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19年03月

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また明日――文藝春秋営業部 川本悟士

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 昔から、どうも「また明日」という言葉を、気楽に使い切れない子どもでした。友だちと別れるときに、どうしてもフラットなテンションで口にできない。明日何かあって会えなかったらどうしよう。万が一、これが最後になったらどうしよう。嘘をつくようなことはいいたくない。自分でも考えすぎで難儀なやつだとは思いながら、とはいえ無邪気に「また明日―!」といって別れるクラスメイトほどの力の抜け具合では、やっぱりなかなかそれを使うことができない。

 この妙な均衡からふっと開放されたのは、みんなが「またね!」という言葉にいつもとは違う実感を込めて使う、卒業式の日だったのかもしれません。

 というわけで、3月というと卒業式のシーズンでしょうか。生まれなければ死ぬことはないように、入らなければ出ることはないので、本来は入学のほうが先なのですが、季節を繰り返していくようになると、昔より出会いよりも別れのほうが先にあるような気がしますね。

 卒業式。みなさんはどんな思い出がありますか。黒板にいろいろ書き込んだり、なにか贈り物をもらったり、後輩にボタンをねだられたりした人もいるのかもしれません。ただ、この話題を身近な人と話してもらえるとわかるのですが、何かと学校や時代によって違うので、細かなところを詰めていくと写真を撮ったことくらいしか共通の思い出として語れるものはなかったりするかもしれません。

 そんななかで高い確率で共通しているのが、「先生からの贈る言葉」ではないでしょうか。やる側とすれば結構に頭を悩ませたりするものらしいのですが、みなさんはどんなことを言われましたか? よくは覚えていないって? あらら、実は大事なことをいわれていたかもしれませんよ? そんなときはこんな1冊を手に取ると思い出せるかもしれません。


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『巨大な夢をかなえる方法――世界を変えた12人の卒業式スピーチ』は、卒業式のスピーチに焦点を当てた1冊です。この本には、分野の最前線を切り開く起業家、投資家、教育者、俳優、映画監督たちが、イェール大学、マサチューセッツ工科大学などの卒業式で学生たちへ伝えた、一世一代の「贈る言葉」が綴られています。その一つ一つのスピーチを楽しめるのはもちろんなのですが、思った以上に各人が自分の人生を振り返りながら語っていることや、それぞれの人の国籍や育ち方で伝えるメッセージが結構違うんだな、というのもみえる作品です。

 たとえば、同じアジア圏のジャック・マーのいう「私が14年間で得た哲学はひとつ。今日はつらい。明日はもっとつらい。でも明後日には、素晴らしい一日が待っている」という言葉と、メリル・ストリープが「生き延びるために演じなければいけなかった」と形容する言葉は、背景にある各人の経験の差異を感じる一幕です。

 また、やはり卒業式だからなのか、未来を見据えた、リリカルな言い方をすれば「明日を信じる」視点が共通している点もいえるでしょうか。人類の地球外移住の計画を真剣に考えるイーロン・マスク。科学の力で細胞を創り出せる日について展望を語るジェフ・ベゾス。卒業式はその意味で、明日に向かっての〝 はじまりの日 〟といえるのかもしれません。

 この〝 はじまりの日 〟は、例年3月の決まった時期に訪れるのが恒例でしょう。そして、その恒例が崩れるほどの大事件は、めったに起こらないからこそ、大事件であるわけです。この10年でいえば、それはあの3月11日に起きた大地震の日になるのだと思います。



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 先日、七つの震災をテーマにした短編集・重松清『また次の春へ』を読んで、震災後五年目の春に被災地でその時刻を迎えたことを思い出しました。本当に何もない、いや、何もない状態にすることだけでも時間がたってしまったであろう海岸をみて、リアルタイムで同じ時代を生きながら誰にでも同じ重さを持った事件ではないのだと、その一端の現実と向かい合ったような気がしました。あの日を生きていたそれぞれに、ひとりひとりの昨日があって、それぞれが明日を考えていた。

 たとえば三つ目の短編では「明日を信じる」という行為そのものが、本にしおりをはさむというその瞬間に入り込む形で描かれています。また、四つ目の短編ではカレンダーという形で、読者はそうした毎日の積み重ねに触れていきます。「また明日」という言葉もそう、しおりを挟む行為もそう、1日たってしまえばなんてことはなくわかることがまったく見えないからこそ、次を仮定して進んでいく。そうやって毎日をすごすことが、私たちの日常なのかもしれません。

