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17年04月 前編

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 春ですね。新入学、新社会人。新しい土地で新しい生活がスタートした方もいらっしゃるのではないでしょうか。この春から津田沼での生活がはじまりましたという方、はじめまして。よろしくどうぞご贔屓に。近年、津田沼駅周辺もかなり開けてきて、最近では住みたい街的なランキングに登場するようになったようですね。
 
 さて「春ですね」とか言っておいて私が今回ご紹介するのはホラー作品です(※ 私の紹介文ではたいして怖くないとは思いますが、念のため苦手な方はご注意ください )。
 
 ホラー作品は好んでは読まないけど、普段はそこまで苦手ではないのですが、書評で手元に置いておきたくない、本棚に並んでいるのも嫌などと言われる本作。読んだらやっぱり怖かった……。わかっていたけど怖かった……。この手の作品はネタバレすると面白くなくなると思われるかもしれませんが、多少内容を把握していた方が心の準備ができていいかもしれません。ネタバレしても怖い自信があります。
 
 ただ「怖い」と言っても性質が他のホラー作品と違うかんじがするのです。
 
 はじまりは小説家の「私」の元へ届いた読者からの一通の手紙。「誰もいない和室から畳を擦るような音がする」。その手紙の内容に興味を持った「私」は差出人の久保さんと連絡を取り、久保さん宅の怪異を調べはじめます。すると、怪異は久保さんの部屋だけではなく、同じマンションに住む別の住人の部屋や近くの団地にも起きていることがわかってきます。調べていくうちに怪異はその「土地」に刻まれ残ってきた、歴史に関係しているのではないかという仮説に辿り着きます。住人が変わっても、建物が変わっても続く怪異。土地の記憶という穢れの発端はどこなのか――。
 
 まず「私」はこれといった怖い思いや気持ち悪いと感じる出来事を体験していません。取材によって、当地の住民や所縁のある人々から話を聞いて、それを元に久保さん宅に現れた怪異の経緯と、その奥にある真実を探っているだけです。要は地域に伝わるよくある怪談話を拾い集めているだけ。なのに何故怖いのか。
 
 ホラー映画やゲームなんかでは、背後から忍び寄る影、見なきゃいいのにゆっくり振り返る、と急に大きな音とともに画面いっぱいにドン! と得体の知れないモノが出てきて、キャー!!! みたいなイメージですが、この作品にはそれがありません。読みながらじわりじわりとまるで染みが広がるように怖くなり、怪異の正体が明らかになるにつれ、ヒュッと寒くなり自分の足元が不安になる。
 
 それは知らずに自分も穢れに触れているかもしれないことに読者が気付くからでしょう。自分だけならまだしも、周りの人にも影響を与えているかもしれない。逆に周りからもらっているかもしれない。家は、家族は大丈夫だろうか。今度遊びに行くあの家は、友達は。引っ越す予定のあの部屋は、土地は……。そう考えるともうエンドレスです。
 
 土地の穢れ、穢れに触れた者、穢れに穢れが重なり、人の移動によって怪異は広がっていく。何がきっかけで穢れに触れてしまうかわからない。仕事、学校、結婚、人付き合い。生活を営む以上防ぎようがない。
 
 しかしそうなると、怪異の根っこが気になってくる。
 
 怪異を辿って取材を重ねる中で集まる、一見関係がなさそうなひとつひとつの情報や出来事が、やがて全て繋がっていく……という謎解きのような要素もあるので、怖いのにページをめくる手が止まりません( 余談ですが、個人的に小野不由美作品は散りばめられた点と点が線で結ばれていき、繋がってかたちになり、物語が加速し動き出す気持ち良さが好きです。代表作の『屍鬼』『十二国記』も然り )。核心に近付きいよいよ佳境か!? というところで、この怪談は
《 聞いただけでも祟られる 》
《 聞いても伝えても祟るから、一切、記録することができない 》
え、待って。それ今言うの? 私読んでるけどこれ大丈夫なの? 本になって出版されて日本中に流通していろんな人の手に渡ってるのにこれ大丈夫なの? これフィクションだよね? 大丈夫だよね?
 
 というのも、この「私」は作中では名前は出てきませんが、経歴などから小野不由美さんご本人であると推測でき、さらに実在の作家仲間も登場し、取材の内容もとてもリアル。フィクションなのか実際あった体験談なのか、読者には全くわからないのです。そんな中で「聞いても伝えても祟られる」なんて言われたらびびりますよ。完全に読者巻き込まれてます。
 
 話は戻りますが、春ですね。新しい土地で新しい生活がスタートした方もいらっしゃるのではないでしょうか。
《 我々が住んでいるこの場所、そこには確実に過去の住人がいたはずだ。前住者の前にはさらに前の住人がおり、その前にはさらに以前の住人がいた。(中略)ある建物が建設される以前の土地、その「土地」に住んでいた住人までもが現在に影響を与え得るとすれば、問題のない土地など、果たしてこの世に存在するのだろうか 》
私達の住む街、土地、家、前住者にはどんな歴史があるのでしょうね――。
 

 
 
 
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 レビューも後半戦に突入し、ミステリー界隈でなじみのある著者や作品が多くなってきた。特に『犬神家の一族』は何度も映像化されていて、本は知らなくてもその作品名は知っている人が多いと思われる。監督や公開年によって、同じ作品であってもぜんぜん違った作品になっているので是非見比べて欲しい。更に今回は奇跡のような「季節銘柄」がランクインしている。この時期に読むとラストン余韻もひとしおである。
 
41位 宮部みゆき『模倣犯』 新潮文庫
 ミステリー史上、稀に見る目立ちたがり屋の犯人だ。そもそも犯罪者は目立ちたがり屋であってはならないはず。自分に注目を集めることはすなわち、容疑を深めることに繋がりかねないからだ。しかし『模倣犯』の犯人はそんな常識などお構いなし。世間の注目を集める「劇場型犯罪」を実行し、日本中の注目をわが身に引きつけるのだ。この物語はそんな異常な犯人の計画に巻き込まれ、翻弄される人々の群像劇である。
 
 文庫本全五巻、まさに大長編といえる長さだ。並みの作家であればこれだけの長さの物語を書くと中だるみが生じたりするのだが、そこは流石「稀代のストーリーテラー」宮部みゆき。読者を飽きさせることなく、むしろ五冊で物足りなさを感じさせるほどの見事なストーリーテリングだった。僕が一週間かからずに読みきってしまったという事実がその証左である。一体どうしてこの小説は読者を惹き付けるのか。おそらく超目立ちたがり屋犯人の造形に成功した事が大きい。犯罪者でありながら目立ちたがり屋、という矛盾を解決してしまうほどの智慧を持った彼が、関係者を思いのままに翻弄する様があまりにも自然で華麗なのだ。むろん、群像劇であるからには犯人に振り回される関係者たちも丁寧に描かれる。丁寧に描かれた彼らもまた、活き活きとした登場人物なのだが、だからこそ彼らの生い立ちや現在を巧みに利用する犯人の計画は完璧に思えるし、身近になってきた彼ら関係者の人生がどう狂わされていくのか気になって仕様がなくなってしまう。
 
 これだけ多くの登場人物を出しながら、それぞれの運命が絡まりあい、互いに作用していくさまを自然に描いた小説は少ないだろう。読後、やはり文庫で五冊分の長さは必要だったのだと思わされる。
 
40位 竹本建治『匣の中の失楽』 講談社文庫
 日本ミステリー界には厳然とそびえる難攻不落の山が四つある。ミステリーというジャンルを過剰までに突き詰めた結果、非情に読みづらいが何だかすげーと思ってしまう四作品、マニアたちはそれらを「日本四大奇書」と呼んでいる……。そして、その一つが『匣の中の失楽』である。
 
 この小説は構造自体も作品の面白味の一つであり、展開の一つ一つに驚いて欲しいのであらすじは詳しく書かかないことにし、この小説のどのあたりが奇書と呼ばれているのかの個人的な考えをつらつら書こうと思う。
 
 前置きが長くなってしまったけれども、『匣の中の失楽』の一番の特徴と言えば延々と繰り返される推理合戦だろう。主人公たちは目の前で起こる事件に対し、友人が被害にあっているにもかかわらず、悲しみはそこそこに嬉々として事件の推理に熱中する。しかも推理合戦にルールを設けるのだから、事件の真相解明が目的と言うより「いかに面白い回答を見つけるか」を目指すゲームをしているようである。事実、なかなか面白い推理もいくつか披露されるのであるが、しかしこの「人間を描くこと」を放棄した態度は何なのであろう。もしかしたら、この推理合戦に興じる主人公たちは我々ミステリー好きの読者そのものなのではないか。小説の中の謎解きをゲームとして享受し、「もっと面白い解決を」と要求するミステリーマニアと重なって見える。つまり、作中の登場人物はまさに小説を読んでいる我々であり、小説を読んでいる我々は物語の中の彼らなのである。そしてこれが小説のあの構造を生み出すのであるが、それは読んで確かめて欲しい。
 
 と、「奇書」なので小難しいレビューにしてみたが、とりあえずミステリーが好きなら一度はチャレンジしてみて欲しい「山」である。一筋縄でいかない物語を読みきったときには、ミステリーというジャンルが違って見えるはずである。ただ、『匣の中の失楽』は奇書の中でも比較的読みやすい作品なので、「なに?『匣』が読了されただと!?」「しかし奴は我々四天王の中では最弱。」「どれ、次は俺が……」みたいな状況です。
 
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39位 横溝正史『犬神家の一族』 角川文庫
 おそらく、この全作レビュー企画の中で作品の中身と関係ないところで有名な小説№1かも知れない。湖に突き出した男の二歩足という光景は芸人の一発芸になったこともある名シーンである。角川映画の初期作品にしてその地位を磐石にしたとも言われている市川昆監督「犬神家の一族」の原作である。
 
 映画は映画として評価するとして、さて小説としてはどうだろうと考えた時に、初読時の興奮を思い出す。それはあまりに自然かつ必然的に描かれるメイントリックの素晴らしさへの興奮だった。ミステリーのトリックは大掛かりなものであればあるほど、当然の如くわざとらしさが目立つようになる。「わざわざこんな殺し方する?」という疑問である。大概は「小説だからいいか」と自己完結して終わるのだが、『犬神家の一族』では複雑で大掛かりなトリックが使われているのにも関わらず、とってつけた感がない。犯人の行動原理はトリックと直結するし、トリックが生むひずみが事件の不可解な現象として現れる。つまり、物語とトリックが見事に融合しているのだ。何と鮮やかなトリックだろう!
 ちなみに、佐清のマスクは映画の白い目出しゴムマスクという印象が強いが、作中ではデスマスクのように目や鼻が描かれた、特殊メイクのようなマスクだ。白いマスクでも不気味だけど、表情が全く変わらないデスマスクはもっと不気味だったろう……。
 
38位 泡坂妻夫『11枚のトランプ』 創元推理文庫
 本書を読むにあたって、著者がマジック好きであったこと、相当な腕前のマジシャンであったことは知っておいたほうがいいだろう。なぜならば『11枚のトランプ』にはマジシャンもマジックもこれでもかと言わんばかりに登場するので、「なんでこんなにマジックだらけなのか」と疑問に思うかもしれないからだ。
 
 舞台は地方の演芸ホールで開かれる奇術公演。その公演中に行方をくらませた一人の奇術師が死体となって発見されるという事件が描かれる。のっけから公演の描写で、紙上でマジックが次々と披露される。しかも部分的に種も明かしてくれるサービスつきだ。そして肝心の殺人事件は奇術の最中に行われる。しかも、その奇術公演を使ったトリックなのだから、奇術のトリックの裏で殺人事件のトリックも進行しているという何ともアクロバティックなミステリーなのだ。
 
 ちなみに作中作で「小説風の奇術のネタ帳」が出てくるが、これもミステリーのショートショートのようで、かつ完成度が高くて楽しめる。ミステリーに奇術、アイディアの出し惜しみをしない著者のサービス精神にあふれる一冊だ。
 
37位 松本清張『ゼロの焦点』 新潮文庫
 新婚早々、結婚相手が出張先から忽然と行方をくらましたら。それも、ただ消えたのではなく不可解な言動をしていた相手であったら。そして、謎を追うにつれて周囲の人間が次々と死んでいったら……。
 
 松本清張といえば社会派ミステリーの祖として有名である。密室殺人や呪われた旧家など非現実的な要素とは決別して、もっと人間の業や社会の矛盾を描こうとした社会派ミステリーはどうしてもトリックの点で楽しめないのではという不安を持ってしまう。事実、清張以後、雨後の筍のように量産された社会派気取りのミステリーにはそういうものも多いと聞く。しかし、『ゼロの焦点』は違った。大きなテーマとしては確かに社会的な問題、戦後日本社会がいかに混乱していたか、それがどんな悲劇を巻き起こしたか、が物語の中心となっている。一方で、行方不明になった男の素性という謎は取ってつけたような解決で終わらずに、鮮やかな○○○○トリックで驚かせてくれる。綺麗に隠された伏線も見事だし、夫の隠された素顔が次々と明らかにされていくスリリングな展開など、純粋なミステリー要素だけでも十分楽しめるのだ。
 
 人間ドラマを描きつつもミステリーとしての楽しみを損なわない、社会派ミステリーが目指すべき原点にして一つの到達点がここにある。
 
36位 歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』 文春文庫
 なんとタイミングの良いことだろう! まさか四月号に『葉桜』の回がまわってくるとは。まことに運命とはおもしろい悪戯をするものである。
 
 いわゆるどんでん返し系のミステリーである。同じくどんでん返しミステリーの『イニシエーションラブ』がどんでん返すことである種のイヤミス的な驚きを与えたのに対して、『葉桜の季節に君を想うということ』は最後のどんでん返しによって、小説が至上の人生賛歌を歌っていることに気づかされ、心が温かくなってくる。
 
 物語は大きく三パートに分かれていて、メインになるのは悪徳商法を繰り返す会社を調査する男の物語だ。この部分だけでもユーモラスなハードボイルド小説として楽しめる。楽しめてしまう分、「何か仕掛けられている」というのを忘れた状態で種明かしをされるので見事に騙される。騙されたことがわかった瞬間、小説の表情がガラッと変わり、今まで隠されていた物語のテーマが深く胸を打つのである。
 
 ミステリー的な要素だけであれば、個人的にはメインのトリックは想定の範囲内。ミステリーのトリックではヤクザ潜入編の滅多刺しにされた変死体の謎が面白く読めた。
 
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35位 江戸川乱歩「陰獣」『江戸川乱歩傑作選 獣』収録 文春文庫
 江戸川乱歩は日本探偵小説の父といわれながらも、じつは自作においてミステリー小説として高く評価されている作品は少ない。どちらかと言えば怪奇趣味小説が評価されていたりする。ところが「陰獣」は、乱歩最大の持ち味である怪奇趣味がミステリー要素と見事に融合した奇跡のような作品になっている。
 
 一人の夫人がある小説家から脅迫状を受け取り、身辺を付け狙われているのではないかと主人公に相談することから物語は始まる
 
 血みどろな怪奇小説ばかりを発表している作家は、作品そのもののねちねちとした陰湿さで婦人をストーキングしているらしいのであるが、その行方は杳として知れない。彼の行方を捜すうちについに悲劇が起きて――。というあらすじ。作家のストーキング行為や婦人の隠された秘密などが作品に背徳的で、耽美的な乱歩ファンが大好きな雰囲気を醸成しているし、次第に婦人が追い詰められる展開はサスペンスフル。そして、最後の意外な解決と余韻を残すラスト、文句の付け所がない。エンターテインメントとして完成度の高い作品だ。
 
 ちなみに、そのストーカー作家は明らかに乱歩自身がモデルである。自作のパロディも出てくこともあって、乱歩ファンならニヤニヤできる。
 
34位 泡坂妻夫『乱れからくり』 創元推理文庫
 奇術ときて次はからくりである。38位『11枚のトランプ』では奇術を作品に多用した泡坂妻夫が『乱れからくり』ではからくりを作品に多く登場させている。からくり人形、万華鏡、迷路……、からくりやおもちゃに関する薀蓄も満載で著者の趣味が垣間見える。
 
