読書日和

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「読書日和」備忘録

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666

ちょーどーでもいい話なんだけどさ。

今、次のフェアの選書していて気付いたんだが。

『オーメン』(デーヴィド・セルツァー著 中田耕治/訳、河出文庫)

本体価格が666円なのは、狙ったのか?

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by dokusho-biyori | 2016-07-31 22:39 | サワダのひとりごと | Comments(0)

16年08月 前編

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ラーメン全部のせは贅沢か
(双葉社第二営業部 直井翔太郎)


 お金が貯まらない。決して贅沢をしているつもりはないし、貰っている給料が雀の涙ということもないのだが、お金が全然貯まらない……。ただ、子供が生まれる前(三年前)までは年に1回必ず沖縄に旅行したり、夫婦揃ってディズニーが好きで年に三回くらい行ったり、どうせならと友達への誕生日プレゼントを奮発したり、ラーメンを全部のせにしてしまったりはしてしまう。結局、こういう小さな贅沢の積み重ねが、お金が貯まらない原因なのだろう。しかし、人間というものは総じて、恵まれている状況でも欲深く、現状に満足せずにより良い状態を求める生き物なはずだ。

 なんて、自分の無駄遣いをエラそうに正当化していると『僕たちの戦争』の主人公の一人、吾一の言葉が胸に刺さる。

《 五十年後の日本は、多すぎる物質と欲と音と光と色の世界だった。(中略)これが、自分たちが命を捨てて守ろうとしている国の五十年後の姿なのか? 》

 この作品は、現代のフリーター(バイトも直前に辞めているから実質ニート)の健太と太平洋戦争中の軍国青年の吾一が、タイムスリップして入れ替わってしまう話だ。二人は、外見がソックリなので、周囲の人間は入れ替わっていることに気がつかず、本人たちも周囲の人間も混乱しドタバタするところが、萩原さんらしいコメディタッチで面白い。が、荻原さんの真骨頂は、コメディタッチのストーリーの中にも随所に読んでいる側が考えさせられるメッセージが、きちんと散りばめられていることだと思う。たとえば先ほど挙げた吾一のセリフは、自分が未来(現代)へタイムスリップしてしまったことを理解し始めた吾一が、茨城から初めて渋谷に出てきて、「何かの祭り」なのかと思うほど着飾った人々が大勢いることや、戦中であれば「盆や正月」にも出てこないような豪勢な食べ物が無造作に捨てられていることや、飲み物のペットボトルを道にわざと落とす(捨てて)いる人を見て出てきた言葉だ。貯金が出来ない程、小さな贅沢をたくさんしている自分としては、とても耳が痛い。

 一方、太平洋戦争中の海軍飛行術練習生となってしまった現代のフリーター・健太も最初は、慣れない軍隊生活で上官の理不尽な命令や体罰に苦しむが、徐々に上官の理不尽さはアルバイト先の嫌な先輩と同じだし、軍の規律に絶対服従している練習生の仲間たちも全員が心から納得して、喜んで戦争に参加している訳ではないのだと気づきはじめる。

《 (特攻隊に)進んで志願した連中だって、誰もが心の底から特攻隊員として死ぬことを平然と受け止め、納得しているわけじゃないと思う。(中略)いくら時代が違ったって、死ぬことが嬉しくてたまらない人間なんているはずがない 》

そして、何が何でも生きて現代に帰ると決めていた健太自身も大切な人を守るために――。

《 五十年前の戦争中の日本にいた人間たちは、喋り方や動作は爺むさく婆くさいけれど、俺たちとそんなに変わんない。いいやつもいれば、嫌なやつもいる。俺たちと同じように笑って、怒って、泣いて、悩んで、怯えて、信じて、誰かを好きになって、自分を認めて欲しがって 》

今は、戦後七十年。この作品が書かれた時から更に時間が経っているので、戦争を経験された方は本当に少なくなっていると思う。当時の戦争が誰の責任で何が原因なのかとか、自衛隊は軍隊なのかとか、安倍首相が戦争を容認しようとしているとか、難しいことは僕にはよく分からない。ただ、戦争中の日本は小説に描かれているフィクションの世界ではなく、現代の僕たちと変わらない人たちが普通に生活していた現実だということを忘れてはいけないのだと思う。そして、今の僕には「日本を守る」とか「お国のため」とかという大それたことは出来ないが、少なくとも自分の周りの大切な人たちは守れる人でありたいと思う。そのためにもまずは贅沢をやめて、ラーメンは味玉をのせるくらいにしておこうと思う。


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人を「呼ぶ」ことについて
――あるいは『美しい距離』における人称の問題
(文藝春秋 販売促進チーム 安江拓人)


 相手のことをどう呼ぶかという問題は普段余り意識されないけれども、ふと気になったとたんそれはとてつもなく重要な問題となってあなたの頭を悩ますことになるだろう。例えばちょっと仲の良い異性ができた場合、相手のことをどう呼ぶのか困ったことはないだろうか。「きみ」と呼ぶか、苗字で呼び捨てにしようか、それとも下の名前で呼ぼうか……等々。特に男性諸君に関しては同性であるがゆえによく分かっているつもりなのだが、「あのコのこと、苗字にさん付けじゃあよそよそしいよなあ。キミと呼ぶのもなんだか偉そうだし、ちゃん付け? いやいや気持ち悪いと思われるかも……」と悶々としたことがあるだろう。