 卒業式で、先生からどんなことをいわれたか、そろそろ思い出せましたか? 今、もし仮に当時の自分たちにどんな贈る言葉を言うのかと自問自答して類推すると、それはえてして、将来についての言葉ではなかったかな、と思います。

 ちなみに私は、「君たちが一歩進むたびに、私たち大人は二歩も三歩も先を行く。頑張ってついてきなさい」という途方も無いものでした(笑)。

 今日がいつ、「3月10日」だったといわれるかわかりませんし、逆に、あとから振り返ってあの日が「3月11日」だったんだと思うこともあるでしょう。先が見通せないだけに当然ですが、なんだか考えてみるとわからないことだらけで、ちょっと疲れてしまいそうですね。そういうときこそ細かなことをいったん「また明日」考えることにして、ひとまず今日を一歩進めていく……。思えば、そんな先にある言葉だったのかもしれません。


残る言葉、沁みるセリフ

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《 たとえ4打席ノーヒットでも、
  5打席目が回ってきて欲しいと思える気持ちかな。 》



 スポーツジャーナリストの石田雄太が、《 自分に与えられた最大の才能は何だと思うか 》と問うた際の、イチローの答えが上記。「今日はダメな日だ。明日がんばればいいや」と自分で勝手にゲームセットを宣言してチャレンジをやめてしまう、なんてことがよくある僕は、初読の時に、頬桁をひっぱたかれたような衝撃を受けました。



大切な人を守る話Part1――丸善津田沼店 沢田史郎

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 時間ものSFと言われたら、僕の場合は、何を措いてもまずはロバート・ゼメキス監督の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と、藤子・F・不二雄大先生の『ドラえもん』。小説ならば、『スキップ』『ターン』『リセット』の北村薫〈 時と人三部作 〉。《 昨日という日があったらしい。明日という日があるらしい。だが、わたしには今がある 》は、日本SF史に永遠に刻まれるべき名セリフだろう。そして、43歳のおっさんが全ての記憶を保持したまま18歳に戻って人生をやり直す、ケン・グリムウッドの『リプレイ』や、現代の受験生が2・26事件前夜に跳んでしまう宮部みゆきの『蒲生邸事件』も忘れる訳にはいかない。

 知名度では右に及ばずとも、内容は勝るとは雖も決して劣らないのが次の二つ。或る坂道を自転車で後ろ向きに下ると過去に戻れるという中山智幸『ペンギンのバタフライ』。過去の任意の3分26秒間を〝 無かったこと 〟にしてしまえる方波見大志『削除ボーイズ0326』

 同様に誰もが知っている作品とは言い難いが、グレゴリー・ホブリット監督の映画『オーロラの彼方へ』は、30年前に死んだ父親とアマチュア無線で交信するという着想が斬新で、本広克行監督の映画『サマータイムマシン・ブルース』は〝 エアコンのリモコンが壊れて暑くて我慢出来ないから、過去に戻って壊れる前のリモコンを取って来る 〟という、余りにも馬鹿馬鹿しいタイムマシンの使い道がゲラゲラおかしい。更には、1980年代のアニメ『未来警察ウラシマン』からスーパーファミコンの『クロノ・トリガー』まで、要するに、時間ものなら硬軟によらず私のストライクゾーンは極めて広い。

 純粋にストーリーを愉しむのは勿論だけれど、それ以外にも、例えばタイムパラドックスの諸問題をあれこれと空想するのが面白い。


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 有名な〝 父殺しのパラドックス 〟のような重大問題でなくても、例えば僕がタイムマシンで昨日に戻ったら、昨日には僕が二人いるという訳だが、そんなことが果たして可能なのか? その二人の僕が一緒にタイムマシンに乗って一昨日に行ったら、一昨日には僕が同時に三人存在することになり、その三人がそのまた1日前に行ったら今度は僕が四人になって……。

 という展開は実は『ドラえもん』ではしばしば登場するシチュエーションで、のび太が未来から大学生の自分を連れて来て夏休みの宿題をやらせたり、のび太に宿題を頼まれたドラえもんが、2時間後、4時間後、6時間後の自分を連れて来て、何人ものドラえもんが手分けして宿題を片付けたりと、まぁ夢があると言うか何と言うか、ツッコミどころは満載なのに許せてしまうのは、それが『ドラえもん』であるが故だろう。

 或いは、こんなことも考える。僕がタイムマシンで過去でも未来でもいいけど、今ではない時間に移動する。すると、移動先の地球では、って言うか宇宙全体では、僕一人分、質量が増加する訳だよね? 別な言い方をすれば、僕一人分、全宇宙の密度が高くなるってことだよね? その増えた分はどうなるんだろう?

