました。

「他人の頭で考える」ではありませんが、自分とは違う視点を持った人たちの本を読むことで見え方が変わった経験です。

 その意味で、読書はそれまでの自分とは違う自分になってしまう可能性のある作業です。それが必ずしもいいことかはわかりませんが、何かのときには頼ってみる価値のあるものだと、個人的には思います。

 私はいまでもこの言葉をどこか信じていて、先日子どもを生んだ友人が陣痛からのことを詳細に覚えているのをみて、男性にはわからないことだけに、それだけ自分の身体のことをよく覚えているものだろうか、と、本棚から出産・産後を綴ったエッセイ『きみは赤ちゃん』を手にとって読んでしまいました。本ってきっと、そんな関わり方でもいいんだと思います。

 別に、本は腰を据えて読まなくて構いません。もちろんどかっと気合を入れて読んで……という時間もあっていいですし、辞書のように必要なところだけ調べるように「ひく」という作業もできるにこしたことはありません。本との付き合い方は色々あってしかるべきだと思います。

 そうやって肩肘をはらずに見回せば、そのときにピンとくる本がきっとどこかに埋もれています。私にとって本屋さんは、そういうところです。



残る言葉、沁みるセリフ


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《 でもね、おじいさん。その時刻表がないと、バスがどれぐらい遅れているか分かりませんよ 》


 時刻通りに来ないバスに「こんな時刻表ならあっても無駄だ」と癇癪をおこすおじいさん。その連れ合いの老婦人が、のんびりと諭して言ったのが上記の言葉。こういう大らかな考え方をした方が、イライラと不満をぶつけるよりも、遥かに益になるんじゃないでしょうか。自分にとっても周りにとっても。





 カンヌ国際映画祭で賛否両論納得! 狂っているが魅力的な作品でした!

 とにかく残忍な殺人描写が続くので苦手な人にはオススメ出来ません。R18+なのも納得(汗)。主人公のジャックは強迫性障害のシリアルキラー。強迫性障害を身近な例で説明すると、家を出る際に鍵を締めて外出すると思いますが、少し時間が立って「あれ? 鍵締めたっけ?」と思うアレです。その症状を酷くしたのがこの主人公です。

 ジャックは建築家になる夢を持つ技師。納得のいく家を建てるため構想を考える最中、ある女性と出会い殺人鬼のスイッチが入ってしまいます。アートを創作するかのように殺人に没頭するジャック。5つのエピソードが語られるが、2つ目のエピソードがジャックの性格を上手く表現していて面白かった。

 あるおばさんの家を訪問し、警察ですとウソをつく。おばさんは怪しいと思い、警察手帳を見せてと言う。焦ったジャック、本当は保険屋ですとウソを上塗りする。すると、たまたま未亡人だったおばさんが興味を持ち、家に上げてしまう……。

 このシーン、見事にジャックの欲が理性を越えてしまっていて醜い。しかし運が良い事に家に上がることに成功し殺人を犯す。綺麗に血を拭き取り、死体を車に運び終えたその時、強迫性障害に悩まされます。家に戻り血痕がないか、チェックを3回程繰り返します。

 そうこうしていると、本物の警官が来て事情聴取されます。完全アウトだなぁと観ていると、運良くその場を免れます。とにかく運が良いこのエピソードは、ジャックの方向性を決める事になります。

 この作品、褒められたもんじゃないが、人生において運は付きものだなと感じさせてくれる。それだけで観た価値がある作品だなと思いました。哲学的な考えやセリフも面白かった!

 話は変わって、今年も上半期が終わりましたので、個人的ベストテンをどうぞ!

①THE GUILTY/ギルティ
②僕たちは希望という名の列車に乗った
③バーニング 劇場版
④ゴジラ キング・オブ・モンスターズ
⑤グリーンブック
⑥岬の兄妹
⑦ハウス・ジャック・ビルト
⑧デイ アンド ナイト
⑨ある少年の告白
⑩天国でまた会おう

『アベンジャーズ/エンドゲーム』は、あえて外しました。特別な作品です。



とにもかくにも藤沢周平――丸善津田沼店 沢田史郎

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 藤沢周平を初めて読んだのは、もう25、6年も前になる。新潮文庫の『竹光始末』。それまで時代小説など殆ど読んだ事がなかったのに、何がきっかけで手に取ったのか、今となっては忘れてしまった。ただ、文庫の表四(裏表紙)に《 世の片隅で生きる男たちの意地と度胸を、ユーモラスに、陰翳豊かに描く 》とあって、それに惹かれたのは覚えている。

