14年05月

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『諦める力』為末大
プレジデント社 9784833420488 ¥1,500+税
 耐える人生か。選ぶ人生か。人は他者にある程度評価されなければ、自分の価値を感じられない生き物である。世の中に認められたくても現時点では認められていない人に、「きみは今だってオンリーワンだよ」と言ったところで何の慰めにもならないだろう。(プレジデント社HPより)
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 本書の冒頭に、「諦める」という言葉の語源が「明らめる」である、との記述がある。仏教では物事の道理を「明らかにする」という、かなりポジティブな言葉であるそうな。
 また、巻末の「おわりに」の項では、【前向きに、諦める】という不思議な言葉が登場する。【いくら努力しても鹿が犬になることはできない】、【自分は、どこまでいっても自分にしかなれないのである】と。
 そして、タイトルが『諦める力』である。一体、ポジティブなんだかネガティブなんだか判断に迷う本ですが(笑)、「逃げ」や「挫折」といった負のイメージが付きまとう「諦める」という行為を、よりよい選択をする為の手段として捉え直す、といった文脈のエッセイです。

 例えば、高度成長期と比べて生き方も働き方も多様になった=選択肢が増えた現代に於いて、【仕事も諦めない、家庭も諦めない、自分らしさも諦めない】というスタンスが、却って幸せを遠ざけているのではないか、と為末さんは言う。また、流行りのソーシャルネットワークの影響で、かつてなら程々の幸せを実感できていた筈の人たちが、「あの人に比べたらそうでもないかも」などと、無駄にがっかりしたりしてはいないかとも述べた上で、こんな提案をしている。

【何か一つだけ諦めないことをしっかりと決めて、残りのことはどっちでもいいやと割り切ったほうが、幸福感が実感できるような気がする】

どうでしょう? 陸上短距離の100メートルを「諦め」て、400メートルハードルで日本記録を作った為末さんに言われると、実に説得力がありはしませんか?

 或いは、近年殆ど信仰のようになっている「オンリーワン」志向についても、釘をさす。自分らしくと言われても、では何が自分らしいのかはっきりと解っている人がどれぐらいいるのか? 自他ともに「オンリーワン」であると言い切れる人が、世の中に一体どれだけいるのか? と。そして、こう言う。

【僕は人間なんてみんな一緒で個性なんてないのだから、何者かになる必要なんてないと言われたほうがほっとする】

 もしかすると本書は、読む人によっては――いわゆる自己実現を叶えて世間から勝ち組などともてはやされているような成功者が読むと――負け犬の遠吠えにしか聞こえないのかも知れない。けれど、人はいつかは負ける。何を以って「負け」とするかは措くとしても、永遠に勝ち続ける人生というのは多分、無い。そんな時に、「頑張っても無理なことはある」ということを体験的に知っていて前向きに「諦める」ことが出来る人とそうでない人は、這い上がる力に大きな差がでるのではなかろうか。実際、引退してからの人生に於いては、勝った記憶よりも【負けを受け入れ、そこから立ち直ったこと、勝負に負けたことくらいで傷つかなくなったこと】の方が、力になっていると為末さんは言う。そして更にこう続ける。

【人生は長く勝負は無数にある。負けない工夫より、負けにふてぶてしくなるほうが最後は強い】

 人生にも世の中にも、努力だけではどうにもならないことは無数にある。何か一つ本当に大切なものをきちんと大切にする為に、その他のどうにもならないことは「諦める」。それは逃げでも挫折でもなく幸せへの第一歩ではないかと考えたら、生きるのがちょっとラクになりはしませんか?(沢田史郎)

『ディア・ライフ』アリス・マンロー/小竹由美子 訳
新潮社 9784105901066 ¥2,300 + 税
 チェーホフ以来もっとも優れた短篇小説家が、透徹した眼差しとまばゆいほどの名人技で描きだす、平凡な人びとの途方もない人生、その深淵。引退を表明しているマンロー自身が〈フィナーレ〉と銘打ち、実人生を語る作品と位置づける「目」「夜」「声」「ディア・ライフ」の四篇を含む全十四篇。(新潮社HPより)
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先日、短編作家で初めてノーベル文学賞をとったアリス・マンローの最後の作品(ご本人がこれを最後に絶筆を宣言していらっしゃる)。
短編といえどずっしりと読み応えのある十四編です。
どれもとある人たちのとある人生を切り取ったものと言える。

