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ごあいさつ

丸善津田沼店の有志スタッフが発行しているフリーペーパー『読書日和』のブログです。『読書日和』は2011年10月創刊以来、毎月25日を目途に発刊、店頭でお配りしています。尤も、目標通り25日に出た試しは殆どなく、大抵は28日とか29日辺りにずれ込みます。

あくまでもサークル的な活動であって、必ずしも丸善の公式発表・見解を表すものではありません。オフィシャルな発表に関しては丸善ジュンク堂書店のホームページ等をご覧下さいませ。

頂いた質問やご意見などについては可能な限り返信致しますが、全てに対応することはお約束出来かねます。

以上、あらかじめご了承ください。

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# by dokusho-biyori | 2019-12-31 20:29 | ごあいさつ | Comments(0)

19年09月




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オールタイムベスト、という訳ではないけれど――丸善津田沼店 沢田史郎

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 さて、今回は『読書日和』最終号ということで、「もっと読まれたらいいのに」とずっと思い続けてきた作品を紹介したい。

 と言っても、ここで挙げる作品が個人的なオールタイムベストだという訳ではない。そういったものは僕の場合、選ぶ時のノリや気分で軽薄に順位が入れ替わるので、「これこそが私の永遠のベストです!」と固定は出来ない。それでも、何度読み返してもその度に心が揺さぶられる、大好きな作品であるという点だけは断言する。

 という訳で、もっと読まれて欲しい作品その1は、景山民夫の『遠い海から来たCOO』。1993年にアニメ映画になった影響で、そして恐らくは『ドラえもん のび太の恐竜』のイメージも手伝って、ヤングアダルト作品と思われがちだが、歴とした第99回直木賞受賞作。1980年代の南太平洋を舞台に、12歳の少年と彼が保護した未知の生物との、愛と友情、信頼と思いやりが弾ける、最高にエキサイティングな冒険小説だ。

 舞台は南国フィジーのパゴパゴ島。12歳の小畑洋助は、週に3日は本島の学校までジェットスキーで通学し、あとの4日は、学問は海洋生物学者の父・哲郎に、大自然の美しさと厳しさは、2頭のバンドウイルカに教わる、という超贅沢な生活を始めて既に3年。

 物語の端緒となるその日も、ジェットスキーを駆って学校に向っていた洋助は、イルカたちに先導されるようにして寄り道した潮だまりで、奇妙な生物を発見する。アザラシの子どもにしては長い尻尾が変だし、甲羅が無いから亀でもない。無論、魚でもないしトカゲとも違う。では一体これは何ぞや?

 という謎を隠さないといけない類のミステリーではないので明かしてしまうが、要するに、6,500万年前の太古から生き延びてきたプレシオザウルス。洋助が拾った生き物は、その生まれたての赤ん坊である可能性が非常に高いと、父親の哲郎もそう結論付けて、この奇跡の生物が独り立ち出来るまで育ててみようと決心する。但し、哲郎が洋助に課した条件が1つだけ。

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《 だが、これを育てるのは、あくまでも最終的には海へ、野生へ帰すことが目的なんだ。父さんは、これが生物学的にどんなに貴重な資料だろうと、一生を研究室の水槽の中や、水族館のプールで終えるようにしむけるつもりはない 》

 以降、物語の中盤までは、幻想的と言うかファンタジックと言うか、抒情的と言うかメルヘンチックと言うか、とにかく、海の碧と空の蒼のコントラストが際立つ地上の楽園で、〈 ブルー 〉と〈 ホワイトチップ 〉と呼んで可愛がっている野生のバンドウイルカと、飼い犬の〈 クストー 〉も交えて、哲郎・洋助の父子が自分が目にしているものを半ば疑いながらも、〈 クー 〉と名付けた〝 生きている奇跡 〟と少しずつ心を通わせてゆく様子が、ひたすら温かく微笑ましく綴られてゆく(因みにクストーとは、20世紀を代表する偉大な海洋学者の名前です)。

 そこを読むだけでもこの作品を手に取る価値は充分以上にあると約束するが、実はその隙に、パゴパゴ島とは全く別なところで或る大国の野望が進行しつつあり、それが小畑父子と〈 クー 〉を、想像もしなかった危険な境遇に引きずり込んでゆく……。

 と、ここから先の血沸き肉踊るストーリーは伏せておくが、前半のファンタジックな描写と後半の疾風怒濤の展開が「木に竹を接いだようだ」という理由で、直木賞の選考会では結構モメたらしい。そう言われてみれば確かに、物語はちょうど真ん中あたりから、一気呵成に冒険小説の様相を呈してゆき、「木に竹を接ぐ」という形容もあながち的外れとは言えないとは思う。

 だが、である。〝 面白いか、面白くないか 〟それだけを基準に8年間やってきたこの『読書日和』では、そんな技術論的なことは関係ないのだ。

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 だからこそ言おう。めちゃくちゃ手に汗握るぞ、後半は! 読者はただただ、洋助と一緒になってクーとその一族を救いたい一心で、南太平洋の大海原を疾駆している気になるに違いない。それと同時に、人類の――勿論、自分自身をも含んだ意味での――自然に対する傲慢さとか身勝手さには嫌気がさすし、そんな人間どもの小細工などとっくにお見通しだとでも言うような、大自然の逞しさには、畏怖に近い感情を覚えるだろう。

 そして僕がこの小説を推す何よりの理由。それは、こんなにも現実離れしたストーリーであるにもかかわらず、「どこかで生き残っていて欲しい」と大真面目に祈りたくなってしまうという点だ。常識的には、生き残っている訳はない。生存している証拠も無い。だがそれでも読後は、「0.0001%ぐらいの本当に僅かな確率かも知れないけど、もしかしたら、地球上のどこかにクーのような生物がひっそりと生存しているんじゃないか? 絶対にいないと言い切れる程には、人類は海を知らないんじゃないか?」と、そう思わずにはいられない。