 事件は玩具会社の経営者一族の息子が隕石に衝突して(!)急死したことから始まる。次々と不可解な死を遂げる一族だが、その死には他殺であれ自殺であれ、事故であれ決定的に腑に落ちない点が残る。どうせ殺人なんだろう、と僕は意地の悪い読み方をしていたのだが、それでもアリバイがあったり動機がなかったりとにかくどんな仮説もしっくりこない。それもそのはずで、真相は僕の想像もおよばないものだったのだから。なまじミステリーを読んでいただけに見事に騙されたと言うべきか。犯人がいて、綿密に練り上げた犯罪計画を着実に進行する、そういうありふれたミステリーとは一線を画しているのだ。この奇想天外なトリックは「からくり」というモチーフと密接に関係しているし、「からくり」だらけの物語だからこそとても印象深いトリックとして読者の記憶に残るのだろう。
 
33位 鮎川哲也『りら荘事件』 創元推理文庫
 「本格ミステリーってどういう小説のことですか」と聞かれたら、僕は『りら荘事件』を読んでくださいと答える。それほど謎解き小説として純度の高い小説なのだ。
 
 山奥の山荘に集まった若い男女に次々と襲い掛かる殺人者の手、現場に残されたスペードのカードは何を意味するのか、そしてあらゆる場面にちりばめられた登場人物たちの不可解な言動等々、一見バラバラに見える断片でちょっとやそっとじゃ真相にたどり着くことができない。しかし、ちょっと視点を変えて手がかりを丹念にたどっていけば、解決を読まずとも真相にたどり着くことが出来るようになっている。堂々と読者への挑戦がされるくらいフェアなミステリーなのである。とはいえ、大抵の読者は推理を諦めて解決編へと読み進むのだが、その時真相を語りだすのは刑事ではなく、れっきとした私立探偵が読者を真相へと導くのである。
 
 なんだかこう書くと教科書みたいで地味な印象を受けるが、ばたばた人が殺されていくので展開は飽きないし、スペードのカードの使い方も綺麗で驚かされる。なにより、疑問に思っていた描写が次々と伏線として回収されていくのは気持ちが良い。「再読三読によって妙味が増す端麗巧緻なギミック」なんて本の裏に書いてあるけどまさにその通りの「スルメ本」。
 
32位 高木彬光『刺青殺人事件』 光文社文庫
この本を読むまでは知らなかったのだが、刺青は一種の日本的芸術文化として海外で評価されているらしい。繊細な指先の技術で、鮮やかな図面が肉体的な苦痛を伴って半永久的に身体に刻み込まれる行為は、なるほど確かに官能的な美があると言えなくもない。刺青といえば反社会的な連想をしがちな現代人も、妖艶な刺青に彩られた『刺青殺人事件』を読めばきっと「刺青」で画像検索してしまうだろう(検索しました)。
 
 この刺青というモチーフの活用が素晴らしい。まず、乱歩ばりの怪奇的な雰囲気の演出に成功している。美女の肉体に彫られた刺青や、刺青コレクターなど耽美なフックで作人世界に引きずり込む。さらに、この刺青が肝心のトリックにも関係してくるのだ。そもそも刺青は彫ったら一生消せないもの。つまり、刺青は指紋並みの、もしかするとそれ以上の身分証明になるのだ。『刺青殺人事件』で起こるのはバラバラ密室殺人。バラバラ死体というのは身元の特定が困難で、時にはすり替えトリックが行われたりするのだが、刺青はその可能性を否定する材料になる。すると、なぜバラバラする必要があったのかといった問題が代わりに出てきたりして謎は深まるばかり。死体に刺青があるだけでミステリーはここまで面白くなるのだ。
 
 発表は1948年と戦後ミステリーの初期作品。密室の謎やバラバラの謎など、ミステリーを書いてやる! という著者の情熱が感じられる作品であり、その情熱が見事な完成を見た一作である。
 
 
 
後編に続く⇒
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
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by dokusho-biyori | 2017-04-01 21:20 | バックナンバー | Comments(0)

17年04月 後編

⇒前編から続く
 
 
 
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 窪美澄と言えば、いびつな愛情と歪んだ家族を描くイメージが強いけれども、僕の場合は、彼女が紡ぐ「要領が悪い人たち」の生き方に、より強く惹かれてきた。
 
 最新刊『やめるときも、すこやかなるときも』でも、やはり「要領が悪い」人たちが、誠実に生を紡いでいく様子が綴られる。
 
 主人公は32歳独身の桜子さん。数年前に仕事で知り合った男性と付き合って、二股かけられて結局は捨てられたという、それが唯一の恋愛らしい恋愛で、以降《 私は恋愛そのものに向いていないのかもしれません。いろいろ考えすぎてしまって、ふられてばかりいますから 》と、恋も結婚も半ば諦めている気配。その上、実家の印刷会社が潰れて以来、酒に酔っては暴れる父と、そんな父に恭順することだけが務めだと思っているような母とに縛られて、まるで網にかかった小鳥の如く、じたばたともがくような日々を暮らしている。
 
 というプロフィールだけでも、桜子さんが生きるのが下手過ぎて、だけども決して悪い人ではなさそうで、と言うかむしろ多分いい人なんだろうけど自分には取り柄が無いと思い過ぎていて、美人でおしゃれな二人の親友と自分を比べて《この二人に会うと、この二人ですら縁遠いのだから、自分なんて縁がなくて当然だとなぜだか安心することができた 》などと言うぐらい徹底して後ろ向き。更には《 仕事にやりがいがないわけではない。責任のある仕事だって任せてもらえるようになった。けれど会社と自宅だけを往復する毎日に私は少し、疲れてる 》と、うつむきがちにトボトボと歩を進めるようなうつろな毎日。
 
 そんな桜子さんに、不意打ちのようにして大恋愛が訪れる。が、この新たな恋でもやはり彼女は要領が悪く不器用な振る舞いを繰り返し、そのギクシャクとした一生懸命さが健気と言うかピュアーと言うか、一読者として応援せずにはいられないのだけれど、前出の二人の親友も同様に勇気づけたり助言したりと気が気ではない様子で、その友情にもまた心を揺さぶられる読者はさぞ多かろう。
 
 例えば、桜子さんがつい有頂天になり過ぎた時に、親友の片方が《 桜子は今までこういう経験ないかもしんないけど 》と優しく諭す場面がある。《 うまくいってる恋愛を女友達に話すときは最大限に気を遣わなきゃ。(中略)桜子の恋愛を喜んでないわけじゃないんだよ。だけどそれと同じくらい、ねたみとか、そねみとか……やっぱりあるわけよ人間だから。顔にはださねども 》。そして直後に付け加える。《 でも、桜子、きれいだよ今 》と。
 
 こんな素敵な友達に支えられて、桜子さんは、おぼつかない足取りながらも歩みを進める。時には《 恋愛ってつらいものだな 》と泣きが入ることもあるけれど、駆け引きだのテクニックだのとは無縁に、誠実に自らの恋を見つめてゆく。そのまっすぐな姿に、「要領」より大事なことってあるんだなと、目を開かれる思いをするのは僕だけではない筈だ。
 
 つまり、だ。窪美澄の小説に出てくる要領が悪い人、後ろ向きに考えるのが癖になっている人、生きるのが下手な人、そして「仕方が無い」という一言で多くの事を諦めてきた人。そんな人たちが、それでも諦めたくない何かが胸の中に残っていることに気がついて、「仕方が無い」に懸命に抗う姿に、僕はいつも励まされるのだ。
 
 その好例として、2012年の『晴天の迷いクジラ』も挙げてみたい。
 登場人物は主に三人。20代半ばの田宮由人は、倒産寸前のデザイン会社で自宅に帰るヒマも無い程の社畜労働を強いられる。殆ど会えずにいた恋人には手ひどくフラれ、挙句の果てにはウツを患って死を思う。
 
 そのデザイン会社の社長の中島野乃花は、裸一貫から築き上げた会社の断末魔を目の当たりにして絶望し、こちらも同じく死を考える。
 
 そんな二人が、日本列島の南の方の小さな漁港に迷い込んだクジラのニュースを偶然見かけて、とっさの気まぐれで機上の人となる。《 死にかけてるクジラ見に行ってからうちらも死にましょうよ 》と、殆ど破れかぶれで南へ向かう。
 
 そして彼らが現地で出会った、小汚い身なりの女の子――16歳になる篠田正子は、度を越えた母親の干渉に擦り切れるように消耗し続けた結果、自分の部屋に引きこもってリストカットを繰り返す。その延長として無自覚ながらも「死」を思い、早朝にフラフラと街をさまよっていたところを、空港からクジラの海に向かうべくレンタカーを走らせていた件の二人に拾われる。
 
 といった書き方をすると典型的なロードノベルのようだがそうではなく、ページの大半が割かれるのは、回想的に描かれる由人、野乃花、正子それぞれの生い立ち。
 
 そこで読者が目にするのは、これぞ窪文学とでも評すべき、ボタンをかけ違えまくった親子の姿。「あなたのため」の一言を水戸黄門の印籠の如く振りかざし、自身の価値観で子どもをがんじがらめにする母親。その母親がお仕着せる理想像を拒む術を知らず、言われるがまま操り人形のように生きる幼い由人、野乃花、そして正子。それはまるで、四角や三角の箱をかぶせられて不自然な形に熟れ育ったスイカやメロンのようであり、読んでいるこちらまで息苦しくなる程の窮屈な日常を「仕方がない」と受け入れてしまっているかつての三人に、恐らく大半の読者は「そんな親など放り出せばいいのに」とじれったいやら苛立たしいやらの気持ちを抱くだろうけど、そこで放り出せないところが「要領が悪い人」たる所以な訳で、そんな彼らが、自分で勝手に浅瀬に座礁してしまったマッコウクジラを目にした時に、どうにかして再び広い海を自由に泳がせてやりたいと願うのは、決して動物愛護の精神からだけではないだろうというのは容易く想像がつくことで、要するに死を思って南の果ての漁村まで辿り着いた三人ではあるけれど積極的に死にたかった筈はなく、それしか方法が見つからなかっただけの話であって、生きてゆく術があるのなら当然ながら彼らだって生きていたいに決まっているのだ。
 
 そんな風に不器用ではあるけれど決して卑怯ではない彼らに、作者はまるでご褒美のような優しい出会いを用意する。《 なーんにも我慢することはなか。正子ちゃんのやりたいことすればよか。正子ちゃんはそんために生れてきたとよ 》 《 薬のんだって、入院したってよかと。どげなことしたって、そこにいてくれたらそいで、そいだけでよかと 》 《 由人くん、死ぬなよ。絶対に死ぬな。生きてるだけでいいんだ 》。――素朴な漁村で素朴に生きる人たちから貰った飾り気のない思い遣りが、涸れた田畑に降りそそぐ雨のように、三人の心に沁み込んでゆく。
 
 そう、人生は彼ら三人が考えているよりも、もしかしたら遥かにシンプルなものなのだ。急がないこと、比べないこと、怖がらないこと、そして自分自身を信頼することetc……。かのチャーリー・チャップリンだって、映画『ライムライト』の中で言っている。《人生には勇気と想像力と、あとはほんの少しのお金があれば充分さ( All it(=life) needs is courage,imagination and a little dough. )》と。
 
 とにかく何しろ、「要領が悪い」と言う時、確かに「悪」という字を使いはするけれど、それは善悪とか正邪という意味での「悪」ではなく、「不得手」とか「未熟」とか「拙い」とかいう語感に近い訳で、だとしたら、寝技も裏技も使えない馬鹿正直な人たちはどちらかと言うとむしろ「善」であり、窪美澄作品に登場するそんな不器用な人たちが、ドーピングもカンニングもせずに愚直に生きる姿にこそ、僕は、派手なサクセスストーリーよりも遥かに励まされることが多いのだ。
 
 
 
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『犬神家の一族』横溝正史
『江戸川乱歩傑作選 獣』江戸川乱歩
『残穢』小野不由美
『刺青殺人事件』高木彬光
『11枚のトランプ』泡坂妻夫
『晴天の迷いクジラ』窪美澄
『ゼロの焦点』松本清張
『匣の中の失楽』竹本建治
『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午
『乱れからくり』泡坂妻夫
『模倣犯』宮部みゆき
『やめるときも、すこやかなるときも』窪美澄
『りら荘事件』鮎川哲也
 
 
 
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編集後記
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連載四コマ「本屋日和」
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4月のイベントカレンダー
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by dokusho-biyori | 2017-04-01 21:04 | バックナンバー | Comments(0)

17年03月 前編

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 人が恋をした時に使われる文章には色々ある。恋に落ちる、恋をする、好きになる、惹かれる……尽きることなくきっとそれは生まれ続けるだろうが、大抵は聞いたことのあるような言葉ばかり。勿論、口語で使うと思いっきり恥ずかしくなるような言葉もあるが。そんな中で「目覚めるように恋をする」という表現と「私は命をかけて貴方のものになる」というこの二つの表現。特に前者はストンと心の中に落ちて来るような言葉として引っかかった。綾崎隼の『命の後で咲いた花』
 
 単行本から晴れてこの度文庫化されたこの作品は、著者自らがオペ室で手術されている時に考えたものだとあとがきにて綴られている。単行本で読んでいた時「ええええ」と驚き涙が引っ込んだのを私は覚えている。ある意味脳内を見てみたいと思った瞬間だった。……というのは置いておいて。
 
 この読書日和に初めて文章を書いた際も綾崎さんのお話だったが、このお話もまた伏線に伏線が張られた私の言葉で言う「綾崎ワールド」全開のお話である。私の読解力の問題なのかは疑問だが、伏線に気付き推測を立てるもののそれが回収された時推測と異なることが多いのもまた魅力ではある。だがあまりにも純粋に書かれた恋愛小説は純粋すぎて現実世界にはないだろうと思いつつも泣いてしまう。
 
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 物語は二部構成、文庫版には書き下ろしの番外編が書かれている。一部では中学校教師を目指す榛名のどうして教員になりたいか、大学生活や恋愛模様が描かれている。その一方で二部では一部でも出て来る羽宮サイドの、同じく人間模様が描かれている。共通点は、教職希望という夢と恋だ。
 
 つい数年前まで留年の危機と戦いながら大学生活を送ってきた私としては、ああ……うん、分かる分かると頷ける大学模様。最初のオリエンテーション眠くなるよね、とか、あの人いつも同じ席だよね、とか、お願いだから飲み会で絡んで来るなこの野郎とか。そんな当たり障りない、きっとどこかで誰かが経験しているような大学模様がすっきりと描かれている。印象的なのは榛名が教育実習にて自分は向いてないのではないかと羽宮に相談した際の彼の返答だ。
 
「教壇に初めて立った奴が、ミスもなく十分な授業を出来るはずないだろ。自分には向いてない? 二週間で何が分かるんだ。失敗して何が悪い」
 
 …………ごもっともです!!! 榛名の自分向いてないかも、と言う不安も勿論分かるのだが羽宮の言葉もとても分かるどころか身に沁みるというか耳が痛いと言うか。入社して二ヶ月でこの自分には向いてないと言う壁にぶち当たった過去の私に聞かせてあげたい言葉である。きっとどの職に就くことになっても(または就いていても)、最初は何も分からない。だから聞いて吸収してまた前を向いていくのだと思う。
 
 そんな羽宮に惹かれていくのが榛名である。ここで冒頭に書いた言葉を思い出して欲しい。「目覚めるように恋をする」。これは榛名の心情だ。一部の一話のサブタイトルだが、そうかこういう言葉で表すことができるのかと感銘を受けた。どういう意味なのかはぜひ読んでほしい。もしくは察してほしい。
 
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 さて羽宮がメインとなる二部では社会に出てからのお話である。中学校教師となった彼女と一般就職した羽宮の短いようで長い、深く純粋な恋愛が主である。だが彼女はある日仕事を辞めて実家へと帰ってしまう。追った先で待っていたのはあまりにも酷すぎる現実で。
 
