読書日和

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「読書日和」備忘録

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孤独を抱きしめる

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『108年の幸せな孤独』中野健太 KADOKAWA
『火の鳥 未来編』手塚治虫 角川文庫


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『戦う君と読む33の言葉』千田琢哉 KADOKAWA
『狂人日記』色川武大 講談社文芸文庫


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『二十億光年の孤独』谷川俊太郎 訳=ウィリアム・I・エリオット、川村和夫 集英社文庫
『淋しいのはお前だけじゃな』枡野浩一 集英社文庫


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『透明人間は204号室の夢を見る』奥田亜希子 集英社
『沈黙』遠藤周作 新潮文庫


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『そうか、もう君はいないのか』城山三郎 新潮文庫
『人の砂漠』沢木耕太郎 新潮文庫


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『ターン』北村薫 新潮文庫
『孤独の歌声』天童荒太 新潮文庫


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『リア王』ウィリアム・シェイクスピア 訳=福田恒存 新潮文庫
『孤独の発明』ポール・オースター 訳=柴田元幸 新潮文庫


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『ハリネズミの願い』トーン・テレヘン 訳=長山さき 新潮社
『百年の孤独』ガブリエル・ガルシア・マルケス 訳=鼓直 新潮社


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『くますけと一緒に』新井素子 中公文庫
『孤独であるためのレッスン』諸富祥彦 NHKブックス


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『火星の人』アンディ・ウィアー 訳=小野田和子 ハヤカワ文庫SF
『いつかぼくが帰る場所』ピーター・ヘラー 訳=堀川志野舞 早川書房


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『孤独な祝祭 佐々木忠次』追分日出子 文藝春秋
『生きる』乙川優三郎 文春文庫


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『孤独について』中島義道 文春文庫
『片想いさん』坂崎千春 文春文庫


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『孤独論』田中慎弥 徳間書店
『独りでいるより優しくて』イーユン・リー 訳=篠森ゆりこ 河出書房新社


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『夜にはずっと深い夜を』鳥居みゆき 幻冬舎
『あぁ、だから一人はいやなんだ。』いとうあさこ 幻冬舎


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『孤独の価値』森博嗣 幻冬舎新書
『孤独と不安のレッスン』鴻上尚史 だいわ文庫


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『独り居の日記』メー・サートン 訳=武田尚子 みすず書房
『「孤独」は消せる。』吉藤健太朗 サンマーク出版


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『複製された男』ジョゼ・サラマーゴ 訳=阿部孝次 彩流社
『孤独の愉しみ方』ヘンリ・デーヴィド・ソロー 訳=服部千佳子 イースト・プレス


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『ひとりぼっちの幸せ』みつはしちかこ イースト・プレス
『孤独な世界の歩き方』村上裕 イースト・プレス


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『僕にはまだ友だちがいない』中川学 KADOKAWA
『孤独がきみを強くする』岡本太郎 興陽館


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『さびしい宝石』パトリック・モディアノ 訳=白井成雄 作品社
『ランドセル俳人の五・七・五』小林凛 ブックマン社




































































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by dokusho-biyori | 2017-11-23 06:11 | 開催中フェア | Comments(0)
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《 どうせ死ぬから、今、生きてるんじゃないのか。どうせ小便するからって、おまえ、水、のまないか? どうせうんこになるからって、おまえ、もの、くわないか? 喉、渇かないか? 腹、すかないか? 水やくいものは、小便やうんこになるだけか? 》

 やる前からさかしらに悪い結果を予測して、やらないことを正当化する、その格好悪さよ。その気になれば、「やらない理由」は幾らでも挙げられる。



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《 人工物には完全がありますが、生物に完全はありません 》

 奥田亜希子の作品はいつも、人間の不完全さを肯定してくれる。それは、欠点も短所も放っておけという意味ではなく、パーフェクトな人間など存在し得ない以上、不完全であることが、或いは不完全である度合いが、その人の存在価値を左右する要素ではないと、そう言っているように僕には思える。



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《 だって、誰も引き取りに行かなかったら、こいつはピンチだったんですよ、大ピンチですよ。ピンチは救うためにあるんでしょうに 》

 飼い主が見つからず、保健センターで処分される寸前だった犬を、後先考えずに引き取った西嶋くん。その友人が「処分される野良犬を見かける度に引き取ってたらキリ無いぜ」的な事を言う。まぁ、それはそうだろう。だけど西嶋くんは、上記の如く、毅然と言い返す。
 目の前で困ってる者があるなら助ける。大事なのは、キリがあるかどうか、ではないんだな。