『ディアライフ』というタイトルがまず好きですねぇ。
最終話からつけたこのタイトルが、作品のすべてを表しているような気がします。
愛しい人生、、、というふうでしょうか。晩年にふりかえって見ているようなニュアンスがあります。親愛なる人生へ、、、と訳すと手紙のようにも。
ただどの話もわくわくと楽しいものではないです。どちらかというと、後悔や取り戻せない時間への思慕にあふれています。
小さなすれ違いや、ふとした偶然の出来事が何かを決定的に変えてしまう瞬間。
そういう瞬間を見逃さず、自然に丁寧に綴っています。
でもその瞬間は一瞬だけ焔のような熱を持って、燃えるようなのです。ほんの一瞬だけ。

わたしが好きだったのは二話目「アムンゼン」
カナダの北のほうへ教師として配属された女が、そこの医師と関係を持ち婚約をするのだけれど、直前になって破棄されてしまうという話。
冒頭部分の北国の描写が果てしなく美しくて、キンという寒さの音が聴こえてくるくらい静かな世界が広がっていました。
そこで出会う一人の風変わりな少女。いつの間にか懐かれていることにとまどいながらも気になる存在に。
反対にその子を邪見に扱う医師に不信感を持ちつつも、結婚という甘い響きから逃れられなくなっていきます。
そうならざるを得なかった時代でもあったのでしょう。
その描写がまた巧みで、ものすごくやるせなかった。

それから表題作「ディアライフ」もいい。
自伝的要素もあるというこの作品はラストが素晴らしいです。
最後の行だからここには書かないけれど、この一文を読んで、ふか~くため息。
長く深い人生経験が書かせた言葉だなぁと感じる重みがそこに。
多くは書かずとも、一文だけですべてを表してしまうくらいの力があるんだよなぁ。
本当にしびれた。

マンローは年老いてから読むと、また見え方が変わりそうです。
その日までに他の本もそろえ、楽しみに待つようにしよう。
また楽しみが増えたぞ、、、、、(ってどんだけ増やす気だじぶん、、、)(酒井七海)

『さようなら、オレンジ』岩城けい
筑摩書房 9784480804488 ¥1,300 + 税
 オーストラリアの田舎町に流れてきたアフリカ難民サリマは、夫に逃げられ、精肉作業場で働きつつ二人の息子を育てている。母語の読み書きすらままならない彼女は、職業訓練学校で英語を学びはじめる。そこには、自分の夢をなかばあきらめ夫について渡豪した日本人女性「ハリネズミ」との出会いが待っていた。第29回太宰治賞受賞作。(筑摩書房HPより)
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この本が芥川賞の候補作になったとき、改めて巻かれた帯に
『こんな小説をずっと読みたかったのだ』という小野正嗣さんの言葉が入った。
そう! そうなのだ。
わたしも本当にそう思った。
こんな小説を読みたかった。読めてうれしかった。

ここにあるのは飾りのない、生身の人間。
生きるため、一人でも立ち向かう女たち。
しかも言葉の通じない世界で。

ふと考えた、、、母国語とそれ以外の言語とは、、、
いくら私たちが一生懸命、例えば英語を習い、獲得してたいがいのことが言えるようになったとしても、それはやはり外国語であって母国語ではない。
母国語とは単なる言語以上のものがあるように思う。
ときに武器になり、盾になり、わたしたちを支える壁になる。そして何よりバックグラウンドとなって歴史になってゆく。
外国で生きるというのは、そういうものを捨てるということだ。想像すると真っ暗な穴の中で綱渡りしているような毎日に思える。
いや、大げさみたいだけど最後の最後、窮地に立ったときに隠し持った武器があるかないかでは、心の保ち方がまったく違うと思うのだ。

