古野まほろ『新任刑事』

東大法学部→リヨン第三大学法学部修士課程→警察庁I種警察官→警察大学校主任教授
というめっちゃキャリアな履歴を持つ古野さんだから、そりゃもう、警察小説のリアリティは群を抜いているのです。


は新潮社から5月末頃発売予定です。


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# by dokusho-biyori | 2017-05-20 11:04 | 試し読み | Comments(0)

17年05月 前編

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 今回、最も入手に苦労したのが『人形はなぜ殺される』だった。近所の大型書店に行ってもどこも置いていないし、営業先で探してもなかなか見つからなかったのだ。一応、まだ版元品切れにはなっていないようだが、このままだと再び絶版の憂き目も近いだろう。しかし、これほど素晴らしいミステリーが新刊で手に入らなくなるのは誇張でなく日本ミステリー界における大きな損失になる。ということで、ぜひ気になった人は書店で買って欲しい。面白さは保障済みである。

31位 水上勉『飢餓海峡』新潮文庫
 日々の暮らしに何となくの物足りなさは感じていたとしても、徹底的な欠乏感、飢餓感を覚えることは現代では稀だろう。ところが、つい60年ほど前まではこの国全体が絶対的な飢餓感で覆われていた。本書の犯人はそのなかでも圧倒的な飢餓感に突き動かされた人物だ。食べ物の欠乏だけではなく、金や地位、名誉といったあらゆるものへの渇望が、壮大な犯罪人生を彼に歩ませることになる。

 事件の発端は青函連絡船の転覆事故。多数の死者の中に乗客名簿にない二人の死体が発見される。同日札幌では強盗殺人が発生し、犯人が証拠隠滅を図った放火が街を焼き尽くす大火となっていた。二つの事件の関係性を疑い出した警察は、ある一人の男の存在にたどり着く。犯人もトリックも早い段階で明らかにされ、物語の大半は犯人の足跡をたどる刑事たちの執念の捜査に費やされる。この執念の捜査が一歩一歩犯人に近づいていく過程も読みどころなのだが、ちょっと視点を変えれば事件の捜査はすなわち、犯人の人生をたどる行為だと気づく。戦後の混乱期において一人の男が圧倒的な飢餓感に身を焦がすように生きてきた、壮絶な人生が浮かび上がってくるのである。

 全てを失った国において、全てを失った男が多くのものを手にしながら起こしてしまった悲劇の事件。10年に及ぶ捜査期間は一つの事件を追うには長すぎるだろうが、一人の男の人生をたどるには必要な時間だったのかもしれない。


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30位 山田風太郎『妖異金瓶梅』角川文庫
 山田風太郎のミステリーはその先進的なアイディアにおいて、多くのミステリー作家たちに影響を与えながらも「トリックの先取り」という点では後進を苦しめてきた(と思われる)。90位の『明治断頭台』、48位の『太陽黒点』などのメイントリックは「これを最初に思いついたのが自分だったら……」と悔やんだ小説家は何人いるだろう。この「トリックの先取り」において最も強烈なのがこの『妖異金瓶梅』である。あまりに大胆不敵なトリックにおどろいて、椅子から体がずり落ちた上に眼鏡もずり落ちたほどである。もちろん、どんなトリックなのかは明かさないが、連作形式の本書を第二章まで読み終えたとたん、この小説は異次元のミステリーに変貌するのだ、とだけ明記しておこう。

 ただ、メイントリックにばかり気をとられるのはもったいない。短編個々のトリックも十分すぎるほど素晴らしく、「赤い靴」などはオールタイムベスト級の傑作である。というより、メイントリックのおかげで短編一つ一つのトリックがじっくり楽しめる構造になっていて、読者は「次はどういうトリックを見せてくれるのだろう」と期待しながら次から次へとページを捲り続けることが運命づけられている。

 ちなみに、本書は中国四大奇書(場合によっては三大奇書)に数えられる『金瓶梅』『水滸伝』をベースにしながら書かれたミステリーである。北宋時代の大富豪・西門慶の屋敷で次々と起こる事件の謎を描きながら、武松などの梁山泊一派の影もちらつく。つまり、山田風太郎お得意の伝奇小説テイストも楽しめるのだ。山風エッセンスが凝縮された大傑作である。