 例えば僕が24時間前にタイムスリップしたとする。その時に僕が現れた場所がどこであろうと、そこには元々、質量を持った何らかの物体――気体なり液体なり固体なり――が存在していた筈だけど、それらは一体どうなるのか? 分かり易く言うと、タイムスリップ先で運悪く海の中に出現してしまった場合、僕が出現したところに本来あった筈の海水は、果たしてどこに行くんだろう?


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 また歴史に材を取った小説を読んだ時など、「あの時の人類が、もう少しだけ賢明だったなら……」と、死児の齢を数える事もある。例えば、1920年代のミュンヘンに行って若きヒトラーを殺してしまえば、その後に行われる数多の蛮行を阻止することは出来るのだろうか?

 喩え話の説明に更に喩えを重ねるようで文脈的にこんがらがりそうだが、数十年前のアメリカで、接近するハリケーンの被害を軽減しようと、所謂〈 台風の目 〉の部分にドライアイスを投入したことがあるそうな。それによって、ハリケーンが上陸する前に雨を降らせて積乱雲を弱体化させることを狙ったらしいが、結果は、ハリケーンの進路が大きくブレて蛇行した為、却って被害が増したらしい。

 先の〝 歴史改変 〟でも、これと同様のことが起こらないとは言い切れまい。たとえヒトラーを殺しても、いや、ヒトラーがいなくなった世界だからこそ、ヒトラーに代わる超ウルトラ極悪人が出現するという可能性を、完全に否定することは出来ない筈だ。無論、そうなってからでは手遅れである。

 もっと卑近な例を挙げてもいい。例えばあなたが小学生だった或る日、宿題を忘れて先生に怒られたことを後悔していて、タイムマシンで戻って当時の自分に忠告し、宿題をきちんとやらせた、とする。しかし、宿題を忘れなかったが故に、あなたは放課後居残りさせられることもなく、結果、友だちと遊び耽って家の門限に間に合わず、両親から大目玉を食う羽目になるかも知れない。

 飲み過ぎて二日酔いに苦しむ朝、あなたは「ゆうべあんなに飲まなきゃ良かった」という後悔と共にタイムマシンに乗りこんで、昨夜の自分にそっと耳打ちする。「明日、二日酔いで死ぬ思いをするから、早めに切り上げろ」と。昨日のあなたはその忠告を素直に聞き入れて、1本早い電車で帰路につく。が、その電車でたまたま座れたもんだからつい寝入ってしまって乗り過ごし、結果、高いタクシー代を払って終電よりも遅い時間に漸く帰宅、という末路が待っているかも知れない。


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 要するに、過去を変えても必ずしも今より状況が良くなるとは限らないと言うか、今より良くなる保証が無いと危なくって歴史改変なんて手を出せないと思う訳だ。

 やはり時間ものの隠れた名作、畑野智美の『ふたつの星とタイムマシン』に、こんな場面がある。主人公の女の子がタイムマシンで過去に戻り、長年の後悔の種を取り除こうとする。しかし、すんでのところで或る人物にマッタをかけられる。曰く《 過去を変えたら、もっと悲惨な未来になるかもしれない。今が一番いいと思っていた方がいいです 》と(実はこの〈 或る人物 〉は既に〝 もっと悲惨な未来 〟を経験しているからこそ忠告する訳なんだが、それは続編である『タイムマシンでは、行けない明日』読んでのお楽しみ)。

 それでも、何を犠牲にしてでも変えたい過去がある。その〝 どうしても変えたい過去 〟に向って、全てをなげうって跳ぶ。そんな老若男女の懸命さに何度読んでも涙腺を刺激されるのが、梶尾真治の代表作『クロノス・ジョウンターの伝説』である。

 取り敢えず、とある企業の研究所で極秘裏にタイムマシンが開発された、という設定は珍しくも何ともない。それを使って、今は鬼籍に入っている母親や想い人、或いは親友を救おう、といった動機もありふれている。但し、ここに登場するタイムマシン〈 クロノス・ジョウンター 〉が、未完成と言うか不完全であり、それ故に過去へ跳ぶには大きな代償を伴う、という点が他の時間ものとはだいぶ違う。そして、若干ややこしい。

 過去へ跳ぶ為の大きな代償。それは、戻って来る際には〈 今 〉を通り越して、未来にまで弾き飛ばされてしまうという欠陥。その〈 未来 〉とは、〈 戻った時間 〉プラス〈 戻った時間の二乗 〉分。