この物語はサリマ、ハリネズミ、オリーブという外国で暮らす三人の女性が登場人物。
精肉工場で働くサリマがシャワーの中で涙をながす場面から始まる。涙はシャワーとまざって落ちてゆくけれど、頬をつたう温かさではっきりとシャワーの水と区別できる。その悲しみは彼女の中でくっきりと輪郭を持っている。
英語学校のクラスには、サリマがハリネズミとオリーブと名付ける日本人と思われる子とイタリア人の夫人が出てくる。
サリマとハリネズミがこれから人生を踏み出していくのに、四苦八苦しているのなら、オリーブは人生の終盤に差し掛かって、静かになっていく空白の時間をもてあましている人だ。
三人はつかず離れず、一定の関係を築く中で、お互いの悲しみや孤独の部分が共鳴し合い惹かれ合ってゆく。
だけど彼女たちはそれに負けてしまったりはしない。それぞれのやり方で助け合いながらたくましく受け入れて飲み込んでゆく姿が途方もなくかっこいい!
飾り気のない無骨とも感じられる文体も、強くシンプルな想いが伝わってきた。

物語にはちょっとしたしかけがある。最初は誰が誰なのかがよく分からないのだ。ところどころに誰かが書く手紙が出て来て、ん、、、?となる。
でも徐々にわかってきて最後はあぁ、そういうことだったのか! とぽんとなる。
しかけはいらなかったという人もいるだろうけど、私はとても面白く感じた。
こういう仕掛けを作ることで二重三重の見方ができるし、俯瞰もできる気がするので。

ラスト、銀色の車体にオレンジ色が映り込む様は、映画のワンシーンのように美しく、またそれに決別してゆく想いを乗せていくようで胸がふるえた。
間違いなく傑作! (酒井七海)

『だれも知らない小さな国』佐藤さとる
講談社文庫 9784062767989 ¥552 + 税
 びっくりするほど綺麗なつばきが咲き、美しい泉が湧き出る「ぼくの小山」。ここは、コロボックルと呼ばれる小人の伝説がある山だった。ある日小川を流れる靴の中で、小指ほどしかない小さな人たちがぼくに向かって手を振った。うわあ、この山を守らなきゃ! 日本初・本格的ファンタジーの傑作。(講談社HPより)
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 一番最初に読んだのは確か小学四年生の頃だったから、考えてみれば、この物語の主人公が初めてコロボックルを見かけたのとちょうど同じ年頃だったという訳だ。「コロボックルは本当にいるかも知れない。僕も探しに行きたい」みたいな内容の読書感想文を書いた記憶がある。おぼろげとは言え、三十数年も前に書いた感想文を覚えているというのは、当時、よほど感銘を受けたということなんだろう。勿論いくら子どもとは言え、作り話だと分かってはいた。分かってはいたけど、百パーセント嘘だとはどうしても思えず、読み終わった後しばらくは、通学路の脇の草むらや校庭の端の花壇の中や夜眠る前の部屋の隅を、いつも気にしながら生活していた。
 何しろコロボックルは用心深くてすばしっこいんだ。今まで誰も見つけられなかったとしても、それが「いない」という証拠にはならないぞ。それに大人は不思議なことは信じないから、運よくコロボックルの姿を見たとしても、自分の目よりも「いる訳がない」という常識の方を信じて目の錯覚で済ませてしまうに決まってる。シーラカンスだって、人に見つからずに何億年も生きのびてきたんだ。コロボックルだって、もしかしたら本当にどこかにいるかも知れないぞ。そのどこかが自分のすぐ近くでないとは言い切れないぞ。もし見つけたら絶対に発表なんかしないし、誰にも内緒にして仲良くする決心なんだから、怖がらずに出て来てくれないかなぁ。
 と、当時この作品から貰ったわくわくするような高揚感を――まだ子どもだったからこれほどロジカルに考えていた訳ではないだろうけど――今の自分の言葉で説明するとこんな感じだと思う。しかもその高揚感は、四十を越えた現在でも僅かに続いているような気がする。
 そして、それこそがこの作品の一番の魅力なんだと思うのだ。一言で言えば 〝 ありそうな感じ 〟。それはリアリティなんていうスマートな言葉ではなく、現実感みたいな小難しい単語でもなく、〝 どこかにありそう 〟 〝 どこかにいそう 〟 という、手触りとか手応えに近い感覚。コロボックルは「いない」のではなく、僕らが見つけられないだけ。そんなファンタジーを一つぐらい、心に持っていても悪くない。

