一行怪談

PHP文芸文庫から
という、薄めの新刊が出ている……ということを
名古屋の七五書店さんのブログで知ったんだが。




で、早速自店の売り場で内容を確認してみると、や、や、や、確かに怖い。
っていうか、薄気味悪い。一瞬考えて、意味が解った途端、背筋がゾワッと。
中には、どうしても意味が解らないものもあるんだが、
一編が一文、行数でせいぜい4~5行だから、
解らないのは気にせず飛ばして次々とページをめくっていける。
ゾワ~ッとなったやつは、つい誰かに読ませたくなる。
という訳で、幾つか引用してみましょう。

【今まさに電車が迫る線路上に、
物欲しげな目つきの人々が立っていたので、
踏み切りに身を投げるのは止めにした。】


これなんかは、比較的解り易い方ではなかろうか。視覚的に怖いのは、例えば

【ある朝目覚めると、全ての家具に嚙み跡がついていた。】

でも、本当に怖いのは、すぐには意味が解らないやつ。例えば

【寝る時に必ず、洗濯機を回し続けることだけは忘れないよう願いますが、
それさえ守ればたいへんお得な物件だと思いますよ。】


えっ? なんでなんで? 洗濯機を回さなかったらどうなるの?
俺にはそれは解らないんだけど、解らないからこそ怖い。
とにかく、強制的に想像力をかきたてられる、とでも言いますか。

その最たるものが、こちら。

【雨ふきつけ過ぎゆくバスの、
笑い合う母子が座る曇り窓になぞられた、
〝たすけて〟という鑑文字。】


とまぁこんな感じの「怪談」が全部で何個あるんだろう。100じゃきかないと思う。
文庫売り場でドーンと積んでいるので、御用とお急ぎでない方はお手に取ってお確かめを。
きっと背筋が粟立って、その後、誰かに話したくなりますよ。























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# by dokusho-biyori | 2017-07-16 15:10 | サワダのひとりごと | Comments(0)

愛と哀しみの遭難文学

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『エンデュアランス号大漂流』エリザベス・コーディー・キメル 訳=千葉茂樹
『おろしや国酔夢譚』井上靖
『完訳ロビンソン・クルーソー』ダニエル・デフォー 訳=増田義郎
『タイタニック百年目の真実』チャールズ・ペレグリーノ 訳=伊藤綺


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『たった一人の生還』佐野三治
『チャンセラー号の筏』ジュール・ヴェルヌ 訳=榊原晃三
『東京島』桐野夏生
『トルコ軍艦エルトゥールル号の海難』オメル・エルトゥール 訳=山本雅男、植月恵一郎


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「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」エドガー・アラン・ポオ 訳=大西尹明 他
『パイの物語』ヤン・マーテル 訳=唐沢則幸
『蠅の王』ウィリアム・ゴールディング 訳=黒原敏行
『漂流』角幡唯介

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『漂流』吉村昭
『漂流の島』高橋大輔
『アイガー北壁 気象遭難』新田次郎
『植村直己 妻への手紙』植村直己


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『神々の山嶺』夢枕獏
『失踪者』下村敦史
『死のクレバス』ジョー・シンプソン 訳=中村輝子
『すぐそこにある遭難事故』金邦夫


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『聖職の碑』新田次郎
『遭難者』折原一
『遭難のしかた教えます 』丸山晴弘
『大岩壁』笹本稜平


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『凍』沢木耕太郎
『灰色の北壁』真保裕一
「宇宙漂流」小松左京


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# by dokusho-biyori | 2017-07-16 11:23 | 開催中フェア | Comments(0)

17年07月 前編

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 今回でこのチャレンジも最後である。ここまでくると全て名作ぞろい。ほとんど読んだことがある作品ばかりである。必然的に再読という形になったが、どれも新しい発見があって面白い。その中でも一番はやはり『獄門島』である。再読すればするほどおもしろくなっている気がするというのは、やはり一位を獲得するゆえんなのだろう。