 で、読んでみたら、まぁハマった。《 ユーモラス 》と言う割に暗い話も多かったが、ろくな予備知識も無かった僕があれだけ一気にのめり込んだのだから、多分、未経験者が尻ごみする程には、藤沢周平のハードルは高くない。いやむしろ、中途半端に近い昔を描いた現代小説よりも、江戸時代を舞台にしたものの方が、感情移入しやすいのではないか。

 と言うのも、ほんの30年ぐらい前までは、少なくとも僕ら平凡な一般庶民には、ケータイ電話もインターネットも全く無縁であった。にもかかわらず、その他の文化文明は今とそれほど変わらないから、当時を描いた小説を今の若い人たちが読んだ場合〝 世相風俗は今っぽいのにスマホもメールもLINEも無い 〟という状況を、想像しにくかったりしないだろうか。

 ならばいっそ、もっともっと大昔、車も電車も飛行機も無く、日本橋から京都の三条大橋まで2週間近くもかけて歩いていた時代の方が、全く体験したことが無いからこそ、文章が頭に沁み込みやすいような気がする。

 とまぁそんな訳で、藤沢周平である。

 時代小説初心者でも楽しめる作品は、短編にも長編にもあるのだが、最初は短編集の方が敷居が低いかと思う。となればやっぱり『竹光始末』がいいだろう。


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 表題作は、食うに困って刀まで売り払ってしまった武士の話。何故そんなにお金に困っているかと言うと、長い間、妻子ともども諸国を流浪しているから。何故、流浪しているかと言うと、仕える主がいないからで、何故いないかと言うと、例えば戦国時代ならば戦に負けて滅ぼされたり、或いは泰平の世であっても、何らかの理由で幕府の不興を買って取り潰しになったりして、仕えていた主家が瓦解することはしばしばあったようである。勿論、自分自身が何かやらかして馘になるケースもあったろう。

〈 浪人 〉と呼ばれたそのテの輩を、秀吉亡き後の豊臣勢が大量に大阪城に集めて対家康戦に備えたのは有名な話だし、殿様が切腹させられてお家断絶となった播州赤穂は浅野家の家臣たち、世に言う赤穂浪士は〈 浪人 〉の代表格だ。また、幕末に藩の束縛を嫌って脱藩した坂本龍馬や中岡慎太郎は、自ら望んで〈 浪人 〉になった物好き(?)な例。

 因みに、受験浪人や就職浪人という言葉の語源はこれ。今はどこにも籍は無く、でも所属出来る組織(=学校とか会社)を探している人たちを、いつの頃からかマスコミがそう呼んだのが始まり。

 閑話休題。つまりは本作の主人公・小黒丹十郎も仕えるべき主を失って、即ち今で言う失業状態で、自分を雇って扶持(=給料)をくれる殿様と巡り合うため、妻子ともども旅を続けてきた、という訳である。

 で、舞台となる〈 海坂藩 〉に辿り着いたところ、殿様に無礼を働いて家に立てこもっている不届き者を討ち取れば、褒美がわりに雇って貰えるとの約束を得た。チャンス到来! 剣の腕には少々覚えがある丹十郎である。首尾よくし遂げれば、時には日雇いの土木工事までやって食いつないできた5年間の苦労が報われる。

 ……だがしかし。最初に述べたように、丹十郎は、食うに困って刀を売ってしまっている。今、腰に差してあるのは、外見は立派でも鞘の中身は竹製のおもちゃである。無論、人どころか大根だって斬れやしない。さてどうする、丹十郎?

 といったストーリーは、正味40ページ程の短い話で入り組んだ背景も無いから、時代小説の入門書にはもってこいではないかと思う。


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 本書にはその他、気の強い妻の尻に敷かれているものの、剣の腕前は藩でも指折りという平藩士が、藩命で逃亡者を追う「恐妻の剣」や、博打が元で人生の危機に陥った若い職人が、ふとした出会いをきっかけに立ち直りの一歩を踏み出す「冬の終わりに」など、6編が収められている。

 それらは武士を主人公にした〈 武家もの 〉もあり、町人を描いた〈 市井もの 〉もあり、ハッピーエンドもあり、哀れな結末もありとバラエティに富んでいて、初読ならばまず結末の予想はつかないだろうから、飽きずにぐいぐい読み進められる筈で、その点でもやはり時代小説の入口に丁度いい。