 舞台は、『となりのトトロ』を連想させるような地方の農村。時代は戦前。小学生だった主人公の「ぼく」は近所の野山を探検していて、小高い丘や杉林に囲まれた小さな空き地にひょっこりと出くわす。土地の老人によると、昔から「こぼしさま」と呼ばれる小人の神様が住んでいて荒らすと罰が当たるというその空き地で、或る日、「ぼく」は本当に「こぼしさま」の姿を目にすることになる。ほんの一瞬、アッと思った次の瞬間にはもういなくなっていたけれど、あれは絶対に見間違いなんかではない。そう確信した「ぼく」は足しげく空き地に通うようになるが、やがて父の仕事の都合で引っ越すことになり、更には戦争も始まって、とても「こぼしさま」どころではなくなってしまう。
 そして、戦争が終わって生活も漸く落ち着きを取り戻した頃、青年になった「ぼく」が何年が振りで空き地を訪れてみると……。
 といった辺りまでが第一幕で物語はいよいよこれからなんだけど、以降の展開は敢えて書かない。コロボックルって、やっぱりホントにいるんじゃないか? そんな淡い期待が少しずつ確信に変わっていく主人公の心情に、いつの間にか共鳴して高鳴るワクワク感を、是非とも味わって欲しいと思う。

 今回久し振りに読み返してみて一つだけ子どもの頃と受け止め方が違っていた。コロボックルはいるかも知れないと思ったのは相変わらずだけど、それは、僕自身も含めて、誰にも見つけられないからこそいいんだろうな。大人になった今は、そんな風にこの物語を読み終えた。(沢田史郎)

新企画(?) きょうの音楽
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(*`▽´*) (∩.∩) ┐(´ー)┌ (*´∀`) (*`▽´*) (∩.∩) ┐(´ー)┌ (*´∀`) 

以下、出版情報は『読書日和 05月号』製作時のもです。タイトル、価格、発売日など変更になっているかも知れませんので、ご注意ください。

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編集後記
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連載四コマ『本屋日和』
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# by dokusho-biyori | 2014-04-28 18:04 | バックナンバー | Comments(0)

14年04月

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『海賊女王』皆川博子
光文社 上巻9784334928926 下巻9784334928933 各¥2,000+税
 16世紀。スコットランドの高地に牧童として生まれたアラン・ジョスリンは、17歳で戦士集団に加わり、アイルランドに渡る。そこで出会ったのは、オマリーの氏族の猛々しくも魅力的な男たちと、赤い縮れ毛を短く切った、10歳の少女グローニャ。闘いと航海に明け暮れる、波瀾の日々の幕開けだった──。(光文社HPより)
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これ! わたしが先月から書きたかったのはこれなのである。
この年末年始の読書はこれのおかげでほんとに楽しかった。

わたくしごとですが、人生のとある時期1年間だけアイルランドにいたことがあった。語学留学という名の遊学であります。
夜な夜な繰り広げられる、パブでの飲めや歌えやの騒ぎに繰り出す楽しさったら、、、。おっとっと、、、べんきょーもしてました(ぼうよみ)。
先住民であるケルト人たちと、イギリス文化、カトリック文化が混じり合って、小さいながら唯一無二の個性を持っている島。お酒だけじゃないんだな~。
アイルランド(ケルト)の本と聞けば、なんでもかんでも手にとりたくなってしまう私ですが、この本はハードルが高かった。なんせ上下巻合わせて4,000円。
それだけでも充分諸事情によりあきらめねばならない類の御本だが、更に! 最初のページをめくるとそこには登場人物一覧が・・・。
おそらくここで挫折する人、ほとんどだと思う。
いまね、数えてみましたよ。ぜんぶ。
ひーふーみーよー、、、と手の指がいくつあっても足りゃんせん。
ざっと、なんと! 73人おった! 73人!!
やー、、しかもこれ全部じゃないのだ。ちょい役なら他にもわらわら。やめるよね、、、。
でもね、わたしは買いました。しかも上下巻一気に。