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 だから例えば今から5年前に戻ったとすると〈 5+5×5 〉=〈 5+25 〉=30 という訳で、帰って来るのは西暦2049年というだいぶ先の未来で、当然ながら現在身の周りにいるあの人もこの人も自分以外はみんな等しく30年分歳をとっている訳だし、文化文明もどうなってるか分からない。最悪の場合、人類が滅亡しているかも知れない。

 そこまで大袈裟な話にはならないとしても、一人一台の電話を持ち歩き、その電話でテレビを見たりゲームをしたりお金を払ったりなどという今の世の中を、30年前の1989年当時に我々は想像し得ただろうか。当時の私がいきなり現代に跳ばされたら、そりゃもう大パニック請け合いである(笑)。誰か知り合いに助けを求めようにも、そもそも公衆電話を見つけるのが至難の業だ。

 ところでその1989年と言えば、ベルリンの壁が崩れて、当時学生だった私は「俺、今、歴史の目撃者になってる!」的な興奮と共にテレビのニュースに見入っていたのだが、仮に1989年の30年前である1959年から1989年に跳ばされた人がいたとすると、そもそもベルリンの壁が出来たのが1961年だから、その人はベルリンに壁が出来たことすら知らないのだけど、その壁が崩れたと言って世界中で大騒ぎになっていて、マジでちんぷんかんぷんに違いない。

 更に副次的な事を言えば、仮に衣食住が何とかなったとしても、運転免許証は更新しないまま30年経過してる訳だから、とっくのとうに失効してるし、お札や硬貨も変わってるかも知れなくて、勿論、過去に行って今の貨幣が使えないのは考えるまでもないけど、未来に跳ばされた場合でも、貨幣が変わってたら自販機の類は使えないのではなかろうか。今のジュースや切符の自販機で岩倉具視の500円札が使えるとは思えんもん(試したことないけど)。

 お札で思い出した。鯨統一郎『タイムスリップ森鴎外』では、現代(作品が刊行された2002年当時)にタイムスリップしてきた森鴎外が、漱石はお札になってるのに(当時の千円札)、自分はなっていない事を知って凹む、という描写があって、作者の馬鹿馬鹿しいアイデアに大笑いした記憶がある。


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 閑話休題。要するに〈 クロノス・ジョウンター 〉には致命的な欠陥がある、と。しかし、彼らは決断する。

 或る人物は、毎日の通勤途中で見かける片思いの女性を救う為。或る人物は、反目しあったまま他界した母親の素顔を確かめる為。また或る人物は、妻との時間を再び取り戻す為。大きなリスクを冒して過去へ跳ぶ。

 そして、跳んだ以上は、いつかは戻らなければならない。しかもそれは元いた世界からは遥かに先の、見も知らぬ未来の世界だ。その時には、かつて自分と結びついていた様々な絆は、殆どが消えてしまっているだろう。何しろ、周囲の人間にとっては30年間も行方知れずだったのだ。死んだと思われていても不思議はない。

 それでも、それを承知の上で、誰かを救う為に過去に跳べるか? 言い換えれば、そこまでの犠牲を払ってでも救いたいと思う誰かがいるか? この作品は読む者全てに、そう問いかけてくる。

 収録される七つの短編の主人公たちは皆、迷い無き「Yes!」の意思を、自らの行動によって示して見せる。そこが、刺さる。第一話の主人公が、引き留める同僚に向ってきっぱりと言う。《 きみにも、自分の生命より、社会的立場より、そのすべてをなげうってでも守るべき人がいるはずだ 》
これだろう、この作品の本当のテーマは。SFであり、時間ものであり、読み方によってはミステリーだったり恋愛小説だったりもするけれど、それら全てをひっくるめて、本作は〝 どんな犠牲を払ってでも守りたい人を、全力で守ろうとする名も無き勇者たち 〟の物語だろうと思う。

 蛇足ながら付け加えておきたい。読んでる間じゅう、そして読後も暫く、こんな事を考えた。

 僕ら人間が神ならぬ身である限り、後悔というものは、どんな生き方をしようとも必ず付いて回るものだろう。ならば何かを決断する時に〝 後悔しないか? 〟ではなく、〝 後悔することになったとしても、それでもやるか? 〟を、自分自身に問うべきなのかも知れない、と。だって「後悔しないか?」って訊かれたって、そんなもん、その時になんなきゃ分かる訳はないんだから。



永野裕介のスクリーンからこんにちは。

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『アリータ:バトル・エンジェル』

 キャメロンはやはり映画界の革新者です! 『アバター』と『タイタニック』で世界興行収入のトップ2を独占している彼に今回もアドレナリンMAX体験させて頂きました。

 とはいえ、キャメロンは『アバター』の続編製作中で大忙し。そこで白羽の矢が立ったのは、本作でメガホンを取ったロバート・ロドリゲス。『シン・シティ』辺りが日本では有名かと思う。ロドリゲスはキャメロンと違い、これまでの映画製作はほとんど自分と自分のプロダクションでこなしてきた。彼にとってこのような大作は初だと思うので、キャメロンとの仕事はとても良い経験になったに違いない。キャメロンは既に180ページもある脚本を書いていて、それを60ページ削って作品にしたのがロドリゲス。凄い度胸! 実際、超スペクタクルな作品に仕上がっていて面白かった!