10位 横溝正史『本陣殺人事件』角川文庫

 密室殺人というのは魅力的な謎であるにもかかわらず、実際的な面から考えるとこれほど不経済な殺し方はない。トリックを考えるのには時間と労力が必要だし、「針と糸をあやつって閂を……」などと只今絶賛トリック実行中に誰かに目撃されてしまう可能性だってあるし、何よりもわざわざ密室を演出する理由が「自殺に見せかけるため」以外にそうそう思いつかない。つまり、ミステリー作家がわざわざ密室殺人を描くとしたら、以上の不経済をふまえて読者を納得させるトリックを考えなければならないのだ。

 その点において『本陣殺人事件』ほど見事に、密室殺人事件の不経済性を解決しているトリックはなかなか無い。結婚式の後、初夜を迎える夫婦が日本刀で切り刻まれ、現場となった離れの周囲には足跡ひとつない新雪が積もっているといった所謂「雪の密室」のトリックは、その周囲にちりばめられた伏線と見事に連携した傑作である。真っ向から勝負した密室トリックとあっと言わせる捻りの効いた犯人、そして何よりもある怪現象が物語の雰囲気を盛り上げるだけでなくトリックの重要な部分に関わっているという、全てが一つの絵のピースでありながら人工的なわざとらしさを感じさせない構成はもはや神業である。江戸川乱歩の「D坂の殺人」以降、日本でも様々な密室トリックが考案されてきたが、かくも物語と融合したトリックは本作くらいではないか。密室トリックを扱ったミステリーとして初期の作品でありながら一つの完成型ともいえる傑作である。

 余談だが、本作はかの有名な名探偵・金田一耕助の初登場作品である。その歴史的価値も感慨深いものがある。


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9位 京極夏彦『魍魎の匣』講談社文庫

 ミステリー小説はよくパズルに例えられるけれども、この『魍魎の匣』はタイトルにあるように匣に例えられる小説かもしれない。バラバラな断片が綺麗に、みっちりと詰った匣――。事件の要素を匣の中身とするならば、物語るとは断片を一つ一つ取り出して読者に見せることであり、事件を解決することは取り出した断片をきっちり元通りに匣につめる行為になるだろう。つまり『魍魎の匣』を読むということは、バラバラの断片を一つ一つきっちり匣につめていく様子を眺めるようなものだ。

 新興宗教、少女連続バラバラ殺人、密室から消えた瀕死の美少女……、著者はそれら断片を次から次へと読者の目の前においてみせる。全ての断片が読者に提示されたとき、つまり小説でいう事件部分が終わり、さあこれから探偵が謎解きを始めようと腰を上げる瞬間、読者は困惑してしまう。「はたしてこれだけのものがもう一度、あの匣に入りきるのであろうか?」と。ところがそんな読者の心配をよそに、京極堂は次々と真相を明らかにして複数の事件と断片は小説『魍魎の匣』という匣の中に収められる。そう、彼の推理が全て語り終わったとき明らかになる事件の全体像は、断片=ピースが全て有機的に繋がったパズルとはちょっと違っている。強い関係性はないけれども、確かに小説の中では共存している断片同士。やはりそこは、隙間もなく飛び出すこともなく小説『魍魎の匣』に詰められた断片同士の関係性を思ってしまうのだ。「パズルではなく匣? はて何のことやら」と首を傾げてしまうのは当然。それほどこの小説は奇妙な構造をしているのだ。複数の事件が発生するミステリーの新たな視点。よくもまあ、あれだけ奇妙で数多い断片を綺麗に「収納」したものだと感心せずにはいられない。


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8位 綾辻行人『十角館の殺人』講談社文庫

「ミステリーに興味があるけど何から読み始めたらいいかわからない」という人に最初の一冊として、必ず『十角館の殺人』を薦めるようにしている。なぜなら本格ミステリーの醍醐味を一番分かりやすく、かつ高い完成度で味あわせてくれるのはこの本をおいて他にないと考えているからだ。

 設定はアガサ・クリスティーの傑作『そして誰もいなくなった』(海外ランキングの一位。読んで損なし!)のオマージュで孤島に招待された男女が次々と殺されていくというクローズドサークルもの。そこに本島に残された者たちが過去に孤島で起きた事件の真相を探る「本島パート」が謎解きの妙味をプラスしている。それぞれ単独で素晴らしく面白いミステリーとして完成されているのだが、最後に最大の一撃が待っている。たった一行、たった数文字にこれほど驚かされたことはいまだかつて無い。