 何を夢みたいなことをと、笑わば笑え。生活することに追われて乾燥しきった心に、〝 夢 〟という潤いを与えてくれるもの――。仮にそれが〈 文学 〉の効用の一つであるならば、『遠い海から来たCOO』は、間違いなく第一級の〈 文学 〉であると断言したい。

 皆さんは〈 ディスレクシア 〉という言葉をご存じだろうか? 難読症とか失読症、または識字障害などと訳されることもあるらしいが、その名が示す通り〝 文字が読めない 〟という学習障害の一種らしい。

 そのディスレクシアの少年の成長を描いた、中山智幸の『暗号のポラリス』を、もっと読まれて欲しい作品その2に挙げよう。

 小学6年生の斎賀結望(ユノ)はディスレクシアの持ち主で、学校では《 ユノの辞書に文字はない 》などとからかわれたり、そこまで露骨ではなくても《 読めないってどんな感じ 》と好奇心丸出しで質問されたりしてきた。確かに、《 読めないってどんな感じ 》なのかを、感覚として理解出る人は稀だろう。


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 が、ユノにしてみれば〝 読める 〟ことの方が不思議であって、《 聞くと、読むの、なにが違うんですか 》などと、大真面目に質問したりするのだが、この質問に応えられる人もやっぱり稀に違いない。

 つまりはユノは、そのぐらい〝 フツー 〟とはかけ離れた条件で生きている訳で、そんな彼に今は亡き母親は、ディスレクシアを公表した映画俳優の名前を挙げて《 難読症でもハリウッドスターになれるの 》などと励ましたが、ユノにとっては《 ハリウッドスターにでもならないことにはあなたは無価値だ 》と言われるに等しく、《 ごめんね、ぼく、ばかで 》とひきつった笑顔で応えるのが精一杯だった。

 だが、そんな彼がひょんなことから、九州に在る巨大な電波塔を目指して旅をすることになる。何のために行くのか? 行ったら何が変わるのか? そんなことは分からない。行けるかどうかさえ覚束ない。それでも一つだけ、《 やったことのないことをやってみる 》、その決意に背中を押されて、ユノは歩き出す。

 その旅はユノにとっては、自身との対話を重ねながら、〈 自分とは何か 〉を考える初めての機会になる。そして知る。世の中には、或いは人生には、分からないことや思い通りにならないことが、山ほど待ち受けているということを。相手を理解すること、自分を理解して貰うことが、如何に難しく間違いやすいかということを。そして、〝 正しさ 〟というものが、如何に曖昧でいい加減なものであるかということを。

 そこに気付いた時に初めて彼は、亡き両親が自分に降り注いだ愛情と声援の意味を理解する。かつて母は言った。
《 近くばかり気にするから怖くなるの。遠くを見なさい 》

登山を趣味にしていた父も似たような言葉を口にしていた。
《 まずは見晴らしのいいところに立つんだ。未来まで見渡せそうな、胸のすく場所へ行け。そこで自分の北極星を決めるんだ 》

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 そうなのだ。これまでのユノは〈 ディスレクシア 〉という足元の問題だけをクローズアップして、尻込みしたり諦めたり、或いは頑なになったり殻に閉じこもったりしてきたが、高い所に登って遠くを見るような気持で眺めれば、ディスレクシアなど些細な凸凹に過ぎず、言ってみれば人生の〝 誤差 〟のようなものなのだ。

 そして彼は、タブレットの音読で馴染んだスティーヴン・キングの『IT』になぞらえて、ディスレクシアとともに生きる決意を……いや、決意と言うようなしゃっちょこばったものではなく、恐らくはもっと自然に、心の底から湧き出るような高揚感を自覚する。

《 ぼくに襲い来る問題も、ありふれたものが増えていくんだろう。ディスレクシアはぼくだけのペニーワイズとしてこの先もつきまとってくるんだろうけど、だけど、そいつばかりを怖がってはいられなくなるのだろう 》

 要するに、だ。この作品は、「逆境に見舞われた少年が努力で克服しました~」みたいな能天気な物語では、決してない。むしろ、努力しても克服出来ないこと、頑張っても届かないものが人生にはある、ということを学びながら、ハンデを背負った少年がそのハンデに抵抗するのではなく、背負ったハンデをひっくるめて自分自身を肯定してゆくという、そういう形の〝 成長 〟を描いた、一人立ち小説なのである。

 成人後のユノが、鉄塔までの一人旅を回想して恩師と語らう場面がある。《 片付けられる問題があるっていうのも、悪くないですね 》とその時彼は口にするのだけれど、それは言い換えれば、ディスレクシアには散々苦労させられた半面、だからこそ手に入れることが出来た数多の出会いや経験は何物にも代えがたいという、彼なりの人生肯定の宣言ではなかったろうか。

 物語の最終盤、ユノが、リュックにぶら下げていた星型の反射板を揺らしながら、生まれたばかりの甥っ子をあやすシーン。

《 ほら、星だよ、星があるよ 》
そう言って赤ん坊に笑いかけるユノは、実は亡き父母に向って「ぼくも、星を見つけたよ」と、「だからもう、心配しなくて大丈夫だよ」と、語りかけているように思えてならない。人生の凸凹でつまづいた小さな命が、もう一度起き上がって歩き出す大きな勇気を描いた物語として、中山智幸の『暗号のポラリス』を大いに推したい。