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《 世界平和とか人類共通の愛とかは、ジョン・レノンみたいな人たちに任せておけばいい。俺は家族とか友達とかお客さんとか、たまたまなついた野良猫とか、目の前のもんのために尽くしたいし、それが精一杯だ 》

 それで充分なんじゃなかろうか。ってか、いつも、いつまでも、それをやり続けられる人は、歴史には残らないけど英雄だと思う。



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《 義理も縁もない他人に何かを頼むとき、『協力してくれるべき』とか『してくれるだろう』とか甘い見通し持ってる奴は絶対失敗するわ。協力って期待するものでも要求するものでもなくて、巧く引き出すものなのよ 》

《 甘い見通し 》って言うか、自分だけの価値観に基づいた〈 正しさ 〉なんだよな、「~べき」っていうのは。それぞれの立場によってそれぞれの「~べき」があって当然だし、それぞれの〈 正しさ 〉もある筈なんだが、テンパってる時はそれが見えずに、己の「~べき」だけをつい主張したくなるんだけど、それじゃあ上手くいく訳ゃないよな。



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《 無理だ、とは言わない人たちが、科学の歴史を作ってきたんだよ 》

 世界的規模の陰謀が進行する傍らで、そうとは知らずに、薬学を専攻する主人公が人類の未来を握る新薬の開発に邁進する。その研究を諦めかけた時に、相棒が静かに主人公に告げる名セリフ。「科学」の部分は、色んな言葉に置き換えられるような気がします。



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《 ごきげんよう。なによりも、快活でいらっしゃるように。人生をあまりむずかしく考えてはいけません。おそらくほんとうはもっとずっと簡単なものなのでしょうから 》

 元々は、ロシアの文豪・チェーホフが恋人だか友人だかに宛てた手紙の一節。主人公の憲太郎が、人生に迷った時、生きることに疲れた時、日々の暮らしに嫌気がさした時などに、自分に向かって呟く言葉。『草原の椅子』は、登場人物たちが、進路を塞ぐ障害物を一つずつ取りのけながらゆっくりと歩んでゆく小説。







































































































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by dokusho-biyori | 2017-11-08 06:24 | 残る言葉沁みるセリフ2017 | Comments(0)

蒐集の魔力

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by dokusho-biyori | 2017-11-04 09:28 | 開催中フェア | Comments(0)

17年11月

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清原和博の手帳――文藝春秋業部 川本悟士

 この原稿を書いているのは、十月も暮れのことだ。夏といい、CSといい、今年は雨が降りまくっているような気がするが、そんな一年ももう佳境。ドラフト、日本シリーズ、ストーブリーグといったプロ野球の話から離れても、ハロウィンの、忘年会の計画が聞こえてくる。もう少ししたら、クリスマスの話が出て、一気にお正月になってしまうのだろう。

 そんなときに、書店をふらっとのぞくと、今年も手帳のシーズンである。立場から離れていえば、文房具好きな私はこのシーズンが結構好きだ。来年はどんな手帳を使おうか、どういう手帳の使い方をしようか。レイアウトはどうして、カバーをどうして、手帳に合わせた万年筆は、インクは……と、同じような文房具マニアのブログを徘徊しながら、ああ、年末だなぁと思わずにはいられない。中学生のときはジーンズ生地のシステム手帳ファイルを毎年愛用して、リフィルを入れ替え差し替えしながら毎年新しく作っていた。ルーズリーフだと一年使っても見返さずもったいないなと思い、大学生になってからは週間レフトの細身の手帳を使ってみたり、デイリーの手帳をサイズを変えて使ってみたりしつつ、一月始まりや四月始まりを使い分けながら、毎年「手帳放浪の旅」を続けている。この職業についたんだったら、どうせなら黒革のカバーを! を思って作ったりもした(会社が違うことには後から気づいた)。私はそういう人である。

 ただ、毎年そうやって手帳を楽しく選び買い続けているということは、裏を返せば、それは毎年続いていない使い方や、何かしらがあるということでもある。それは、たぶん私だけではない。私は多少人よりも文具が好きでこういうことに凝ってしまう人だが、そうでない人も、そして私よりもっと凝ってしまう人も、ほとんどの人はむしろ後者の「毎年続いていない何かしら」の方がおなじみなのではないだろうか。「三日坊主」という言葉が慣用句になっていることが、その証拠だろう。