 さて、『竹光始末』で初めて藤沢文学を味わった方々、感想は如何だろう? もし面白かったと思って貰えたなら、次に勧めたい作品は、好みによって幾つかに分かれる。

 まず〈 武家もの 〉が面白いと思った方には、是非とも『たそがれ清兵衛』を紹介したい。

 病身の妻の世話に忙殺され、仕事が終わるや否や毎日そそくさと帰宅する。居残り仕事はやらないし、酒の誘いも一切お断りという井口清兵衛が主人公。今で言う五時まで男の典型で、いつしか〝 たそがれ 〟などと陰で噂され、皆に軽んじられている。

 ところが実は清兵衛は、今でこそパッとしない暮らしぶりで皆の記憶からはこぼれ落ちてしまっているものの、青春時代には血の滲むような剣術修行を積んでおり、並ぶ者の無い腕前を誇っていた。

 そして、ある年の春。藩の危難に直面した重役たちが、清兵衛の剣名をはたと思い出す。「そうだ、清兵衛の腕なら抜かりなくやりおおせるのではあるまいか」という訳で、たそがれ清兵衛、一世一代の大勝負。藩の浮沈を左右する重要な役どころが回って来る。その帰趨や如何に……。


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 という「たそがれ清兵衛」を筆頭に、「うらなり与右衛門」「日和見与次郎」など、日頃の立ち居振る舞いや身なり風采から不名誉なあだ名を付けられた下級武士が、人知れずマスターしていた武芸の腕で、汚名返上を果たす全8編。読後感はどれもすっきりと爽快で、時代小説の楽しさを存分に味わえる一冊だ。

 そして、町人や農民を主人公にした〈 市井もの 〉の方が好みだという方には、何を措いても『橋ものがたり』を勧めたい。

 江戸は川と運河の町である。だから、そこかしこに橋がある。東海道の起点である日本橋を始めとして、江戸橋、水道橋、永代橋に吾妻橋、鍛冶橋、浅草橋、汐留橋に呉服橋と、今でも活用されていたり地名として残っていたりする有名どころだけでなく、隅田川と神田川を中心に網の目のように張り巡らされた運河には、それこそ数えきれないほどの橋が架かっていたそうだ。

 その〈 橋 〉を起点に描かれるのは、出会いと別れ、平凡な日常に一瞬立つさざ波、つましい暮らしに差し込んだ一条の光……etc。その文章たるや、奥行きのある言葉遣いと馥郁たる余韻で、江戸情緒とはこのことか! と膝を打ちたくなること必至。

《 幸助が、不意にそう思ったのは、川を照らしていた日射しが輝きを失い、西に傾いた日が雲とも靄ともつかない、分厚く濁ったものの中に入りこんで、赤茶けた色で空にぶらさがっているのを見たときだった。/時刻は間もなく七ツ半(午後五時)になろうとしていた。橋は鈍く光り、その上には相変わらず人通りがあった 》

《 いつの間にかうす暗くなっている店先に、おすみはしばらく黙って坐り続けた。かくまっているのは、れっきとした人殺しだった。(略)/そう思ったが、不思議なほど恐怖心は湧いて来なかった。行きどころなくこの家に閉じこめられている若者に、憐れみが募るようだった 》

《 一面に夕焼け空の下を、人が二人歩いている。一人は長身の男で、一人は子供だった。赤い、漂うように穏やかな光が二人を染めていた。夕日に染まっているのは、二人の人間だけではなかった。二人が歩いている長い土堤も、土堤の影が落ちかかる田圃もその影が切れる先から赤く日を浴び、遠くの村も夕焼けていた 》


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 例えば星の瞬き1つとっても、希望に胸を膨らませている人には幸せへの道しるべと映るだろうし、逆に不安で夜も眠れない時は凶兆にしか思えなかったりもするだろう。風景は、見る者の心次第で美しくも陰鬱にも変化するのだ。そういった心の揺れを文中にさりげなく忍ばせることで、藤沢周平は、その場の情景をまるで静止画のように読者の胸に焼き付ける。

 そして肝心のストーリーは、と言えば、個人的にはこの『橋ものがたり』は今風に言えば〈 神編集 〉。数ある藤沢周平の短編の中でも指折りの作品ばかりが惜しげも無く詰め込まれた、豪華絢爛威風堂々完全無欠面目躍如な短編集だと断言しよう。

 疑う人は、第1話「約束」だけでも、騙されたと思って読んでみて頂きたい。

 年季奉公が明けて、明日からは親方の家の居候ではなく、家からの通いで仕事が出来る。つまり職人の卵として、曲がりなりにも暮らしを立ててゆく目途がついた。その幸吉が、小名木川の萬年橋の上に立っている。5年前、年季が明けたらこの橋の上で会おうという、お蝶との約束を果たすためだ。