 実は彼女は病を抱えておりそれが悪化してしまい社会復帰するのは厳しい状態にまで追い込まれていたのだ。彼女は幸せになってもらいたいから別れてほしいと告げるけど、羽宮は引かない。最後までそばにいさせてほしいと告げる。自分のことよりも人のことを優先してしまう彼女らしい言葉だが、現実ではどうなのだろう。もし恋人にそう切り出されたら、あなたはどう返答しますか? 私? 残念ながらそういうお相手がいないのでコメントを控えさせていただきますね。
 
 刻一刻と迫る命の時間。その中で彼女は羽宮に夢を託す。「教師になってください」と。自分が途中までしか出来なかった事を最愛の彼に託したのだ。幼い頃からその職に就きたかった羽宮に希望を持たせたのは間違いなく、今にも尽きてしまいそうな命の持ち主である。
 
 人の言葉とは不思議なもので。そんな小さな言葉一つでも誰かの背中を押す大きな言葉になりうる。けれども逆もまた、どんなに小さな言葉でも誰かを突き刺す鋭利なナイフになる。作品内ではそんな言葉の在り方も多く描写されている。綾崎さん特有だろう。
 
 単行本発行から四年の月日が経ち、彼の今の作品と比べてみる。言葉の在り方も、伏線の多さも回収も変わらず活かされている。だがこの作品に関しては、恋の感情に関しては、どの作品よりもずっとずっと清らかで深く、どこまでも透き通った水のように澄んでいると感じる。
 
「私は命をかけて貴方のものになる」。二部の三話での台詞であり、尚且つサブタイトルである。これ以上にない、最上級のプロポーズだ。
 
 
 
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 半分が過ぎた。だんだん冒険小説やサスペンスは少なくなってきている気がする。さて、今回は『半七捕物帳』がランクインしている。恐らくこれはシリーズ全てを指していると思われる。これを全て読むのは流石に無理だったので、光文社文庫の『半七捕物帳〈一〉』の収録作でレビューすることにしましたのでご承知おきを。
 今回は『太陽黒点』を再読できたのが何よりの収穫。やっぱすげえや山田風太郎。

51位 島田荘司『奇想、天を動かす』光文社文庫
 
 恐ろしいことに(?)消費税が導入された直後が作品の時代となる。10%に挙げるか否かが、消費税があることは前提の上で議論されている現在、消費税あるなしが騒がれている物語は一種の異世界のようにすら思えてきて……。
 
 と何のことやらの導入となったのは、この物語の発端となる殺人事件というのが消費税に関係があるから。消費税導入を知らなかった老人が3%の税金を請求されて逆上、店主の女性を殺害した、と動機が薄弱でしょぼい事件だと思われていたのが、アウトサイダー刑事が捜査をするにつれて過去の事件との関係が見えてくる、という本格ミステリーお得意の構図である。良くある手法とはいえ、入り口の事件が矮小な分、新しい事実が発覚するたびに事件がどんどん壮大な全体像を見せてくるので「まさか」の驚きと興奮は大きい。過去の事件の密室死体消失トリックなんかは「絶対こんなの無理でしょ」という状況を見事可能にしてしまう発想は賞賛の言葉しかない。このトリックを某少年漫画が流用していなければもっと驚いたんだろうなと思うと悔しさがつのる。
 
 社会問題を上手く絡めている部分も評価されているが、レビューが散漫になってしまうのでそこは割愛。とはいえ、社会派の部分を抜いて本格ミステリーの部分だけでも十分楽しめるのは間違いないのだ。
 
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50位 馳星周『不夜城』角川文庫
 
 情熱の炎は赤いとは限らない。燃え上がる炎が真っ黒な場合もあるだろう。『不夜城』はまさに真っ黒な情熱で読者を焼き尽くさんばかりの小説だ。
 
 舞台は新宿歌舞伎町ではあるが、我々の知る歌舞伎町ではない。その裏にある暗黒街の歌舞伎町を舞台に大陸系のマフィアが牛耳る闇社会が描かれる。主人公はアングラな歌舞伎町を器用に生き抜いている日本人と台湾人のハーフだ。絶妙なバランス感覚で平穏を保っていた生活は、ひとりの男の登場で崩れ始める。その男はかつて主人公の相棒であったが、過去に裏社会のボスの反感を買った「指名手配犯」である。くさいものにしていた蓋が外れた如く、突如として危うい立場に立たされた主人公は生き抜くための計画を練る。
 
 嘘と裏切りの連続、ひたすら己の利益にのみ行動し、そのためには他人の命を駒のように扱う……。表社会の倫理を粉々に砕くような世界である。「えー、こんなのひどすぎるぅ」と言ってしまうヤワな読者には向かないだろう。しかし、このダークな世界観に脳髄まで浸ってトリップしたような感覚の読書体験はなかなかない。いわゆる暗黒小説(ノワール)と呼ばれているハードボイルド小説の亜流ジャンルでは日本を代表する作品と言えよう。ただ、血も涙もない小説のように書いてきたが、主人公とヒロインの関係は非情だけれども、普通の男女では到達できないようなところで深く繋がったような、崇高な結末を迎えたと僕は思うので、血も涙もない裏社会を描きながら、そこで花開いた極彩色の愛の物語でもあるのだろう。
 
49位 京極夏彦『絡新婦の理』講談社文庫
 
 さて、また箱の登場である。今度は前回よりもさらに分厚い。電車で読むと腕が疲れる。
 
 と、冗談はさておき、今回の京極堂は「あやつり」がテーマである。事件の裏には実は黒幕がいた! というサプライズは上手く伏線を張っていればかなりのインパクトを与えられる一方で、無限に黒幕を作ってしまう危険性を孕んでいる(犯人を操る黒幕、それを操る黒幕、またそれを操る黒幕、以下無限)。これはミステリーの評論等でよく問題にされ、麻耶雄嵩あたりはこの問題が大好きすぎて論理の袋小路に入り込んだような小説を書いている(褒め言葉)。それに比して本作は安心していただいていい。なぜならかなり序盤から事件に黒幕がいることが京極堂によって指摘され、「ゴール」が設定されているからだ。ゴールが分かっているなら簡単な事件に思えるが、そうではないらしい。京極堂曰く、どんなエラーも真犯人の計算のうち、あがいても真犯人の計画を妨げることはできない。たとえ名探偵たる京極堂が介入したとしても、その行動自体が計画の歯車のひとつになってしまうらしい。まさに完璧な犯罪計画。はたしてそんな神のような所業が可能なのか。そう、この神がかった犯罪がどのような構造をしているのかという問題こそ『絡新婦の理』のミソなのだ。正直ここまで大掛かりなあやつりトリックは無かったのではと思う。下手なサプライズよりも、完璧な犯罪計画で知的興奮を味わえるミステリー。
 
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48位 山田風太郎『太陽黒点』角川文庫
 
 山田風太郎のミステリーは予備知識一切無しで読んでもらいたい小説が多いが、この『太陽黒点』もその一つだ。生半可に内容を知っていると作品を充分に楽しめなくなってしまうからだ。だからといってレビューしないわけにはいかないので悩みどころ……。
 
 あらすじとしては非情に簡単だ、貧乏学生がアルバイト先で出会った令嬢の玉の輿に乗ってのし上がろうとするあまり、自分も周囲も傷つけ堕落していってしまうダークな青春物語。
 
 正直なところ、僕は一回目に読んだ時はそこまで凄いとは思わなかった(もちろん面白く読んだが)。しかし、今回全てが分かった状態で再読すると随所随所で鳥肌が立った。なんと上手い構成なのか、一人の青年とその周辺人物の運命が神の御業によって決定付けられていく様がはっきりと分かるのだ。「二度読み必須」を謳うミステリーは数多いが、トリックの確認だけではなく作品を全く違った読ませ方をさせる小説はなかなかない。本当の意味で二度楽しめる小説である。
 
47位 藤原伊織『テロリストのパラソル』文春文庫ほか
 
 開始早々大爆発が起こる。映画のようなオープニングは『MOZU』に似ているが、主人公は公安ではなくただのバーテン。しかもアル中というこれだけだと頼りなさ過ぎる主人公なのだが、その過去は学生運動に参加していたり、ボクシングで期待の新人だったりと実は武闘派。爆破事件の被害者にかつての学生運動の仲間の名前があったことや、現場から指紋つきの酒瓶が発見されたことなどから、事件に隠された陰謀に巻き込まれていくことになる。
 
 本書の批判に「様々なことが繋がりすぎてあまりにも偶然に頼りすぎている」という意見が見受けられた。しかしそれは裏を返せばプロットに無駄がないということ。一見関係なさそうに思えた人物、事柄も一つの真相に収斂していく様は読んでいてため息が出るほど。単にアル中のおっさんが陰謀に巻き込まれてきりきり舞いしているだけの物語ではないのだ。
 
 ちなみに、主人公の経営しているバーにはフードメニューがホットドッグしかない。しかし、このホットドッグが実に美味そうに描かれていてちょっとした飯テロ描写である。その描写の見事さにNHKの二次元グルメドラマ「本棚食堂」に取り上げられたこともある。ドラマにもなっているのでDVDを見るお供はポップコーンではなくホットドッグで決まりだ。
 
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46位 船戸与一『山猫の夏』小学館文庫
 
 この本を読み終えたのは2月22日、ニャンニャンニャンの日つまり猫の日である。愛くるしい猫の写真がSNS上で見受けられたが、この山猫は、愛嬌はあっても愛らしさは皆無のおっさんである。その名を裏社会に轟かせている伝説の傭兵、それが山猫だ。
 
 今回の山猫の任務は男と駆け落ちした娘を連れ戻すこと。家出娘の捜索とはいえ、駆け落ち相手の男の家系が悪かった。家出娘の家と血で血を洗う争いを繰り広げている家の息子なのだ。簡単に言えばロミオとジュリエットのジュリエット奪還任務であるが、男の家も傭兵を雇っているからロマンチックな風情はない。両家の傭兵が出会うことはすなわち殺し合いの始まりを意味する。常に緊張感が漂う、過酷な任務が始まる……というのは前半のあらすじにしか過ぎず、どうやら山猫はこの任務のさらに先にあるものを見ているようだ。前半で描かれる山猫の奇妙な言動の理由が明らかになる後半の展開は凄まじい。前半では単なる雇われ者にしか過ぎなかった山猫であるが、後半になり山猫の壮大な計画が始動すると、すべての登場人物が山猫に踊らされることになるのだ。読者もまた、山猫の智略にただただ圧倒されるしかない。彼の計画は常に読者の予想を超えるのだ。
 
 腕っぷしの強さとキレッキレの頭脳をもつこの猫は、どちらかといえば躊躇いなく人を殺す暴力的な人物に描かれている。しかし、最後に明かされる彼の秘密に思わずキュンとしちゃう人も多いはず。
 
45位 大沢在昌『毒猿 新宿鮫Ⅱ』光文社文庫
 
 毒猿とは台湾の伝説の殺し屋で、彼を裏切った台湾マフィアのボスを殺すために日本に来ているらしい――。そう、新宿鮫シリーズの二作目は台湾マフィアが中心の物語で、なんと今回レビューの『不夜城』と題材が一緒。ただ、『不夜城』が完全に裏社会の話である一方で、一応『毒猿』は警察組織が機能しているので表社会の論理が通っている。個人的にはネガとポジのような感覚で二つの物語を読んだ。
 
 一作目で鮮烈なデビューを果たした新宿鮫であるが、意外にも第二作目では影がうすい。主役の座は毒猿と彼を負う台湾警察の刑事の二人が占めている。鮫島は台湾刑事の相棒となって毒猿を追うことになる。
 
 ところで、前作では正体不明の凶器というミステリー的な謎解き要素があったが、本作にはそういったガジェットは無い。なのに前作より評価されているのはなぜか。それはハードボイルドとしてより純度の高い作品に仕上がっているからだろう。警察、毒猿、台湾マフィア、三つの勢力が入り乱れる事件をスピード感たっぷりに描いている。次々と殺される台湾マフィア、追い詰められる毒猿、まるで生きているかのように刻々と変化する事件を鮫島とともに現在進行形で体感できるのだ。クライマックスの緊張感たるや気持ちが入りすぎて窒息しそうになった、と大げさに言ってみたくなる作品。
 
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44位 皆川博子『死の泉』ハヤカワ文庫
 
 第二章を読み始めるまで「おや?」という気持ちで読んでいた。というのも、どう考えてもミステリーには思えない物語だったからだ。「これは、『ダックコール』の再来か!?」と。物語は第二次世界大戦下のドイツ、私生児を身ごもった主人公はナチの産院に身を寄せる。人種差別問題や悪化する戦況、主人公は次第に追い詰められていく……。という銃後の戦争系の物語でミステリー要素と言えば、不老不死の研究をしている医師の存在くらい。それも戦中は珍しい話ではないく、ミステリーというジャンルには分類しづらい物語が続く。とはいえ、著者特有の素晴らしい文章に飽きることなく読みすすめられるのであるが。
 
 ところが第二章に突入すると様相は一変。複数の人物の視点がめまぐるしく切り替わり、それぞれの思惑が交錯するサスペンス色の強い物語へと変わる。そして最後にはとあるトリックも明かされるのだから、結局はミステリーだった一安心というわけだ。簡単に書いてしまったが、第二章以降は第一章がしっかりしているから成り立っている。登場人物の行動原理や伏線も全て第一章が無ければ成り立たない。それほど緻密に組み上げられた物語なのだ。
 
 さて、この小説は物語と同じく注目すべき点がある。それは著者の文章力だ。文学作品に勝るとも劣らない見事な文章は物語を一層豊かにする。特に狂人の描写が凄まじい。精神が錯乱している様子が見事に描かれている。この文章を読むだけでも価値がある一冊だ。
 
43位 桐野夏生『OUT』講談社文庫
 
 本書のあとがきにおいて、タイトルの「OUT」を松浦理英子大先生は「一億総中流社会的な一般社会から外れた女達」とアウトサイダーのようなニュアンスで書いている。「OUT」な場所にいる女達が「OUT」な行為によってどんどん「OUT」になってしまう物語りだと。しかし、僕は違った意味で「OUT」という単語を理解した。つまり、主人公たちは現状から「OUT」したくて、日常に風穴を開けたくて「OUT」な行為をし続けるのではないか、と。
 
 冒頭から描かれる女達の日常は、地獄のように過酷な日々。そんな日々から彼女たちが抜け出すために請け負った行為が「死体処理」である。同僚が殺した夫の死体をバラバラに切り刻んで遺棄したのである。結果として汚泥を啜るような日常からは「OUT」した彼女たち。しかし、当然の如く彼女たちの犯行は追求を受けることになって……。
 
 何が一番恐ろしいかといって、先述の「地獄のような女達の日々」がすぐ隣にあるような日常として描かれていて、倫理を無視して「遺体損壊」へと一気に飛躍してしまう彼女たちの思考が抵抗無く受容れられてしまったことだ。「これはありうることだ」思ってしまうのである。多くの人が抱えている日常への鬱屈した思い、そこから「OUT」したいという欲望を極限的な形で描き出した作品といえるのかもしれない。
 
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42位 岡本綺堂『半七捕物帳』光文社文庫
 
 今や当たり前のジャンルとなった捕物帖の先駆け的シリーズ。日本ミステリーの黎明期において重要な役割を果たしたと言われていて、確かにこのシリーズは一九一七年スタートで、乱歩のデビューはその六年後なのだ。どれだけの後進作品に影響を与えかは計り知れないものがある。
 
 さて、全集の1巻、14作品を読んだところの一番の驚きは作品テイストの多様さだ。怪談調、サスペンス、本格テイストの作品etc。毎回違った趣向を凝らしてくるので飽きない。さらに提示される謎が興味深いものばかりなのだ。例えば、干からびた生首を持つ浪人、ひとりでに鳴り出す半鐘、忽然と消えた美少年、「これ、どういうこと?」と気になってしまうものばかり。それが短編という短さでサクサク解決していくのでストレスフリー、次から次へと読んでしまう。
 
 ただ、ミステリーとして謎解き要素は総じて弱い作品が多い。現代ミステリーばりのトリックを期待すると肩透かしを食らうのでそのあたりは広い心で読むのがベスト。ただ、たまに解決も素晴らしい作品があることは明記しておきたい。
 
 また、半七捕物帳は江戸風俗の史料としても評価が高い。制度や文化など「へえ」と感心できるトリビアが豊富だ。もちろん、人の価値観も現代とは異なるので、登場人物の行動原理も現代とは違う。そこが謎解きのミソになることもあるので、時代小説でしか書けないミステリーであると評価するのともできよう。
 
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後編に続く⇒
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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by dokusho-biyori | 2017-03-03 21:55 | バックナンバー | Comments(0)

17年03月 後編

⇒前編から続く
 
 
 
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 今回は、時間ものの名作を幾つか読み返しながら、「今」と「未来」について考えてみた。
 
 トップバッターには、ケン・グリムウッドの『リプレイ』が相応しかろう。43歳の主人公ジェフが、冒頭の一文でいきなり死んでしまうという珍妙な幕開けだ。
 
 で、その後どうなるかっつーと、彼は気が付いたら18歳の頃に戻っている。25年前の若々しい身体で、時代も間違いなく25年前。ただ一点、彼の記憶だけは元のまま。つまりジェフは、18歳から43歳まで25年間の記憶を保持したまま、もう一度人生をやり直すことになる。言わば「未来からやって来た男」になった彼は、株価の上下から競馬の大穴まで全てお見通しな訳で、当然それを利用して大儲けする。掛け値なしの大富豪になる。ブラボー!
 