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 枕はここまで。『Number 937号』の清原和博「告白」第七回目のインタビュー「黄金ルーキーの手帳。」で、あの番長が一年目に手帳をつけていたことを私は初めて知った。それによれば、ゲームを終えて球場の駐車場に行くと他の選手たちの家族が待っており、その時の選手や家族の表情を見ていて『ああ、みんな生活がかかっているんだ』と思い知らされたことがきっかけで、高校生の一四〇キロとプロの投げる一四〇キロは背負っているものの重さが違うんだと思い知らされたことがきっかけで、自分もこの世界で飯を食っていくんだという意識を強くもったことがきっかけで、その日の打席での配球を手帳につけるようになったのだという。それを毎日毎月続けていくことで、入団当初はプロの一線級のエースたちが自分の打席で彼らの「決め球」を投げてくれなかったが、九月頃になるとだんだんスピードにも慣れ、ホームランを打てるようになっていく。手も足も出なかったはずが、狙い球に自分のスイングができれば、結果がついてくるようになった。そういう成長を周りも認め、次第に他球団のエースが自分に「決め球」を投げてくれるようになる。それは、その積み重ねがあった上に達成できたことなのだろう。同じようにまったく新しい環境で生活を始めるようになった自分としては、ここになんともいえない感情を抱いてしまう。それは、共感とも憧れとも焦燥ともいえない感覚である。ああ、いいな、この人はすごいな、自分はそれができているんだろうか……と。

 一方で、本人が最後に語るように、これを続けられたのはあの一年だけだったという。何かを続けることは本当にしんどい。それは、たぶん続けられるようになってしまえばそれほど苦だと感じないようなことなのだろうと、頭ではわかっていてもである。会社でもそうだと思うし、学校でも家庭でもそうだと思う。自分なりのリズムややり方をつかむまではなかなかうまくいかないし、どうにかうまくいくようになると、なんとなくそれに安心してしまったわけでもないのだろうが、どうもそれまでとは違って、階段を登っていたはずが踊り場に出てしまったような感覚に襲われる。病院で、学校で、職場で、もっと~してくださいねといわれ、わかってはいてもついついそれができない。テレビや雑誌で見たこの方法を試そうと思って、ついつい忘れてしまう。流石に「僕らの」と自信をもってはいえなくとも、少なくとも「僕の」日常はそれの積み重ねでできている。だからこそ、続けられる人は憧れるし、同時に悔しくもある。

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 ただ、続けられないことは、別に無為に毎日が過ごされているわけではないのだと思う。同じく『Number 937号』での桑田真澄「これが僕のドラフトのすべてです」でも語られるように、中学生の時の先生の言葉、ドラフト前のスカウトの目……鮮烈な印象は何かに記録しなくても目に焼き付いている。それは鮮烈なものでなくてさえいい。清原和博の一年目を支えたもののひとつは、チームの先輩・渡辺久信が運転する車で食べに行く街道沿いの店で、長崎ちゃんぽんを食べながらああだ、こうだと話すその時間だったという。それは、きっと手帳や日記に書く必要のないくらい、他愛のない毎日の一ページ。だが、そんなことでも、今もしっかり覚えている。それこそが、毎日がただ過ぎていったわけではないことの証拠だと、私は思う。

 だから、今年も新しい手帳を、新しい使い方で……と夢想する私がいることを、私自身はどこか安心してみている。何かを続けられなかったからといって、またこれからやる何かがいつもつねに続けられないとは限らない。続けられることはもちろんすごい。だが、続けられないからといって悲観しなくても、印象的な何かはどうしたって残っていく。それ以上に、来年を楽しみに自分が思えていることの方が大切である。そう自分に言い訳をしながら、私は今年も手帳に友だちの誕生日を書き込み、わかっている予定を書き込んで、年末を過ごしていく。そうやってこれまでもやってきたし、これからもやっていくのだろう。多くの人がそうだろうし、私もまたその一人だ。

 ただ……。私の祖父母は、いつもけんかばかりしているような印象もあり、あまりそうは見えなかったが、もう何十年も交換日記――A4だかB5だかの版の週間レフトで、左側には祖父の予定が、右側には祖母の日記が書かれている――をしていた。祖父が亡くなってからも祖母は毎年手帳を書き続け、彼女は今も年末になると私たちに手帳を買ってきてくれるように頼む。毎年のそういうとき、サイズと品番を確認しようと手帳をめくると、今は片方のページだけずっと白紙であることに気づく。僕はあの二人のそういうところを、尊敬してやまない。