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 そして最後は、高野和明の『幽霊人命救助隊』。人生で一体何度読み返したろう。そして、どれだけの勇気と励ましを貰ったろう。

 主役を務めるのは、青春まっただ中の青年から間も無く古希という老人まで、生まれも育ちもバラバラの4人の男女。これまで一面識すら無かった彼らに唯一共通するのは、彼らが揃って幽霊だということ。しかも死因は皆、自殺。暴力団・八木組の組長、八木剛造――1979年にピストル自殺、享年68。会社経営・市川春男――1988年に服毒自殺、享年43。家事手伝い・安西美晴――1986年に飛び降り自殺、享年24。受験浪人・高岡裕一――2003年に首つり自殺、享年19。

 彼らが出会ったのは、地上と天国の中間地点。草一本生えない荒野のような場所で戸惑っていると空から神様が降りて来て、「お前たちは命を粗末にしたから、天国へは入れてやらん」とのたまった。但し、これから地上に降りて、自殺志願者100人の命を救えば許してやるという。

 斯くして4人は浮かばれない霊となって地上に舞い戻り、7週間=49日というタイムリミットを課されて、人命救助に奔走することになる……。

 いつの間にか「RESCUE」とバックプリントが入ったオレンジ色のツナギを着せられた彼らには、他にも神様から貸与されたらしい装備が幾つか。例えば特殊部隊の暗視ゴーグル様のものは、それをかけると他人の心の揺れが目に見える。問題無くやれている人は普通に映るが、抱えている悩みや苦悩が大きければ大きいほど、その人の姿はブレて見える。自殺を考える程になるともう、顔の判別もつかないぐらいにブレまくる。

 或いは、プロ野球の応援団の如きメガホンは、それを使って生きている人に呼び掛けると、声が聞こえる訳ではないけれど、ほら、〝 ふと気が変わった 〟といったことが誰でもしばしばあるでしょう? あんな風に、思考を誘導することが出来てしまう。

 などと書くと何ともマンガチックな小説だと誤解を招きかねないが、そして事実、思わず声を上げて笑ってしまう描写も数えきれないが、ただの娯楽作品だとナメてもらっては困るでござる。

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 裕一たち4人の幽霊人命救助隊は、自殺したぐらいだから、この世に未練とか後悔とか恨みとかをたくさん抱えて死んでいった。だからこそ〝 浮かばれない霊 〟になったのだとも言えるが、とにかく初めは《 早く成仏して、この心の苦しみから解放されたい 》という一心で、自殺志願者たちを説得していく。

 孤独に耐えかねている老人。仕事で行き詰ったサラリーマン。友だちを作れない大学生。障害を持った子どもを抱えて疲れ果てた母親。イジメの標的にされている小学生。男に捨てられてやけっぱちになっている女性。長患いに希望を失くした病人。うつ病で自分の価値を見失った中年男。借金でにっちもさっちもいかなくなった経営者etc……。

 そうして1人、また1人と、自殺しようとしている人たちを救っていくうちに、彼らはおぼろげながらも理解してゆく。

 自殺の動機は人それぞれである。しかし、《 一つ一つの悩みは小さいのに、全部が複雑に絡み合って 》死を選ぼうとしている点は、不思議と皆に共通しているのだ。或いは《 不確定なはずの未来を、不必要に怖れている 》と言い換えてもいいのだが、とにかく一言で言えば、「何も死ぬことはなかろうに」というような些細な理由で、人はあっけなく自らを死に追いやることがあるということを、何度も目撃して学んでゆく。

 ということは、だ。もしかしたら自分たちだって、〝 何も死ぬことはなかった 〟のではないか?

 その問いに目を向けることは、勿論、辛い作業に違いない。何しろ、今更いくら後悔したところで二度と現世には戻れないのだから。しかし、そんな彼らだからこそ、自殺志願者に向ける言葉の1つ1つに説得力が宿るのだ。

《 丁半博打じゃねえんだ! 結果は二つに一つじゃねえ! 中間っていうものがあるんだ! テメエのやってきたことに白黒つけるな! 六〇点も取れりゃ、御の字だろう! 》

《 哲学者や宗教家よりも、お笑い芸人のほうが役に立つ場合もあります! 》

《 プロペラもジェットエンジンも必要ありません。グライダーになって風が吹くのを待ちましょう! 》


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 それらのアドバイスや激励は、そのままブーメランとなって、4人の救助隊にその都度その都度跳ね返って来る。俺だって、私だって、本当は死にたくなかった。死ぬ必要も無かった。それをあの時分かっていれば……。そんな彼らだからこそ、いや、そんな彼らにしか言えない言葉がある。そう、死んでから後悔しても遅いんだぞっ!

 救助活動を始めた頃は、さっさと天国に行きたい一心だった彼らだが、いつの間にか、自分たちと同じ悲しみを味わう人間を1人でも減らすために、西に東に奔走する。疲労でボロボロになりながら、1人、また1人、更にもう1人と自殺者の心を翻してゆく。

 そして、そろそろ約束の100人救助が見えてきた頃、救助隊のリーダー的存在になっていた元ヤクザの八木が、ぽつりと呟く。《 死のうとしてる奴らが怖れるのは未来だ。この先、いいことなんか何もないと思い込んでる。だがな、誰も預言者じゃねえ。ノストラダムスの大予言だって見事に外れたんだ 》と。その後に飛び出すセリフこそが、この作品の脊梁を貫き通す最大のテーマだろう。曰く

《 未来が定まっていない以上、すべての絶望は勘違いである 》

 禍福は糾える縄の如し、などと言う。人間万事塞翁が馬なんて格言もある。今は不幸せでも、その不幸せが永遠に続くとは誰にも断言できないということだけは、断言できる筈なのだ。