 しかし、約束の刻限を過ぎてもお蝶は現れない。

《 ――しかし、五年前の約束だ。お蝶がおぼえているとは限らないのだ 》

《 ――たとえおぼえていても、来ない場合だってある 》

 幸吉の心は揺れる。何度も「もう帰ってしまおうか」と思うものの、もう少しだけ、もう半時だけと踏ん切りをつけられない――。

 といった形で幕を開ける恋愛小説は、昨今のベッタリしたラブストーリーに慣れている人にとっては、湿度が低くて驚くかも知れない。だがすぐに、一見淡白に見える文章には、男女の心の〝 機微 〟といったものが実に細やかに描かれていることに気付くだろう。


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 話の中ほどで、橋の向うに漸く一人の女の影が差して、幸吉がハッとする場面がある。しかしそれはお蝶とは別人で、見知らぬ男が迎えに来ており、二人連れだって遠ざかる姿を、幸吉は茫然と見送るのだが、この時の幸吉の胸の内などは、恐らくは誰もが一度は味わったことがあるのではないか。

 こういった〝 機微 〟こそが、藤沢周平の真骨頂で、この短編集にはそれがギュッと凝縮されているのだ。

 毎朝夕、仕事の行き帰りに橋の上ですれ違う女性への、仄かな恋心に忠実に生きる不器用な職人を描いた「思い違い」。

 姉の不倫を子供心にも心配している僅か十歳の広次が、幼馴染の〝 恋 〟と呼ぶには幼すぎる優しさに支えられて前を向く「小さな橋で」。

 今にも川に身を投げるかに見えた女に、一声かけて自殺を思いとどまらせ、少しずつ親しくなったものの、何故か頑なに過去を隠そうとする。それでも一途に彼女を助ける若き職人の静かな強さを描いた「川霧」。

 どれもせいぜい40ページほどの掌編だから、読むのに苦労は無い筈だ。そして、その僅か四十ページには、僕らありふれた一般庶民の誰もが持つ様々な感情が溢れているのが、解って貰えるのではあるまいか。

 愛しい人の側にいたいという願い、束縛したいというエゴ、親が子にかける愛情、子が親を労わる心、人の幸せへのねたみや嫉妬、大切なものに気付いた幸福感、etc。

 例えばどんなに真面目で正直な人だって、ふと魔が差して卑劣な行動に走ることもあるだろうし、逆に神をも恐れぬ極悪人でも――芥川の『蜘蛛の糸』のカンダタのように――気まぐれに善行を施すこともあるだろう。

 即ち人間という種には、一点の曇りも無い混じりっ気無しの善人などいないし、全身全霊骨の髄からの極悪人というのもいなくって、僕らの心は善と悪のグラデーションで彩られている訳で、そのグラデーションの様々な濃淡が、過剰な演出を排した抑制の効いた筆致で、丁寧に描かれているのが藤沢周平の文学なのだ。


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 さぁ、ここまでの3作を読んだアナタはもう、藤沢周平のトリコである。次は何を読むべきか? ご安心めされよ。どれを読んでも、つまらないということはない。

 それでも強いてと請われたならば(請われてないけど)、『よろずや平四郎活人剣』『蟬しぐれ』を勧めよう。

 どちらも過去にこの項で紹介したことがあるので、今回は軽く済ませるが、まずは『よろずや平四郎』。

 さる旗本の妾腹の子、平四郎。妾腹だから家では冷遇されるし、当然、家督を継ぐことも叶わない。このまま飼い殺しのような生涯を送るぐらいならいっそ町に飛び出そうと、剣術仲間と3人で金を出し合って道場を開いた……筈だったのだが、その直前でトラブルによって金が無くなり、かと言って今更おめおめと実家に帰る訳にもいかず、進退極った平四郎。

 取り敢えずのねぐらと定めた裏長屋に《 よろずもめごと仲裁つかまつり候 》と看板を掲げた。即ち、喧嘩や探し物など、世のもめごとを解決して金を稼ごう思い立った訳だが、果たしてそんな怪しげな商売が成り立つのか……?