 が、あろうことか43歳になった途端、また死んでしまう。そして、気が付くとまた、18歳に戻っている。そして43歳になったら三度、死んで、三度、時間を遡って生き直す。更に、四回、五回、六回……。ジェフは、訳も解らないまま、死んで戻って生き直す、を延々と繰り返す。そして、その度に「より良い人生」を模索するのだけれど、毎回毎回、何かしら失敗し、大小様々な後悔を抱えながら43歳で死んでしまう。
 
 ところが或る日、何十回目か何百回目かの43歳の時、やはり理由も解らないまま唐突に彼は、「リプレイ」の輪から抜け出すことに成功する。その瞬間、彼は――音楽にしろ映画にしろ文学にしろ、あらゆるものを体験し尽くして飽き飽きしていた彼は――聞き覚えのない音楽を耳にして狂喜する。《 それにしても、どんな歌であれ、今までにぜんぜん聞いたことのない歌を、なんと聞きたかったことか! 》。
 
 そうなのだ! どこにでもいる凡庸な中年オヤジが何度も人生をやり直すという夢のような設定のこの物語は、見方を変えれば何度やり直しても完璧な人生にはならない男を描いている訳で、それはつまり、何度生き直そうとしょせん人間は神様になれる訳ではないと言っているのであり、同時に、やり直しの利かない時間を生きる僕らに向けた「人生は一度しか無いからこそ素晴らしい!」という、力強い声援にもなっているのだ。
 
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 そんなメッセージを内包した作品の一つとして、畑野智美の『ふたつの星とタイムマシン』も挙げてみたい。
 
 今よりちょびっと未来の日本。そこではタイムマシンが、あたかも現代のリニアモーターカーの如く「実用間近か!?」と期待されていたり、数千人に一人の割合で超能力者が存在することが認知されていて、やはり現代のカラオケバトルのような、視聴者参加型の超能力番組が放送されていたりする。
 
 そんな世界で、例えば或る女子大生は、試作品のタイムマシンを使って、悔やみきれない過去を変えようとする。しかしタイムマシンの開発者は忠告する。曰く《 過去を変えたら、もっと悲惨な未来になるかもしれない。今が一番いいと思っていた方がいいです 》。このセリフは、続編である『タイムマシンでは、行けない明日』を読むと一層深みを増すのだけれど、「今が一番いいと思っていた方がいい」とは、なんという人生肯定の言葉だろう!
 
 本書には他にも、瞬間移動の超能力を使って週末ごとに世界旅行を楽しむOLだとか、自分の周りだけ時間を遅らせることが出来る小学生だとか、はたまた「惚れ薬」を手に入れて意中の女性を振り向かせようとする青年だとか、奇跡とでも言うべき力を手にした男女が登場する。
 
 だけどその行間から溢れ出すのは、奇跡の礼讃ではなく、むしろその逆、万能ではない僕らの生を精一杯肯定せんとするメッセージだ。少々便利な力を手に入れたとて、それを使うのが人間である以上、やはり失敗と後悔はつきまとう。ならば、特殊な能力を使って人生のドーピングをするよりも、始めから「人生は思うに任せない」という心づもりで生きていけばいいではないか。そんな主張を本書から読みとるのは、果たして僕の深読みのし過ぎだろうか?
 
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 中山智幸の短編集『ペンギンのバタフライ』も、現在肯定の時間旅行ものと言っていいだろう。
 
 とある町のとある坂道。そこを自転車で後ろ向きに下ると過去に戻れるというのは、第一話「さかさまさか」。半信半疑で試してみた主人公が、まんまと戻れた過去の世界で、一人の女性から忠告を受ける。《 わたしのいちばんの失敗はね、過去に戻れば運命を変えられるって勘違いしたこと。わかる? 結局、いましかないんだよ 》。
 
 或いは第三話「ふりだしにすすむ」では、平凡なOLが、未来からやって来たという老人に頼みごとをされる。ならば「自分の未来を教えて欲しい」と交換条件を出すものの、「知らん方がいい」とはぐらかされる。何故か?
 
 ここで僕はふと考えた。自分の未来が分かってしまったら、努力して「今」を変えていく気になれるだろうか? 判明した「未来」が良いものだったにしろ悪いものだったにしろ、それが「既定事項」だと言われたら、それでも努力を続けられるだろうか? 例えば、「あなたの明日のテストは60点と決定しています」と告げられたら、それでもテスト勉強を頑張れるだろうか? 僕には無理だ。「どうせ~なんだから」と、知らされた「未来」を口実に「今」の努力を放棄してしまうに違いない。だから老人は言ったのだろう。《 知らないからこそ生きるに値するんだ 》と。そして続ける。《 ありきたりだが、悲喜こもごもがある。いい人生かどうかは、きみが最後に決めることだ 》と。
 
 即ち、だ。人生の先に待ち受けているのが良い未来なのか悪い未来なのか、それはあらかじめ通達されるべきものではなく、それらを通り過ぎた後、ゆっくりと振り返った時に自分自身で判断すべきものであると、そういうことをこの老人は言っているのではなかろうか。別の言い方をするならば、将来、過ぎ越し方を「良い人生だった」と思い返せるかどうか、それは、そこに辿り着くまでの自分自身の行動次第だと、そういうことをこの老人は言っているのではなかろうか。
 
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 そう言えば、映画史に残る時間もの、かの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でも、シリーズの最後の最後で似たようなことを言っていた。タイムマシンで持ち帰った「未来の自分の解雇通知」が白紙になっていて驚くマーティとジェニファーに、ドクことブラウン博士がしたり顔で告げるのだ。「君たちの未来はまだ白紙という意味だ。誰にとっても、だ。自分の未来は自分で切り開くものなのだよ(It means your future hasn't written yet. No one's has. Your future is……whatever you make it.)」。
 
 或いは、日本代表級の時間もの、『ドラえもん』にも、相似形の言葉がある。「45年後……」というタイトルの短編で、文字通り、45年後ののび太が少年時代を懐かしんで、タイムマシンで現代に遊びに来るという話だ。例の如くドタバタ喜劇が展開された後、すっきりした顔で未来に帰ってゆくオッサンのび太。その別れ際に彼が、少年のび太にそっと告げるアドバイス。《 一つだけ教えておこう。きみはこれからも何度もつまづく。でも、そのたびに立ち直る強さも、もってるんだよ 》。
 
 多分きっと恐らくけだし、「未来」というものは、何度もつまづきながら「今」をつなげていった先にしか存在し得ず、ということは、つまりその「未来」を決めるのは、無数に連なる「今」を生きる自分自身だと、そういうことを藤子・F・不二雄さんは言いたかったのではなかろうか。
 
 いや、一人藤子氏に限らず、ここに挙げたどの作品もどの作者も、言いたいことは結局一つなんだという気がするがどうだろう? 未来は白紙だ、と。だからこそ、人生は生きるに値するのだ、と。そう思うと、つまらん日常もほんの少しだけ、輝きを増すように感じるのは、決して僕だけではないのではなかろうか。
 
 
 
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『OUT』桐野夏生 講談社文庫
 
『命の後で咲いた花』綾崎隼 メディアワークス文庫

 
『奇想、天を動かす』島田荘司 光文社文庫
 
『死の泉』皆川博子 ハヤカワ文庫
 
『絡新婦の理』京極夏彦 講談社文庫
 
『太陽黒点』山田風太郎 角川文庫
 
『テロリストのパラソル』藤原伊織 文春文庫
 
『毒猿』大沢在昌 光文社文庫
 
『ドラえもん プラス 5』藤子・F・不二雄 小学館てんとう虫コミックス
 
『半七捕物帳』岡本綺堂 光文社文庫
 
『ふたつの星とタイムマシン』畑野智美 集英社文庫
 
『不夜城』馳星周 角川文庫
 
『ペンギンのバタフライ』中山智幸 PHP研究所
 
『山猫の夏』船戸与一 小学館文庫
 
『リプレイ』ケン・グリムウッド 杉山高之/訳 新潮文庫
 
 
 
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編集後記 
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連載四コマ「本屋日和」
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3月のイベントカレンダー
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by dokusho-biyori | 2017-03-03 21:54 | バックナンバー | Comments(0)

17年02月 前編

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 動物が出ているテレビ番組を見ているとどうしてもその可愛らしさ故か「飼いたい」と思うことがある。だが安易に「飼いたい」と言って飼えるものではない。そこには家族として迎え入れる「覚悟」と「愛情」と言う名の「責任」が伴うからだ。口にするものの実際に飼わないのは、自分が一度愛犬を亡くしているからとすっかり染み付いてしまっている『犬の十戒』があるからだろう。そんな『犬の十戒』を交えたお話『犬と私の10の約束』を紹介したい。
 
 大人のみならず小さい子にありがちな「この子飼いたい」と突然捨て犬やら迷い犬やら、まあ所謂野良を拾ってくるこの光景。話の導入は十二歳の少女・あかりが偶然自宅に迷い込んできた仔犬を捕まえようとするところから始まる。しかし丁度なんてタイミングだ、母親が倒れてしまい犬どころではなくなってしまった。父親は医者で忙しく母親は入院……普通に考えてこのぐらいの年の子ならば寂しかろう。その穴埋めとなったのが仔犬……ではなく、四月に知り合ったギター少年の進だった。そうか、男の子か!! と思ってしまった私は悪くないと思いたい。
 
 進と和やかな日々を過ごす中、とある日曜日。あかりは再び例の仔犬と遭遇する。今度は捕まえちゃいましたよ。無事に家族として迎え入れました。そのことを入院中の母親に仔犬を連れて見せに行くと(病院に連れていいのかと言うツッコミは敢えてスルーしよう)、母親からあかりに犬を飼う時の10の約束を渡される。それが『犬の十戒』なのだが、あかりが大人になるまでにそれらが守られたかどうかは読んでみて確かめて欲しい。
 
 さて繰り返し出てくる『犬の十戒』。物語の中では10の約束とされているこれは一体なんぞや、となるだろう。元々は著者不明と言われている英詩であり、犬と人間の在り方について書かれているものだ。
 
 犬だけではなく動物の寿命は私たち人間よりもはるかに短い。それは私たちよりも早く年老いていくものだからどうこうできるものではない。だが生きている間にできることはたくさんあるのもまた事実。私たちに感情があるように飼われるペット達にも感情は存在するのだ。そしてこの『犬の十戒』は犬だけではなく全ての動物、そして人間同士の関係にも照らし合わせることができる。全ては紹介しきれないが、ほんの一部紹介しよう。
 
【私の一生は10~15年くらいしかありません。ほんのわずかな時間でも貴方と離れていることは辛いのです。私のことを買う(飼う)前にどうかそのことを考えて下さい】
 一度飼うとなったら最期まで面倒を見るのが最大の責任である。短い命の中飼われるペット達は何を思うのか。例えば主人公のあかりのように寂しく思うでしょう。きちんと面倒を見てあげられるか、愛情を捧げられるか、「可愛い」と言う一過性の感情だけに囚われていないか、覚悟を決めなければならない。
 
【私を叩く前に思い出して下さい。私には貴方の手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯があるけれど、私は貴方を噛まないように決めている事を】
 怒りの感情をぶつけることがどういうことか。手を上げればペット達も人間も痛みを伴うのは当たり前の話である。それでも噛み付いて来ないのは犬がきちんと主人だと認めているからであって。人間もそう。手をあげ返す人もいるだろうけど、本当に信頼しあっていれば物理的な痛みは返さない。ペット達……特に犬は人間に本気で噛み付くようなことがあれば、あっさりと保健所行きである。そのことをわかって欲しい。
 
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【最期の旅立ちの時には、そばにいて私を見送って下さい 。「見ているのが辛いから」とか「私の居ないところで逝かせてあげて」なんて言わないで欲しいのです 。貴方が側にいてくれるだけで、 私にはどんなことでも安らかに受け入れられます 。そして……どうか忘れないで下さい。私が貴方を愛していることを】
 飼われてきてからどのくらい一緒に過ごせるか分からないけれども、必ず死というものは訪れる。見ているのは確かに辛いけれども、もし仮に自分が大切な人と死に別れなければならない状況下だったら。私はあまり見られたくはないがそれでもどこか寂しく思う節はある。それはペット達も同様だ。たくさんの愛情を受けてきたのだから。最期まで見届けるのが、飼い主としての最後の役割なのではないのだろうか。
 
 昨今、一年間で保健所での殺処分が決まっている動物は、犬猫だけでも七、八万頭と言われている。元々野良だった子たちもいるが、その中には一度飼っては人間の勝手で捨てられて望まない運命に当たる子たちすらいる。人間同様虐待されて捨てられる子だって。その現実を頭に入れて欲しい。そして『犬と私の10の約束』で人とペット達の繋がりを、並びに『犬の十戒』を念頭に入れて動物を飼って欲しい。また既に飼っている方々は今一度自分がどういう風に接しているか、思い出して欲しい。
 あなたは、守ることができていますか?
 