 かような仕掛けはミステリーマニアでも、いやマニアだからこそ引っかかってしまうかもしれない。というのも、『十角館の殺人』は古今東西あらゆるミステリーの小ネタやオマージュが散りばめられているので、マニアはそのディティールを「俺は分かるぞ」とニヤニヤしながら読むことになる。しかし、散りばめられた小ネタはトリックを覆い隠す煙幕となってマニアの目を曇らせているのである。自身も相当なミステリーマニアだった著者が、同類の生態を踏まえて描いた驚きの犯罪に、(ネタばれされる前に)一度驚くことを強くオススメする。

7位 天藤真『大誘拐』創元推理文庫

 立てこもり犯や誘拐犯に感情移入してしまう被害者の心理をストックホルム症候群というらしいのだけれど、『大誘拐』の誘拐被害者であるおばあちゃんはその域を超えて、犯人グループに助言を与え、陣頭指揮を執るボスのような役割を果たす。古今東西あらゆるミステリーはあれども被害者が犯人に協力する事件などこの作品を除いては他にないだろう。

 そもそも誘拐ミステリーの面白さは、必ず現在進行形の事件を描かざるをえず、目に見えぬ犯人の、着地点の分からない指示に作中の警察と一緒に翻弄され続けるサスペンス性にあると思っている。その点で言うと『大誘拐』は犯人側の視点で描かれる倒叙形式であるので犯人側の目的が分からないというサスペンス性はうすい。分からないのは被害者側の目的である。誘拐されたおばあちゃんが次はどんな指示を出すのか、身代金の受け渡しはどうするのか、そしてなぜ犯人に協力するのか。警察と読者が翻弄されるのは犯人ではない。物語の主導権を握っているのは誘拐事件の被害者なのである。「犯人が事件の主導権を握る」という常識をひっくりかえしたところに『大誘拐』の最大の魅力が詰っており、最大のトリックが隠されてもいるのだ。

 警察、犯人、そして読者を手玉に取る最強の被害者は、最高の誘拐劇を味わわせてくれる。


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6位 松本清張『点と線』新潮文庫

 ミステリーというジャンルは納得のいく解決=現実での再現性がありそうな事件の真相が強く求められる反面、密室殺人やバラバラ殺人など派手で荒唐無稽な事件ほど好まれるという矛盾を抱えているのではないだろうか。謎解きの意外性と面白さを追求するほどに、現実から乖離してしまうのだ(その極限的な例が『黒死館殺人事件』である)。では、リアリティを求めたミステリーは退屈なのか、その反証として松本清張の『点と線』はミステリー史に屹立している。

 事件自体は極めて単純な殺人事件であり、用いられているアリバイトリックも凡庸だし探偵役の刑事の推理も快刀乱麻を断つとは程遠い。しかし、小説の主眼はそこにはない。鉄壁と思われた容疑者のアリバイをあらゆる証言・証拠と小さな発見から崩していく過程にあるのだ。というミステリーは今までもいくつかあったように思うが、『点と線』の捜査過程は挫折の連続である。手がかりをつかんだと思えばアリバイは崩せず、トリックを見破ったと思えば別の証言で否定され、用意周到すぎる犯人の計画に敗北の連続である。いったいどうすれば犯人のアリバイを崩せるのかという興味が尽きない。

 荒唐無稽な事件も、派手派手しいトリックも必須ではない。捜査そのものへの歓心を得ることができればミステリーの傑作たりうる。松本清張の処女長編であり社会派ミステリーブームの火付け的な役割という歴史的価値を差し引いても一読する価値がある。

5位 宮部みゆき『火車』新潮文庫

 たった一人の女性が行方不明になったというだけの事件のはずだった。しかし、行方不明者の探索は、やがて隠された重大な犯罪にたどり着く。ピアノ独奏曲を聴いたと思っていたらいつの間にかオーケストラの演奏を聴いていた、そんな気分である。