 といったストーリーは、件の剣術仲間の手も借りながら、チャンバラあり、推理あり、友情あり、恋もありのボンビー青春ストーリー。藤沢文学の中で、ユーモア度ではナンバーワン。

 そして最後は、泣く子も黙る、泣かない子は泣き出す、時代小説の金字塔『蟬しぐれ』。

 藩政に良からぬ陰謀を企てたとして父は切腹、家は僅かな捨扶持をあてがわれて、貧村に押し込められた牧文四郎。しかしそれは、藩上層部の権力闘争の巻き添えであったことが次第に明らかになり、更には、幼馴染までもが命を狙われる事態となって、文四郎は、一か八かの大勝負に打って出る。父の無念を晴らせるか、そして、仄かに想っていた幼馴染を守れるか……。


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 家柄にこだわらずに苦楽を共にした剣術仲間との友情。自分でもそうとは気付かない程の、淡い淡い恋心。尊敬する父親との絆。そして、子供から大人へと成長してゆく過程で失う何か。もう、青春小説のエッセンスが全て詰まった、20世紀の大傑作。これを読んでつまらないと言う輩とは、多分私は友だちにはなれないだろう(笑)。

 因みに、『蟬しぐれ』の舞台である〈 海坂藩 〉とは実在しない架空の藩で、藤沢周平の故郷山形県の庄内藩がモデルではないかと言われており、他の作品でも(冒頭に挙げた「竹光始末」でも)頻繁に登場する。はっきりと時代を明言していない作品が多いから、「今読んでるこの作品は、こないだ読んだあの作品の、30年後ぐらいかなぁ」などと想像しながら読むのも面白い。

 さてさて長くなったが、とにもかくにも藤沢周平。冒頭でも述べた通り、予備知識なんぞ無くったって心配はご無用である。

 例えば、ロードレースのルールが解らなくても近藤文恵の『サクリファイス』に夢中になった人は多いだろう。4×100メートルリレーを知らなくても佐藤多佳子の『一瞬の風になれ』に興奮を抑えきれなかった人もいるだろう。或いは、ピアノどころか楽譜さえ読めないのに恩田陸の『蜜蜂と遠雷』を一気読みした人も多かろう。

 だから、日本史の点数が悪かったとか、時代背景に不案内だとかいう苦手意識はひとまず措いて、試しに1度、藤沢周平を読んでみて欲しい。そこには、歴史とか社会制度だとか経済だとか政治だとかに関わり無く、ただただ僕たちと同じように、毎日あくせくと働き、心配事を抱え、時にずる賢く、時に優しくなったりを繰り返し、僅かな事で傷ついたり喜んだりしながら毎日を懸命に生きる〈 人間 〉が、ひたすら描かれている事に気付くだろう。

《 いいかげん 損徳(ママ)もなし 五十年 》とは、江戸時代の川柳で、人生五十年と言われていた当時「実際に50年生きてみたら損した事と得した事と半分半分、足し引きゼロだったなぁ」ぐらいの意味だが、藤沢周平の作品を読むといつも、まぁそんなもんだよなと、ほどほどに辛くてほどほどに楽しくて、それぐらいが丁度いいんだよなと、〈 諦め 〉とは微妙に異なる穏やかな気持ちに、いつも決まって僕はなるのだ。



編集後記


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連載四コマ「本屋日和」


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7月のイベントガイド

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# by dokusho-biyori | 2019-07-12 11:01 | バックナンバー | Comments(0)

すてきな日本語


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 近頃、日本語が〝 乱れている 〟と言うよりは〝 荒れている 〟と感じませんか? ちょっと周りを見渡せば、聞くに堪えない野次や言いがかり、誹謗中傷や差別的発言が、すぐに目や耳に飛び込んできます。
 ですが日本語は本来、世界の言語の中でも〈 卑罵語 〉〈 罵詈語 〉の類が少ない言葉だという説を聞いたことがあります。蔑んだりけなしたりといった類の単語が少ない、ということですね。ならば少ない語彙で罵り合うより、相手の心を和ませたり弾ませたり、或いは笑わせたりする方がずっといいとは思いませんか?
 明確な基準があるわけではなく、選書者の好みの問題ではありますが、〝 すてきな日本語 〟が読める作品を集めてみました。
担当:西尾文惠 沢田史郎



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『一握の砂/悲しき玩具』石川啄木

 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
 花を買ひ来て
 妻としたしむ


『永遠の1/2』佐藤正午

 失業したとたんにツキがまわってきた。
 というのは、あるいは正確な言い方ではないかもしれぬが、それはそれでかまわない。第一、なにも正確に物語ることがぼくの目的ではないし、第二、たぶんこちらの方が重要なのだが、ぼくは並外れて縁起をかつぐ人間である。