 
 
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61位『奪取』真保裕一 講談社文庫
「なあ、銀行と知恵比べしてみるってのも、面白そうだとは思わないか?」この主人公の一言に物語の全ては集約されている。国家技術の粋を集めて作られた紙幣の偽物を如何に作り上げるかという難題に挑戦する主人公たちは、まさに壮大な「知恵比べ」をしているのである。どんな紙を使えばいいのか、インクの色は、すかしの入れ方はetc……試行錯誤を繰り返す彼らの姿にどこからともなく「地上の星」が聞こえてくる……。
 
 物語は三部構成になっている。中でも第一部の着眼点は素晴らしい。友人の借金返済のために、一週間で1260万円の金を捻出する――。このミッションインポッシブルへの解決法が盲点を付いていてめちゃくちゃ上手い。主人公の天才っぷりが遺憾なく発揮される。ここで「贋金作り」という犯罪がとても知的でロマンにあふれた魅力的なものに思えてくる。そしたらもう上下巻一気読みである。二部、三部と激流のような物語に翻弄されて、爽快な一撃が待っているラストまで一直線である。
 
 ちなみに、本書は「印刷」に関する小説でもあるので、その方面への薀蓄も豊富。印刷業界に詳しくなれる。
 
60位『理由』宮部みゆき 新潮文庫
 お隣さんの名前を聞かれてすぐに答えられるだろうか。名前は分かっても家族構成や職業などは分かるだろうか。僕の場合、東西南北のご近所さん全てに関して答えは「否」。特にアパート暮らしの頃は顔さえも分からなかった。なので、たとえお隣さんがいつの間にか全く別人になっていたとしても気付くことは無いだろう。思えば、これほどミステリーの謎として魅力的な題材はそうそう見つからない。本書ではその魅力を存分に使った事件が起こる。
 
 とある高層マンションで殺人事件が発生する。一室で発見された三体の死体と一体の墜落死体。これだけで衝撃的な大量殺人事件であるのだが、なんと四人の死者とマンションに登録されている住人は全くの別人だったことが発覚する。では、元々いた家族はどこに行ったのか、誰が死んだのか、そもそも何故住人が入れ替わったのか。もはや謎が多すぎて続きを読むしかなくなってしまう。事件は関係者の証言を積み重ねていくことで真相をあらわにしていくのだが、着地点は輪郭すらつかめなかったスタートからは想像も付かないほどのリアリティがある。
 
59位『弁護側の証人』小泉喜美子 集英社文庫
 本書を読むにあたってアガサ・クリスティー『検察側の証人』を先に読むべし、みたいな人がいるのでその通りにしてみた。まあ、結果としてはどちらでもいいかな。読めばより騙されやすくなるといった程度だと思う。ただ、『検察側の証人』も傑作なので読んで損はない。
 
 帯にも「映像化不可能」と謳ってあるし、物語冒頭でもそれと匂わす表現があるので明記していいと思うが、本書はいわゆるどんでん返し系のミステリーだ。最後に種明しで物語の様子が180度回転してしまう仕掛けが施されているのだ。あらゆる場面、セリフが正反対の意味を持ってくるので、真相が明らかになってからパラパラと読み返すと自分がいかに読み違えていたか分かるし、著者の巧妙な仕掛けに気づいて面白い。ただ、サラーっと流し読みしてしまうと騙され損なう恐れがあるのでそれなりにじっくり読むことをお勧めする。
 
 因みにトリックを除くと本書はいわゆる嫁いびりものとして読むことができる。不幸な生い立ちの主人公が家庭に入っていびられる様をヤキモキしながら読むだけでも面白い。
 
58位『猛き箱舟』船戸与一 集英社文庫
 プロローグのカッコ良さが尋常ではない。特殊部隊がある男の暗殺ミッションを遂行している場面から物語は幕を開ける。要人を幾人も殺めているというその男は、深手を負いながらも巧妙に追っ手から逃げ続ける。戦略的に罠を張って逃げる男、クレバーでクールである。そして追い詰められた男が見せる姿も、男なら誰もが憧れを抱くだろう。
 
 と、ハイテンションなプロローグが終わると物語は過去へともどる。そして、プロローグで追われていた男が主人公だと分かるのだが、しかしその様子にはプロローグのようなクールさは見られず、ただのチンピラのように描かれる。その主人公が日本財界を裏で牛耳る男の下で傭兵として働くことになるのが前半、つまり上巻のあらすじだ。海外の紛争地域で戦闘に参加するところまで描かれる前半は、リアルな戦争小説としての楽しみがある。しかし、後半、下巻に突入すると男の戦いの意味合いは一変する。そして、チンピラでしかなかった男が、プロローグの化け物めいた戦闘員へと変貌していく様が描かれるのだ。あまり詳しく書くとネタばれになってしまうが、前半の戦闘は戦争ゲームをしているような興奮があり、後半の戦闘は男の情念そのもののように読者の心を熱くする。ひとりの人間としてここまで凄まじい生き様はあるだろうかと思わせる、まさにタフガイな小説だ。
 
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57位『八ツ墓村』横溝正史 角川文庫
「祟りじゃーっ!」という老婆の叫びとか、ライトを鬼の角のように立てた殺人鬼の画が有名すぎて内容があまり知られていない印象を受ける本書。全て映画の影響が大きすぎるせいなのだが、これは原作がしっかりしているからに他ならない。本書はミステリーの枠を超えてエンターテイメントとして超一流の作品である。
 
 物語のメインは八つ墓村といういかにもな村で起こる連続殺人をめぐる謎である。無差別に殺されていく被害者たちの共通点は何か、なぜ殺されるのか、という所謂ミッシングリンクものとして展開される。一方で落ち武者の隠し財宝をめぐる宝探し小説としての一面も併せ持つ。本格ミステリーと冒険小説の見事な融合、幸福なマリアージュである。
 
 ところで、ものすごく話題がそれるが、年に一度ツイッターで行われる横溝ヒロイン総選挙なるイベントがあるのだが、そこで圧倒的人気を誇るのが本書のヒロイン里村典子だ。典子の他にも魅力的な女性が登場する本書は男性読者の好みがわかる試金石のような役割も果たす。個人的には主人公の姉、田治見春代のいじらしさがたまらない。
 
56位『異邦の騎士』島田荘司 講談社文庫
 小説の中の記憶喪失者はミステリーの読者と非常に似ているということを発見した。どういうことかと言うと、世界では何かが起こったはずなのに、それを知らない(覚えていない)。そして「何かが起こった」という謎を知ることが目的になり、他者(探偵)が導いてくれる。謎が解かれていくということは記憶を回復していくことに似ていると思うのだ。本書はまさに記憶喪失の一人称で描かれていたミステリーだ。冒頭から記憶喪失であることに気づいた主人公の混乱っぷりが見事に描かれる。そこから段々と過去が明らかになっていくのであるが、どうやらそれは忌まわしき過去のようで……。記憶を失った直後、出会った女と幸福な同棲生活をしていた主人公は記憶を取り戻すべきか否かのひどいジレンマに悩まされることとなる。このジレンマこそが真相が明かされたときの驚きにつながり、何とも切ない読後感を生むのである。
 
 さて、僕はレビューの前半に意図せずともちょっとした意地悪をしてしまった。ちょっとヒントを出すと、真相へとたどり着く(記憶を取りもどす)道のりが本当に正しいと言う証拠はどこにあるのだろう……?
 
55位『サマー・アポカリプス』笠井潔 創元推理文庫
 矢吹駆シリーズの第二作。『哲学者の密室』のレビューでも書いたが、このシリーズは原則一見さんお断りなので、きちんと『バイバイエンジェル』からお読みすることをオススメする。でないと、僕のように前作のネタばれを喰らいながら読みすすめることになるからだ。
 
 さて、本書はミステリーの要素として、密室殺人、アリバイトリック、見立て殺人、多重解決等々を含んでいるが、なかでも注目したいのが見立て殺人だ。本書の事件の要と言っていい見立て殺人の意味、これが今までレビューした『悪魔の手毬唄』『霧越邸殺人事件』とは全く違っている。なによりもその必然性を生むのが困難な見立てなのだが、一番すっきりとした理由付けに成功している。トリックに見事に組み込まれていて、本格ミステリーとして見事な完成度を誇っている。
 
 ただ、キリスト教の宗教史云々が事件の背後に存在するため、斜め読みすると事件の全容が把握できなくなる。腰をすえてじっくり読むべく本である。間違っても電車の中で読んで何度も同じ箇所を読み返すような、僕のようにはならないで。
 
54位『半落ち』横山秀夫 講談社文庫
 ミステリーの謎は大概殺人行為そのものから発生している。所謂、フーダニット(誰がやったか)、ハウダニット(どのようにやったか)、ホワイダニット(なぜやったか)という分類も全て殺人行為に関係している。ところが本書は誰がやったのかも、どのようにやったのかも、なぜやったのかもすべて明らかになった上で謎が提示される。「殺人から自首までの二日間、犯人はどこで何をしていたか」このことに関しては一切しゃべろうとしない犯人に「何かある」と直感した刑事、判事、事件記者など様々な立場男が真相究明に挑む。正直どうでも良いと言ってしまいそうな謎であるが、そこに警察上層部の捜査妨害が入ってきたりして急にきな臭くなってくる。ここで権力という大きな正義に屈するか、それとも己の信念を貫くかという、横山秀夫お得意の「男たちのドラマ」が立ち上がってくるのだ。男たちはそれぞれ真相に近づいていくのだが、必ずどこかで挫折し(決して真相究明に失敗するというだけではない)、まるでバトンリレーのように次の男の視点に切り替わる。題材としては地味であるが、視点を変えることで飽きさせない手腕は見事。そして、全て持っていく「空白の二日間」の真相はハンカチの用意が必要だ。
 
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53位『マークスの山』髙村薫 新潮文庫
 表紙で「雪山で起こる連続殺人をめぐる山岳ミステリー」と勘違いしていたが、実際は骨太の警察小説だった。もちろん、雪山の殺人事件も関係しているが、メインは首都圏で起こる連続殺人事件だ。この事件を追う刑事たちの姿を圧倒的なリアリティで描いたらしい。らしい、なんて中途半端な語尾にしたのは、心理描写や捜査の方法は確かにリアルであるけれども刑事たちのキャラが立ちすぎて「現実にもいそう」とは思いづらかったから。ただ、それはむしろ良い意味でキャラ立ちしているのだ。特に刑事たちが個性豊かでその言動だけでも面白い。個人的には服がダサくて、チビでデブで仕切りたがりとちょっとウザいけれども矢鱈に頭の切れる吾妻ペコ(このニックネームも面白い)がお気に入り。
 
 本書のもう一つのオススメポイントは殺人者の視点が描かれていること。それも短期記憶障害で記憶の混濁がしょっちゅう起こる人物の心理を見事に描いている。捜査パートが骨太の警察小説であれば、犯人パートは猟奇的な幻想小説だ。この二つがどうやって一つの事件に収斂していくのだろうとハラハラするのも一興だ。
 
52位『第三の時効』横山秀夫 集英社文庫
 短編集というのは大概一作くらいは残念な思いをするのだが、本書は全て傑作ミステリーという素晴らしい短編集だ。F県警という架空の県警を舞台に、常勝集団と言われるほど検挙率の高い捜査一課の活躍が描かれる。どれも警察小説としてリアリティがありながら、本格ミステリーとしての仕掛けも見事に決まっている。例えば表題作の「第三の時効」は冷血な班長の下で働く捜査員が、事件関係者に同情を覚えながらもその家族を壊しかねない解決に進むしかない苦悩を描き、同時にタイトルの持つ意味と最後のどんでん返しであっとさせられる。
 
 また、本書は同じF県警を舞台にしながらも視点人物は短編ごとに違う。当然、捜査一課であっても複数班があるわけで、班の内側から見た場合と外側から見た場合とで一人の人物の評価が違ってくるので、短編ごとに登場人物が掘り下げられていくことになる。つまり、事件は一つの短編内で完結するが、F県警という舞台絵繰り広げられる物語は一冊を通して描かれている。短編ミステリーとして一編ずつ楽しみながら、刑事たちの群像劇として一冊とおして楽しむ、二重に楽しませてくれる仕掛けである。
 
 
 
後編に続く⇒
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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by dokusho-biyori | 2017-02-03 10:30 | バックナンバー | Comments(0)

17年02月 後編

⇒前編から続く 
 
 
 
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 今回は、2016年に読んだ新刊の中から、とりわけ強く印象に残った作品を四つほど採り上げたい。いずれ劣らぬ傑作揃いで甲乙つけ難く、故に順位やランキングという体裁はとらずに、発行日順で紹介したい。
 
 まずは五月の奥田亜希子『ファミリー・レス』。2014年にすばる文学賞でデビューした新鋭の、これは三作目。タイトルは恐らく造語だろうが、無理矢理日本語に置き換えると「家族欠落」或いは「家族未満」といったところか。その名が暗示する通り、ここに登場する老若男女は、「家族」と呼ぶには何かが足りない。戸籍の上では家族でも、心は他人よりも離れてしまったり、家族同様に暮らしていながら遠慮や気兼ねを払拭出来なかったり、或いは、存在さえ知らなかった血縁者が突然現れて戸惑ったりと、様々な距離感の六つの「家族未満」が描かれる。
 
 この作家の作品は前作『透明人間は204号室の夢を見る』で初めて読んだんだけど、市井の人々の後ろ向きの感情をこれほどナチュラルに描ける人は、昨今ちょっと見当たらない。と言っても誤解しないで頂きたい。話が暗いとかストーリーに救いが無いという意味では、決してない。むしろ、単純なハッピーエンドの物語では味わえない不思議な安らぎがある。
 
 例えば松岡修三氏のように、何でもかんでもポジティブに捉えて前向きに生きることばかりが奨励される世の中だけど、生きていればどうしたって後ろ向きにしか考えられない時期もある。元気を出せと言われて元気が出るなら苦労は無い。前を向かなきゃと頭では解っていても、心がついて来ないから苦しいのである。
 
 そんな時に奥田亜希子の作品は、「そのまんまでいいんだよ」と優しく肯定してくれる。歩いていて転んだ時と走っていて転んだ時とどっちが痛い? 傷が大きいのは、全力疾走していたからこそ。そんな自分に鞭打って無理に前を向こうとするよりも、傷ついた自分を労わってあげよう。いずれ自然に元気が出るまで、泣いたりふさぎ込んだりする自分を許してあげよう。
 
 そんな奥田亜希子ならではの温かみを実感したければ、まずは本書の第一話「プレパラートの瞬き」を読んで頂きたい。
 
 二十代半前半の主人公・希恵には、かつてツーカーの仲だった姉がいるのだけど、現在はほぼ絶縁状態。どうやら余程のことがあったらしいのだけど、希恵はその過去から目を逸らし続けている。とは言え、記憶を失った訳ではないので何かの拍子にその「出来事」に焦点が合ってしまうことはしばしばあって、だけれども彼女は、恐らく自己防衛反応なんだろう、「私は傷ついてなんかいない」「過去を引きずってなんかいない」と懸命に演技する。周囲に対しても、自分自身に対しても。
 
 が、そんな無理をいつまでも続けられる筈がなく、臨界に達した慟哭はラストシーンで遂に爆発する。堰を切ったように泣きじゃくる彼女の悲哀に、心を動かされない読者は恐らくいまい。「君は悪くない」「次はきっといいことがあるよ」と、一言言ってあげられたらと、きっと誰もが思うだろう。
 
 けれど希恵は、多分この後、立ち直る。しんどかった経験を「無かったこと」のように無視するのではなく、自分が傷ついたという事実を受け入れることで、初めて過去は過去になる。悲しんでいない人を慰めることは出来ないのと同じで、自分自身の悲しみをまずは自分で認めないことには、立ち直ることも前を向くことも難しい。俵万智に「悲しみがいつも私をつよくする今朝の心のペンキぬりたて」という歌がある。相田みつをは「あのときのあの苦しみも あのときのあの悲しみも みんな肥料になったんだなぁ」と言っている。或いはアメリカのジャーナリストだったか詩人だったかは(うろ覚え)、「目が洗えるほどたくさん涙を流した女は、視野が広くなるのよ」とかいう言葉を遺したそうだ。
 
 首根っこ掴んで無理矢理前を向かせるようなプラス思考の押し売りに、ちょっと疲れたりしている人には、奥田亜希子をお薦めしたい。
 
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 お次は六月の『ロボット・イン・ザ・ガーデン』だ。
 舞台は、家事用アンドロイドが高額ながらも普及し始めた未来の世界。ロンドン郊外に住むベンの庭に、或る日、一台の小さなロボットが現れる。一般的なアンドロイドと違って何の取り柄も無さそうな、しかもどこか壊れかけているらしいそのポンコツに、親の遺産でダラダラと日を浪費するベンは自分自身を重ねて親しみを持ち、「タング」と名乗るそのロボットを、製造元まで送り届けて修理してやろうと決意する。
 
 斯くして始まるベンとタングのずっこけロードノベル。これが楽しいの楽しくないのって! 一応学習機能は備わっているらしいタングだけれど、取り敢えずは人間の幼児並みの知識しか持ってないようで、空港で迷子になったと思ったら、初めて乗るエスカレーターに一心不乱。昇っては降りて昇っては降りてを嬉々として繰り返していたり、幼児期特有の反抗期なのか(?)、ベンが迷子になるから離れるなと言っても「やだ」、床が滑るから気をつけろと言っても「やだ」。そのフリーダムな言動にベンは度々苛立つのだけど、読者はハートを鷲づかみにされること請け合いだ。
 
 帯にも書いた通り、2016年で僕が「最も、ずーっと読んでいたかった本」。因みにこれは、販売促進用に考えたコピーではなく、ゲラを読んだ直後に担当編集さんに送ったメールの一部。つまり100%個人的な感想で商売っ気抜きだから信じていいよ(笑)。
 