 また、ある時は自分の事をどう呼ぶか。一人称の問題である。男性の場合は「僕」「俺」「私」「自分」などがあり、女性は「わたし」「ウチ」そして自分の名前で自分を呼ぶなどといくつも選択肢がある。どの一人称を使うかによって相手に与える印象は異なるからその場その場で使い分けることが多いのではないだろうか。例えばこの文章を書いている人間なんかは目上の人に対しては「僕」、友達や後輩に対しては「俺」、公の場では「私」といったように使い分けている。ちょっと話題はそれるかもしれないが、男性が一人称に自分の名前を使うとオネエっぽい印象を与え、女性が「僕」や「俺」を使うとボクっ娘・オレっ娘といった特殊な属性が発生するのは一人称の面白さを感じさせてくれる。

 すでにお分かりのように人称というのは実に多くの問題を孕んでいる。それは一つに人称は人と人の関係性、つまりは距離感を表す表現だからではないだろうか。相手のことをどう呼ぶのか悩むというのは、結局のところ相手と自分の適切な距離感を表す人称を探っていることなのであり、そこを間違うことは必要以上に相手に接近してしまったり突き放してしまったりして相手に気持ち悪がられたり、疎遠な印象を与えてしまうことになるのだ。

 この人称の問題において山崎ナオコーラの『美しい距離』は非常に興味深い試みをしている。なんと、人称を一度も使っていないのだ(確認できた限りにおいてなので例外はあるかもしれないが……)。「僕」「私」はもちろん「あなた」や「彼」「彼女」といった人称が使われていないのである。では、どうやって作中人物を指し示すのかといえば、「妻」や「仕事仲間」といった人と人の具体的な関係性を示す言葉で表現されている。

 なぜこんなしち面倒なことをするのだろうか。それはこの小説のタイトルとも関係があるのだが、人と人の距離を大切に描いてる小説だからだ。だからこそ「あなた」や「彼」「彼女」といった極めて均質化された人称を使わず、人間同士の関係がその意味に含まれる言葉を用いるのだ。こういった小説のテクニックが主人公とその妻が最終的にむすぶ「美しい距離」をより明瞭に、迫真的に、読者に伝えることになるのだ。

 主人公とその妻がむすぶ「美しい距離」、そのあまりに美しすぎるがゆえにこの小説は人々の心を揺さぶる。めったに小説で感動することのない僕でもこの震えるほどの感動を覚えたし、これまでこの小説を薦めてきて悪い評価は一度も聞いたことがない。誰もが口をそろえて「良い小説」と評価するのだ。

 残念ながら芥川賞の受賞は逃したものの、個人的には候補作の中でも飛びぬけて読む者の心を揺さぶる小説だと思っている。それほどの物語と技法との「美しい一致」がこの小説にはあるのだ。悲しみゆえの涙ではなく、あまりの美しさに涙する、人によってはそんな経験ができるかもしれない傑作だ。

 さて、人称で実験的な試みをした小説はたくさんある。例えば講談社文芸文庫、古井由吉『水』の表題作は一度も一人称を使わない小説であるし、ミシェル・ビュトール『心変わり』はなんとも奇妙な二人称(「きみ」という人称で終始語られる)の小説だ。普段何気なく使っている人称、その奥深さに触れてみるのも一興かもしれない。


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いつか堂々と歩んでいける世界に(桑原友里恵)

 どれだけ重い病気でも薬で治せないものがある。薬ではなく〝移植〟という人の力を必要としなければ治らない病。それは心の病も同じだ。大丈夫だよ、一緒に頑張っていこうね、なんて誰でも言えるような陳腐な言葉では癒えない病はやはり〝移植〟が必要なのだ。

 自分の中の大事な部分を切り取って渡す行為を〝心の移植〟と『スヌスムムリクの恋人』では主人公・直紀が姉のような存在であるナナコに告げられる。「君は自分の心を切り取って移植したんだね」とも。

 物語は計画されて生まれてきた四人の幼馴染とその周囲の人々を描いている。日常ほのぼのか、いいえ違います。ほのぼのなシーンもあるがもっとずっしりと重たい、出来れば目を背けていたかったかもしれない事柄に容赦なく頭から突っ込まれるようなそんなお話。

 幼馴染の一人であるノノという子がいる。ノノはとても目が大きくクリクリとしていて、お人形さんのようで、ちょっと病弱な一面もある可愛らしい女の子だった。しかしノノは女の子ではなく男の子である。最近はやりの男の娘ではない。男の子だ。ノノは女の子であって女の子ではない。肉体的には男の子、けれども心は女の子といった性同一性障害である。彼……いや彼女がもう一人の主人公である。

 これから書く内容の前に一つ、私はことを大きくしたいわけでもなく、受け入れろと強制したいわけでもなく、ましてからかいや否定を目的としているわけではないということを宣言しておこう。

 性同一性障害。それは心と身体の性自認が異なるものだ。ノノのように肉体的には男であっても精神的には女、といったようなことを指す。次に冒頭で出てきたナナコはバイセクシャル、つまり両性愛者である。異性でも同性でも恋愛の対象としてみることができる。彼女は作中で「ロクヨンで心は男」と宣言している。最後に直紀。彼は異性愛者だ。