 だから、生活に疲れちゃった人、自分を肯定出来ない人、他人の幸せが妬ましくてしょうがない人、何のために生きているのか分からない人、明日が来るのが怖い人、大切なものを失くして気落ちしている人、夢破れて進む方向を見失っている人、その他とにかく、何かしらの不運や不幸せを感じている人は、1度手に取ってみて欲しい。あなたのその絶望が、ちょっとした勘違いに思えてくるに違いないから。


永野裕介のスクリーンからこんにちは。


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 私を映画好きにした張本人スティーヴン・スピルバーグ。超有名映画監督なので知らない人はいないと思う。超有名で凄すぎる為、あえて話題にもしないこの監督を私に語らせてほしい。

 まず、子どもの頃にテレビで初めて観て衝撃を受けた『ジュラシック・パーク』。絶滅したはずの恐竜を蘇らせ、こんな筈じゃなかったのに~と人間の醜い所と恐竜のカッコ良さが存分に味わえる作品。彼の最も凄い所は〝 観客ファースト 〟で作っている所だと私は思う。他の監督さんも、この事に関しては当たり前だと思っているに違いないが、スピルバーグは群を抜いていると思う。

 1つ例を挙げるとすると、静かな車の中に水の入ったコップがあり、その水の揺れが徐々に強くなりティラノサウルスが登場するシーンがある。彼はおそらく常に考えている。どうすれば観客の心を掴めるか? このシーンの凄い所は、水が揺れ始める描写を子どものリアクションと共に観客に見せる事によって、いつの間にか子どもと同じ感情を抱いてしまっている事です。

 この作品だけではない。彼はその作品の〝 顔 〟を、対象物のリアクションを見せる事によって観客を魅了する。

『E.T.』もそうです。この作品、E・Tの登場を煽りに煽りまくります。あおり運転もビックリの煽り方です(笑)。冒頭からスモークや照明で良い具合に隠し、やっと出て来たと思ったら子どものリアクション。正にここです! このワンクッションが観客の感情を高ぶらせるのです。煽ってからのワンクッション……天才か! と思いましたね。

 で、E・Tよ~く見てみると、ちょっと気持ち悪い造形だと思いませんか? なのに何故あんなに愛されるキャラクターになったのか? 1つは不器用な立ち振る舞いだと思うが、最大の要因はやはり対象物〝 子ども 〟のリアクションだと思う。この作品の主役は紛れもなく子どもであり、子どもに感情移入しやすい様に作られている。ここでも彼は、作品の〝 顔 〟を目立たせる為に対象物を上手く使っていると言いたい。

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 煽るどころか、全貌がほとんど出てこない作品『JAWS』。サメ映画というジャンルを作り出した名作。あのスピルバーグもこの頃は制作費をあまり出して貰えなかったそうで、サメの全貌をほとんど出さず、背ビレとあの音楽で煽るというアイディア! 天才です。

 今やサメ映画の定番を作り出した作品だと思います。現在サメ映画はB級と言われる事が多いが、この作品だけはA級! なぜなら、パニックムービーにありがちな荒い人物描写ではなく、繊細にキャラクターを作り込んでいるからです。特に、主人公のよそ者警察署長が終始板挟み(笑)。島の利益しか考えない市長。個人的な要求を訴える市民。荒くれ者の海男。サメ大好きオタク調査員。この追い込まれた状況でサメを退治しに行くのだから面白いんだな~と。

 今まで、私が思う彼の中心的な娯楽作3作品を紹介したのだが、ほんの一角! 更に、彼は社会派の作品も一級品! 『シンドラーのリスト』、『プライベート・ライアン』など、素晴らしい作品が沢山ある。その中でも大好きなのが『ブリッジ・オブ・スパイ』という作品。

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 この作品の主役は、紛れもなく弁護士役のトム・ハンクスなのだが、個人的に1番輝いていたと思うのが、ソ連のスパイ役のマーク・ライランス。この作品の〝 顔 〟と言ってもいい。彼のお得意の手法は社会派の作品でも健在なのです。恐竜、地球外生命体、サメなど、娯楽作ではヒトではないものを〝 顔 〟にしてきた彼が、トムの対象物として選んだのが、この頃映像世界では無名だったマークでした。そして、マークはこの作品でアカデミー賞の最優秀助演男優賞を獲りました。納得です!

 これまで、映画界の巨匠を偉そうに語ってしまい申し訳ない。改めて彼の凄さを伝えたかった一心で熱くなってしまいました(汗)。来年度末には『ウエスト・サイド物語』のリメイクが公開予定だとか……。きっとまた面白い作品を作り上げる事と思います。なぜなら彼は、エンターテイメント界が産み落とした奇跡そのものだからです!

 最後に、今まで個人的な感想に付き合ってくれてありがとうございました! 読書日和になぜ映画の感想? と思った方もいたと思います。私としましては、映画と本は〝 手軽に楽しめる娯楽 〟 という共通点があると思います。最近では原作本からの映像化の流れも珍しくはありません(個人的にはオリジナルの作品が観たいが)。

 では、映画好きになって20年弱の若輩者オールタイムベストテンです。どうぞ!