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『海潮音』上田 敏

 山のあなたの空遠く
 「幸」住むと人のいふ。
 噫、われひとゝ尋めゆきて、
 涙さしぐみかへりきぬ。
 山のあなたになほ遠く
 「幸」住むと人のいふ。


『カンバセイション・ピース』保坂和志

 前川はライトスタンド右端の中段あたりにいて、通路から見上げた私に手を上げ、私は席取りのお礼のビールを売り子から買って、両手にビールを持って階段をのぼっていった。ビールは「ドライ」で二連敗して以来「一番搾り」で、「一番搾り」にしてからは連敗がない。



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『霧のむこうに住みたい』須賀敦子

 夫が死んで、一年とちょっとの月日が経っていた。彼が逝ったそのおなじ夏、重病をわずらった母をみとるため、十カ月ほど日本に帰っていたあと、私はもういちどイタリアで暮らしはじめていた。夫のいないミラノは、ふだんよりはやく秋がきたように思えた。


『草枕』夏目漱石

 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。



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『ケンブリッジ・サーカス』柴田元幸

 横塚さんのおばさんと同じくらい、あるいはもっと頻繁に出くわすのが、永遠の出前おやぢである。自転車で出前を運んでいくラーメン屋の親父さんの、これまで百回は見たと思う後ろ姿を見ながら、あるときふと、(1)出前姿はしじゅう見かけるものの僕はこの親父さんの店自体を知らず、(2)また彼が出前先に到着した姿も見たことはなく、もっぱら自転車で道をとろとろ走っている姿だけ見ていて、(3)もう何十年も見ているのに彼の見かけがいっこうに変わっていない、という諸事実に思い当った。


『幸福は幸福を呼ぶ』宇野千代

 神さまと言うものは、その辺にはいないのである。そんな近まわりに、まごまごしてはいないのである。もっと眼に見えないところに、もっと雲の上のようなところにいるのである。きっと、雲の上のような、凡人の眼の届かないようなところにいるに違いない、と私は思うのである。だから、すぐ身近なところに、気ぜわしく、神さまを探したりしてはいけない。



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『さるのこしかけ』さくらももこ

 私が夫のパンツをはき始めて、かれこれ三年が過ぎようとしている。三年前、夫のトランクスがあまりにもラクそうだったため、試しにはいてみたところ、やみつきになったのである。
 夫にパンツを指摘された私はウヘヘと笑い「いいじゃん。だってラクなんだもん」と言いながら、腰を浮かせてオナラをプーとした。


『山月記・名人伝ほか』中島 敦

 隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。



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『潮騒』三島由紀夫

 若者は彼をとりまくこの豊饒な自然と、彼自身との無上の調和を感じた。彼の深く吸う息は、自然をつくりなす目に見えぬものの一部が、若者の体の深みにまで滲み入るように思われ、彼の聴く潮騒は、海の巨きな潮の流れが、彼の体内の若々しい血潮の流れと調べを合わせているように思われた。


『忍ぶ川』三浦哲郎

 木場は、木と運河の町である。いついってみても風がつよく、筏をうかべた貯水池はたえずさざ波立っていた。風は、木の香とどぶのにおいがした。そして、その風のなかには、目に見えない木の粉がどっさりとけこんでいて、それが馴れない人の目には焚火の煙のようにしみるのである。涙ぐんで木場をあるいている人は、よそ者だ。



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『〆切本』編=左右社

 朝たいてい九時には机に向かう。昼食の時間を除くと、日が暮れて窓のむこうが暗くなるまで腰かけている。しかし、その間、仕事をしているのではない。大半の時間は、机には向かっているが、鉛筆をいじったり、パイプを掃除したり、同じ新聞を何度も何度も読みかえしたりしているのだ。正直な話、私は毎日、イヤイヤながら仕事をしているのである。(遠藤周作「私の小説作法」)


『ジャッカ・ドフニ』津島佑子

 明るい灰色の空はとりとめなくひろがり、灰色の海も静かに平坦にひろがっていた。バスの窓からは、雲に隠された太陽の淡い光がひろびろとした空と海に溶けこみ、浜辺や人家の壁にまで、その光が染みいっているように見える。



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『庶民の発見』宮本常一

 大東亜戦(われわれはこうよんでいた)のおこったとき、私は深いかなしみにとざされた。敗戦の日のいたましい姿が目さきにちらついてならなかった。私にはこの戦争が勝てるとは思えなかった。