 このように社会問題としても取り上げられている〝LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)〟に関して深く深く描かれている。それはそれぞれの葛藤であったり、悩みだったりと〝LGBT〟というだけで無意識のうちに目をそらしてしまっている私たちの頭を鈍器で思いきり殴りつけるかのように、色濃く。

 度々考えるのは何故私たちは一線を引こうとするのだろうか。同性を愛したっていいじゃない、心と身体の性が違くてもいいじゃない。けれどもたった一つでも自分と違うものを見つけると線引きをする。同じように生きて、同じように誰かを愛して、同じように悩んだり笑ったりしているのに。それは未知なる感覚に近いからなのかもしれない。もしかしたらだ。生まれた時から周りに〝LGBT〟の方がいたら変わっていたかもしれない。人の価値観は環境面でも影響を受けるからだ。

 話を本筋へ戻す。ノノは最終的に〝女の子〟になろうとする。つまり性転換手術を受けるのだ。まだ十代の子が果敢に未知なることへと挑もうとする。それはノノにどれだけの覚悟が必要だったのだろう。周囲の人間もどれだけ同じように覚悟が必要だったのだろうか。重たくのしかかるこの選択は読み手をも覚悟を持たねばと思わせられる。

 逃げてはいけない現実問題に向き合うためにも、せめて知っていてほしい〝LGBT〟関連で悩んでいる人、苦しんでいる人、そしてそういった現状があるということ。知ると知らないでは全く大違いである。『スヌスムムリクの恋人』はフィクションだから、で終わらせて欲しくないことである。一番は理解を得ることなのだろうが、それよりも先に目をそむけないで、知ってほしい。

「君は自分の心を切り取って移植したんだね」

 いつか、それはいつになるかは分からないけれども。そうして〝心の移植〟によって堂々と歩んでいける世界になれば良いと思う。その一歩を踏み出すきっかけになれば、と願う。

 思うだの願うだのばかりだが、今の私にできることはほんの少し話を聞いてあげることしか出来ないのだ。私の周りには〝LGBT〟のくくりにされている知人が多い。だからこそこの本のように色濃く描かれているのは、鈍器で頭を殴りつけられた衝撃が強い。皆さんも一度この衝撃を受けた方がいい。


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人生はホームステイ(沢田史郎)

 ショウペンハウエルが『自殺について』の中で、こんなことを言っている。
《 人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続にほかならない 》

 同工異曲は結構あって、例えば太宰治は『東京八景』で《 人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか 》と言っているし、正岡子規は『病牀六尺』でこう述べる。《 余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた 》。

 そして本書『カラフル』で森絵都は、生きることに憶病になっている主人公に向かって、世話役の天使に言わしめる。
《 ホームステイだと思えばいいのです 》と。
《 あなたはまたしばらくのあいだ下界ですごして、そして再びここにもどってくる。せいぜい数十年の人生です。少し長めのホームステイがまたはじまるのだと気楽に考えればいい 》と。

 いつもの癖で順番が前後した。
 主人公は、前世で大罪を犯したが故に輪廻転生のサイクルから外された「魂」。本来なら生まれ変わることもなく、天国に行くこともなく、その場でシュッと消滅させられる筈だったのだが、なんとビックリ、天界の抽選に当たって再挑戦の権利を得る。行き先は、自殺を図ってつい十分前に死亡した中学三年生の小林真少年。その身体に乗り移り小林真として生活しながら、前世で犯した大罪を思い出し反省すれば、再び輪廻のサイクルに戻れるという。

 斯くして始まる、赤の他人としての第二の人生。ところがこの真少年、容姿も頭脳も冴えないし、性格は暗いし人づきあいも苦手だし、両親は殆ど仮面夫婦だし高校生の兄は真をゴミでも見るような目で見るし、「これじゃ自殺したくなるのも無理ないわな」と、主人公が思わず同情するレベル。選りによってなんでこんなにイケてない奴の身体に憑かなきゃならんのだとブツクサ言いながらも、しかし、小林真の人生を生きているうちに、主人公は少しずつ気がついてゆく。真が絶望していた世の中は、注意深く見てみれば決して絶望するほど悪いことばかりではない、ということに。そして、今はもう届けたくても決して届けられない相手に向かって、そっと呟く。《真。やっぱりおまえ、早まったよ。すべてが遅すぎるわけじゃない。おまえが早まりすぎたんだ……》。

 ここで僕は、幽霊ものの大傑作、高野和明の『幽霊人命救助隊』を思い出す。浮かばれない霊となって地上を駆けずり回り、自殺志願者の命を救う四人救助隊の一人が言い放った名セリフ。《未来が定まっていない以上、すべての絶望は勘違いである》。かのキェルケゴールだって、《 死に至る病とは絶望のことである 》と言っている。

 そして森絵都は、本書の中で、主人公の父親――人がいいというだけが取り柄の冴えない中年おやじ――にこう語らせる。

《おまえの目にはただのつまらんサラリーマンに映るかもしれない。毎日毎日、満員電車に揺られてるだけの退屈な中年に見えるかもしれない。しかし父さんの人生は父さんなりに、波乱万丈だ。いいこともあれば悪いこともあった。それでひとつだけ言えるのは、悪いことってのはいつかは終わるってことだな。ちんまりした教訓だが、ほんとだぞ。いいことがいつまでも続かないように、悪いことだってそうそう続くもんじゃない