⑩横道世之介
⑨クレヨンしんちゃん オラの引越し物語 サボテン大襲撃
⑧THE GUILTY/ギルティ
⑦ヒメアノ~ル
⑥湯を沸かすほどの熱い愛
⑤インターステラー
④ターミネーター2
③シン・ゴジラ
②ジュラシック・パーク
①ダークナイト





《 あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい 》


 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。有名な草枕の冒頭部分だ。その住みにくい世の中に潤いを与え、或いは安らぎを添え得るのが、詩や絵や音楽や映画や、そして文学なのだ。
 本なんて読まなくても生きてはいける。でも読めば、人生にすこしだけ楽しいことが増えると思う。



連載四コマ「本屋日和」

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編集後記

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9月のイベントガイド

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# by dokusho-biyori | 2019-09-18 18:09 | バックナンバー | Comments(0)

19年08月




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フツーの暮らし、その貴重さと困難さ――丸善津田沼店 沢田史郎


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 今から30年ぐらい前、自分の可能性を無邪気無根拠無制限に信じていた頃、顔に疲れを滲ませて電車で眠りこけるサラリーマンを見て、一体、何が楽しくて生きているんだろう? と疑問で疑問でしょうがなかった。朝起きて満員電車に詰め込まれて会社に行って、疲れ果てて帰宅したら飯食って風呂入って寝るだけ。そんな山も谷も無い単調な生き方は、俺は絶対御免だぞ。そう固く心に誓っていた。

 勿論、今の僕に言わせれば、そういう一丁前のことは自分で稼げるようになってから言え、な訳である。かの森鴎外は《 一々のことばを秤の皿に載せるような事をせずに、なんでも言いたい事を言うのは、我々青年の特権だね 》なんて言ったようだが(『青年』岩波文庫ほか)、生きていく事の厳しさも難しさも怖さも危うさも知らねー癖に笑わせんなよ、と思う訳だ。山も谷も無く平穏無事に暮らしていくという事は、20歳になるかならないかの青二才が考える程には、簡単でもないし当たり前でもないのである。

 いきなり何を言い出すのかと訝しまれるかも知れないが、『たそがれ清兵衛』である。

 いや、先月号で紹介した新潮文庫ではなく、山田洋次が監督して、真田広之と宮沢りえが主演した松竹映画の方である。読書日和で紹介するのに藤沢周平を何冊か読み返して、「やっぱりいいなぁ」と感動を新たにしたその勢いで、映画の方も十数年ぶりに観たら心が震えまくって、2日連続で3回も観てしまった。

『たそがれ清兵衛』というタイトルではあるけれど、映画の方は新潮文庫の『たそがれ清兵衛』に収録されている「祝い人助八(ほいとすけはち)」がベースである。そこに「たそがれ清兵衛」と「竹光始末」(新潮文庫『竹光始末』所収)を織り込んだストーリーになっており、そういう点では藤沢周平原作と言うよりも〝 原案 〟と言った方が良さそうだが、その3作のブレンド具合が絶妙で、好きな作品の映像化にはどちらかと言うと否定的な僕も、この作品だけは断固推す。

 といったところで前置きはおしまいにして、作品の紹介に入りたい。


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 時は幕末。舞台は今で言う山形県庄内地方にあったとされる架空の藩、7万石の海坂藩。主人公の井口清兵衛は禄高僅かに50石と言うから、武士は武士でもかなり下っ端の貧乏侍。その上、労咳(結核)で長患いしていた女房の医者代と薬代で借金が嵩み、台所は火の車。

 その女房が亡くなった後は、2人の幼い娘と呆けが進みつつある老母を抱え、城勤めが終わると炊事洗濯、内職の虫かご作り、非番の日には庭に作った畑の手入れと休む間もなく働いて、何とか糊口を凌いでいる具合。身だしなみに構う余裕も無くて、身に着けているのは常に、垢じみた羽織と折り目も定かではない袴。月代(さかやき=ちょんまげ頭のてっぺん、髪の毛を剃った部分)には、剃り残した毛が雑草のように不揃いに伸び始めている。当然、酒席になんぞ付き合うヒマも金も無く、たそがれ時になるや否や家路を急ぐ姿から、同僚からは〝 たそがれ清兵衛 〟などとあだ名されて軽んじられている。

 といった人物設定は、小説「たそがれ清兵衛」と「祝い人助八」のミックスだ。因みに〝 祝い人 〟とは、庄内地方の方言で物乞いのこと。つまりは、物乞いの如く汚らしい身なりの助八、という意味。


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 映画では、清兵衛がカツカツの暮らしの中で、例えば早春の河原で娘たちと蕗のとうを摘み、夜は遅くまで囲炉裏端で内職に励むといった、まさしく山も谷も無い毎日を送る様子が、派手な演出も無く静かに綴られてゆく。その様子には役所の同僚、上司はおろか観ている我々でさえも、「清兵衛は一体何が楽しくて生きているんだろう?」と、憐憫とも同情ともつかない沈んだ気持ちにさせられる。

 が、清兵衛自身は、どうやら自分の暮らしにそれほど不満を感じていた訳ではなさそうなのだ。

 或る時、清兵衛の不甲斐ない暮らしぶりに業を煮やした本家の伯父が、彼の再婚話を強引に進めようとする場面がある。しかし清兵衛は彼にしては珍しく、言葉を濁したりせずはっきり「否や」を口にする。

《 おんさま(伯父さま)、お言葉返しますども、私はこの暮らしを、おんさまが考えておられる程みじめっては、思っておりましね 》

《 二人の娘が日々育っていく様子を見ているのは、何て言うか、例えば畑の作物や草花の成長を眺めるのにも似て、実に楽しいものでがんす 》

 恐らくこれが、この映画で最も重要なセリフの1つだろう。

 井口清兵衛は、確かに恵まれてはいない。内職の手間賃を上げてくれるように、商人にまで頭を下げるほど困窮している。その上、出世の見込みも無く、名声や称賛とも無縁である。