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残る言葉、沁みるセリフ

《 人工物には完全がありますが、生物に完全はありません 》

『左目に映る星』奥田亜希子 集英社

 奥田亜希子の作品はいつも、人間の不完全さを肯定してくれる。それは、欠点も短所も放っておけという意味ではなく、パーフェクトな人間など存在し得ない以上、不完全であることが、或いは不完全である度合いが、その人の存在価値を左右する要素ではないと、そう言っているように僕には思える。


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神様は、本当にいるのか?――丸善津田沼店 沢田史郎

 現役の精神科医でもある帚木蓬生は、常に虐げられる人々を描いてきた作家である。

 山本周五郎賞を受賞した『閉鎖病棟』(新潮文庫)では、精神科病棟の入院患者たちが、世の中から疎まれ役立たずと蔑まれながらも、真摯に人生と向き合う姿を、温かな目線で浮かび上がらせた。南アフリカのアパルトヘイトをモデルにした『アフリカの蹄』(講談社文庫)では、家畜同然の扱いを受けてきた黒人たちが手に手を取って立ち上がり、「自分たちは人間だ!」と声を揃える姿を力強く描き切った。ナチスドイツのホロコーストに材を採ったのは、『ヒトラーの防具』(新潮文庫)だ。ユダヤ人のみならずロマ人や同性愛者、精神病患者や身体障害者など、罪無き数百万の人々を虫けらの如く抹殺したナチスの狂気を、筆を折らんばかりの怒りを以って刻んでいる。中世ローマ教会の異端狩りを暴いた『聖灰の暗号』(新潮文庫)では、同じキリスト教徒でありながら、邪なるものとして虐殺されるカタリ派の悲しみと苦しみが、行間から滲むが如くに綴られている。

 そして最新作の『守教』(新潮社)では、豊臣政権末期から明治維新の数年後まで、三百年間に亘って虐げられ続けた隠れキリシタンが採り上げられる。上下二巻、600ページ余りの大作で最も紙数が割かれるのは、権力に屈することなく信仰を守ろうとする彼らの、勇気ではなく迷い、決意ではなく葛藤。

 例えば、西の村で信徒が拷問にかけられたと耳にすれば、当然明日の我が身が心配になるし、東の村でキリシタンが一家揃って火炙りにされたと聞けば、やはり信仰が揺らいだりもする。或いは、監視の網をかい潜って密航して来る伴天連の神父を、匿ったりすればタダでは済まないことは分かっていながら、ならば宿を請う神父を無碍に追い返せるかと言うと、信仰が邪魔をしてそれも出来ない。こうなるともう、やって来る神父や修道士たちが幾ら「日本の信徒を救うため」と言ったところで、むしろありがた迷惑でしかない訳で、そんな自分の本音に気付いた信徒が、罪悪感に打ちひしがれたりもする。

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《 私は転ぶこつにしました。転んだほうが楽に生きていけるような気がするとです。びくびくしながら生きていくのは辛かです。私が転ばんでも、子や孫が苦しむだけでっしょ。そんなら、私の代で転んで、子孫にいらん悩みば持ち越さんほうがよかち思うたとです 》。――本書で描かれる信者たちの殆どは、艱難辛苦をものともせずに意志を貫く勇者ではなく、捕吏や密告に怯え、伝え聞く拷問の苛烈さに恐怖しながら、信仰と現実との間で激しく動揺する弱き人々だ。

 それでも、彼らの一部が、明治六年のキリスト教禁教の撤廃まで信仰の火を灯し続けたことは、歴史が証明する通りである。その時には日本で育まれた「イエズス教」は、神道や仏教などと混同されたり融合されたりして、正当なローマカトリックとはかけ離れたものになっていたようだけれども、だからと言って、多くの命が奪われ、家族が離散しても尚、300年にも亘って権力者たちから信仰を守り通した数千、数万の名も無き信者たちの勇気と忍耐とが、その価値を減ずることはないだろう。

 とは言え、僕自身は全くの無宗教なので、どうしてそこまでして信仰を貫き通せるのか、本当のところは理解できない。逆に、弾圧の嵐の中で神の存在を疑ってしまう人や、拷問に耐えきれず棄教してしまう人の気持ちの方が解りやすい。現世がどんなに辛くても神が救って下さる、なんて言われても、死後の天国より今の無事。やっぱり今日一日を平穏に暮らしていく事の方が大事だと思ってしまう訳で、恐らく大半の日本人は、僕と似たようなもんじゃなかろうか。