 そう言った後この父親は照れ臭そうに笑うのみで、だから生きろ、人生を諦めるな、とは続けない。けれど、森絵都がこの作品で全霊を込めて訴えるのは、多分そういうことだろう。

 今回は引用ばっかりで恐縮だけれど、恐縮ついでにもう一つだけ紹介しよう。末井昭『自殺』の「あとがき」から。
《 みんな死なないでくださいね。生きてて良かったということはいっぱいあるんだから 》


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『美しい距離』山崎ナオコーラ 文藝春秋
『オトナ女子のための食べ方図鑑』森拓郎 ワニブックス
『カラフル』森絵都 文春文庫
『聞くだけで自律神経が整うCDブック 心と体のしつこい不調を改善編』小林弘幸 アスコム
『スヌスムムリクの恋人』野島伸司 小学館文庫


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『つけるだけ歩くだけでやせる魔法のパッド大山式ビギナー』大山良徳 主婦の友社
『ベースボールサミット 第10回』『ベースボールサミット』編集部 カンゼン
『僕たちの戦争』荻原浩 双葉文庫
『読んでいない本について堂々と語る方法』ピエール・バイヤール/大浦康介訳 筑摩書房
『ランチパスポート船橋版 2』 三陽メディア



⇒後編に続く
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by dokusho-biyori | 2016-07-30 10:42 | バックナンバー | Comments(0)

16年08月 後編

⇒前編から続く



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『オトナ女子のための食べ方図鑑』森拓郎
 まず表紙のインパクト大。ピンク大好き女子の私はすぐに飛びつきました。
「それって食べて本当に効果あるの?」というギモンに1ぺーじずつ解説して
くれている本です。私のお気に入りページは……選べません! どれも女子に
は突き刺さります。

お待たせしました! 第○弾!!
『ベースボールサミット 第10回』『ベースボールサミット』編集部
        千葉ロッテマリーンズ特集第2弾。千葉と言ったらマリーンズ。先日も当店の野球好
        き仲間でQVCマリーンフィールドに試合を見に行きました。因みに私は……燕のチ
        ームも好きです。

『ランチパスポート船橋版 vol.3』
 お待たせしました第3弾。今回も津田沼エリア店舗掲載してます。

『聞くだけで自律神経が整うCDブック 心と体のしつこい不調を改善編』小林弘幸
 大ベストセラーシリーズの最新刊。弊店では第1弾から1年以上のロングセラー。今回はしつこい不調改善編です。不調な日々をこのCDで元気な毎日に変えましょう!

『つけるだけ歩くだけでやせる魔法のパッド大山式ビギナー』大山良徳
 今回は初心者版です。ソフトなつけ心地とピンクのカラーがおすすめ。
ここだけの話ですが、私も買おうと思ってます(照)。



*`▽´*) (∩.∩) ┐(´ー)┌ (*´∀`) (*`▽´*) (∩.∩) ┐(´ー)┌ (*´∀`) 
以下、出版情報は『読書日和 8月号』製作時のもです。
タイトル、価格、発売日など変更になっているかも知れませんので、ご注意ください。
*`▽´*) (∩.∩) ┐(´ー)┌ (*´∀`) (*`▽´*) (∩.∩) ┐(´ー)┌ (*´∀`)


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 今回は、ピエール・バイヤール著の『読んでいない本について堂々と語る方法』を紹介しよう。もちろんこの本も私は読んでいない、つまり、『読んでいない本について堂々と語る方法』を読まずに堂々と語るということになる。

 この本があればレポート、論文、読書感想文にもう困らなくなるという。そんな魔法のような本らしいのだが、そもそも読書感想文を未読で書くというのはどういうことなのだろう(笑)。

 なんについての感想を原稿用紙にまとめるというのか、タイトルや目次などで内容を想像して感想を書くとでもいうのであろうか。例え原稿用紙を埋めることができたとして、それを提出して通用するのか甚だ疑問である。と、普通ならば考えるだろうが、私はそうは思わなかった。この本のポイントは「堂々と」にあると私は考える。

 いかに突拍子も無い感想を書いてたとしても、堂々と語ることによって、未読がバレない可能性は大いにある。そう、評価がどうあれ、バレなければいいのだ。多分、ピエール氏はこの本のあとがきで最終的にバレなければ勝ちであるなんて書いているに違いない(笑)。

 論文やレポート、感想文でお困りのあなた、『読んでいない本について堂々と語る方法』を読んでみては? とはいっても、これを読む時間があるなら課題となっている本を読んだ方が早いですけどね(笑)。



編集後記
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連載四コマ「本屋日和」
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8月のイベントカレンダー
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by dokusho-biyori | 2016-07-30 10:41 | バックナンバー | Comments(0)

カラフル

「カラフル」という語意の解釈は四人四様。
何がどう「カラフル」なのか、想像しながら愉しんで頂けたら嬉しいです。


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『鹿乃江さんの左手』青谷真未

『ありふれた風景画』あさのあつこ


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『ガールズ・ブルー』あさのあつこ

『きみが見つける物語 スクール編』あさのあつこ  恩田陸  加納朋子


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『INNOCENT DESPERADO』綾崎隼

『シアター!』有川浩


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『ハーモニー』伊藤計劃

『昨日は彼女も恋してた』入間人間


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『皇妃エリザベート』マリールイーゼ・フォン・インゲンハイム/西川賢一 訳