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 だが彼は、恵まれてはいなくとも、満ち足りてはいたのではないか。時には米櫃の底が見えるほど貧しい暮らしの中で、長女が論語の素読をする様子に頬を緩め、花を咲かせた庭のツツジに眼を細める。そういった陳腐で凡庸な暮らしを、清兵衛は何物にも代えがたいと感じていたのではないか。

 そんな井口家の暮らしに彩りを添える存在が、不意に現れる。清兵衛の幼馴染であり、今も変わらぬ友情で結ばれている飯沼倫之丞の妹、朋江である。数年前に嫁入りしたものの事情あって離縁となり、飯沼家に戻っていた彼女の、ちょっとした危難を清兵衛が救ったことから2人は静かに距離を縮めていく。清兵衛の娘たちも朋江によく懐き、辛気臭かった井口の家は梅雨が明けたかのように一気に明るくなるのだが……。

 取り敢えず、この朋江役の宮沢りえがいやはや綺麗だ。昔、まだ10代の頃に初めて『ローマの休日』のオードリー・ヘップバーンを観た時に、「こんな美しい人がこの世にいるのか!?」と度肝を抜かれたが、『たそがれ清兵衛』の宮沢りえも、ヘップバーンに引けを取らない美しさ。日本髪もよく似合う。

 その朋江は、映画の中で2度ほど涙を流すのだけれども、その2回のどちらもが、この映画にとって絶対に無くてはならない大事なシーン。1度目は、呆けてしまった清兵衛の母親に《 あんたはんは、どちらのお嬢さんでがんしたかの? 》と訊かれた直後。

《 はい、わたくしは、清兵衛さんの幼馴染の朋江でがんす 》

と答えるのだけれども、セリフの語尾には、抑えようとしても抑えきれない嗚咽が重なってゆく。この時、どうして彼女が泣いたのか、それを書いてしまっては野暮の誹りを免れないので1つだけ。朋江は、〝 幼馴染 〟以外の答えを本当は言いたかったに違いなく、それまでの清兵衛と朋江の心の交流を見てきた我々は、「神様、そりゃあんまりだろう」と、彼らの非情な運命に切歯扼腕せずにはいられない。

 そして2度目の落涙はラストのちょい手前。何を憚ることもなく号泣する朋江の心の内には様々な感情が渦を巻いている筈で、それを一言で言い表す事は出来ないが、諦めていたフツーの暮らしが戻ってきたという安堵も、少なからず混ざっている違いない。


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 そんな訳で、恐らく清兵衛も朋江も、大それた贅沢など決して望んではいないのだ。フツーに寝起きして、フツーに働いて、フツーに家族の世話をする。そういった当たり前の暮らしを続けることの貴重さも困難さも、2人は体験的に知っているのだ。

 そう、若い頃の僕が忌み嫌った山も谷も無い単調な人生。その大切さをこの映画は、声高にではなく、静かに気付かせようとしてくれているのではないか。

 その意味では、エンドロールで流れる井上陽水の『決められたリズム』も、意味深な選曲だと思う。

《 ♪ 起こされたこと 着せられたこと 凍えつく冬の白いシャツ 急かされたこと つまづいたこと 決められた朝の長い道 》

 初見の時には「なんでこの曲?」とかなりの違和感を覚えたのだが、今回〝 フツーの暮らし 〟をキーワードにして観てみると、学校での日常を淡々と歌う歌詞が「そういうありふれた毎日にこそ、大切なものはあるんだよ」とでも言っているようで、これはこれで映画に寄り添っているように思えるのだがどうだろう?

 蛇足の蛇足になるけれど、映画と陽水と言えば『少年時代』にも触れない訳にはいかないだろう。原作:藤子不二雄Ⓐ、監督:篠田正浩、脚本:山田太一。戦時中の藤子不二雄Ⓐの疎開暮しの経験を描いた、あの地味で素敵な感動作のラストのラスト、ここ以外に無いという絶妙のタイミングで、陽水の『少年時代』が流れ出した瞬間に、それまで堪えていた涙腺が一気に決壊したのは、賭けてもいい、決して僕だけではない筈だ。


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 閑話休題。映画『たそがれ清兵衛』に話を戻す。時代劇だから当然ながら、当時の武家言葉だけでなく、庄内地方の方言も頻出する。時には意味が解らないセリフもあるだろう。だが、そんな事は些事である。気にせずに、役者たちの声音と表情に集中して欲しい。時代ものの初心者だろうが、恋愛ものが苦手だろうが、きっと胸に溢れてくるものがある筈だ。その後は是非、原作の小説にも手を伸ばして欲しいと思うのだ。

 さて実は今月は〝 フツーの暮らし 〟の大切さをテーマに本を紹介しようと思っていて、映画の紹介はその前振りのつもりだったのだが、思いがけずに力が入り過ぎて予定の字数を相当にオーバーしているのでここからは駆け足。

 髙田郁と言うと時代小説のイメージが強いが、『ふるさと銀河線』は現代を舞台にした短編集。

 9つの短編には、リストラで失業したことを家族に打ち明けられず、内房線と外房線を乗り継いで、出勤から帰宅までの時間稼ぎをするサラリーマンがいる。故郷を捨てて都会に出ることに罪悪感を抱く受験生がいる。「客は味など期待していない」と孫にバカにされながら、駅の立ち食い蕎麦屋を切り盛りする男性がいる。

 登場する老若男女は誰もが皆、人生の交差点で迷ったり臆したりしながら〝 フツーの暮らし 〟を取り戻そうと四苦八苦する。

 例えば、アルコール依存症を克服しようと、懸命の努力を続ける女性がいる。仮に1年間の断酒に成功しようとも、僅か1口の酒で全てが水泡に帰してしまう病気。自らの健康だけでなく、周りの人々の心をも傷つけてしまうその病気との闘いを、彼女はこんな風に述懐する。