 そんな僕らにも大いに共感できてしまうキリシタン文学が、遠藤周作の『沈黙』(新潮文庫)だろう。余りにも有名なこの作品を、こんな場所で今更採り上げる意義があるのかどうか、我ながら疑問を感じないではないが、『守教』を読んだ勢いで久しぶりに再読したので紹介してみる。

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 時は17世紀の半ば。島原の乱を平定した幕府が、キリシタンの探索と捕縛のシステムを一層強固にさせつつあった頃。ロドリゴとガルペという二人のポルトガル人司祭が日本に向かう。目的は三つ。第一は言うまでもなく、風前の灯となっている日本のキリスト教とその信徒を救うこと。第二に、キリシタン弾圧が強まるに従って、日本での布教の情報が教会に全く届かなくなったため、その探索と報告。そして第三に、彼らの師であり、イエズス会の重鎮でもあるフェレイラ神父が幕吏に捉えられた上、拷問に耐えきれずに棄教したという噂の真偽を確かめること……。そして二人は、神の御加護を信じて長崎の貧村に潜入するのだが、そこで彼らは、日本に於けるキリスト教徒が、如何に苛烈で無慈悲な扱いを受けているかを目の当たりにする。

 その拷問や処刑は、これが同じ人間のすることか!? と正気を疑わずにはいられないレベルなのだが、ここで引用したいのはその残酷な描写の数々ではなく、そういった過酷な運命を前にして、一人の貧しい日本人信徒が泣きながらロドリゴに訴えかけたひと言。曰く《 なんのため、こげん責苦ばデウスさまは与えられるとか。パードレ、わしらはなんにも悪いことばしとらんとに 》。この素朴な疑問はしかし、信仰の根幹を揺るがす大問題を孕んでいることに、ロドリゴは気付いてしまう。そして、気付いたが故に彼は苦しむ。例えば或る夏の昼下がり、貧しい信徒の一人が、ロドリゴの目の前で処刑された時、彼は全霊で神に問いかける。《 なぜ、あなたは黙っている。あなたは今、あの片目の百姓が――あなたのために――死んだということを知っておられる筈だ。なのに何故、こんな静かさを続ける 》。

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 この言葉に共感する日本人は、きっと多いんじゃあるまいか。斯く言う僕もその一人で、唯一絶対の神っていうなら苦しんでる信者を救ってやれよと、彼らは何も悪いことはしてないだろと、そう思わずにはいられない。信心深き我らがロドリゴも同じように悩み続ける。何故、神は沈黙を続けるのか? そもそも、神は本当にいるのか? と。そして、そんな疑問を抱いてしまう自分自身を、心弱き者として責め続ける。

 しかし彼は、ギリギリの瀬戸際で理解する。神は、見て見ぬ振りをしていた訳ではない、ということを。では、その沈黙は何を意味するのか? その答えは敢えてここには挙げないけれど、不信心な僕でも納得できたと言うか、宗教論争にありがちな牽強付会な臭いは感じなかった。そして、ロドリゴが下した決断も、「きっとそれしか無かったろう」と思うし、それを実行に移した彼は――たとえ教会がどんなに非難しようとも――立派なクリスチャンなんだという気がする。

 以下は蛇足。本書を原作にしてマーティン・スコセッシ監督が映画化した『沈黙――サイレンス――』は、脚本がかなり原作に忠実だから、本書を読んでから映画を観ても、逆に映画を観てから本書を読んでも、相互にイメージを補完し合って作品の理解の一助になると思う。既にDVDも発売されているので、気になる方は是非。キチジロー役の窪塚洋介の存在感が凄かった。あと、フェレイラ神父を『シンドラーのリスト』のリーアム・ニーソンが静かに熱演しているんだけど、最初は誰だか気付かなかったよ。歳とったなぁ。


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陽気な藤沢周平――丸善津田沼店 沢田史郎

 前記のように重苦しい時代物が続いたので、カラッとしたのを読みたくなって、こちらも再読。『よろずや平四郎活人剣』(文春文庫)は、恐らく藤沢周平の作品では最も陽気な物語。

 時代は、水野忠邦が天保の改革で辣腕を振るっていた頃。一千石のお旗本、神名家の末弟……と言えば聞こえはいいが、実際は女中上がりの妾腹の子、平四郎。屋敷内での冷遇にほとほと嫌気がさして、剣術仲間と三人で道場を開こうと家を飛び出した。ところが予想外のトラブルで資金が不足してしまう。だからと言って、あの冷たい実家におめおめと帰る訳にはいかないという事で、陽の当らない裏長屋にひとまず居を構え、元手無しでもできる商売を始めることにした。その商売というのが、《 喧嘩五十文。口論二十文。取りもどし物百文。さがし物二百文。よろずもめごと仲裁つかまつり候 》という、胡散臭げな手間取り仕事。果たしてこれで食っていけるのか?