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29位 高村薫『レディ・ジョーカー』 新潮文庫
 恐ろしく多種多様な要素を含んだ小説である。もちろん、主軸となるのは「レディ・ジョーカー」と名乗る犯罪集団が起こす誘拐事件と企業恐喝とはっきり分かる。ただ、そこからいくつもの物語が派生的に語られることになる。事件を捜査する警察の物語はもちろん、事件を追う記者、恐喝に脅かされる企業の経営陣、経済界の闇の部分……、様々な登場人物が「レディ・ジョーカー事件」を中心にそれぞれ全く違った思惑で行動する。企業恐喝だけでも十分大きな事件だが、著者はさらに踏み込んで事件が巻き起こすあらゆる波紋を描き、日本全土を巻き込んだ壮大なうねりを描いている。

 物語は壮大とはいえ、分解されれば結局個々の物語の集合だ。犯罪者たち、捜査本部の刑事、企業の社長、新聞記者、それぞれの視点を行き来しながら「レディ・ジョーカー事件」は語られる。まるで、テレビ番組をザッピングするように。犯人に翻弄される人々がいたり、犯人の思惑とは関係なく事件と関わる人物がいたり、個々の思惑が錯綜する様がリアリティたっぷりに描かれている。事件を犯罪者と警察の単純な二項対立として描くのではなく、事件の周辺人物たちの群像劇をして描いたことが、陰謀入り乱れる予測不可能な物語を完成させたのだ。

 最後に本書を読むにあたって、「レディ・ジョーカー事件」が「グリコ・森永事件」をモデルにしていることと、仕手株、総会屋といった言葉の意味は理解しておいたほうが物語を十分に楽しめることを指摘しておく。

28位 高木彬光『人形はなぜ殺される』 光文社文庫
 人が殺された時、怨恨だったり遺産目当てだったり、それ相応の理由が用意されているのがミステリーの約束事で、必ずと言っていいほど動機は論点に挙がる。「人はなぜ殺される」これは至極まっとうな疑問であり、いまさら鹿爪らしい顔で問いを発してもなんら新鮮味はない。しかし、殺されるのが人形ならば? 殺人事件の直前に人形が殺されていたとしたら、――人形はなぜ殺される、この問いは小説の焦点になるほどの重大な疑問になるのである。

 殺人事件と人形の消失を絡めた小説はアガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』を筆頭に数多く生み出されてきた。しかし、それらの多くは殺人事件の装飾物であり雰囲気作りに一役買っている程度だった。それもそのはず、殺人を実行する人間がわざわざ人形をいじる必要はないのだから。つまり、いわばミステリー小説の余剰ともいえる要素を見事にトリックとして仕立て上げたのが本書である。人形とすり替えられた首、列車に轢かれる人形、見事なトリックに必要不可欠なのだ。32位の『刺青殺人事件』でもモチーフとトリックの両立を成し遂げていたが、本作でも人形が醸すミステリアスな雰囲気とトリックが見事に調和している。心地よい作品世界に浸っていたら、その舞台設定そのものに驚かされる、ミステリー好きには至高の体験が約束された作品。


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27位 江戸川乱歩『孤島の鬼』 創元推理文庫ほか
 日本探偵小説の父といわれている江戸川乱歩だが、その業績を一冊の本に凝縮したとしたら、本書になるだろう。本格ミステリーの謎解きと読み物としての面白さを日本的な作品風土の中で実現したのが『孤島の鬼』なのだ。

 物語は二部構成になっている。前半は東京を舞台に連続殺人事件を描いたミステリー。密室殺人に衆人環視下での殺人と「ザ・本格ミステリー」な事件を素人探偵が解決する。驚きの真相が明らかになった瞬間、新たな謎が提示されて、主人公は孤島へと赴くことになる。そして、妖しげな一家が支配する孤島においてサスペンスフルな宝探しが始まる。そう、探偵の推理はいつものように物語に終止符を打つ役割を果たさない。むしろ殺人事件に隠された大きな闇を探り当て、物語を大きく展開させるために探偵は推理するのである。前半の殺人事件を解決することで巨悪と対峙する後半があるのであり、後半があるからこそあのトリックが成立しうる、見事としか言いようのない「メビウスの輪」のような構造が、探偵の推理によって成り立っているのである。