《 明日は飲んでしまうかも知れない。けれど今日は飲まない。そんな「今日」を積み重ねて行こうと思うのです 》

 彼女が言う〈 そんな今日 〉こそが、『たそがれ清兵衛』の清兵衛や朋江が渇望した〝 フツーの暮らし 〟のありふれた幸せなのではなかろうか。そして〈 そんな今日 〉を維持する事の困難さと尊さを9編全てに於いて、じんわりと胸に沁み込ませていくという点で、この短編集を、髙田郁の代表作の1つに挙げたいと思う。


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 この流れで薬丸岳の名前を出すと意外に思われるかも知れないが、デビュー作『天使のナイフ』の檜山が幼い娘との平凡な日常を必死に守ろうとしたように、実は彼の作品には、〝 フツーの暮らし 〟を続けることの有り難さに気付かせてくれるものが非常に多い。そんな中で今回は『友罪』を紹介してみたい。

 小さな町工場に住み込みで就職した益田純一。同僚の鈴木秀人は無愛想でとっつきにくく、職場では浮いている存在だが、益田とは入社日が同じだったこともあり、少しずつ言葉を交わすようになっていく。その鈴木は或る時、工場の事務員の藤沢美代子を助けたことから親しくなっていくのだが、同じ頃、益田は、鈴木に対してある疑念を抱くようになる。鈴木は、14年前に世間を震撼させた少年事件の犯人なのではないか……。

 といった幕開けの本書は、薬丸岳らしく〝 罪と償い 〟がテーマなのだが、同時に〝 フツーの暮らし 〟を手に入れたくても手に入れられない三人の男女の、諦めと再出発の物語でもある。と言うのも、実は鈴木だけでなく、益田も美代子もそれぞれに消したくても消せない過去を引きずっており、その為に、世間から隠れるような生活をしながら、ありきたりの幸せすら諦めている。

 それを自業自得と切り捨てる事は簡単だろう。だが、1度でも道を間違えたら、〝 フツーの暮らし 〟を送る資格は無いのだろうか? 1度も間違いを犯した事がない人間など、果たしてこの世にいるのだろうか? 僕らは皆、何度も間違いながら、色んな人を傷つけながら生きているのではないか?


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 勿論、取り返しのつかない間違い、というものはある。だが自分が過去に犯した間違いは〝 取り返しがつく 〟と、誰が保証出来るだろう? かつて自分が傷つけた誰かの傷口は未だに塞がっていないのに、自分が知らないだけかも知れないではないか。だとしたら、〝 フツーの暮らし 〟を諦めた益田たちだけが自業自得だとは、果たして言い切れるのだろうか?

 薬丸岳には『誓約』という作品もある。今は幻冬舎文庫になっているが、単行本発売時の帯の惹句は《 一度、罪を犯した人間は、幸せになってはいけませんか 》というものだった。無論、被害者側の視点に立てば、冗談じゃないと言うところだろう。人の幸せをぶっ壊しといて何言ってんだ、と。

 だが、『友罪』の益田は、鈴木に言う。

《 そして、被害者のご遺族や世間の人々からの批判を承知で言うなら、きみのこれからの人生の中でときには楽しいことや、うれしいことがあってほしいと思っている。/きみが生き続けていくことが、さまざまな人と出会い、いろいろな経験をすることが、自分が奪ってしまったかけがえのない大切なものを知ることになると思うから 》

 そんな訳で『友罪』は、罪と償いの問題を掘り下げた社会派小説であると同時に、〝 フツーの暮らし 〟が如何に簡単に壊れるか、そして一度壊れてしまったそれを取り戻すのが如何に難しいかを、鑿で刻み込むような筆致で描いた作品であると結論したい。

 そして〝 フツーの暮らし 〟を叩き壊す最たるものと言えば、戦争だろう。その話になると僕は、帚木蓬生の『ヒトラーの防具』を挙げずにはいられない。

 東西ドイツの統一成った直後、旧東ベルリンのどこだかの建物から《 贈 ヒトラー閣下 大日本聯合青年団 皇紀二千五百九拾八年四月 》と記された、剣道の防具が発見された……という冒頭はどうやら事実らしく、ただ、何でそんな物がそこに在ったの? ってのは謎のまま。そこを、帚木蓬生が、恐らくは相当な取材と想像力で補って、〝 あったかも知れない第二次大戦史 〟を、熱く激しく物語化した大作。


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 舞台は風雲急を告げる1938年のヨーロッパ。主人公の香田青年はベルリンの武官事務所に勤める陸軍中尉。赴任した当初はガチガチのヒトラー信奉者で、謁見して言葉を交わした時の事を《 立っているだけで、すっと惹き寄せられていくようでした 》などと述懐する(当時、生粋の軍人、特に陸軍の若手の中では、こういった思想傾向は珍しくなかったらしい)。

 しかし、次第に戦時色が濃くなるベルリンで半年、1年と暮らす内に、香田は、ヒトラーとナチスの政策に疑問を覚えるようになる。

 きっかけは、精神科医としてミュンヘンの病院に勤める兄だった。彼を訪れて久し振りの兄弟再会を祝した直後、香田は今、全ドイツの病院で行われようとしている計画を聞かされて愕然とする。遺伝病や精神病の患者を安楽死させ、病院を閉鎖し、その分の予算を軍需に回す。従わない医師は反逆者として逮捕する……。処分される病人の家族から文句は出ないのか? と問う香田に、兄は答える。