 この作品、驚くべきなのはやはり主役のアリータの造形美。パフォーマンス・キャプチャーを使って彼女を演じるのは女優のローサ・サラザール。予告編で気になっていたアリータの大きな目も、ものの数分で納得させられる。アリータはサイボーグだが、とても人間くさい。そして夢見る少女なのだ。スクリーンの中で誰よりも魅力的に存在し躍動する彼女は最高の一言! 是非、映画館で観てほしい作品だと心から思いました。

 話は変わって、今年もアカデミー賞が発表されました。作品賞は『グリーンブック』でした。この作品は、3月1日から公開されますのでよかったらどうでしょうか? 私は絶対観に行きます!



大切な人を守る話Part2――丸善津田沼店 沢田史郎

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 さて、話が脇道に逸れまくったので、残りは駆け足。

 金城一紀『フライ,ダディ,フライ』も、やはり〝 大切な人を守る 〟話だ。本来は『レヴォリューションno.3』から始まる〈 ザ・ゾンビーズ・シリーズ 〉の第2弾なんだが、読む順番には余りこだわらなくても大丈夫。まぁざっと説明しておくと、ゾンビーズというのは偏差値最低の落ちこぼれ高校で生ける屍の如き学生生活を送っていた、落ちこぼれの中の落ちこぼれグループのこと。

 だけど今回の主役は彼らじゃない。鈴木一(ハジメ)47歳、ごくごくフツーのサラリーマン。或る夏の日、彼の最愛の娘が、とある男子高校生に暴力を振るわれて病院に運ばれる。駆けつけた鈴木はしかし、まともな反省も謝罪もないまま事件をもみ消そうとする加害者側に対抗する術を持たず、はした金を寄こして去っていく彼らの背中を、ただ見送る事しか出来なかった。そんな鈴木に、娘も、妻も、そして誰よりも鈴木自身が傷つき、幻滅し、失意に沈む。

 家族が再び前を向くには、娘の仇を討つしかない! そう決意した鈴木が、出会いがしらのようにして知り合ったのが、件のゾンビーズの面々。事情を打ち明けられた彼らは、ひと夏をかけて鈴木に喧嘩の極意を伝授しようと、半ば一方的に盛り上がる。そうして始まる、鈴木一、47歳にして初めての夏……。

 って、昭和のツッパリ漫画かよ(笑)、などと侮ってはいけない。安ものの格闘ゲームの如く、ただ喧嘩ばっかりしてる話だと思ったら大間違い。本書には、友情があって、家族愛があって、不可能への挑戦があって、喜びと悲しみの共有があって、勧善懲悪があって、男子三日会わざれば刮目して待つべしがある、実に爽快で痛快な中年よ大志を抱け小説なのだ。


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 物語の序盤、まだ幼かった娘がひきつけを起こして、鈴木が慌てて医者に担ぎ込んだ時の記憶を、懐かしそうに語る場面がある。
《 あの時の俺は、これまでの人生で一番速く走ったよ。そのまま浮き上がって、空でも飛べそうな感じだった 》
結局ひきつけそのものは大したことなく、医者に診せる必要さえ無かったらしいのだが、その思い出をを鈴木は実に愛おしそうに語るのだ。
《 本当は間抜けな話なんだけど、でも、病院から家に帰るあいだ、俺は父親である自分が誇らしかった。あんなに速く走れた自分が、好きになった 》
でも、と彼は続ける。
《 いまは違う。俺はこのままじゃ、死ぬまで自分を好きになれそうもないよ 》

 さて、そろそろお分かり頂けただろうか。本書『フライ,ダディ,フライ』は、平凡なおっさんが大切な人を守る為に強敵に立ち向かう雪辱譚ではあるのだが、実はそれ以上に、矜持とプライドを守るために闘う、いや、大切な人を守る為にはまず自らの矜持とプライドをこそ取り戻さなければならないと気付いた事勿れ主義者の、一世一代の大勝負を描いた〈 精神一到何事か成らざらん小説 〉なのだ。