『友がみな我よりえらく見える日は』上原隆


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『セイギのチカラ』上村佑

『パンダの死体はよみがえる』遠藤秀紀


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『零』大塚英志

『あかねさす』加藤千恵


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『昨夜のカレー、明日のパン』木皿泉

『広告都市・東京』北田暁大


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『青空娘』源氏鶏太

『紅一点論』斎藤美奈子


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『名作うしろ読み』斎藤美奈子

『制服概論』酒井順子


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『七緒のために』島本理生

『響け!ユーフォニアム』武田綾乃


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『キャロル』パトリシア・ハイスミス/柿沼瑛子 訳

『冬姫』葉室麟

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『かかし長屋』半村良

『夏の口紅』樋口有介


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『オーブランの少女』深緑野分

『源平の姫君たち 紅の章』藤咲あゆな


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『隠し剣孤影抄』藤沢周平

『少年の日の思い出』ヘルマン・ヘッセ/岡田朝雄 訳


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『回想電車』堀江敏幸

『雨の塔』宮木あや子


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『ゆうじょこう』村田喜代子

『カラフル』森絵都


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『ドングリの謎』盛口満

『千年の黙』森谷明子


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『ひろいもの』山本甲士

『ニセ科学を10倍楽しむ本』山本弘


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『わすれなぐさ』吉屋信子

『競作五十円玉二十枚の謎』若竹七海


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 別に「夏の100冊」をクサすつもりは無いんですがね、売れ筋を意識し過ぎたラインナップは普段から棚前で平積みしている商品が大半だし、夏の風物詩として好評だった時代も今は昔、いい加減マンネリかなぁと思って、今年は文庫チームでオリジナルのフェアを選書してみました。テーマは「カラフル」。
 一口に「カラフル」と言ってもその捉え方は十人十色。それぞれの作品がどう「カラフル」なのかは読んでのお楽しみ。
 吹き出しのコメントは文庫チームの、(筧)は筧 舞、(桑)は桑原 友里恵、(袋)は袋 智明、(沢)は沢田 史郎、です。似顔絵は、『読書日和』でお馴染みの西尾 文惠です。
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by dokusho-biyori | 2016-07-27 22:33 | 過去のフェア | Comments(0)

冷やし本 はじめました

って言うか「冷やし本」ってなんやねん。
本を冷やしてどーするっちゅーねん。
そんなことするぐらいなら、俺自身を冷やすわ。

いや、今年は史上最強の猛暑だっつーからね。
せめて、読書してる間ぐらい、気分だけでも涼しくなれたらな、と。

取り敢えず、皆さん、熱中症には気をつけましょう。

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『アグルーカの行方』角幡唯介 集英社文庫

『緩慢の発見』シュテン・ナドルニー/浅井晶子 訳 白水社


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『アムンゼン』エデュアール・カリック/新関岳雄 松谷健二 訳 白水社

『世界最悪の旅』アプスレイ・チェリー・ガラード/加納一郎 訳 中公文庫



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『アラスカ戦線』ハンス・オットー・マイスナー/松谷健二 訳 ハヤカワ文庫NV

『ある閉ざされた雪の山荘で』東野圭吾 講談社文庫


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『一日一氷』原田泉 ぴあ

『命がけで南極に住んでみた』ガブリエル・ウォーカー/仙名紀 訳 柏書房


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『エンデュアランス号漂流記』アーネスト・ヘンリー・シャクルトン/木村義昌、谷口善也 訳 中公文庫

『神の起源』J.T.ブラナン/棚橋志行 訳 ソフトバンク文庫


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『極北』マーセル・セロー/村上春樹 訳 中央公論新社

『極夜』ジェイムズ・トンプソン/高里ひろ 訳 集英社文庫


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『氷』アンナ・カヴァン/山田和子 訳 ちくま文庫

『こんなにも優しい、世界の終わりかた』市川拓司 小学館文庫


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『ザ・ロード』コーマック・マッカーシー/黒原敏行 訳 ハヤカワepi文庫

『死ぬまでに見たい!雪と氷の絶景』 エクスナレッジ


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『シベリア俘虜記』穂苅甲子男 光人社NF文庫

『全地球凍結』川上紳一 集英社新書


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『包囲』ヘレン・ダンモア/小泉博一 訳 国書刊行会

『レニングラード封鎖』マイケル・ジョーンズ/松本幸重 訳 白水社


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『冷たいデザートレシピ』脇雅世 成美堂出版

『南極』池田宏 学研プラス



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『南極風』笹本稜平 祥伝社文庫

『八甲田山死の彷徨』新田次郎 新潮文庫


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『NORTHERN LIGHTS』谷角靖 青菁社

『ノーザンライツ』星野道夫 新潮文庫


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『氷葬』諸田玲子 文春文庫

『氷平線』桜木紫乃 文春文庫



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『吹雪の山荘』笠井潔 創元推理文庫

『冬の物語』イサク・ディネセン/横山貞子 訳 新潮社


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『暴雪圏』佐々木譲 新潮文庫

『POLAR』石川直樹 リトル・モア


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『北壁の死闘』ボブ・ラングレー/海津正彦 訳 創元推理文庫

『北極圏1万2000キロ』植村直己 ヤマケイ文庫


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『北極スマイル・南極スマイル』香川美穂 小宮輝之 学研プラス