 さて、先を急ぐ。賽助というラノベっぽい著者名で敬遠してはいけない。七月に出た『君と夏が、鉄塔の上』は、近年随一のまっとうな青春小説だ。主役は三人。鉄塔おたくの伊達成実(♂)。幽霊が見えるという特技の持ち主、比奈山優(♂)。そして、美人だけれど変わり者という評判の帆月蒼唯(♀)。全員、中学三年生。彼らのひと夏の冒険は、近所にある鉄塔のてっぺんに座る男の子が幕を開ける。帆月が見つけたその男の子は何故か彼女にしか見えず、霊感がある比奈山にも見えないということはどうやら幽霊ではなさそうで、だとしたら、地上五〇メートルに座り続けるあの子は何者? ってな謎解きに、受験だとか友情だとか恋だとかを重ね合わせることで、子供から青年へと脱皮しつつある少年たちの軽やかさも淋しさも、活き活きと描き出している。また、《 誰かにためらいなく蓋をされたように、あっけなく夜になった 》といった、この著者独特の気の利いた言い回しや、外国映画にでも出てきそうな洒落た会話も本書の魅力。『スタンド・バイ・ミー』とか『サマーウォーズ』とか『夏の庭』とか、そのテの話が好きな人なら一気呵成に読める筈。
 
 そして最後は、直木賞候補にもなった須賀しのぶの『また、桜の国で』。先々月に紹介した帚木蓬生『ヒトラーの防具』と同じ時期、こちらはポーランドのワルシャワにある日本大使館を舞台に、やはりナチスのホロコーストに懸命に抗う人々が描かれる。序盤、人物の動きが少なくて、ともすれば史実の「説明」になりがちな点が残念と言えば残念だけれど、中盤以降、主人公とその親友たちが大事な者を守るため瓦礫の中から立ち上がり、決死の覚悟でナチスに闘いを挑んでゆく姿には、何度も心を揺さぶられる。
 
《 国を愛する心は、上から植えつけられるものでは断じてない。まして、他国や他の民族への憎悪を糧に培われるものであってはならない 》
 
終盤、主人公が決然と言い放つこの言葉に触れる為だけでも、本書を手に取る価値はあると思う。
 
 
 
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『犬と私の10の約束』川口晴
 
『改訂完全版 異邦の騎士』島田荘司
 
『君と夏が、鉄塔の上』賽助
 
『サマー・アポカリプス』笠井潔
 
『第三の時効』横山秀夫
 
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『猛き箱舟』船戸与一
 
『奪取』真保裕一
 
『半落ち』横山秀夫
 
『ファミリー・レス』奥田亜希子
 
『弁護側の証人』小泉喜美子
 
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『マークスの山』髙村薫
 
『また、桜の国で』須賀しのぶ
 
『八ツ墓村』横溝正史
 
『理由』宮部みゆき
 
『ロボット・イン・ザ・ガーデン』デボラ・インストール/松原葉子訳
 
 
 
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編集後記
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連載四コマ「本屋日和」
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2月のイベントカレンダー
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by dokusho-biyori | 2017-02-03 10:28 | バックナンバー | Comments(0)

17年01月 前編

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 爆発的な感染力を持つ上に、感染した場合の致死率はほぼ100%。しかもこれまで地上に存在しなかった新種の為、ワクチンも特効薬も無く、発病したが最後、もだえ苦しみながら死を待つのみ。そんな恐ろしいウィルスが、バンコクから羽田に向かう大型旅客機の中で増殖を始める。乗客は高熱と脱水症状で次々に倒れ、それを介護するCAも立て続けに罹患、機内は一秒ごとに凄惨さを増してゆく。
 
 と、ここまでで既に惨憺たる状況ではあるのだけれど、更に追い討ちをかけるが如く、緊急着陸の要請を香港にも台湾にも拒否される。勿論、中国政府及び台湾政府が未知の伝染病の上陸を懸念した為だけれども、ならばあらかじめ羽田に医療チームなり自衛隊なりを待機させておき、着陸と同時に患者の移送と治療に当たれば問題無かろう、などと思ったら甘かった。
 
 当局のシミュレーションによると、同機が羽田に着陸した場合、即座に患者を隔離したとしてもウィルスを完全に封じ込めることは困難で、3日後には23区内と横浜市、5日後には一都三県に感染が拡大し、数十万人規模の死者が出るという。政府が対策を協議する間にも、件のボーイングは刻一刻と羽田に近づく……。
 
《 今や、七二六便はL型ウィルスを国内に運ぶ輸送機と化しています 》
《 上空で旋回待機させるとしても、せいぜい一~二時間稼ぐのがやっとでしょう 》
《 これから都民を避難させるとしても手遅れだ…… 》
《 我々は八方塞がりの状態です 》
 
 という絶望的な状況が、「これでもか」というぐらい次から次へと繰り出されるのが、大原省吾の『計画感染』
 
 いやはやそのスピード感と緊迫感はタダゴトはない。発生した事件そのものがタダゴトではない上に、その進行が多視点から全方位的に描かれる為、読者は、様々な登場人物たちの様々な立場に於ける焦りや恐怖や苛立ちを、代わり番こに追体験することになる。例えば、緊急着陸の可能性を懸命に探る機長の視点。例えば、伝染病の発生という前代未聞の事態に激しく動揺する乗客たちを、果敢な笑顔で励ましなだめるCAたちの視点。例えば、自らの感染のリスクを顧みず患者たちのケアに当たる、たまたま乗り合わせた女医の視点。
 
 そして勿論、地上で事態の打開を目指す人々の迷いと決断も、矢継ぎ早に挿入される。例えば、とある殺人事件の捜査で偶然、新型ウィルスの存在を知った二人の刑事。例えば、新型ウィルスの脅威をいち早く突きとめ、政府に進言し続ける感染症研究員。例えば、首都圏壊滅というシナリオを前に、為すすべ無く狼狽える閣僚たち。
 
 それら十数人の視点が、作中の時間にして数分単位で切り替わる為、読者はさながら、テレビの多元中継でも見ているかのように「現在進行形」な焦燥を味わうに違いない。実のところ、細部のリアリティで挙げ足を取ろうと思えば取れないこともないんだが、ジェットコースターのように次から次へと山場が訪れるので、小賢し気なツッコミなどせずにストーリーのアップダウンに身を委ねるのが、多分、本書の正しい読み方。
 
 こういう感覚どこかで体験したことがあるような……と思いながらページをめくっていたんだが、ハリウッドの娯楽大作、『スピード』とか『ダイハード』とか『インディ・ジョーンズ』とかを観ている時のあのハラハラドキドキ。それがこの小説には確かにある。
 
 そして物語はいよいよ佳境へ。政府の高官が苦渋の表情で首相に進言する。曰く《 こうなった以上、我々の取るべき道は一つです 》って、いやいや幾ら何でもそりゃねーだろオイッ! ってツッコミながらも読者はきっと、最後まで諦めない何人かの登場人物たちに声援を贈らずにはいられない筈。スリルとサスペンスがてんこ盛りの上に、実にスカッとした気分も味わえるエンターテインメント。誰もが「いやぁ面白かった」と言って読了すること請け合いです。
 
 
 
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 動物の視点で描かれた小説と言えば、漱石の『吾輩は猫である』を筆頭に、斎藤惇夫、薮内正幸の『冒険者たち』とか、ルイス・セプルベダの『カモメに飛ぶことを教えた猫』とか、ミステリー作品なら、宮部みゆきの『パーフェクト・ブルー』とか、スペンサー・クインの『助手席のチェット』とか、その気になればまだ幾らでも挙がりそうだ。
 
 リチャード・アダムズの『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』もそんな動物視点の物語の一つだけれど、特筆すべきは、単に「視点」のみならず、思考や行動原理まで含めて徹底して「野生動物」として描かれている点だろう。
 
 例えば『吾輩は猫である』の場合、苦沙弥先生の飼い猫たる《 吾輩 》が一人称で語り手を務めはするものの、彼は、苦沙弥先生が迷亭や寒月たちと交わす戯れ言を、時には呆れたり小馬鹿にしたりするほどにまで理解しており、即ち相当に人間的である。
 
 これに対して『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』はどうかと言うと、例えばアスファルトを敷いた道路を見ても、彼らはそれが何なのか解らない。人間が作ったものらしいとは思うものの、それが危険かどうかの判断がつかず無闇に警戒する。或いはタバコ。人間が咥え、そして時々投げ捨てて行くそれは、彼らにとっては《 いやなにおいのする白い棒 》でしかなく、無論、その使い道など知る由も無い。或いは、海。旅の途中で出会ったユリカモメに「大地の終わりに広がる大きな水」の話を聞くのだけれど、ウサギたちには全く理解の外の話で、「嘘ではないんだろうけど正直何のことだかさっぱり解らん」といった具合。
 
 要するに本書に登場するウサギたちは――そしてウサギ以外の全ての動物たちも――食事や排泄から物の見方考え方まで、「擬人化」を極力排して描かれる。だから読者は、ちょっとした丘や、人間なら飛び越えられる程度の小川が、ウサギたちにはこんな風に見えるのか!? と「ウサギ視点」で物語にのめり込む。距離にしてたかだか10マイル、僅か数ヶ月の冒険譚が、『東方見聞録』『コンティキ号探検記』にも劣らないアドベンチャーに思えてくる。
 
 物語はイギリス南部、ニューベリー近くの野原から始まる。そこで暮らす野うさぎの群れの中の1匹、まだ幼いファイバーには、危険を予知する不思議な力が備わっている。と言っても薄ぼんやりと「何か悪いことが起こりそうだ」と感じる程度。だからその日、彼が大きな危険の兆候を感じ取って、村中みんなで避難すべきだと訴えた時に、信じてついてきたのは彼の兄であるヘイズルを始め、村での立場が弱い者ばかり僅か11匹。
 
 そして彼らは、生れて初めて村を出る。見知らぬ動物の気配に怯えながら森を抜け、身を隠す巣穴も無いまま雨に濡れる。犬に追われ、カラスに襲われ、ネズミの群れに襲撃される。一度などは人間が仕掛けた罠に捉われさえする。そもそもは危機を避けるために村を出た筈なのに、その後の旅路は文字通り一難去ってまた一難。不安と緊張の連続で心がささくれ立ち、仲間割れ寸前の喧嘩をしたりもする。
 
 それでも彼らは歩き続ける。ファイバーの霊感とヘイズルのリーダーシップに率いられ、戦闘担当として身を挺して群れを守るビグウィグやシルバー、そのひらめきで何度も危機を救う知恵者のブラックベリ、物語の語り手としていつもみんなを勇気づけるダンディライアンなど、11匹がそれぞれの個性や特技を生かして、一つ一つ困難を乗り越えてゆく。その知恵と勇気とチームワークを、どうかとくとご覧頂きたい。
 
 タイトルにもなっている「ウォーターシップ・ダウン」とはイギリス南部の田園地帯に実在する地名で、11匹のウサギたちの旅の目的地である。が、実はダウンに到着するのは物語の序盤僅か四分の一の辺りで、その後にもまだまだ彼らの困難は続く。と言うか、むしろダウンに巣穴を掘って小さいながらも「村」を作ってからの方が、実はアドベンチャー度は増してゆくのだけど、その頃には読者は誰もが、11匹のウサギとともにハラハラしたりドキドキしたり、時には喝采を叫んだりしている筈だから、ここではこれ以上は語るまい。ただ『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』が、映画や演劇も含めて僕がこれまでに見た動物視点の物語の中で最も好きな作品である、とだけ言っておこう。
 
 
 
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71位『哲学者の密室』笠井潔 創元推理文庫
 
 これほど一見さんお断りな小説は稀だろう。その敷居の高さたるや京都の老舗御茶屋並みである。かくいう僕も前作のネタばれ(本作はシリーズ第四作)というぶぶづけを供されつつ、ハイデガーの『存在と時間』をモチーフにした哲学問答、1,000頁超の長さに一週間の読書をほぼこの一冊に費やした。
 
 ……断言しよう。上記の苦労に見合う読書体験であった、と。
 
 舞台は20世紀ドイツ。富豪の邸宅(もはや城レベル)で一人の男の他殺体が発見される。しかし、現場は「三重の密室」となっていて……。30年前、ナチスドイツ時代に起きたもう一つの密室殺人と複雑に絡み合う事件に名探偵・矢吹駆がいどむ! というのがあらすじらしいあらすじ。ミステリー要素だけ抽出しても魅力的な事件、捨てるに惜しいダミー推理、見事な解決と充分楽しめる。ただ、これだけでは「良くできた探偵小説」でしかない。忘れてはならないのが笠井流の哲学がこの小説には描かれているということ。人はなぜ人を殺すのか、死とは何なのか、ミステリーでしか語りえない哲学がこの本にはある。
 
70位『七回死んだ男』西澤保彦 講談社文庫
 
 地方ルールというのがある。特定の地域で制定されている特殊ルールのことだが、西澤保彦のミステリーの大半は「西澤地域」の地方ルールが適用された特殊ミステリーだ、と僕は思っている。
 
 本作の地方ルールは「タイムリープ」。『時をかける少女』から『僕だけがいない街』まで綿々と受け継がれている「同じ日を繰り返しちゃう」アレである。主人公は一日を八回繰り返してしまう奇妙な「体質」の持ち主。リプレイする日がランダムにやってくる厄介な体質であるところ、祖父の遺産相続が絡む重要な新年会の日がリプレイしてしまう。特に何事もなく一回目が終わったと思ったら、何と二周目に祖父が殺されてしまう。主人公は殺人が起こらないよう、犯人の妨害工作に出るのだが……。
 
「ははん、この作品はここにトリックがあるな」と予想をつけていたところを見事に裏切られた。西澤保彦は自身の設定した「地方ルール」の中でしか描けない謎と驚きを用意していたのだ。
 
69位『魔都』久生十蘭 朝日文芸文庫(品切れ重版未定ただし青空文庫にあり)
 
 かつて、僕の友人がこの小説をこう評した。日本版「24‐TWENTY FOUR-」。ジャックバウアーの顔が浮かんだあなた、大正解。とはいえ主人公が「大統領!」とか叫ぶことはなく、約24時間の事件をリアルタイムに描いていく手法において似ているのである。
 
 お忍びで来日していた安南皇帝が大晦日の東京で失踪する。しかも皇帝の邸宅で起きた不審な愛人の墜落死の直後に。偶然事故の場に居合わせ拘束される記者、墜落事件の真相を追う刑事、事件を穏便に処理しようとする政府、そして事件の背後で蠢く怪しげな人物たち、と様々な視点から大晦日から元旦にかけてめまぐるしい展開を見せる事件を描いていく。断片的に描かれる事件が次第に大きな全体像を見せていく過程は圧巻。それぞれの人物が己の思惑にそって好き勝手に行動して事件が進展していくので、まさにリアルタイムに事件が生成されていくような感覚に陥る。いわば、生きた事件を読んでいるような感覚だろうか。
 
 ちょうど時期だし、年末年始の読書にはちょうどいいかも。
 
68位『しあわせの書』泡坂妻夫 新潮文庫
 
 「紙の本ならではのトリック」とオビに朧井朝世さんのコメント。確かにこれは紙ならではの本だ。ただ、前回の『イニシエーション・ラブ』みたいに「映像化不可能なトリック!」(映像化したけど)と謳われる類のトリックではないと断っておこう。
 
 あらすじは非常に単純。新興宗教「惟霊講会」にまつわる奇妙な出来事(予知、死者の復活)の謎を解き明かすべく、探偵役のヨギガンジーが宗教団体の断食合宿に参加する。というもの。本編は丁寧に伏線が張られていて、最後の意外な結末が綺麗に決まっている泡坂らしい本格ミステリーに仕上がっている。ただ、これだけではオールタイムベストにランクインすることは無かったろう。本書の真の驚きは隠されたもう一つのトリックなのだ。さて、これ以上何かを書こうとすると危うくネタばらしになりそうなので控えておく。ただ、この本は図書館などで借りるのではなく、買って手元に置いておくことを強くオススメしたい一冊だ。
 