『素敵なダイナマイトスキャンダル』末井 昭

 芸術は爆発だったりすることもあるのだが、僕の場合、お母さんが爆発だった。
 最初は派手なものがいいと思って、僕の体験の中で一番派手なものを書いているのであるが、要するに僕のお母さんは、爆発して死んでしまったのである。と言っても、別にお母さんが爆発物であったわけではない。自慢するわけじゃないが、お母さんは、れっきとした人間だった。



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『清兵衛と瓢箪/小僧の神様』志賀直哉

 全く清兵衛の凝りようは烈しかった。ある日彼はやはり瓢箪のことを考え考え浜通りを歩いていると、ふと、目に入ったものがある。彼ははッとした。それは路端に浜を背にしてズラリと並んだ屋台店の一つから飛び出して来た爺さんの禿頭であった。清兵衛はそれを瓢箪だと思ったのである。


『世界はもっと美しくなる』詩=受刑者 編=寮 美千子

 ある警察官は
 僕の父に質問をしました
 「子どもを
 漢字一文字でたとえると
 なんですか?」
 まっ白な紙に
 大きく
 大きく
 書かれた文字は
 「宝」でした
 そのとき ぼくは
 おさえられない
 なにかを感じました



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『そして夜は甦る』原 尞

 秋の終りの午前十時頃だった。三階建モルタル塗りの雑居ビルの裏の駐車場は、毎年のことだが、あたりに一本の樹木も見当たらないのに落ち葉だらけなっていた。私は、まだ走るというだけの理由で乗っているブルーバードをバックで駐車して、ビルの正面にまわった。


『空にみずうみ』佐伯一麦

 そのまま小さな合歓は、抜かれはしなかったものの、二年間ほったらかしのだった。今から振り返ると、柚子も早瀬も、仕事の忙しさや身辺の慌ただしさが増した時期だった。それでも合歓は、その間も、合歓であることを知らせるかのように、葉の軸をはさんで左右に細長い楕円形の小葉を対にして付ける特徴のある葉を伸ばし続けていた。



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『竹光始末』藤沢周平

 ――明日からは飢えないで済む。
 多美や子供の顔を思い浮かべて、丹十郎はそう思ったが、その瞬間、さながら懐かしいもののように、日に焼かれ、風に吹かれてあてもなく旅した日々が記憶に甦るのを感じた。


『旅の理不尽 アジア悶絶篇』宮田珠己

 私は最初にコロンボに降り立った。
 ここは紅茶がうまい。ゴルフェイスホテルで飲んだ紅茶はめっちゃうまく、これはおみやげにもって帰り、みんなを激しく喜ばせてあげようと思い、よーしよーしとたくさん買って帰って自分で飲んだ。



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『小さき者へ/生れ出づる悩み』有島武郎

 小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
 行け。勇んで。小さき者よ。


『テロリストのパラソル』藤原伊織

 目が覚めたのは、いつものように十時過ぎだった。蛍光灯のスイッチをいれ、いつものように窓から首をつきだした。陽のささない部屋の住人が、いつのまにか身につけた習慣だ。ひとつしかない窓からは隣のビルに手が届く。だが、空はみえる。ビルの輪郭にうすく切りとられた空にすぎないが、目に沁みる青さが久しぶりだった。セーターに腕を通し部屋を出た。そんな日には陽射しのなかにいるのも悪くない。一日の最初の一杯にとって、陽の当たる場所も悪くはない。だがなによりそれは、晴れた日の私の日課だった。くたびれたアル中の中年バーテンダーにだって日課はある。



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『透明人間は204号室の夢を見る』奥田亜希子

 今、この瞬間のことを自分は何度も思い出すだろうと、実緒は思った。海がこんなに強く光るものだと知らなかった。波がこんなに儚く砂浜に吸われていくものだと知らなかった。いつかは消えゆくとしても、飴玉を噛まずに舐めきるように、自分はきっとこの記憶をしゃぶりつくす。


『跳ぶ男』青山文平

 その川は藤戸藩で最も大きい川だった。
 にもかかわらず、名を持たなかった。
 正しく言えば、藤戸藩では誰もその名を口にしようとしなかった。
 藤戸藩の領地のあらかたは台地の上に広がっていて、そして、川は台地を形づくる高い段丘の裾を、縁取るように流れていたからだ。



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『流れる』幸田 文

 小路小路はようやく醒めかかっているが、おおかたの二階にはまだ雨戸があり、雨戸には冬の陽が貼りついている。階下の庇は霜どけに濡れてまだ低く沈んでいる。そういうこの一区劃をぬけて電車通りへ出れば、店々ははやしごとに油の乗ったところ、きょうの商売の潮の上げはなといった活気である。