 異なる性質の物語が巧みな筆によって描かれる物語。本格ミステリーにサスペンス、そして猟奇性といった所謂「江戸川乱歩的なもの」のフルコースを味わえる作品だ。

26位 原寮『私が殺した少女』 ハヤカワ文庫
 概してハードボイルド小説の主人公は不運であるように思われるが、本書の主人公はそれを自覚した上で自身の運命をこう表現している。「まるで拾った宝くじが当たったような不運」。主人公である私立探偵の不運は誘拐事件に巻き込まれたことから始まる。それは何ともアクロバティックな巻き込まれ方で、犯人が身代金の受け渡しに主人公を指名したのである。もちろん、誘拐被害者の一家とは面識も何もない主人公である。指名される理由は分からないものの、受け渡し役を引き受け不運の泥沼に入り込んでいくことになる……。

 冒頭の誘拐事件に関してだらだら筆を費やすことはしない。この順位の小説で誘拐モノがつまらない訳がないし、なにより誘拐事件は早々に決着してしまう。物語のメインはその後の誘拐事件の真相究明にある。被害者の親族から誘拐事件の継続捜査(厳密にはやや違うが簡略化)を依頼された主人公が、依頼主の親族四人が誘拐事件に関わっていないかを調査しつつ、事件の真相にたどり着こうとするのがこの物語のメインだ。依頼の趣旨は「四人が事件に関して潔白であることを調べて欲しい」というものだが、それぞれの関与を調べるにつれて「誘拐被害者一家」が抱える問題・事情etcが明らかにされる。そして、その調査結果から次第に事件の真相も明らかになるのである。人を描きながら事件も描く、見事な構成である。調査ものの醍醐味とミステリーの驚き、ハードボイルドのカッコ良さが全て詰った一冊だ。


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25位 松本清張『砂の器』 新潮文庫
 発端は身元不明の死体が線路の上で発見された事件。手がかりは事件直前に若い男と被害者が飲み屋で話しこんでいたという目撃情報のみ。警察はわずかな手がかりをもとに被害者の身元特定、そして犯人の特定にのりだす。しかし、インターネットもテレビもない時代のことだ。我々の想像もつかないほど被害者の身元を特定するのは困難を極めるのだった。

 マスメディアが発達していなかった舞台だからこそ、刑事の個々の執念が光る。彼らの執念が浮き立てば浮き立つほど、読者も近づいては遠のく真相のとりこになってしまうのだ。なにせ解明すべき謎は山ほどある。被害者の身元、犯人との接点、犯行の動機、そして真犯人の正体……。これらすべてが警察の捜査を描くことによって明かされるのではない。並行して描かれる前衛芸術家たちの物語が事件捜査と交叉し始めた瞬間から事件は真相の断片を現し始めるのだ。泥臭い事件捜査の世界とハイカラな若い芸術家たちの世界を交叉させ、事件を形作る複雑な人間関係の綾が解き明かされていく過程は見事としか言いようがない。執念の捜査で明らかにする事件の真相、まとめてしまえばこれだけだが、熱量を感じる執念の書き方、単純な様で計算された事件の構造に引き込まれてしまうのは必至だ。

24位 江戸川乱歩「二銭銅貨」 文春文庫『江戸川乱歩傑作選 獣』収録
 たった二枚の銅貨からここまで話が膨らむものなのか。ざっくり話の筋を説明すれば、帝大の貧乏学生が二枚の銅貨から推理に推理を重ねて大金の隠し場所を探し当てるという、いわば「論理のわらしべ長者」。この小説が乱歩のデビュー作であり、「本格的な探偵小説を書いてやる」という意気込みを感じる短編に仕上がっている。謎解きよりも怪奇色が強かった「変格探偵小説」が多かった当時、論理性を重視した作品を世に送り出すことは乱歩の強い願望だったに違いない。それはこの小説がほとんど探偵役の台詞、つまり推理で成り立っていることが表している。銅貨の発見からどのような思考の筋道をたどって金のありかを突き止めたのか、探偵の思考をたどることが物語になっているのである。物語に謎があって推理をするのではない。謎を推理をすることが謎を生み、その謎を推理することでまた謎が生まれていく……、まさに推理をすることそれ自体が物語となった、最高度に純度の高い探偵小説だ。ミステリーを読む醍醐味が最も体感しやすい小説の一つといえよう。