『北極と南極』田邊優貴子 文一総合出版


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『北極の白魔』マット・リン/熊谷千寿 訳 SB文庫

『ホワイトアウト』真保裕一 新潮文庫


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『マイナス50℃の世界』米原万里 角川ソフィア文庫

『零下59度の旅』椎名誠 集英社文庫


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『雪の狼』グレン・ミード/戸田裕之 訳 二見文庫

『ライオンの冬』沢木冬吾 角川文庫


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by dokusho-biyori | 2016-07-03 09:21 | 過去のフェア | Comments(0)

16年07月 後編

⇒前編から続く

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以下、出版情報は『読書日和 7月号』製作時のもです。タイトル、価格、発売日など変更になっているかも知れませんので、ご注意ください。
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編集後記
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連載四コマ「本屋日和」
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7月のイベントカレンダー
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by dokusho-biyori | 2016-07-01 01:08 | バックナンバー | Comments(0)

16年07月 前編

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世間では、貞子VS伽倻子なる異形の者の戦いで盛り上がっているが、忘れてはいけない存在がいる。
インドネシアの異形なる者、その名も「クンチルアナック」。
魔法の粉を振りまきながら飛び回りそうななんとも可愛げのある妖精のような名前だが、本の表紙を見て分かる通り、女性の姿を模した化け物である。

貞子しかり、伽倻子しかり、クンチルアナックしかり、なぜホラーの恐怖の象徴は女性なのだろうか‥
色々な理由が考えられるが、保身の為黙っておくことにしよう。

兎にも角にも、もちろん今回も紹介書籍は未読なので、分かっていることはクンチルアナックが出てくるということだけだ。

今夏は『邪し魔』を読んで肝を冷やそうじゃあないか。



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『そえぶみ箋の使い方 世界一短い手紙で気持ちを伝える』 むらかみかずこ

『バッテリー』 あさのあつこ

『昨夜のカレー、明日のパン』 木皿泉

『邪し魔』 友成純一

『ラスト・イニング』 あさのあつこ

『流転の魔女』 楊逸



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 とても個人的な話だが、私は夏が嫌いである。理由はいうまでもない。「暑い」からだ。だがそんな嫌いな夏の中でも好きなものはある。それは高校野球である。残念ながら私は高校野球の試合を生で見たことはない上に、高校生時代も応援に行った事はない。何せ女子高であったから。

 では何故、男子不在で高校野球という素晴らしき青春を生で体験していないのに好きなのかと問われれば、その原点としてあさのあつこの『バッテリー』が根底にあるからだ。

 あさのあつこといえばこれ、と言ってもおそらく過言ではない『バッテリー』は元々児童書という類に分類される。だが児童書にしておくのは勿体無いと年を重ねるにつれて思う。読んでいない方は今からでもいいのでぜひ読んでいただきたい。

 主人公の巧は都会から引っ越してきた、ちょっとツンとした少年である。野球が大好きなそれこそどこにでもいる少年。だがしかし少々性格に難がある。難……と言っても思春期の少年達を見てほしい。あんな感じだ(どんなだ)。素直になれず不器用でそのくせ野球には人一倍努力を怠らない。野球の面においてはそれこそ天才肌だ。周りに比べればひどく冷静な彼だが内心は誰よりも熱い。

 そんな巧をそれこそ普通の中学生と変わらないような感情を持たせるために影響を与えたのが、引っ越した先で出会った豪である。彼は巧とは正反対で物腰柔らかく人懐っこくて、さらには面倒見もいい。空気も読めるいい男である。巧が猫ならば豪は犬だろう。

 どんな場合でも正反対というものは必ず反発が起きる。それは自分とは違いすぎて理解が追いつかないからだ。巧と豪もそれに当てはまる。最初こそはうまく友情を築き上げ野球も楽しくやってきた。だが衝突は突然訪れる。この衝突こそ『バッテリー』のひとつの醍醐味である。大切な場面だ。

 正直ハラハラさせられるような展開なのか、と問われればそんなことはない。いや主観だから分からないけれども。ただ私は今も昔もこの衝突に関してはただ黙って見ていたいというのが心情である。どこかで当人同士の問題、と現実味を帯びた感情があるのかもしれない。そのくらい読んでいて「あーあるよね」と思わせられる場面。どこか俯瞰で見ている私だがそれでも彼らがこの衝突でどう変わっていくのか、乗り越えていくのか、そして自分がこの年で同じような境遇だったらどうしていただろうと考えさせられる。後半の話になるが、ここはじっくりと読みすすめてほしいエピソードだ。

 また巧には生まれつき身体が弱い弟の青波がいる。これまた絵に描いたような聞き分けのよい可愛らしい弟なのだが、そんな青波もまた兄である巧に憧れて野球をやりたがっている。それに対して反対な母親。巧を取り巻く家族関係はリアルでも存在しそうな話だ。

 一作品の中に、家族・友情・青春・恋愛と様々な要素が取り入れられている『バッテリー』は学生に向けただけの話ではないだろう。それこそ色んな角度から巧を捉えることが出来る。だが最終的に行き着く先は全てを混ぜ込んで「青春」。その一言に尽きる。

 またライバル校の登場人物たちも巧やチームメイトに対して一味もふた味もスパイスとして関わってくる。彼らの話までここに載せてしまうとお楽しみがひとつ減ってしまうので大人しくしておくが、全ては巧を中心に日常が回っている。そんな作品だ。ちなみに『バッテリー』を読み終えてなおかつライバル校の彼らが気になる場合スピンオフ作品に当たる『ラスト・イニング』を激しく薦めておく。そして読了後再び『バッテリー』を読むとまた違った感想が生まれてくるのではないだろうか。