 物語のベースにあるのはカード破産問題だ。婚約者がカード破産した過去が知られた瞬間行方不明になってしまった、という甥からの相談に休職中の刑事が捜査に乗り出すというあらすじだが、要するに一人の女性の半生を、関係者を辿りながら明かしていく物語である。一見単調なあらすじだが、行方不明の女がただものではない。「ただの行方不明者」という字面も奇妙だが、それの奇妙さが腑に落ちてしまうほど前半のクライマックスに用意されているある事実は物語を一変させてしまう威力を持っている。興信所にでもどうぞと言いたくなる依頼は、いつのまにか謎と犯罪のにおいがプンプンするミステリーへと変貌するのだ。

 60位の『理由』でもそうだったが、宮部みゆきという作家は、現実にある社会問題からミステリーとしての謎を創造する手腕に優れている。現実から虚構を生み出す能力は、『火車』ではカード破産という誰の身にも振りかかる災難(作中では「公害のようなもの」とまで言われる)から、この小説でしかありえない特別な事件を生み出してしまったのだ。まるで日常という足場が音をたてて崩れて、恐ろしくも魅力的な虚構の世界に足を踏み入れてしまったアリスのように味わっていただきたい。


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4位 夢野久作『ドグラ・マグラ』角川文庫

 読んだ人間は一度精神に異常をきたす――『ドグラ・マグラ』をかように評した言葉がある。精神病の患者を描いたミステリーであるこの小説の、あまりに真にせまった内容が読む者の精神にまで影響を及ぼすということなのだろう。確かにこんなにも奇妙キテレツな小説はなかなかナイにしても精神に異常をきたすことはないと思うので安心されたい。現に二回読んで平気だった人間がここにいる。

 ただ、「精神に異常をきたす」といわれるのもムリないと思わせるほど異形の小説であることは確かだ。オープニングから記憶を失った青年の一人称で語られるその文体、読むほどに彼の混乱や狂気がヒシヒシと脳髄にしみこんでくるかのよう。その切なさ、狂おしさ……。自分は一体誰なのか、どうしてここ(精神病院)にいるのか……、懊悩する彼に追い討ちをかけるように妖しさと狂気に満ちた奇妙キテレツな殺人事件が語られる。そうすることが記憶を取り戻す治療になるとして。それならば、彼の言う婚約者を殺した青年とは私のことなのか、膨らむ疑問に話者は否定も肯定もしない。ただ思わせぶりな態度をとるだけで、右に寄らば左、左に寄らば右という具合に主人公も読者も不安定な状態に置かれる。ああ、果たして何が真実なのだろう、何が起こっているのだろう、そして私は誰なのだろう……。拠るべき事実がない物語、もし読む者の精神へ影響を与えるとすればかくも不安定な状態を強いられる、ある意味恐ろしい読書体験ゆえだろう。

 面白いとかつまらないとかの次元を超えた読書体験ができる、日本三大奇書の一冊である。


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3位 島田荘司『占星術殺人事件』講談社文庫

 人を殺した後、その死体をバラバラにする行為というのは、密室殺人と比べて極めて現実的である。その証拠ではないが、現実社会で密室殺人は起きないけれでもバラバラ殺人事件は起きている。それは死体をバラす行為が、死体の移動を容易にしたり身元の特定を困難にしたり、犯人にとって実用的なメリットがあるからだ。とはいうものの、ミステリー小説においてそんな安直な理由で死体をバラバラにしたら、批判こそされないものの冷ややかな目で見られることはほぼ間違いない。ミステリーにおけるバラバラ殺人を扱うということは相応の覚悟と奇想が必要なのである。