 「純粋に論理的な小説? なんだか難しそう……」と思われたなら謝らねばなるまい。要するに「一人の男が語る、地に足ついた妄想話」だと思ってもらって間違いない。抜群に面白い妄想であることは約束する。


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23位 京極夏彦『姑獲鳥の夏』 講談社文庫
 この作品がミステリー界に与えた衝撃は計り知れなかっただろうと思う。それも全てあの「驚愕の真相」にあるのだが、この「驚愕」の意味合いが他のミステリーの宣伝文句と違っている。賛否両論、まさに未知のジャンルと遭遇した戸惑いを含んだ驚愕だったのだ。

 京極夏彦はこの作品で一種の実験をしたのではないかと考えている。それは科学的、哲学的な知識や論理を極限まで突き詰めたうえでしか構築できないトリックは可能かという実験だ。冒頭で京極堂と関口が交わす(京極堂がレクチャーする?)認識論や記憶に関する問答を長々と繰り広げるのであるが、あれは「驚愕のトリック」を成立させるための土壌を読者の中に作る準備作業であり、SF小説であれば作品世界の説明に当たるものだったのだ。この論理の土壌なしにして真相のみを知ったのであれば、あのトリックは「トンデモトリック」として相手にすらされないだろう。しかし、京極堂のレクチャーによって論理の土壌が出来上がっている読者は(賛否こそはあれ)あの真相を理解できてしまう。と、同時にこの本が今まで体験したことのない種類のミステリーだったことに気づくのだ。

 賛否両論巻き起こしたミステリー、これが成功したか否かはこれがシリーズ化し、非常な人気を博している事実が答えになっている。

22位 有栖川有栖『双頭の悪魔』 創元推理文庫
「読者への挑戦状」、探偵が真相を語り出す直前にはさまれる、「ここまで読めば真相に到達することはできる。さあ、読者よ推理したまえ」といった主旨のページ。これが本書では都合三回も繰り返される。なぜ三回も繰り返されるのか、それはこのミステリーが三段ロケットのような構造になっているからなのと、それだけフェアな論理を展開できると著者が自負しているからだ。

「学生アリスシリーズ」の第三作目にあたる本作は、おなじみの推理小説研究会のメンバーが、奇しくも二グループに分かれて事件に遭遇する。完全に連絡が途絶えてしまった状況でそれぞれに事件の真相を解明するのである。つまり、名探偵役の江神二郎が不在のグループ(有栖川、織田、望月)もディスカッションを重ねながら犯人の名前を言い当てるのである。探偵・江神の明晰な推理もいいが、行きつ戻りつのディスカッションも面白い。もちろん、「読者への挑戦状」を挟んだ後の解決編になるので、両者とも鮮やかな論理で犯人を言い当てる。

 以上で終わったとしても十分ミステリーとして満足な作品だが、この二つの事件が解明された後にも「読者への挑戦状」は突きつけられる。そう、コトは二つの事件を個別に解決して終わりではなかったのだ。第一、第二の解決編の後、安心しきっていた読者は最後の最後に最も驚くべき推理を江神の口から聞くことになる。論理の美しさもさることながら、事件の構想も練られた本格推理の一つの完成型である。



後編に続く⇒



















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# by dokusho-biyori | 2017-05-03 08:59 | バックナンバー | Comments(2)

17年05月 後編

⇒前編から続く


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 ここのところ珍しく、立て続けに翻訳ものばかり読んでいてしかもアタリばっかりだったから、今回はそれらをまとめて紹介したい。

 キルメン・ウリベ『ムシェ』(金子奈美訳/白水社)は、ずーっとフィクションだと思っていたけど、実在の人物に材を取った半ばノンフィクションだった。「ムシェ」とは、その人物の名前。