 因みに今作では脇役のゾンビーズたち。彼らの活躍をもっと読みたければ、前述の通り、シリーズ第一弾である『レヴォリューションno.3』を、また今作でしばしば顔を覗かせる、日本に於ける差別問題に興味を持った方には、やはり金城一紀の『GO』を、是非にとお薦めしておきたい。どちらも、読後は心を消毒して貰ったような気になるに違いない。


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 駆け足と言いながら長くなったので、以降はダッシュ。

 大切な人を守る、と言えば薬丸岳である。「えっ、そうなの?」と疑問に思う向きもあるかも知れないが、そうなのだ。

 デビューから一貫して〝 償うとは何か 〟〝 赦すとは何か 〟という問題を扱ってきた作家なので、常にその文脈での評価ばかりが目立つが、それ以上に、大切な人を全力で守ろうとする人々を描き続けてきたのが、薬丸岳という作家ではないか。

 デビュー作『天使のナイフ』では、小さな喫茶店のオーナー店長が、亡き妻の思い出を胸に、親鳥が翼を広げてヒナを守るが如く、幼い娘の未来を身を挺して守ろうとする。
 通り魔事件で愛娘を奪われた夫婦の苦悩を描く『虚無』では、復讐の鬼と化した元妻を、犯罪者にしない為に主人公が奔走する。
『神の子』では、少年院出身ながらIQ161という天才青年が、生まれて初めて得た〝 友だち 〟の為に、持てる能力を注ぎ込んで全力で彼らを守ろうとする。
 初めて心を許せるかも知れないと感じた友人が、あの事件の犯人〈 少年A 〉かも知れない……。という状況に置かれた、人付き合いが苦手な青年。アダルトビデオに出演した過去を消せずに、住処も仕事も転々としてきた薄倖の女性。そして、件の〈 元・少年A 〉。三人が出会って苦悩を重ねながらも、自分にとって本当に大切なものを見極め、それを守るために眦を上げる『友罪』

 どれも〝 償いと赦し 〟がテーマであるのは一読、紛れも無いけれど、その奥には、まるでみなもから海底を透かし見るかのようにして、〝 大切な人を、全力で大切にしようとする姿 〟が見えてくる筈だ。


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 そのスタンスがとりわけ際立っているのが、吉川英治文学新人賞を受賞した『Aではない君と』だろう。

 吉永の一人息子である翼は、14歳で中学2年生。離婚した元妻が引き取って育てている。その翼が、死体遺棄の容疑で逮捕された。被害者は、翼の同級生。警察にも弁護士にも、何も話そうとしない翼。吉永は、保護者自らが弁護士に代わり話を聞ける〈 付添人制度 〉を使って、翼の真意を探ろうとする。

 という幕開けだけでもどうにも重いストーリーであり、その後も実に薬丸岳らしく〝 償いと赦し 〟の描写が、ずっしりと読む者の胸に響き続ける。
《 物事のよし悪しとは別に、子供がどうしてそんなことをしたのかを考えるのが親だ 》
《 更生というのは、二度と罪を犯させないというだけではありませんよ 》
《 幼い頃、君はどうして子猫を拾ったんだろう。泥にまみれて死にそうだった子猫を、どうして君は拾ったんだろう(略)その猫と過ごした十年間を思い返してほしい。その猫を失ったとき、君がどんな気持ちになったのかを思い出してほしい 》

 父と子は、自分たちが犯してしまった罪について、その犠牲となった人たちの悲しみについて、そしてそれを償う術について、ひたすらに考え続ける。そして、どんなことをしても償うことが出来ない罪があるという事実を、鑿で彫り刻むようにして心に刻みつける。

 もし翼が誰かに殺されたとしたらと、吉永は息子に向って静かに語る。
《 お父さんは自分の命がなくなるまで、その人間を恨み続けるだろう 》
そういうことを、お前はしてしまったのだ、と。


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 だが、世間では重大犯罪を犯した〈 少年A 〉という扱いであっても、父親である吉永にとっては、彼は〈 A 〉ではなく〈 翼 〉という名を持った息子である。世界中が敵に回ったとしても、自分だけは〈 Aではない君と 〉共に生きる。そんな決意を静かに告げる。

《 お父さんが人生の最後に考えるのは、翼のことだ 》

これこそが、薬丸岳の真骨頂だろう。そしてこれこそが、本作のタイトルが『Aではない君に』ではなく、『君へ』でもなく、『君と』である所以だろう。

 自分の子供が重大犯罪を犯してしまったら、親には何が出来るのか。どうすれば、子供に罪の重さを実感させることが出来るのか。どうすれば、反省したことになり、どうすれば償ったと言えるのか。そんな重い主題で貫かれた『Aではない君と』という作品は、同時に、全てを犠牲にしてでも子供を守り抜こうとする親の愛情の物語でもあり、薬丸岳の現時点での代表作と言って間違いない。