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67位『警視庁草紙』山田風太郎 ちくま文庫
 
 山田風太郎の明治小説、二回目の登場である。90位にランクインした『明治断頭台』はミステリー色が濃かったが、本作は歴史色強め。史実をベースにしつつ警視庁vs元町奉行・岡っ引きの騙しあいを描く。
 
 山田風太郎の明治小説は虚実ない交ぜの妙というのが最大の魅力とされているだけあって、実際にあった出来事をベースに小説が組み立てられている。そのため、明治時代の知識がある人は十全に楽しめるはず。しかし、僕のような高校日本史の知識など大学合格とともに忘れ去った人間でも面白く読める。ミステリーの短編連作としても面白く(特に銀座レンガ街を舞台にした二作)、体制vs反体制の丁々発止の騙しあいはおかしくて、明治時代の風俗史としても面白い。森鴎外や夏目漱石、樋口一葉などの文豪がモブのようにひょっこり登場する愛嬌も良い。
 
 ちなみにこれ、確か初出は文春文庫なんだよなあ。なんで絶版にしちゃったんだろ……。

66位『黒い家』貴志祐介 角川ホラー文庫
 
 真に怖いのは妖怪や化け物ではなく、われわれ人間なのだ……という類のホラーである。それもチェーンソーを振り回す仮面の怪人が登場するアメリカンなホラーではなく、ぞわぞわ悪寒がするような極めて日本的な怖さだ。
 
 主人公は保険会社に務める男性。彼は訪問先の家で偶然(?)その家の子どもの縊死事件に居合わせてしまう。子どもには生命保険がかけられていたが、保険金目当ての殺人ではないかという疑いがもちあがり、保険料の支払いは滞る。子どもの父親は毎日窓口にやってきて主人公を呼び出し、催促をする。声を荒げることも無く、暴力をふるうことも無く、毎日、毎日、執拗に……。
 
 犯人の人物造形が凄まじい。「真に怖いのは人間」と言葉にするのは簡単だが、それを体現した人物を描けた小説はどれほどあるだろう。その意味において『黒い家』の犯人描写は凄まじいまでに成功した。人間の厭な部分を剝きだしで見せられたような、文章から瘴気が立ちのぼってくるような気分にさせられる。現代社会で描けるホラーのお手本と言えるのかもしれない。
 
65位『新宿鮫』大沢在昌 光文社文庫
 
 刑事は基本的に二人組みで行動しなければならないらしい。だから水曜日の九時からやっているドラマはその意味では現実的なのだろう。ところが、この『新宿鮫』から始まるシリーズの主人公・鮫島は一人、単独で捜査を進めるはみ出し者である。つまり一匹狼! ハードボイルドだっ!
 
 と、いうことで日本のハードボイルド警察小説の代表作である『新宿鮫』である。シリーズの第一作である本書は鮫島が追う密造拳銃事件と連続刑事殺しが並行に進行する。この二つの事件もミステリー的な仕掛けが施してあって面白いのだけれども、リーダビリティーを高めている最大の要素は鮫島とその恋人・昌という二人の魅力的なキャラクターの絶妙な関係だろう。捜査ではガチッと強い鮫島が恋人と接する時は若干緩む、弱さみたいなものを見せる。この恋人とのプライベートな関係が鮫島の人物を深く描くのに役立っているのみならず、拳銃密造事件と関わりがあったりクライマックスを盛り上げてくれたりする。つまり、警察小説として事件を描きながらシリーズの登場人物たちを紹介するという離れ業をやってのけているのだ。
 
 シリーズ第二作『毒猿』は45位にランクインしている。また鮫島たちに会えると思うと今から楽しみだ。

64位『すべてがFになる』森博嗣 講談社文庫
 
 どうでも良い話だが、このレビュー企画では「ミステリ」という言葉は使わず、「ミステリー」という言葉に統一するように心がけている。世の中には「ミステリ」と呼ぶ人もいれば、「ミステリー」を使う人もいて、それぞれ使い分けがあるようなのだが、面倒なので統一しているのだ。で、何がいいたいのかと言うと、世の中にはもう一つ「ミステリィ」なる呼称もある。しかもそれは森博嗣の作品にしか使ってはいけないらしい……。その理由は分からないが、とりあえず「ミステリー」でも「ミステリ」でもなく「ミステリィ」でしかない何かが森博嗣の小説にはあるのだろう。
 
 その森ミステリィの第一作。孤島の研究所で15年間も軟禁状態で生活する天才工学博士・真賀田四季、彼女の部屋からウエディングドレスを身に纏い、四肢を切断された死体が現れる。人工知能によって監視され、制御された研究所は彼女の部屋を完全な密室にしていた。異常状況下での密室殺人(いや、密室殺人自体が異常状況下での殺人なのだけれども……)に高まる解決への期待に見事応える解答が示される。いろいろな密室トリックを読んできたけど、「なるほど、この手もあったか」と思わせてくれる新鮮なトリックであった。
 
 
 

⇒後編に続く
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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by dokusho-biyori | 2016-12-30 05:32 | バックナンバー | Comments(0)

17年01月 後編

⇒前編から続く 
 
 
 
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63位『夏と冬の奏鳴曲』麻耶雄嵩 講談社文庫(品切れ重版未定)
 
 前回『ダック・コール』のレビューは「これはミステリーではない」と断言してからはじめたが、今回は「これはミステリーなのか?」という困惑からはじめたいと思う。いや、雪の密室や首の無い死体などミステリーとしての要素はあることにはある。ただ、舞台設定は現実離れしているし、キュビズムの薀蓄が長々と語られるし、すっきり全て分かる解決はないし……、僕らがミステリーだと思っている範疇からはみ出しまくっているのである。とはいえ、一応あらすじをば……。
 
 舞台は絶海の孤島、その名も「和音島」。島に名を冠せられた少女・和音は20年前に死んだとされているが、当時の関係者には色濃く影響を及ぼしている。和音の影が支配する「和音島」で起きた殺人事件。しかも死体は雪の降り積もった夏の朝に発見された。次々と犠牲者が増える中、主人公たちは生還できるのか、そして惨劇の真相とは?
 
 こう骨組みの一部だけ取り出すとオーソドックスなミステリーのようだが、先述のように一筋縄ではいかない奇妙な小説なので、あらすじはあらすじの役割を放棄している。まだ深く読んでいないので断定できないが、きっと作中で紹介されるキュビズムの理論を使って読み解いていくと全てが分かるのだろう。読者が探偵となって小説を解決に導くことが求められているのかもしれない。一応、解説サイトみたいのが色々あるようなので時間が無い方はそれを参照することができる。
 
62位『首無の如き祟るもの』三津田信三 講談社文庫
 
 日本の土俗的な舞台設定で本格ミステリーを書かせたら存命作家の中ではピカイチ、三津田信三の最高傑作とも言われているのが本作である。何がそこまで評価されているのか、推測でしかないが先ず媛首村という怪異の伝承が根強く残り、かつ旧家の相続争いが繰り広げられるミステリーとしては最高の舞台設定に成功していること。そして、怪異に満ちた事件を論理的に、それもたった一つの手がかりが解決へと導く美しい謎解き、この二点が評価の対象となったのではないか。特にミステリーとしての謎の設定において、あえて既にやり尽くされた感のある「顔の無い死体」をとり、なおかつ題名において『首無~』と謳っているのはミステリーマニアに正面きって喧嘩を売っているのに等しい行為である。そして、売られた喧嘩は買う主義のこわ~いミステリーマニアの方々を降伏させたわけだ。きっちりかっちり、全てのピースが見事にかみ合った「顔の無い死体」への解答である。
 
 とはいえ、全てガチガチの論理で埋め尽くされているのではない。この小説には論理では解明できないちょっとした余白がある。その余白がまた、ホラーとミステリーの融合という著者独特の味を出しているのだ。
 ちなみに、単行本では媛首村や媛首山参詣道の地図がないので地理の把握が難しい。文庫版で読むことをオススメする。
総評
 
 以上、71位から62位までのご紹介。今回紹介した中で、ミステリーの謎解きを楽しみたいと言う人には『首無の如き祟るもの』『すべてがFになる』、サスペンスを楽しみたいと言う人には『魔都』『新宿鮫』、良くわかんないけど頭がぐっちゃになる変な小説が好きという変態のあなたには『夏の冬の奏鳴曲』をお勧めしたい。
 
 今回再読した中で『魔都』と『警視庁草紙』はその面白さにあらためて気づかされた。『魔都』は大晦日に毎年読んでも良いかも、と思ったり、『警視庁草紙』は司馬遼太郎の『坂の上の雲』とかで勉強してからまた読みたいと思わされた。
 
 さて、この企画も次回で折り返し地点。来月も思わぬ傑作との出会いを期待しつつ、61位の『奪取』が手に入らず60位の『理由』に手を伸ばすのであった……。 
 
 
 
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『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』リチャード・アダムズ /神宮輝夫 訳
 
『首無の如き祟るもの』三津田信三
 
『黒い家』貴志祐介
 
『計画感染』大原省吾
 
『警視庁草紙』山田風太郎
 
『しあわせの書』泡坂妻夫
 
『新宿鮫』大沢在昌
 
『すべてがFになる』森博嗣
 
『哲学者の密室』笠井潔
 
『夏と冬の奏鳴曲』麻耶雄嵩
 
『七回死んだ男』西澤保彦
 
『魔都』久生十蘭
 
 
 
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編集後記
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連載四コマ「本屋日和」
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1月のインベントカレンダー
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by dokusho-biyori | 2016-12-30 05:23 | バックナンバー | Comments(0)

16年12月 前編

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 本を読むときに必ずやる、所謂マイルールなるものが存在する。パソコンやスマホといった端末関係の電源を全て落とし、自室にこもり無音の状態を作る。そして本の世界に耽る為の準備を終え読み始める。一度読み始めたら読み終えるまで一切しおりを挟まない。休みも取らず世界感に浸るのが最大のこだわりだ。が、そうはいかないことも多く。「ご飯だから早くリビングに来なさい!!」と突然の母親の言葉に「今頭ん中、直虎でいっぱいだから待って!!」と叫んだ私は悪くない。とは言え怒られるのは目に見えるので、泣く泣くしおりを挟み食卓についた私であったが、そんな私の頭の中を占めていた直虎こと井伊直虎について描かれた、高殿円の『剣と紅』を紹介したいと思う。
 
 来年の大河ドラマの主人公としてスポットが当たっている井伊直虎だが、その人生は女でありながら一族の存続のため男として生き地を収めた領主である。時代は戦国初期。織田政権の中じわりじわりと豊臣、徳川が力をつけてきた時代だ。
 
 最初にこの本を手にしたとき、タイトルの『剣と紅』で連想したのは『男と女』というひどく単純なものだった。元々井伊直虎が女でありながら男として生きたという大まかな知識はあった為か、それを意図しているのだろうぐらいの気持ちで読み始めたら存外にそうとは言い切れなくなった。何故なら剣も紅も戦を表しているからだ。剣――つまり刀は武士が使う必需品であり、作品内では幼少期に「ぶっちゃけお前と結婚したくないんだけど」と望まぬ結婚をぶつけられた際に自ら髪を切り落とし、御仏に身を委ねる為に使われている。女としての矜持か、はたまた結婚は女の戦とも時代としてはあるのでそれもあるのか。つまりお前に身体やるぐらいなら私は仏様に一生を捧ぐわという意思表示を見せたのだ。清々しいまでに男らしく、かっこよい。同性から見てとてもかっこいい。
 
 では紅はどうだろうか? 一般的に紅と言うと口紅など女性の化粧道具が浮かぶのではないだろうか。作中でも何度も化粧道具としての紅が使われている。その一方で着物の色として使われていたり、決定的に意表を突かれたのは死化粧の場面で使われていたりしたことだ。死化粧とは今でも亡くなった際生前と変わらぬように、髭を剃ったり唇に紅を差したりする湯灌の儀の際に行われる身を清める行為である。作中では度々戦で亡くなって亡骸として帰ってきた人々を、化粧をしたことがない直虎が施す場面がある。幼馴染で生き別れになった直親に紅を差す際に上手くいかず涙する場面は、そこに恋慕の情がなくとも確かな絆があったことが伺える。
 
 総じてこの『剣と紅』と言うタイトルは、『男と女』と言うよりも、井伊直虎そのものもを表しているのだと取れる。紅はいらぬ、剣を取れと言う言葉が出てくるがこれは正しく井伊直虎が、結婚をして子どもを産み育てる生涯を歩むのではなく、着飾ることなく刀を持ち自らの戦い方で生き抜く。そんな生涯へ一歩踏み出した瞬間だった。
 
 もう一人直虎と同様に同性から見てかっこいいと思える人物がいる。それは後に直虎の養子となり井伊家を継ぐ直政の乳母であるきぬだ。実はこのきぬ、直政の父である直親が幼少期に亡命した先で出会った少女であり、彼との間に身篭った子がいたがその子どもを養子に出し自らは、直虎に会いに行くというとても行動的な女性である。因みに身篭った子が生まれる前に直親は直虎の元へ帰っている為、追っかけてきたのではと彼の正室に思われたくなくその身分を隠していた。純粋に直虎に会いたく、直虎が持つ不思議な力について何か役立てたいと生涯仕えた。彼女の強さは昔の男なんてもうどうでもいい、とすぱっと切り捨てられるところだ。読んでいて「え、ちょ、待って。かっこよすぎない?」と何度目を瞬かせたことか。
 
 つらつらと語ってきたが、直虎が持つ不思議な力とは何ぞ、となるところだろう。しかしこれを言ってしまうと物語に支障が出てしまうのでどうかその目で確かめてほしい。ただ一つ言えるのは、この書籍はイザナギやらイザナミやら日本書紀などの所謂「日本史が絡むファンタジー」が好きでかつこの時代が好きな女性にオススメしたい。正統派な時代小説とは少し言い難いので、恐らく人を選ぶだろう。言葉選びも綺麗で、最低限の日本史を知っている人ならとても読みやすいと思われる。一方で歴史に詳しすぎる人にとっては脚色しすぎではないかと思ってしまうだろう。
 
 そもそも井伊直虎に関する情報というものは現存する限り数少なく検証が必要なものばかりなのである。些か脚色が加わるのは仕方がないだろう。来春から始まる大河ドラマに備えてかるーく読んでみるのもいいかもしれない。
 
――生涯、ただ一度の紅であった。そう締められた著書のように、ほんの少し私も夢見てしまう。
 
 
 
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82位『霧越邸殺人事件』綾辻行人 角川文庫
 例えばそれは自分と同じ名前の飾り文様があることだったりするような偶然としてはできすぎの一致。まるで主人公たち一行が迷い込むことを知っていたかのような反応を見せる、それが霧越邸である。
 
「吹雪の山荘の連続殺人」ではありふれたミステリー題材かもしれない。しかし、そこに綾辻流の怪奇と幻想をスパイスのように効かせた点に著者の野心を感じる。何しろミステリーでは理性と論理の信奉者たるべき探偵が、霧越邸で起こる超常現象を超常現象と認めたうえで事件に臨むのである。とはいえ、なぜ犯人は閉鎖空間での殺人に及んだのか、なぜ見立て殺人など行ったのか、といった殺人事件そのものの「謎」には論理的な解決が施されるので、著者は謎解き要素で超常現象に頼っていない=ズルをしていない。そして、連続殺人事件は論理的に解決される上で、霧越邸でなければ起こりえなかった類の事件の全貌が見えてくる。怪奇幻想までもパズルのピースのように組み込まれたほかに例を見ない幻想ミステリー。
 
81位『ダック・コール』稲見一良見 早川文庫
 一人の青年が微睡の中で見た夢、男たちと鳥の六つの物語。瑞々しい文章が鳥と男たちの生命の躍動を鮮やかに描き出した短編集。
 