『占星術殺人事件』では娘六人が行方不明になり、一部を切り取られた死体が次々と日本各地六ヵ所で発見される。死体の切り取られた部位や発見された場所が、死んた画家が遺した手記の内容に酷似している。その手記は六人の娘の一部を使って完璧な女「アゾート」を作り上げるという計画を記したものであった。「アゾート」を作るために娘たちは殺されたのか、もちろん違う。いくらバラバラ殺人に奇抜な理由付けが必要とはいえ、オカルトに走ってはいけない。占星術や「アゾート」といった装飾に巧みに隠された真相があるのだ。そのバラバラ殺人の真相こそ『占星術殺人事件』をミステリー史に名を残す傑作たらしめている名トリックなのである。運搬のためでもなく死体の身元を隠すためでもなく、それ以上の恩恵を犯人にもたらすバラバラ殺人の理由とは何なのか。おそらくこれ以上見事なトリックは今までも、そしてこれからも現れることはないだろうと思われる傑作である。

2位 中井英夫『虚無への供物』講談社文庫

 我々がミステリー小説を読むとき、こう思っていないだろうか。「もっと面白い事件を。もっと陰惨な殺人を……!」と。極言してしまうと、ミステリー小説は人が殺されたことをある種ゲーム化して楽しむジャンルだ。人の死を、「ああでもない。こうでもない」とひねくり回すジャンルといえよう。そのジャンルの倒錯性そのものにスポットを当てたミステリーが『虚無への供物』である。

 作中で起こる変死事件は普通の事故死であったり自殺であったり、特筆すべき事件性はない。ところが、作中に登場する自称探偵たちの毒牙にかかると、たちまち恐るべき計画性に満ちた殺人事件のように「解釈」されてしまうのである。同時に、読んでいる我々も「これは殺人事件だ」と思わず宗旨替えしてしまう現象まで同時発生する。探偵たちが推理をすればするほど事件が歪められていく不思議な現象を目の当たりにしつつも、推理合戦の面白さにそれを許容してしまうし、一つの推理が否定されるたびに「次はもっと驚きに満ちた推理を」という期待までしてしまう。そして、嬉々として推理遊戯に淫する探偵の姿は、次第に読者のそれと重なってくるのであるが、探偵たちの推理が極限に達してどれもあり得そうな推理が揃った最後、明かされる真相の何と皮肉なことか。

 普通のミステリー小説として読んでも楽しめるが、その床板を外したところに黒々とした世界も足を踏み入れて欲しい。ミステリー小説にしてミステリー小説でない、「アンチ・ミステリ」と評された日本三大奇書最後の一冊である。


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1位 横溝正史『獄門島』角川文庫

 ケレン味を利かせると事件が浮世離れしたものになり、登場人物の行動もどこか機械めいてきてしまう。かといって現実に寄せすぎると地味な小説になってしまう……。今までのレビューの中で何度か触れてきたミステリーの抱える葛藤である。その葛藤を物語の中で絶妙に解消してみせる作家が横溝正史であり、その最高傑作が『獄門島』なのだろう。

 事件はケレン味たっぷりに展開される。瀬戸内海の孤島で美しくも狂った美少女が次々と殺される。死体は木に逆さに括り付けられたり吊り鐘で覆い隠されたり、事件現場には島にいる狂人の犯行を匂わせるモノがあったりと盛りだくさんだ。とはいえ、それらは物語をただ面白くする装飾物なのではない。事件の真相が明らかになれば、あらゆる要素が獄門島で起きた連続殺人事件にとって不可欠であったことが分かるのだ。ただ、それもムリにひとつにまとめたような人工臭さはまるで無い。ある出来事に対する人々の反応がまた新たな出来事を発生させるという、事件が生き物のように生成されていくような真相なのだ。メイントリックも素晴らしい。個々の殺人に用いられたトリックも面白い。しかし、真にこのミステリーの素晴らしいところは、人々の思惑の集合体としての殺人事件をかくも自然に描き出した構成にあるのではないか。

 以上、長々と分析めいたことをしてみたが、初読時は何も考えずにただ楽しめばいい。雰囲気たっぷりの舞台に没入し、大胆なトリックに驚き、そして悲劇的な結末にやるせない気持ちになる。その後に、是非とも再読することを薦めたい。登場人物一人ひとりの言動が事件にどう関与しているのか見えてくる。そして今度は恐ろしく完成された物語に慄くべきなのである。



後編に続く⇒





















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# by dokusho-biyori | 2017-07-09 21:12 | バックナンバー | Comments(0)