 昨今見聞きする、血も涙も無い虐待事件の加害者たちには、吉永の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいもんだ。






新刊案内

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編集後記

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3月のイベントガイド

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# by dokusho-biyori | 2019-03-11 00:06 | バックナンバー

SFは怖くない。

 東京創元社の営業さんと、早川書房の営業さん、そして『読書日和』の西尾と沢田が選書を担当しました。〝 SFとは何か? 〟みたいな難しい話は抜きにして、とにかくとっつき易い作品を選んだつもりです。

 早川書房さんや東京創元社さんがツイートして下さったので、恐らくそれをご覧になってのことでしょう、或る作家さんが《 「SFは怖くない」なんて言い方したら「えっ、SFって怖いの?」って思われそう 》といった趣旨のツイートをしているのをお見かけしました。確かにおっしゃる通りです(笑)。

 でも〝 SFは難しくない 〟って言ったら「えっ、SFって難しいの!?」 って思う人がいるかも知れないし、〝 SFは面白い 〟って言ったら「敢えて言わなきゃいけないって事は、本当は面白くないんじゃないの」って考える人がいるかも知れない。

 結局、どんな言い方をしようと〈 届かない層 〉というのはある程度は存在してしまうと言うか、万人に刺さるキャッチフレーズなんてプロのコピーライターの方々でさえ難しい訳で、私ら如きにはとても無理(笑)。なので、今回届かなかった人たちには、また別の機会に興味を持って貰えるような何かを考えられたらいいな、と思います。

 もう20年以上前になりますが、書店の店頭で『星を継ぐもの』を手に取って「こんな難しそうなの、俺、読めるかな?」とか、『アドバード』を見て「こんな分厚いの、読みきれないかも」などと、おっかなびっくりだった学生の頃の自分に向けて、「SFは怖くないよ」と背中をそっと押すようなつもりで選書したフェアです。ご笑覧下さい。



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『アド・バード』椎名誠

『移動都市』フィリップ・リーヴ 訳=安野玲


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『宇宙戦争大図鑑 復刻版』小隅黎

『SFマガジン700 国内篇』編=大森 望


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『海外SFハンドブック』編=早川書房編集部

『象られた力』飛浩隆


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『紙の動物園』ケン・リュウ 訳=古沢嘉通

『銀河ヒッチハイク・ガイド』ダグラス・アダムス 訳=安原和見


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『クロノス・ジョウンターの伝説』梶尾真治

『5まで数える』松崎有理


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『塩の街』有川浩

『10月はたそがれの国』レイ・ブラッドベリ 訳=宇野利泰


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『スカイ・クロラ』森博嗣

『Self-Reference Engine』円城塔


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『たったひとつの冴えたやりかた』ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア 訳=浅倉久志

『旅のラゴス』筒井康隆


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『地球から来た男』星新一

『図書室の魔法』ジョー・ウォルトン 訳=茂木健


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『なぞの転校生』眉村卓

『夏への扉』ロバート・A・ハインライン 訳=福島正実


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『猫は宇宙で丸くなる』シオドア・スタージョン、フリッツ・ライバー他 訳=中村融

『ハヤカワ文庫SF総解説2000』編=早川書房編集部 早川書房


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『ハローサマー、グッドバイ』マイケル・コニイ 訳=山岸真

『盤上の夜』宮内悠介


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『ひとめあなたに…』新井素子

『風牙』門田充宏


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『ふたつの星とタイムマシン』畑野智美

『復活の日』小松左京


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『ペンギンのバタフライ』中山智幸

『マイナス・ゼロ』広瀬正


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『My Humanity』長谷敏司


『マインド・イーター 完全版』水見稜


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『未来世界から来た男』フレドリック・ブラウン 訳=小西宏

『妖精作戦』笹本祐一


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『幼年期の終わり』アーサー・チャールズ・クラーク 訳=池田真紀子

『予言ラジオ』パトリック・リー 訳=田村義進


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『横浜駅SF』柞刈湯葉

『ヨハネスブルグの天使たち』宮内悠介


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『龍は眠る』宮部みゆき

『隣接界』クリストファー・プリースト 訳=古沢嘉通、幹遙子


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『ルナ・ゲートの彼方』ロバート・A.ハインライン  訳=森下弓子

『惑星カレスの魔女』ジェームズ・H.シュミッツ 訳=鎌田三平


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# by dokusho-biyori | 2019-02-17 09:55 | 過去のフェア