 まず一言、これはどう考えてもミステリーじゃない。SFでもなければ冒険小説は言い過ぎな気がする。何故このランキングに入っているのか、疑問が絶えない。そもそもジャンルで括ろうとする行為自体が間違いなのではないかとすら思う。この短編集では「命のやりとり」が様々に形を変えて描かれる。それは鳥と人の形もとれば人と人の形もある。その死と隣り合わせの状況で剥き出しの生が強く輝き、我々の普段の生活がくすんだ生なのではないかと気づかされる。泣くのでもなく笑うのでもなく、文章そのものに心が洗われる一冊。
 
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80位『殺戮にいたる病』我孫子武丸 講談社文庫
 何を際おいても終始「強烈」、この一言に尽きる一冊だ。物語は連続少女殺人事件を中心に、殺人事件の犯人、息子を犯人と疑う母親、事件を追う刑事、三人の視点を交互に入れ替えながら進んでいく。事件が単なる殺人ではなく、被害者を殺害後、その遺体を犯して一部を切り取って持ち去るという猟奇ここに極まれりの残虐な手口なのだから、いきおい犯人パートはエグイ描写が続く。それだけでエロ・グロに耐性の無い人にはきついのに、母親が息子へ異常なほどの執着を見せるので、母親パートですら心休まらない。そして、これらを超えるショッキングなラストに読者は完全にド肝を抜かれてトラウマ確実。とはいえ、ただエロ・グロに終始した小説ではなく、伏線を張りながらラストに備えているところに著者のミステリー作家としての気概が見えるし、ただのエロ・グロ部分も悪魔的な魅力があるので心底恐ろしい小説である。
 
79位『危険な童話』降矢隆夫 光文社文庫(品切れ)
「大どんでん返し!」とか「衝撃の結末!」とか最近流行のミステリーが見知らぬ土地へのドキドキ冒険旅行であるならば、これは住み慣れた我が家に帰ってきたような気分にさせる古き良き探偵小説。
 
 あるムショ帰りの男が殺される。現場付近に凶器が見当たらず、容疑者には凶器を捨てに行くことが不可能な状況だった……、というのがあらすじ。密室状況から犯人が消えるのではなく、密室から凶器が消える謎ということか。正直トリックに派手さは無いものの、探偵役の刑事が推理を繰り返しながら真相に迫っていく様子にはミステリーの醍醐味がそのまま詰まっている。人物の描き方も丁寧で、いくら揺さぶりをかけても顔色一つ変えない容疑者たるやミステリー史上三本の指に入る鉄面皮ぶりではなかろうか。読者は心証グレーのまま、静かなサスペンスを感じ続ける。ミステリー的にも人物造形にしても著者の丁寧な仕事ぶりが見える。
 
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78位『鉄鼠の檻』京極夏彦 講談社文庫
 形状からして既におかしい。頁数1,300超という、本というより箱のような一冊だ。事件としてはある寺の中で起こる連続殺人事件、何をそんなに長々と書くことがあるのかという閉鎖的な空間での事件である。しかし、事件の核心と密接に関わる仏教の薀蓄や奇妙な出来事(雪中に突如現れる死体、土の中に埋もれた書庫、年をとらない童女etc)などが盛り込まれたゆえの厚さである。ともすれば理解不可能で、「バカミス」とけなされそうな強烈な真相は、こういった膨大な舞台設定の上でこそ成り立つのだ。このバランス感覚こそ京極ミステリーの妙味であり、本書はその極致といえる。
 
「霧越邸」が我々のいる現実とは違った特殊な舞台なのだとしたら、「寺」という宗教的空間も浮世とはなれた特殊空間だろう。そしてまた、「寺でしか起こりえない事件もあったのだ。今まで全く見たことの無い真相は、新鮮な驚きに満ちている。
 
77位『猫は知っていた』仁木悦子 ポプラ文庫ピュアフル
 内容云々の前にまず驚いたのが、この小説がキャラ文芸的な押し出され方をされているということだ。1957年に発表された古い作品であるということ、古典ミステリーという認識が強かったためだ。しかし、読めば納得。これはキャラ推ししても良い作品だ。癖のある登場人物たちの中でも主人公兄妹が特に魅力的で、漫才のような会話などは読んでいて心地良い。「史上最も好感度の高いシリーズ探偵」と出版芸術社の全集に書かれているのも納得だ。
 
 事件はとある私立病院で起こる。院長の義母と入院患者が行方不明になる。行方不明の患者からは電話があったが、義母は依然見当たらない。やがて病院の庭にある防空壕から義母の遺体が発見される。容疑者たちには全てアリバイがあるし、以前行方不明の患者の同行は気になるし……。派手さは無いが、これもまた古き良きミステリーの一冊。
 
76位『翼ある闇』麻耶雄嵩 講談社文庫
 ミステリーの中には麻耶雄嵩にしか書けない小ジャンル「ジャンル麻耶雄嵩」なるものがあると思っている。それはミステリーマニアによるミステリーマニアのためのミステリーであって、非常に人に薦めづらい作家なのだ。そんな麻耶雄嵩の作品の中でもデビュー作であるこの本は比較的薦めやすい。表面的にはゴシック様式の大邸宅に住む富豪一家で起こる奇妙な連続殺人に探偵が臨み、二転三転する真相の末に予想外の結末を迎える、という構成。「ミステリーあんまり詳しくないよ」という読者に対する楽しみも用意されている。だが、その入り口付近にしつらえられた「客間」から奥には過去の名作に対するオマージュや本格ミステリというジャンルの問題を認識した上でのトリックがあったりするので、ミステリーを読んでいる人ほど「ふむう、こんなことするのか」と髄までしゃぶりつくすように楽しめちゃう一冊なのだ。
 
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75位『悪魔の手毬唄』横溝正史 角川文庫
 手毬唄どおりに殺される娘たち、事件の背後に見え隠れする怪しげな老婆、田舎の名家の対立、よくもまあここまで日本的なミステリーを書いたものだと感心してしまう。先に土屋降夫の作品を古きよきミステリーと評した。あれが都会の事件を描いたシティ派だとすれば横溝は田舎の土着的なミステリーだ。その分、手毬唄だの妖しい老婆だのがほどよい恐怖感をかもして雰囲気作りをしてくれる。また、田舎の濃密な人間関係が引きおこしたともいえるこの連続殺人は、まさに古きよき日本のミステリーといえよう。
 
 さて、この手毬唄殺人には過去のある事件に隠された秘密が密接に関わっている。この事件の二重構造化は横溝作品の中でもかなり巧妙な部類に入る。そのため、明かされる真相瞬間は隠されたもう一つドラマが明らかにされる驚きが待っているのだ。
 
74位『イニシエーション・ラブ』乾くるみ 文春文庫
 本来ならこのランキングに入ってしまっている時点でこの小説は五割ネタばれをしてしまっていると言ってもいい。というのも、この小説は冒頭から恋愛小説として始まり、二人の男女が出会い、すれ違っていく様を描き続けていったところで最後の一文で「ええー! これミステリーだったの!?」と驚く小説だからだ。とはいえ、著者は周到に読者を罠に陥れる準備をしてくるので、ミステリーと分かっていてもそうそうトリックに気づくことなく面白いように騙されるから安心していい。
 
 ちなみに「映像化不可能」と言われながら2015年に映画化されている本書だが、原作を読んだ上で映画を見ると開始十秒で映像化のトリックを理解して大爆笑できる。何のこっちゃと思われたら是非実践して欲しい。
 
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73位『アヒルと鴨のコインロッカー』伊坂幸太郎 創元推理文庫
 はあ、何ておしゃれなんでしょう。ため息が出ちゃうくらいおしゃれな小説だ。なにがおしゃれかって、まずはその文体。ユーモアたっぷりで気の利いた比喩が使われる文体はそれだけで読んでいて楽しい。そして、ちりばめられた伏線を回収する手際のよさ。伏線をばらばらを振りまいて、互いには関係がなさそうな断片として見せながら、最後には一本の線で纏め上げてしまう手腕は華麗で一種の快感を覚えてしまう。
 
 ただ、語られるのはとても悲しい物語だ。著者の手口が鮮やかなだけに油断していると、トラウマとまではいかないが、あのサプライズは確実に後々まで引きずることになる。
 
72位『煙か土か食い物』舞城王太郎 講談社文庫
 福井の田舎で起きる連続主婦暴行事件。なぜか被害者は体の一部を除いて地中に埋もれているという奇妙な事件の被害者の四人目が「俺」の母親だった。プッツン切れた「俺」はイカレたマザファッカーに一発お見舞いしてやるために探偵みたいなことをはじめるのだが、被害者の共通点とか現場に残された犯人のメッセージとかをババババーっとたちまち見抜いちゃって意外な探偵の才能を発揮するのだけれどもそんな「俺」の一家の歴史は荒れに荒れていて、庭にある蔵では首吊り状態で家長が死んだり密室状態で子供が消えたり、父親と次男坊の殺し合いのようなけんかが毎日のように続いていたり、このあふれんばかりのバイオレンスが事件つよく影響を与えながら、疾走する文体がクレイジーな世界で読者を引きずりまわすのだからミステリーの皮をかぶった何かを読まされている感覚に陥るビヨンドザミステリー。
 
……本物の文体はもっと凄いです。
 
 
 
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 1980年代、まだドイツが東と西に分断されていた頃。東ベルリンのどこだかの地下室で剣道の防具――面胴小手――が埃をかぶっているのが見つかった。しかも胴の裏側には墨痕鮮やかに《 贈 ヒトラー閣下 大日本聯合青年團 皇紀二千五百九拾八年四月 》の文字が――というところまでは、驚いたことに本当の話。実際この防具は1996年に、全日本剣道連盟に寄贈されているそうなんだけど、では何故そんなものがそんなところに? ってのは全く謎で、そこの部分を帚木蓬生が想像力で補いつつ、ヒューマニズム全開で描いたのが『ヒトラーの防具』という作品。
 
「皇紀」ってのは神武天皇が即位したとされる紀元前660年を元年とする年号で、2598年は西暦に直すと1938年、昭和だと13年。その年、ベルリンに在る日本大使館に武官補佐官として赴任したのが、本書の主人公、27歳の香田光彦陸軍中尉。その香田中尉の目を通して、即ち政府や国家のレベルではなく庶民の目線で、ナチスドイツの興隆から滅亡までを描いたのがこの作品。
 
 ベルリン着任当時の香田は、戦前の青年士官の多くがそうであったように、ガチガチのナチス信奉者。ヒトラー率いるナチスドイツこそが、欧米列強の傍若無人を懲らしめ得ると、殆ど仰ぎ見るが如き敬意を抱く。
 
 が、その後のナチスの暴虐は、今では世界中が知っている。
 
 何百万というユダヤ人たちを、ただユダヤ人であるというだけで、まるで害虫でも駆除するかのようにして虐殺する。そして、彼らから巻き上げた土地や財産をアーリア人種の国民に分配して人気をとる。更に。心身に障害を持つ人や不治の病を患っている人たちの安楽死を奨励し、従わない医師は排除する。介護を必要とする人間を「取り除く」ことで、介護する側の負担を減らし、食料や資源などを健康な人間に回した方が効率的であるという論理で、生きて良い人間と、生きるべきではない人間を、国家が峻別し間引きする……。
 
 そんな様子を見聞きするうちに、我らが香田中尉は、「さすがにこれは、何か間違っているんじゃないか?」と気付き始める。そして着任から二年が過ぎた1940年の春、彼の運命を決定的に変える出来事が起こる。まるで出会いがしらの事故のように、本当にふとしたはずみで、香田は、一人のユダヤ人女性――ヒルデ・シュテルンを匿ってしまう。すぐにゲシュタポに突き出せば、事無きを得ただろう。しかしその時の香田は既に、ナチスの掲げる正義に疑問を持ち過ぎていた。以降、ゲシュタポが溢れるベルリンのど真ん中のアパートで、命がけの共同生活が営まれる。窓の側に二人同時に立たない。急に買い物が増えたと思われないように、何軒もの店をローテーションで使う。タオルや食器は、二人分を出しっ放しにしない。そして、何があっても希望は捨てない。
 
 彼らのささやかな暮らしをどうにかして守りたいと願わない読者は、恐らく一人もいないだろう。しかしその幸せは、じわじわと追い詰められてゆく。ドイツの敗色は日毎に濃くなり、ベルリンは毎晩のように空襲に晒されるようになる。アパートの地下にある防空壕には、無論ヒルデは逃げ込めない。「ヒルデを置いては避難できない」と言う香田を「逆に怪しまれるから」と諭して地下壕に避難させるヒルデ。爆音が轟く中、地上と地下とで相手の無事をひたすらに祈る二人……。
 
 本の紹介をする時に「泣ける泣ける」と連呼するのはどうかと思うんだが、本書だけはちょっと別。もう今回で五回目の通読なのでさすがに泣きゃしねーだろうと油断してたらとんでもない。目頭が熱くなるとか目が潤むとか言うレベルじゃない。後半の四分の一はボタボタと涙がこぼれるこぼれる。
 
《 ひとりひとりの病人にその父、その母、あるいはその子、その孫、そして兄弟姉妹がある。誰ひとりぽつんとひとりでこの世の中に出現したのではない 》と、身を挺してゲシュタポから患者を守ろうとした医師。
 
《 成長した子を戦死させた親の気持など、親になったことのない政府のお偉方には分らんのでしょう 》と憤慨する守衛の夫婦。
 
《 死んではいけない、ベルリン頑張れ 》とオーボエを吹き続けたルントシュテット氏。
 
《 戦争が終わり、ベルリンが昔のように明るい街に復興したときに、わしのことを少しばかり思い出しておくれ 》と懇願するヒャルマーじいさん。
 
そして香田の最愛の人ヒルデ……。
 
読者諸兄は、彼ら一人一人が自分の親であったり子であったり、或いは親友や恋人であったりしたら、と想像しながら読んで欲しい。「彼ら」ではなく「僕ら」の物語として読んで欲しい。ごくありきたりな庶民として、ごく当たり前の生活を営んでいた筈の「僕ら」の幸せは、ナチスと戦争によって木端微塵に吹き飛ばされた。
 
 今の平和な日本に住む立場から、ナチスを非難することは容易い。でも、もし自分が当時のベルリン市民と同じ境遇にいたら、堂々と「反対」を叫ぶことが出来ただろうか? 多分、僕には無理かも知れない。ならばせめて、平和な時代の平和な地域に生れたことに感謝しながら生きていたい。
 
 香田の兄が香田の上官に向かって、戦争の愚かさを静かに訴える場面がある。曰く
 
《 戦争をする人間の底にあるのは偏見と差別です。自分たちの民族と集団が他のそれよりも優れていると思うところに、戦争の芽が生じます 》。
 
この言葉が、明治の思想家・岡倉天心の次の文章に重なって見えるのは、僕一人ではないだろう。
 
《 われわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。(『茶の本』より) 》。
 
 国の内外を問わずヘイトな空気がじわじわと膨れ上がっている今こそ、多くの人に読まれるべき物語だと確信している。
 
 
 
⇒後編に続く
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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by dokusho-biyori | 2016-12-03 18:10 | バックナンバー | Comments(0)

16年12月 後編

⇒前編から続く
 
 
 
今月の紹介本
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『悪魔の手毬唄』横溝正史 角川文庫
 
『アヒルと鴨のコインロッカー』伊坂幸太郎
 
『イニシエーション・ラブ』乾くるみ 文春文庫
 
『危険な童話』土屋隆夫 光文社文庫
 
『霧越邸殺人事件』綾辻行人 角川文庫
 
『煙か土か食い物』舞城王太郎 講談社文庫
 
『剣と紅』高殿円 文春文庫
 
『殺戮にいたる病』我孫子武丸 講談社文庫
 
『ダック・コール』稲見一良 ハヤカワ文庫
 
『翼ある闇』麻耶雄嵩 講談社文庫
 
『鉄鼠の檻』京極夏彦 講談社文庫
 
『猫は知っていた』仁木悦子 ポプラ文庫ピュアフル
 
『ヒトラーの防具』帚木蓬生 新潮文庫
 
 
 
新刊案内
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編集後記
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連載四コマ「本屋日和」
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12月のイベントカレンダー
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by dokusho-biyori | 2016-12-03 18:09 | バックナンバー | Comments(0)