《 こんな風に社会全体が考えるようになったら、家族だってそう大きな声で反対を唱えようがないのだ 》

 そして1938年11月9日の〈 水晶の夜 〉が訪れる。軍人や警察だけでなく、多くの民間人が、ユダヤ人の商店を襲いシナゴーグを焼き、罪も無いユダヤ人たちが理由も告げられずに逮捕される。

 この暴動を皮切りに、悪名高きホロコーストが吹き荒れることになるのだが、そんな時に香田は、ものの弾みのようにして、1人のユダヤ人を保護してしまう。勿論見つかれば、ヒルデというその女性もろとも、香田の命も無い筈だ。すぐにゲシュタポなり何なりに突き出せば、香田自身は事無きを得るだろう。が、そうするには既に彼の中で、ナチスに対する不信は際限も無く膨れ上がっており、命がけで彼女を匿う決心をする。


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 その後は僕らが歴史で習った通り、敗色が濃くなるドイツ国内で、国民の窮乏や爆撃の凄惨さ、そしてユダヤ人狩りの苛烈さが増してゆく訳で、その中で懸命に生き延びようとする香田とヒルデの絆が強いだけに、「戦争など無ければ、2人は平凡に結婚して、子どもを産んで、晴れた日には公園に散歩に出かけ、給料日にはちょっと高めのワインで乾杯して、時には隣人のオーボエ奏者・ルントシュテット氏にコンサートに招かれたりして、〝 フツーの暮らし 〟を謳歌したに違いないのに……」と、何の罪もないのにどんどん追いつめられてゆく2人が悲しくて可哀そうで、とてもじゃないが冷静には読み進められない。

 当たり前の事だけど、ほんと戦争ってろくでもないと思う。一説によると、有史以降、全地球上に一切の戦争が無かった日は10日に満たないのだという。戦争なんて、皆の〝 フツーの暮らし 〟を叩き壊すだけなのに、なぜ無くならないのか?

 物語の中に、香田のこんなセリフが出てくる。

《 戦争をする人間の底にあるのは偏見と差別です。自分たちの民族と集団が他のそれよりも優れていると思うところに、戦争の芽が生じます。そして戦争になれば、その芽がぐんぐん伸び、青空を覆いつくすまでにはびこってしまうのです 》

 個人レベルでも国家間の次元でも、ギスギスした雰囲気が日ごとに増して、独善と不寛容がじわじわと世界を覆い始めているように感じる昨今、この『ヒトラーの防具』がもっともっと読まれたらいいのにと、切に願う。



永野裕介のスクリーンからこんにちは。


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 新海誠ここにあり! 夏に青春感じないでいつ感じるの? 今でしょ! 迷いがないボーイミーツガール作品でした!

『君の名は。』を大ヒットさせた新海監督のプレッシャーは凄いものだったと思う(汗)。普通なら逃げたくなる。しかし、今作逃げてません! 豪速球の作品です。豪速球ながらも繊細で、新宿を始めとする東京の作画、空・雨の描写、キャラ造形、音響・曲のタイミング、物の使い方全てが素晴らしかった。雨の描写は過去作『言の葉の庭』でも素晴らしかったが、今作は気象監修に雲研究者の荒木健太郎さんが入った事で更に説得力が増している。

 説得力という点では、新宿歌舞伎町の作画がリアル。少し綺麗過ぎた感じもするが、とにかくリアルで細かい。作画の再現度が高いからこそ、ファンタジーの説得力も増している。青春ド真ん中のキャラ造形も抜かりがない。主人公の男の子が、無計画で新宿に来てもがく様子なんか特に堪らない! 更に持ち物の中に『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の本。嫌でも深読みしちゃいます(笑)。

 そして、前作でも効果絶大だった音楽にはRADWIMPS。今作も最高の効果をもたらしてくれています。個人的には今作の方が作品に寄り添っている気がした。特に、最高のシーンで流れる『グランドエスケープ』という曲は涙腺が崩壊すると思いました(笑)。この曲、ボーカルとして三浦透子さんという方を起用しているのだが、これが正にどハマリ! 野田洋次郎さんの世界観を見事に体現して、素晴らしい化学反応を起こしている。

 個人的には『君の名は。』より好きだし、今年最高のアニメーション作品だと思っているのだが、ネットのレビューなどを見ると批判的な感想もチラホラ。それも分かる。なぜならこの作品、特大ホームランしか狙っていないからです! 多くのクリエイターが振りたくない球を新海監督は『待ってました!』と言わんばかりに振り抜いている。なので、観た感想が三振の人の意見も理解出来る。只、私のように刺さる人はきっといる! と思いたい。

 今月は、もう1本アニメーション作品で刺さった作品がある。『トイ・ストーリー4』である。驚きのストーリーでした。前作で綺麗に完結したのに『また!?』と思いました。が、すみません……ダントツで面白かった! 内容も子ども向きというより、大人向きだと思う。なぜなら、自分の引き際どうする? みたいな内容だからです。ウッディの決断とバズのセリフに、40代くらいの人たちはジーンとすること間違いなし!




《 太陽の光の七つの色。それはいつもは見えないけれど、たった一筋の水の流れによってその姿を現す。光はもともとあったのに、その色は隠れていたのだ

 カンカン照りの夏の庭。ホースで水を撒いたら現れた虹。ホースの角度をちょっと変えるだけで、虹は見えたり見えなくなったりする。その様子を見て、小学六年生の主人公は静かに考える。《 たぶん、この世界には隠れているもの、見えないものがいっぱいあるんだろう 》と。美しいものにしろ、そうではないものにしろ、〝 今見えているものが全てではない 〟と知っておくのは、多分とっても大事な事。



編集後記

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連載四コマ「本屋日和」

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8月のイベントガイド

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# by dokusho-biyori | 2019-08-04 21:14 | バックナンバー | Comments(2)