 あさのあつこの作品は少年少女たちの「今」を描くものが多い。だがどれをとっても共感しのめりこんでしまうのは、実際に登場人物たちの感情を自分と重ねることが出来るからかもしれない。私という存在を形成する上であさのあつこの作品、特に『バッテリー』は重要なポジションにいる。大切な物語だ。

 もうすぐ夏本番。全国の高校球児たちには悔いなく戦ってきてほしい。またその応援の片手間にでも『バッテリー』はいかがだろうか。



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 あれは小学校四年生くらいの頃だったか。今でも鮮明に覚えている「事件」がある。

 お祭りの露店に、砂糖で作った型と画鋲で切り抜く「型抜き」なる店がある。うまく型どおりに切り抜くと難易度に従った賞金がもらえるというやつだ。ただ、賞金といっても300円から高くて1,000円程度。一回200円くらい取られたから冷静に考えれば、コレにはまっていた僕はいいカモだった。滅多に成功することはなかったのだが、ある日ある夏祭りで300円程度の型抜きに成功した。賞金の多寡よりも、初めて成功したという事実に興奮し、僕は意気揚々と店主のもとに向かった。ところが、得意げに抜いた型を差し出す僕に店主はもごもごと何か言い訳し、お金を渡そうとしなかった。

 要するに「賭博法に引っかかるからお金は渡せない」ということらしい。さらに「お金が渡せないから」と差し出したのは残念賞の10円ガム一つ。

 何か苦いものが全身を駆け抜けたのを覚えている。怒りなのか、失望なのか、軽蔑なのか、悔しさなのか良くわからない。とにかくあまりにも予想外な展開に僕は一言も発することが出来ず、ただすごすごと店をあとにした。

 人の欲望の、どろどろとした醜さに手で触れたような感覚だった。

 金にまつわる話はいつも胸くそ悪い。それは金が人を狂わせる「魔性」のようなものを持っているからなのかもしれない。そんな金に振り回される人々を斜め上からの目線で『流転の魔女』の物語は描かれている。

 主人公はとある中国人留学生の女の子。彼女が通訳のアルバイトで15,000円を手に入れたところから物語は始まる。貧乏留学生の典型であった彼女は初めて手にする高額紙幣に感激し、一万円札に「万次郎」、五千円札に「おせん」、と名前をつける。

すると、物語は奇妙な視点を手に入れることになる。五千円札もとい、「おせん」の視点である。物語に紙幣の一人称視点が加わるのである。

 一方では中国人留学生が関わることになった刑事事件の顛末が描かれ、一方ではあらゆる持ち主の財布を転々とするお札の物語が描かれる。出発点こそ同じものの決してまじわることのない物語はしかし、どちらも金にまつわる人の欲望を描いている。

 ただ、金銭欲を描いた作品なら掃いて捨てるほどあると思うかもしれない。ところがこの作品が特異なのはやはり「おせん」の存在だろう。紙幣の視点から見た浮世というのもなかなかおもしろいのだが、それよりも「おせん」が五千円としての価値とは違った価値を付与される点が何よりおもしろい。どういうことかといえば、「おせん」の所有者は日本人とは限らず、日本の貨幣体系を知らない人間が必要以上に高額な紙幣だと勘違いしたり偽ったりすることが多々あるのだ。

 われわれ日本人からすれば「おいおいそんなに高価なお札じゃないぞ……」と思ったところで彼らには問題にならない。「おせん」は彼らの思い込みを否定すことなく(できず?)ただまるで、彼らの欲望をそっくりそのまま受容れる器のような存在としてあり続ける。

 いや、そもそも貨幣なんてそんなものじゃないかという気がしてくる。特に紙幣は言ってみればただの紙切れだ。その価値を保障しているのは制度であり、人々の暗黙の了解であり、「価値があってほしい」と思う人々の欲望である。とすれば、その制度から離れてしまえば五千円札は「お金」という巨大な概念の中で人々の欲望に従ってその価値を無限に膨張させることができる。逆に、極限まで収縮させることもできる。最後、「おせん」を人形のように扱う少女にとって「おせん」はそれこそ一銭の価値もないと言えるし、貨幣とは違った価値を持った存在として必要とされているのだと考えることもできる。「おせん」は所有者を映す鏡といえるかもしれない。

 お金にまつわる様々な欲望を描く、醜い万華鏡のような世界。もし、あの露店の老婆が「おせん」を手に入れたら、「おせん」はどんな物語を語ってくれるだろうか。



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 分かり切ったことを言うようだけど、僕ら平凡な一般庶民の生活に、奇跡と呼べる出来事などまず起こらない。

 昨日の延長で今日を生き、今日の延長に明日があり、その更に延長線上に来年があって十年後があって三十年後があって、やがて死ぬ。そこに恐らく飛躍は無い。朝目覚めたら人生がバラ色に一変していた、なんて都合のいい展開はあり得ない。無難で凡庸で当り前の一生。それが無性につまらなく思える時がある。特にこれといった原因も見当たらないのに、目に映る景色が色褪せたまま戻らない。川の澱みにハマった落ち葉のように、思考が同じところをぐるぐる回って抜けだすきっかけが掴めない。