 といった幕開けの後には、当然、平四郎の仲裁屋稼業のドタバタが続く訳だけど、まず、やって来る客たちがバラエティ豊かで飽きさせない。浮気の後始末から放蕩息子の鍛え直し、かどわかされた子どもの探索から、盗賊に目をつけられた大店の用心棒まで、まさに《 世に揉めごとの種は尽きまじ 》だ。平四郎が実家を出てから二年間、24の事件の中には少し悲しい話も稀に混じるが、大概はスカッと爽やか勧善懲悪。明るい未来を感じさせる決着が用意されている。

 同時に、平四郎が相手をする小商人や貧しい裏長屋の住人たち、或いは岡場所の安女郎など、皆々、悩み事を抱えてお金に苦労し、明日への不安も尽きない暮らしを送っていながら、「江戸ものゝ生れそこない金をため」とばかりに、不平不満を笑い飛ばすバイタリティを持っていて、そういった社会の底辺に潜り込んで生活する平四郎自身も、時には米櫃がスッカラカンになるほど困窮したりもするのだが、そこはやはり未来溢れる青年である。「まぁどうにかなるだろう」的な呑気さを常にまとっていて、物語全体が快活な雰囲気に包まれているのはそのお蔭だろう。

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 そして、事件が平四郎一人の手に負えなくなると、件の二人の剣術仲間に助太刀を頼む訳だが、「なんで俺たちが」などとぶつくさ言いながらも、請われる度に加勢する彼らの友情が微笑ましい。加えて、剣術道場という夢を諦めずに追い続ける彼らの一途さが、終始、物語に〝 希望 〟という彩りを添え続ける。

 更に。本作に限った事ではないが、藤沢周平の文章の美しさにも、忘れずに言及しておきたい。例えば次は、年の瀬の夕暮れに、家路を急ぐ平四郎。

《 うす暗くなった橋の上を、黙黙と人が行き交っている。寒気はさほどでないが、ひとはけ日没の赤いいろを残している西空は、もう冬のものだった。季節は師走に入っている。平四郎も肩をまるめて、人ごみにまぎれながら、橋を渡った。/――年も暮れるか。ふとその感慨が胸にうかんできた 》

この、浮世絵にでもありそうな、リアルで綺麗な情景描写! 日没を前にしてせかせかと人が行き交う町の様子だけでなく、苦し紛れに始めた珍商売で、どうにか年を越せそうな平四郎が安堵のため息をつく姿まで、目に見えるようではありませんか? 昨今の時代小説ではめったにお目にかかれないこんな文章があちこちで頻繁に顔を出し、単にストーリーを追うだけが小説を読む愉しみではないという事を、改めて噛みしめる読者も多いだろう。

 平四郎の日常の大事小事に加えて、天保の改革に関する推進派と反対派の暗闘が物語を縦に貫いて、更には、五年前に行方が分からなくなった平四郎の許嫁という謎も絡まって、上下二巻の文庫本がアッと言う間。かつてNHKで『新・腕におぼえあり』と題して連続ドラマ化されたことがあって、高嶋政伸が平四郎役を好演していたけれど、今ならさしづめ、大泉洋あたりがハマリそう。『蟬しぐれ』(文春文庫)『たそがれ清兵衛』(新潮文庫)といった沁み入るような作品だけでなく、陽気な藤沢文学もいいもんですぞ。


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『守 教』帚木蓬生 新潮社 上下巻 各¥1,600+税
『Sports Graphic Number 937号』 文藝春秋 \546+税
『沈 黙』遠藤周作 新潮文庫 ¥550+税
『左目に映る星』奥田亜希子 集英社 9784087715491 \1,200+税
『よろずや平四郎活人剣』藤沢周平 文春文庫 上下巻 各\730+税



新刊案内

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編集後記

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連載四コマ「本屋日和」

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11月のイベントカレンダー

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by dokusho-biyori | 2017-11-03 10:42 | バックナンバー | Comments(0)

トラックだもの

今日、街中で見かけたトラックに貼ってあったステッカー。


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そうね、スピードよりも安全運転が一番だよね。




















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by dokusho-biyori | 2017-11-01 12:31 | サワダのひとりごと | Comments(0)