なぜって、、、、やっぱりストーリーにどうしょうもなく心惹かれるものがあったから。

「最後までイングランドに屈しなかったゲールの女王」
「あの女を呼べ。彼女ならわかる。女王の孤独を」

これ帯の文句。
立場的には対立している二人の女王、エリザベス(英国女王)とグラニュエル(海賊女王)。かたや、イングランドの重責をひとりで担い、アイルランド統一もやり遂げようとしている、孤独な女王。かたや、ケルト民族の誇りと伝統を守りつつ、攻め込んでくるイングランドや他の部族から自身の部族を守ろうと立ち上がる孤高の女海賊。両者は決してお互いに屈しないながら、心の深い部分でどうしても共鳴してしてしまうところがある。その闇の深淵が垣間見える瞬間がすごい。

読み始めて本当にすぐのめり込む。
ストーリーもさることながら、細部に至る描写がすごい。
まるで、自分もそのときその場にいたかのように情景描写、人物描写、心理描写が圧巻の筆致で書かれていて読み手を魔法のように運んでゆく。
例えば、従者アランがエリザベス女王に謁見するグローニャに付いていくシーン。
身につけている武器の類いは徹底的にはずすように言われる。
外側の重みをすべて取り外した後、体が軽くなったことを心もとなく思う場面がある。これが女王に会う前の心情をすごく丁寧にこちらの心にもわき上がらせてくれるのだ。そしてその場にぐっと緊張感をもたらす。
いったい武器なんて手元にない世界に生きながら、そんな部分に気付けるだろうか、、。その無限の想像力にはひれ伏すしかない。
戦闘シーンもまるでその場に降り立ってしまったかのよう。臨場感あふれる展開は手に汗握った。
皆川博子、彼女こそ文壇界の女王だ。御年84歳、まったく守りに入ってないどころか、攻めまくっているその文章を読んで、死ぬほどかっこいいと思ったのだ。(酒井七海)


『星を継ぐもの』
ジェームズ・P・ホーガン/池央耿 訳

創元推理文庫 9784488663018 ¥700+税
 月面調査員が、真紅の宇宙服をまとった死体を発見した。綿密な調査の結果、この死体はなんと死後5万年を経過していることが判明する。果たして現生人類とのつながりは、いかなるものなのか? いっぽう木星の衛星ガニメデでは、地球のものではない宇宙船の残骸が発見された……。ハードSFの巨星が一世を風靡したデビュー作。(東京創元社HPより)
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 舞台は今から数十年後の近未来。月面基地からそう遠くない場所で、宇宙服に身を包んだ一つの死体が発見される。ところが、基地に所属する人間は全員所在が確認された。勿論、月面に於いて基地以外に人間が存在している筈はなく、ならばこの死体は一体どこの誰なんだ? という点がまずは第一の疑問。
 次にこの死体を地球に搬送して、放射性炭素年代測定だのなんだのと詳しい調査を行った結果、死後5万年を経過していることがはっきりする!? は? 誰がどうやったら5万年前に月で死ねるんね? 姿形は人類に似ているけれど、未知の地球外生命体ってことなのか? と、これが第二の疑問。
 更に。件の死体は「チャーリー」と名付けられ、その謎を解明すべく世界中からあらゆる科学分野のスペシャリストたちが招集される訳だけど、生物学的ならびに解剖学的な見地からは「チャーリーは、どこをどうとっても寸分違わず現生人類そのものである」という結論が出る。ハイ? 5万年前に月で死亡したと思われる死体は、謎の宇宙生命体などではなく我々と同じホモサピエンスであると!? そんな馬鹿な!!

 と、ここら辺りまでが起承転結の「起」に当たる。「承」の部分では、現在火星と木星の間に横たわる小惑星帯が、実は大昔は一つの大きな惑星だった、という事実が判明する。ならばチャーリーは、その惑星で進化した生き物なのか?
「いやいや、生物の進化とはそんなに単純なメカニズムではなく、たとえ元々が同じ生き物だったとしても、環境が違えばその進化の道筋は千差万別で、地球外で進化した生命体が人類とそっくり同じになることはあり得ない。よって、チャーリーは地球外生命体などではなく、歴とした人類である」
と主張するのは、主に生物学の博士たち。
「そうは言っても、5万年前の石器人が宇宙服を着て月で死んでる訳がないではないか。地球上の進化に限定された法則を、宇宙にまで適用しようとするのが、そもそもの間違いなのだ。生物学的に、或いは進化論的にどうであろうと、チャーリーは人類ではあり得ない」
そう反論するのは、物理学系の学者たち。
 まぁ、どっちの言い分もそれぞれ一理はあるけど、どっちの言い分も矛盾を百パーセント解消出来てる訳ではない。そして、ストーリーが進むにつれて、チャーリーに関する新たな発見も少しずつ増えてはいく。増えてはいくけど、一つの新発見によって新たな疑問が二つも三つも持ち上がり、調査を進めれば進めるほど真相の解明は遠ざかるという泥沼状態。さぁ皆さんなら、この謎をどう解釈しますか?