 そんなエアポケットに落ち込んで溜め息をつく人々を、著者ならではの大らかな眼差しで描き出したのが、『昨夜のカレー、明日のパン』ではなかろうか。

 物語の軸になるのは、七年前に癌で他界した寺山一樹。まだ二十代だった。数年前に結婚したばかりだった。二十歳を幾つか越えただけの若い奥さんを遺して、あっと言う間に逝ってしまった。そんな一樹の生前の姿がこの物語では描かれる……訳ではなく、彼を中心にしてその周りをあたかも衛星のように――或る者は近く、或る者は遠く――巡る人たちの「一樹のいない暮らし」が、大袈裟な演出をとことん控えた筆致で綴られる。

 登場するのは、ごくありきたりの生活を営む普通の人々。

 一樹の妻だったテツコは、一樹との生活が未だに続いているかの如く、一樹の実家で彼の父と同居を続ける。特に同居しなければならない理由もないのだけれど、出るきっかけが無かったと言うか、新しい生活を組み立て直すのが億劫だったと言うか、恐らくはそんな曖昧な煩わしさに引きずられて、ズルズルと七年間も同じ暮らしを続けている。

 そんなテツコの現在の恋人・岩井さんは、思い切ってテツコにプロポーズするも、煮え切らない彼女の態度に途惑い苛立つ。

 一樹の幼馴染みだったフライトアテンダントは、或る日突然理由も無く笑えなくなり、仕事を辞める。そのまた友達の男性は顔面神経痛を患い、彼女とは逆に常にニヤついているような表情しか作れなくなって、やはり仕事に支障をきたして退職する。

 一樹より少し年下の従弟は、一樹の車を形見分け的に譲り受けたものの、乗る機会も無く、さりとて廃車にするのも忍びなく、実家の庭の片隅に置きっ放しのまま持て余す。

 その他にも本書には一樹の周りにいた幾人かが登場するのだけれど、その誰もがなんとなく足踏みしている。それぞれが「このまんまではよろしくないなぁ」と薄ぼんやりと自覚していながら、では何が足りなくて次の一歩を踏み出せずにいるのか、どうすればこの停滞から抜け出せるのか、その答えが見つからないまま、ぐるぐると現状維持のターンテーブルに乗り続ける。

 だがしかし。実は「奇跡」は起きていた。誰も気づかないうちに、つとめて自然にさりげなく、まるで何かのついででもあるかのように、極めて身近なところで「奇跡」は起きていた。

 その「奇跡」を、昔の人は例えば「縁」と呼んだりした。《 合縁奇縁 》なんて言葉があるし、《 袖振り合うも多生の縁 》などとも言う。《 縁は異なもの粋なもの 》なんて、それこそ粋な言い方もある。僕らのすぐ隣にいる大切な人。逆に、僕らを大切に思ってくれる人。全世界数十億人の中から、そういう人と出会えた「縁」。それを「奇跡」と呼ばずして何と言おう。僕らはその「奇跡」に支えられて、これまで歩いて来たのではなかったか。本書の登場人物たちも、それぞれがそれぞれなりの気づき方で、そこに気がつく。自分を支えてくれる存在、自分が支えている存在。それを改めて実感し直した時には、あれほど抜け出し難かった袋小路からほんの半歩踏み出している。

 そう言えば、かの天才物理学者・アルバート・アインシュタイン博士が、「奇跡」に関してこんなことを言ったらしい。
《 人の一生には二通りの道しかない。一つは、奇跡などあり得ないと考えて生きる道。もう一つは、全てが奇跡だと思って生きる道 》

 縁は奇跡。『昨夜のカレー、明日のパン』は、それをそーっと教えてくれる。



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 最近、手紙をいつ書きましたか? 手紙をいつ貰いましたか? 私はラブレターを……貰って……いません……(笑)。この前、誕生日だったので、友達からお手紙と色紙を貰いました。日頃から顔を合わせている人でも、文字にして気持ちを伝えて貰えるとすごく嬉しくなりますよね。

 でも、いざ自分が書こうと思うと、「何をかいたらいいのか……」「きれいな字で書かなきゃ……」「肝心なところで書き間違えた……」などなど問題が。

 そんな時にはこの「そえぶみ箋」がおすすめです。

 タイトルにもあるように、《 世界一短い手紙で気持ちを伝える 》。長文を書こうと思うと大変ですが、そえぶみ箋ならひと言、ふた言で大丈夫です。

 私が以前働いていた会社で、人事異動の後、新しい職場で凄く仕事に悩んでいた時期があり、毎日毎日が本当に辛かったのですが、どこかでそれを耳にした(らしい)前の店舗の上司が、社内便で小さなお菓子とメッセージを送ってくれました。「大変みたいですね。持ち前の明るさで乗り切って下さい。愚痴ならいくらでもききますよ」と、小さな黄色い付箋に書いてありました。本当に本当に小さなメモでしたが、大きな勇気を貰いました。

 皆さんも、小さなメッセージ書いてみませんか? 近くても遠くても、大切な人にぜひ。

☆ 当店3階文具売り場、「そえぶみ箋」取り扱ってます。色々な種類があるので、是非ご覧ください。



⇒後編に続く

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by dokusho-biyori | 2016-07-01 01:08 | バックナンバー | Comments(0)