 冒頭は、悪名高きゲルニカ爆撃の描写だからスペイン内戦の話かと思ったらそうではなく、スペイン内戦から第二次世界大戦の終了までを、ベルギーの文学青年ロベール・ムシェとその家族、友人の目を通して描いた物語。ではそのムシェとは何者か? サブタイトルに《 小さな英雄の物語 》とある通り、恐らくはどこの国の歴史教科書にも登場はしないけど確かに存在した筈の、当時大勢いたであろう勇気と善意を兼ね備えた一市民。

 その半生は、例えば内戦が激化するスペインからの疎開児童を引き取ったり、その内戦を記者となって取材したり、ナチスによって第二次世界大戦の幕が切って落とされると、ベルギー国軍に徴兵されて前線で戦ったり、負傷して後送され入院したりする。そして、ベルギーがナチスに屈した後、占領下の見せかけの平和の中で生涯の伴侶ヴィックと結ばれ、子宝にも恵まれ、一時的ながらも幸せな生活を手に入れる。

 といったところまでが物語の前半分。そしてここで、「ところが」という接続詞を使わなければならないのがとても残念。物語の後半で展開するのは、「小さな英雄」という称号に相応しいムシェの、そして彼の妻ヴィックの生き方。「自分がその立場だったら、同じ事が出来るか?」と何度も自問しながら読み進めたのだけれど、勿論、考えるまでもなく俺には無理。

 ムシェは、占領下のベルギーでレジスタンスに身を投じる。資金を集め、時には自ら軍用列車に爆薬を仕掛ける。そして、親衛隊に捕まり、強制収容所に送られる。


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 この間のムシェの行動も英雄的なんだけれども、僕はそれ以上に、ムシェの生還を信じ続ける妻ヴィックの気概とか愛情とか健気さとかに、強く心を揺さぶられた。ムシェがどこかで生きていると、そして必ず我が家に帰って来ると信じて、彼に話しかけるつもりで綴った日記が現存するんだけれども、そしてその一部が本書にも引用されているんだけれども、それを読んで胸打たれない者が果たしていようか? いや、いない(反語)。「小さな英雄」とは、だから、一人ムシェだけを指す言葉ではないんだろうな。

 そして全編を通して、当たり前だけど、やっぱり戦争は愚かで無残で悲しいな、と。それぞれの国が掲げるそれぞれの「正義」の名の下に、人々の文化も生活も幸せも未来も、木端微塵に吹き飛ばしてしまうのが戦争であり、本書の爆撃砲撃虐殺の描写と、つい最近ニュースで目にしたシリアの惨状がどうしても重なって、そんな「正義」なら要らん! と、どこの誰にともなく強く激しく訴えたい。

 岡倉覚三(天心)が、『茶の本』の中で言っている。
《 Fain would we remain barbarians, if our claim to civilization were to be based on the gruesome glory of war.――われわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう 》と。
或いは、ジョン・レノンだって『Happy Xmas』で歌っている。
《 War is over if you want it.――みんなが望めば戦争は終わるよ 》と。

 本書カバーの写真は、その後の運命も知らずに家族でくつろぐ、在りし日のムシェ一家。こういう幸せを燃やしつくしてしまうのが戦争なんだと、改めて痛感させられた読書だった。


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 同じ時代の作品をもう一つ。物語が展開する場所も時代も作中で名言されている訳ではないけれど、著者の出自などから、ナチスドイツに蹂躙されていた頃のハンガリーが舞台だろうと言われてます。

 という程度の予備知識しか持たずに手に取ったアゴタ・クリストフ『悪童日記』(掘茂樹訳/ハヤカワepi文庫)は、戦火を逃れて疎遠だった祖母の家に疎開してきた双子の男の子(十歳ぐらい?)たちが主人公。戦争の影響で学校が閉鎖されてしまったため、文章の練習のために彼らが自主的に書き継いだ日記、という体裁をとる作品。主役の双子は、乱暴な喩え方をすると、野坂昭如『火垂るの墓』の清太・節子兄妹をもっとずる賢くタフで冷酷非情にした感じ。