『日本の心』小泉八雲

 いつの日か日本へ行かれるのなら、是非一度は縁日へ足を運ばれるとよい。縁日は夜見るに限る。無数のランプや提灯の光のもと、ものみなこの上なく素晴らしく見える。縁日に出かけてみるまで、日本とは何なのか到底わかるまい。日本の庶民の生活にうかがえる、あの奇妙だがかわいげのある魅力、奇怪だが美しくもあるすばらしさなど想像もつくまい。



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『氷川清話』勝 海舟 編/江藤 淳、松浦 玲

 ちやうど寺町通りで三人の壮士がいきなりおれの前へ顕はれて、ものも言はず切り付けた。驚いておれは後ろへ避けたところが、おれの側に居た土州の岡田以蔵が忽ち長刀を引き抜いて、一人の壮士を真つ二ツに斬つた。「弱虫どもが何をするか」と一喝したので、後の二人はその勢ひに辟易して何処ともなく逃げて行つた。おれもやつとの事で虎の口を遁れたが、なにぶん岡田の早業には感心したよ。後日おれは岡田に向つて、『君は人を殺すことを嗜んではいけない、先日のような挙動は改めたがよからう』と忠告したら、「先生それでもあの時私が居なかつたら、先生の首は既に飛んでしまつて居ませう」といつたが、これにはおれも一言もなかつたよ。


『百年の手紙』梯 久美子

 吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何よりの誇りとしている。僕は若し生まれ替って妻を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しわが子を択ぶということが出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない。君はなお父母に孝養を尽したいと思っているかも知れないが、吾々夫婦は、今日までの二十四年の間に、凡そ人の親として享け得る限りの幸福は既に享けた。親に対し、妹に対し、なお仕残したことがあると思ってはならぬ。(小泉信三が出征する息子に手渡した手紙)



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『ふつうがえらい』佐野洋子

 二、三日前、短編集を読んでいた。十八編あった。次々にずんずん読んだ。読んでいる間中感心したり、ちょっと涙っぽくなったり、わくわくしたりした。もう一気に読んだのね。あー面白かった。と私は本を閉じて大変満足して、もう一度ちょろっと目次を広げた。ぎょっとした。
 十八の短編のタイトルを見ても、何も思い出せない。


『ボタニカル・ライフ』いとうせいこう

 ベランダ園芸という言葉はある。したがってベランダ園芸家という呼称もある、だが、ガーデナーと違って我々の階級には洒落た英語がなかったのである。おかげで、庭もないのにベランダ・ガーデナーなどとひどい語義矛盾がはびこる始末だ。なんだそれは、一体。ベランダなのか庭なのかはっきりしろと迫りたくなる。



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『魔術から数学へ』森 毅

 式を操る術ということなら、ちょっとコツをおぼえてしまえば、どうということもない。だが、それが操れないと、すっかり落ちこぼれた気になって、式の操れる人間なんて異人種であるかのよに思う人もある。


『魔法のことば』星野道夫

 アラスカはアメリカの州の一つにすぎないのですが、とても広く、面積は日本の四倍ほどあります。ほとんどの地域には道がなくて、自分の足で行くしかない。スキーを使ったりカヤックを使ったり、ときには飛行機を使ったりして入っていかなくてはなりません。こういう大きな自然の中にいると、まず最初に思うのは、人間と言うのはなんてちっぽけなんだろうということです。



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『見えない配達夫』茨木のり子

 わたしが一番きれいだったとき
 だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
 男たちは挙手の礼しか知らなくて
 きれいな眼差だけを残し皆発っていった


『名作コピーの時間』宣伝会議書籍編集部

想像力と数百円
新潮社「新潮文庫の100冊」
(一九八四年)ⓒ糸井重里



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『夜明け前 第1部』島崎藤村

 木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。


『羅生門/蜘蛛の糸/杜子春』芥川龍之介

 ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。



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『「吾輩は猫である」殺人事件』奥泉 光

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。吾輩はいま上海に居る。征露戦役の二年目にあたる昨秋の或る暮れ方、麦酒の酔いに足を捉られて水甕の底に溺死すると云う、天性の茶人的猫たるにふさわしい仕方であの世へと旅立ったはずの吾輩が、故国を遠く離るること数百里、千尋の蒼海を隔てたユーラシアの一劃に何故斯くあらねばならぬのか。


『われに五月を』寺山修司

 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

























# by dokusho-biyori | 2019-06-28 15:47 | 開催中フェア | Comments(0)