 物語は終盤、主人公の着想から一気呵成に解決に向けて進み出す。中盤までに思いっ切り広げられた風呂敷が、あれよあれよという間に畳まれていく。全ての謎が矛盾なく解明された瞬間は、どんな読者であろうと思わず膝を打ってナルホド! と叫ばずにはいられないに違いない。そう、ホーガンの代表作であるこの作品は、ハードSFの金字塔であると同時に、22世紀に遺すべき本格ミステリーの傑作なのだ。

 私自身はこの物語は、今回で三度目の通読。初読の時は、誇張抜きで大興奮! ストーリーの細部を忘れた頃を見計らって再び読んだら、なんとびっくり、また騙された(笑)! 三度目となる今回はさすがに騙されはしなかったけど、パタパタパタッと小気味よく矛盾が解決されていく過程は、何度読んでも気持ちいい。
 冒頭の40~50ページほどまでがややかったるいかも知れないけど、これから初めて本書を読もうとするあなたはめっちゃ幸せ者だと思います。(沢田史郎)


『昨夜のカレー、明日のパン』木皿泉
河出書房新社 9784309021768 ¥1,400+税
 悲しいのに、幸せな気持ちにもなれるのだ――。7年前、25歳で死んだ一樹。遺された嫁のテツコと一緒に暮らし続ける一樹の父・ギフとの何気ない日常に鏤められたコトバが心をうつ連作長篇。(河出書房新社HPより)
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食卓に毎食出てくる柴漬け
夏の夜に庭先で飲むよく冷えたビール
ずいぶん後に思い出してとまらなくなるくすくす笑い
古い本のページにはさまっていた小さな押し花
木の机に彫刻刀で彫られた落書き
何年も花を咲かせなかった桜の木の小さなつぼみ
何度も何度も、何度も何度もくり返し聞いたあの曲
よく使い込まれてぴかぴかに磨かれた革の靴
気になる子に貸してもう二度と使えなくなったまるい消しゴム
毎朝起きると一番最初にするあくび
雨ばかり降っていた週末の雲の切れ間にかかる小さな虹
泣いているその人に寄り添って十年ぶりににぎった手のひら
カレンダーに書きこまれた無数の小さな星
愛想笑いができるようになったと気付いた日の夕暮れ
ふと思いついてコロッケとビールを二つずつ買い、少しだけ急ぎ足になる帰り道
ねこと一緒にひなたでする昼寝
昨夜のカレー
明日のパン

そんな小説です。(酒井七海)


『日本橋本石町やさぐれ長屋』宇江佐真理
講談社 9784062188098 ¥1,500+税
 日本橋本石町やさぐれ長屋。ここに住まうのはみんな事情を抱えた人ばかり。笑って怒って泣いて――心温まる江戸人情物語。(講談社HPより)
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「江戸ものの 生まれそこない 金をため」なんて川柳がある。貧乏人が裕福な商家を皮肉ってるんだろうけど、実はそう言う自分だって質屋から借りたなけなしの小判に向かって、「これ小判 たった一晩 居てくれろ」などと嘆いたりして、やっぱりお金は欲しいのだ(笑)。
 だけども江戸の裏長屋の人々は、貧乏だから必ずしも不幸せである、とは考えない。そこが、いい。
「碗と箸 持ってきやれと 壁をぶち」という句もある。新鮮な魚か田舎から届いた山菜か、何しろめったにありつけないようなご馳走が手に入った長屋の熊さんが、隣の八っつぁんちとの間の壁をドンドンと叩きながら呼ばわっている図。おうい、珍しいもんが手に入ったんだ。茶碗と箸持って食いに来いよ!
「井戸端へ 人の噂を 汲みにいき」なんてのは、亭主を仕事に送り出したカミさん連中が井戸端で洗い物などをしている情景が、ありありと目に浮かぶ。ところが、そんなさなかに突然の夕立。あらあら大変! と洗濯物を取り込もうとしたら、隣の子が雨に濡れたまま遊んでいる。そう言えば母親はさっき買い物に出かけて行ったっけ。そこで自分の洗濯物は後回しにして、取り敢えずその子を家に入れてやる。「夕立に 取り込んでやる 隣の子」。