 例えば、母を思い出す度に辛い思いをしなくて済むようにと、彼らがとった行動は……母の優しい言葉の数々を何度も何度も繰り返し口にする。《 私の愛しい子! 最愛の子! 大好きよ……けっして離れないわ 》と。そうやって飽きるまで繰り返すことで、思い出すことによる痛みを麻痺させる。……たかだか十歳かそこらの子どもに、なんちゅーことをさせんねん、戦争は(泣)。

 右はほんの一例で、過酷な環境を乗り切る為に彼らは彼らなりの倫理観を養いながら育っていくんだけども、その行動が僕の目には独善だったり無慈悲だったりに映ることが実は多々ある。でも、周囲に叱ったり導いたりしてくれる大人がいない以上、それもやむを得ないのかなと感じると同時に、先々どんな大人になってしまうんだろうと考えると、憐れでもあり恐ろしくもある。『論語』の《 思いて学ばざれば則ち殆し(思而不学則殆)》を嫌でも想起してしまう。勿論、彼らの「殆さ(あやうさ)」は彼らのせいではなく、やはり戦争が悪いのだけれども。


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 次は北欧はアイスランド発のミステリー。ラグナル・ヨナソン『雪盲』(吉田薫訳/小学館文庫)は、五月九日発売のピカピカの新刊。

 舞台はアイスランドの田舎町シグルフィヨルズル。主人公は、新人警察官のアリ=トウル・アラソン。

 というカタカナを聞いただけで敬遠してはいけない。確かに他にも、パトレクスフィヨルズルだのホウラヴェグルだのといった日本人には馴染み難すぎる地名や、フロルフュルだのカルトゥルだのウールヴルだのといった、男か女かの判別も出来ない人名が沢山出てくるけど、特に人物については著者の描き分けがしっかりしていて、あと多分翻訳もこなれていて、最初の印象よりも遥かに読みやすいことに驚く筈だ。

 で、そのストーリーはと言うと、アリ=トウルが警察官になったのは別に正義感あってのことではなく、不況が長引く中で他に働き口が無かったというだけの動機。だから首都レイキャヴィークからシグルフィヨルズルに引っ越すことも想定外だったし、結婚も視野に入れていた恋人が一緒に来てくれないのも想定外だし、赴任先がとんでもない田舎だったのもアイスランドでも有数の豪雪地帯だったのも想定外。つまり彼は、着任した時点で既に半ば後悔しており溌剌としたルーキーらしさが全然無い(笑)。おまけに、田舎すぎて事件らしい事件も全く無いから、仕事に遣り甲斐も感じていない。

 が、或る日、アイスランドの国民的作家が階段から転落死する。何も起こらないことに慣れ切った上司は「事故」として簡単に処理を進めるが、幾つかの不自然な点が気になったアリ=トウルは、独断で死者の近辺を探り始める。

 そして数日後、彼は夜中にふと目を覚ます。《 階下で床板がきしむ音がした。突然、目が覚めた理由がわかった。家の中に誰かいるのだ。自分以外の誰かが 》。という辺りまでで物語の約三分の一。

 以降、雪に閉ざされた最果ての薄暗さの中で、アリ=トウルの地味で孤独な捜査が進んでゆく訳だけれども、田舎町特有の人間関係や、住人たちそれぞれが抱える屈折した過去へのこだわりが薄紙を剥ぐようにじわじわと明らかにされてゆく過程は、極端な起承転結や派手などんでん返しは無いのに飽きさせない。おまけに、新天地でのアリ=トウルの仄かな恋という読ませどころもあって、最後まで滞ること無く読了した。著者は新人らしいけど今後も楽しみ。


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 最後にもう一つ北欧の作品を。『満開の栗の木』(柳沢由実子訳/小学館文庫)の著者カーリン・アルヴテーゲンは、スウェーデンで一番人気の作家だそうだけど、ゴメン俺はちっとも知らなかった。

 視点は主に二人。アンダシュ・ストランドベリ(♂)は四十代半ばにして大成功している実業家で、お金には全く不自由していない大富豪。にも関わらずと言うか、だからこそと言うべきか、強烈な虚無感を抱いて自殺をはかり、しかし運よく大した怪我もせずに命拾いする。