 実は、町屋良平さんが『青が破れる』で文藝賞を受賞してデビューした直後に、一度展開しているフェアですが、今回の芥川賞受賞を機に、「デビュー当時は町屋良平という作家に興味が無かったけど、芥川賞獲ったのなら読んでみようかな」という方も大勢いるかも、と思って町屋さんに再掲の許可を頂いた次第です。

 受賞した途端に食いつくファンを「俄か」と言って軽んじる風潮が、本の世界以外にも多かれ少なかれ存在しますが、その「俄か」の中の何割かが、魅力に惹き込まれて本格的なファンになり、他の人たちに良さを伝える伝道師となっていく訳で、極端な言い方をすれば「俄か」は多ければ多いほど良い、と考えてます。標高1,000メートルの山の裾野と富士山の裾野は、言うまでもなく広さが全然違う筈で、裾野の広さはその山の高さに比例するんじゃないでしょうか。

 そんな訳で、「俄か」ファンも大歓迎の町屋良平フェア、お愉しみ下さい。そして快諾して下さった町屋良平さん、ありがとうございます。これからも作品を楽しみにしてます。



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『青が破れる』町屋良平


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『しき』町屋良平


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『1R1分34秒』町屋良平

『ぼくはきっとやさしい』町屋良平



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『OUT』桐野夏生
人間の剥き出しの悪意がここにあります。

『青い脂』ウラジーミル・ソローキン 訳=望月哲男、松下隆志
最高にふざけている小説です。


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『あるきかたがただしくない』枡野浩一
やさしく善良な魂で書かれた文章のほんとの迫力があると思っています。

『雨月物語』上田秋成 訳=高田衛、稲田篤信
現代に失われかけたあやしい価値基準にうっとりしました。


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『エクリチュールの零度』ロラン・バルト 訳=森本和夫、林好雄
文章とはなにか、というのを体に刻み込まれた一冊です。

『女が嘘をつくとき』リュドミラ・ウリツカヤ 訳=沼野恭子
想像をはるかに超えるアクロバティックな展開に度肝を抜かれます。


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『海辺の光景』 安岡章太郎
小説でしか描けない風景がここにあります。

『枯木灘』中上健次
文章に肉体をかよわせるような一冊です。


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『黄色い雨』フリオ・リャマサーレス 訳=木村栄一
読んでいる間中、ずっと現実の視界も滅びゆく感覚に満ちていました。

『巨匠とマルガリータ』ミハイル・アファナーシエヴィチ・ブルガーコフ 訳=水野忠夫
圧倒的に巨大な小説です。泣けます。


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『源氏物語』紫式部 訳=大塚ひかり
圧倒的な物語の自由と精度に驚嘆しました。

『坑夫』夏目漱石
いつの時代にもある普遍的「現代」の生きづらさがここにあります。


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『サマー・オブ・パールズ』斉藤洋、奥江幸子
高校生の時に読みました。初恋の甘酸っぱさ、さわやかさが凝縮されています。

『地図集』董啓章 訳=藤井省三、中島京子
収録されている少年神農が最高にエーンターテインメントです。


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『伝奇集』ホルヘ・ルイス・ボルヘス 訳=鼓直
ここに文学の秘密が詰まっています。

『田紳有楽・空気頭』藤枝静男
圧倒的な小説です。


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『灯台へ』ヴァージニア・ウルフ 訳=御輿哲也
いちばん大切な小説です。ただしい風景が描かれているような気がしています。

『中尾太一詩集』中尾太一
最高にクールな詩集です。


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『野川』古井由吉
はじめて読んだとき、こんな格好いい文章があるんだ!という驚きがありました。

『ピアニストが見たピアニスト』青柳いづみこ
芸術とはなにか?の神髄が描かれています。


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『ペドロ・パラモ 』フアン・ルルフォ 訳=杉山晃、増田義郎
こういう小説が書けたら最高です。

『抱擁家族』小島信夫
このやるせない、やさしい感覚は小島信夫ならではの奇妙な文章だと思います。


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『ホリー・ガーデン』江國香織
江國香織の小説はだいたい絶望にはじまり絶望に終わるところが好きです。

『もものかんづめ』 さくらももこ
はじめて文章に光のようなものを感じた一冊です。


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『弓と竪琴』オクタビオ・パス 訳=牛島信明
文学の神秘について教えてくれた本です。

『ラカンの精神分析』新宮一成
はじめてひとの意識というものに興味を抱いた本です。



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# by dokusho-biyori | 2019-02-15 21:18 | 過去のフェア