 そりゃあ裕福な者なら、金で解決出来ることも多いでしょうよ。だけど、毎日おっつかっつで生活している私らはそんなお金、逆さにしたって出て来やしないよ。ならば、困った時はお互い様。身を寄せ合って助け合うしかないじゃないか。だけど、物は考えようだよ。こうして支え合う隣近所があるってことは、ありがたいことなんじゃないかねぇ。

 登場人物たちのそんな会話が今にも聞こえて来そうなのが、良い「長屋もの」の条件ではないかと思ったりする。以前紹介した『かかし長屋』(半村良、集英社文庫)を筆頭に、『人情裏長屋』(山本周五郎、新潮文庫)『橋ものがたり』(藤沢周平、新潮文庫)『深川澪通り木戸番小屋』(北原亞以子、講談社文庫)などなど、世間の片隅で懸命に生きる庶民の姿は、何度読み直そうが決して飽きない。その魅力を一言で言うならば、彼らが皆、幸せの尺度をたくさん持っているという点だろう。

 今回紹介する『日本橋本石町やさぐれ長屋』も、その点はばっちり。家主の名前が弥三郎だから「弥三郎店(やさぶろうだな)」。だけど時に世間からは「やさぐれ長屋」なんてからかわれている、日当たりの悪い裏長屋。そこに住むのは、大工の鉄五郎や錺職人の茂吉、旅籠で手伝い仕事をしているおすぎや居酒屋の女中で稼ぐおとき等、皆々絵に描いたような貧乏暮らしではあるけれど、明るく強くたくましく今日に明日を継いでいく。その秘訣は、小さな事にも感謝出来る心のゆとり。
 例えば第一章「時の鐘」で、大工の鉄五郎が暮れ六つの鐘を聞いてたたずむ場面がある。
【腹に響く時の鐘の音を聞きながら、ああ、今日も無事に一日の仕事が終わったと、ふと安堵が拡がっていた】
まるでミレーの『晩鐘』のようなシーンだけれど、感謝は満足への第一歩であり、満足は幸せにつながっている。足るを知る=「知足」なんて言葉もある通り、些細なことに感謝出来る彼らは、幸せを感じる瞬間を、もしかしたら常の人よりも少し余分に持っているのではなかろうか。一日無事に仕事が出来て、幸せ。あったかいごはんが食べられて、幸せ。子どもが丈夫に育って、幸せ。大きな病気も怪我もなくて、幸せ。……etc。
 そう言えば、庶民が庶民であることの幸せを詠んだ、こんな川柳もあったっけ。
「大名に 木蔭の昼寝 羨まれ」
幸せの尺度は、何もお金や地位だけじゃあないんだよ、ということを私は、長屋ものを読む度にそこの住人たちに教えられる。そして、生きるのが少しラクになる。(沢田史郎)

(*`▽´*) (∩.∩) ┐(´ー)┌ (*´∀`) (*`▽´*) (∩.∩) ┐(´ー)┌ (*´∀`) 

以下、出版情報は『読書日和 04月号』製作時のもです。タイトル、価格、発売日など変更になっているかも知れませんので、ご注意ください。

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編集後記
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# by dokusho-biyori | 2014-03-31 11:36 | バックナンバー | Comments(0)

三十六計逃げるに如かず!

フェアタイトルそのまんま。無実の罪で追われるサスペンスとか、心が荒んで逃亡旅行に出かけたエッセイとか、旧ソ連の強制収容所から脱走した実話とか、とにかく何しろ逃げる話ばっかり集めてみました。ご笑覧をば。
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フェア目録、店頭で無料配布中です!

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作品紹介はこちら!
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# by dokusho-biyori | 2014-03-12 22:12 | 過去のフェア | Comments(0)