 そんな彼がふとした気まぐれから訪れた山村のさびれたホテルのオーナーが、もう一人の主人公ヘレーナ(♀)。半年前に離婚したばかりでその傷は未だに癒えず、しかも反抗期の娘との断絶にも悩みながら、希望を持てずに鬱々と日々を浪費している。

 で、この二人が出会って何が起こるかと言うと、実は特別な事は何も起こらない。アンダシュは、うんざりするような現実を逃れる為に、素性を隠してホテルに住み込みの大工として働き始める。そして《 なにか新しいことが目の前に現れたら、必ずやってみること 》と自分に誓って、人生の寄り道をスタートさせる。

 ヘレーナは相変わらず娘の反抗に手を焼き、底意地の悪い隣人との付き合いに悩まされ、狭い村社会の噂好きな人々に苛立ち、そして、自分を捨てて去った元・夫への恨みつらみが、心の中で不完全燃焼のまま常に燻っている。

 この二人が急速に恋に落ちたりするのかと思ったらそんな安易な展開にはならず、かと言って殺人などの事件も起こらず、ホテルの経営を立て直すお仕事小説になる訳でもなく、ならば何が描かれるのかと言うと、森の中のボロ小屋に住む奇妙な老人との出会いをきっかけに、アンダシュとヘレーナが各々の過去を振り返り、否定してきた考え方を許容したり、拒否してきた人物を受け入れたりする姿が、抑制の利いた筆致で綴られる。


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 例えば三角錐という立体を見る時、真横からだけしか見なければそれは三角形にしか見えないし、下からしか見なければ今度はそれは円にしか見えないだろう。見ている物は同じ三角錐であるにも関わらず、見る角度によってまるで違う形に見えてしまう。そして、自分が見ている角度だけが唯一正しい見方だと頑なに信じている限り、その人にはその立体の真の姿は絶対に分からない。

 本書を読んで強く思ったのは、ひょっとして人生にも同じような理屈が当てはまるのではないか? ということ。

 仕事や学校や家庭や地域や血縁など、様々なシーンで出逢う人間関係や事象に於いて、自分の見方に固執する余り、その物事の本質を見誤っていることが、即ち三角錐を三角形や円だと思い込んでいるのと同じような過ちが、僕たちの日常には溢れていたりはしないだろうか?

 アンダシュとヘレーナは、雪深い田舎の自然の中で、徐々に徐々に、そのことに気がついてゆく。そして一度気がつくことが出来れば、忌わしく呪わしかった筈の過去や、煩わしいだけのものだった人間関係が、別の形に見えてくる。過ちや失敗の原因が自分にあると認めたくないが故に、偏った角度でしか見ようとしていなかった物事の真の姿を見つめることで、彼らは少しずつ自らを縛っていた鎖を断ち切ってゆく。そのプロセスが、穏やかで気持ちがいい。

 物語は、もうほんの少しだけ先の展開が知りたい、というぐらいのところで、漸く訪れた遅い春の兆しとともに静かに終わる。アンダシュとヘレーナのその後の人生を想像しながら、馥郁とした余韻に長く浸れる読書になった。



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『悪童日記』アゴタ・クリストフ/堀茂樹 訳
『姑獲鳥の夏』京極夏彦
『江戸川乱歩傑作選 獣』江戸川乱歩 著/桜庭一樹 編
『飢餓海峡』水上勉
『孤島の鬼』江戸川乱歩
『砂の器』松本清張
『雪盲』ラグナル・ヨナソン/吉田薫 訳
『双頭の悪魔』有栖川有栖
『人形はなぜ殺される』高木彬光
『満開の栗の木』カーリン・アルヴテーゲン/柳沢由実子 訳
『ムシェ』キルメン・ウリベ/金子奈美 訳
『妖異金瓶梅』山田風太郎
『レディ・ジョーカー』髙村薫
『私が殺した少女』原尞


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編集後記
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連載四コマ「本屋日和」
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5月のイベントカレンダー
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# by dokusho-biyori | 2017-05-03 08:35 | バックナンバー | Comments(0)