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17年05月 前編

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 今回、最も入手に苦労したのが『人形はなぜ殺される』だった。近所の大型書店に行ってもどこも置いていないし、営業先で探してもなかなか見つからなかったのだ。一応、まだ版元品切れにはなっていないようだが、このままだと再び絶版の憂き目も近いだろう。しかし、これほど素晴らしいミステリーが新刊で手に入らなくなるのは誇張でなく日本ミステリー界における大きな損失になる。ということで、ぜひ気になった人は書店で買って欲しい。面白さは保障済みである。

31位 水上勉『飢餓海峡』新潮文庫
 日々の暮らしに何となくの物足りなさは感じていたとしても、徹底的な欠乏感、飢餓感を覚えることは現代では稀だろう。ところが、つい60年ほど前まではこの国全体が絶対的な飢餓感で覆われていた。本書の犯人はそのなかでも圧倒的な飢餓感に突き動かされた人物だ。食べ物の欠乏だけではなく、金や地位、名誉といったあらゆるものへの渇望が、壮大な犯罪人生を彼に歩ませることになる。

 事件の発端は青函連絡船の転覆事故。多数の死者の中に乗客名簿にない二人の死体が発見される。同日札幌では強盗殺人が発生し、犯人が証拠隠滅を図った放火が街を焼き尽くす大火となっていた。二つの事件の関係性を疑い出した警察は、ある一人の男の存在にたどり着く。犯人もトリックも早い段階で明らかにされ、物語の大半は犯人の足跡をたどる刑事たちの執念の捜査に費やされる。この執念の捜査が一歩一歩犯人に近づいていく過程も読みどころなのだが、ちょっと視点を変えれば事件の捜査はすなわち、犯人の人生をたどる行為だと気づく。戦後の混乱期において一人の男が圧倒的な飢餓感に身を焦がすように生きてきた、壮絶な人生が浮かび上がってくるのである。

 全てを失った国において、全てを失った男が多くのものを手にしながら起こしてしまった悲劇の事件。10年に及ぶ捜査期間は一つの事件を追うには長すぎるだろうが、一人の男の人生をたどるには必要な時間だったのかもしれない。


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30位 山田風太郎『妖異金瓶梅』角川文庫
 山田風太郎のミステリーはその先進的なアイディアにおいて、多くのミステリー作家たちに影響を与えながらも「トリックの先取り」という点では後進を苦しめてきた(と思われる)。90位の『明治断頭台』、48位の『太陽黒点』などのメイントリックは「これを最初に思いついたのが自分だったら……」と悔やんだ小説家は何人いるだろう。この「トリックの先取り」において最も強烈なのがこの『妖異金瓶梅』である。あまりに大胆不敵なトリックにおどろいて、椅子から体がずり落ちた上に眼鏡もずり落ちたほどである。もちろん、どんなトリックなのかは明かさないが、連作形式の本書を第二章まで読み終えたとたん、この小説は異次元のミステリーに変貌するのだ、とだけ明記しておこう。

 ただ、メイントリックにばかり気をとられるのはもったいない。短編個々のトリックも十分すぎるほど素晴らしく、「赤い靴」などはオールタイムベスト級の傑作である。というより、メイントリックのおかげで短編一つ一つのトリックがじっくり楽しめる構造になっていて、読者は「次はどういうトリックを見せてくれるのだろう」と期待しながら次から次へとページを捲り続けることが運命づけられている。

 ちなみに、本書は中国四大奇書(場合によっては三大奇書)に数えられる『金瓶梅』『水滸伝』をベースにしながら書かれたミステリーである。北宋時代の大富豪・西門慶の屋敷で次々と起こる事件の謎を描きながら、武松などの梁山泊一派の影もちらつく。つまり、山田風太郎お得意の伝奇小説テイストも楽しめるのだ。山風エッセンスが凝縮された大傑作である。


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29位 高村薫『レディ・ジョーカー』 新潮文庫
 恐ろしく多種多様な要素を含んだ小説である。もちろん、主軸となるのは「レディ・ジョーカー」と名乗る犯罪集団が起こす誘拐事件と企業恐喝とはっきり分かる。ただ、そこからいくつもの物語が派生的に語られることになる。事件を捜査する警察の物語はもちろん、事件を追う記者、恐喝に脅かされる企業の経営陣、経済界の闇の部分……、様々な登場人物が「レディ・ジョーカー事件」を中心にそれぞれ全く違った思惑で行動する。企業恐喝だけでも十分大きな事件だが、著者はさらに踏み込んで事件が巻き起こすあらゆる波紋を描き、日本全土を巻き込んだ壮大なうねりを描いている。

 物語は壮大とはいえ、分解されれば結局個々の物語の集合だ。犯罪者たち、捜査本部の刑事、企業の社長、新聞記者、それぞれの視点を行き来しながら「レディ・ジョーカー事件」は語られる。まるで、テレビ番組をザッピングするように。犯人に翻弄される人々がいたり、犯人の思惑とは関係なく事件と関わる人物がいたり、個々の思惑が錯綜する様がリアリティたっぷりに描かれている。事件を犯罪者と警察の単純な二項対立として描くのではなく、事件の周辺人物たちの群像劇をして描いたことが、陰謀入り乱れる予測不可能な物語を完成させたのだ。

 最後に本書を読むにあたって、「レディ・ジョーカー事件」が「グリコ・森永事件」をモデルにしていることと、仕手株、総会屋といった言葉の意味は理解しておいたほうが物語を十分に楽しめることを指摘しておく。

28位 高木彬光『人形はなぜ殺される』 光文社文庫
 人が殺された時、怨恨だったり遺産目当てだったり、それ相応の理由が用意されているのがミステリーの約束事で、必ずと言っていいほど動機は論点に挙がる。「人はなぜ殺される」これは至極まっとうな疑問であり、いまさら鹿爪らしい顔で問いを発してもなんら新鮮味はない。しかし、殺されるのが人形ならば? 殺人事件の直前に人形が殺されていたとしたら、――人形はなぜ殺される、この問いは小説の焦点になるほどの重大な疑問になるのである。

 殺人事件と人形の消失を絡めた小説はアガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』を筆頭に数多く生み出されてきた。しかし、それらの多くは殺人事件の装飾物であり雰囲気作りに一役買っている程度だった。それもそのはず、殺人を実行する人間がわざわざ人形をいじる必要はないのだから。つまり、いわばミステリー小説の余剰ともいえる要素を見事にトリックとして仕立て上げたのが本書である。人形とすり替えられた首、列車に轢かれる人形、見事なトリックに必要不可欠なのだ。32位の『刺青殺人事件』でもモチーフとトリックの両立を成し遂げていたが、本作でも人形が醸すミステリアスな雰囲気とトリックが見事に調和している。心地よい作品世界に浸っていたら、その舞台設定そのものに驚かされる、ミステリー好きには至高の体験が約束された作品。


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27位 江戸川乱歩『孤島の鬼』 創元推理文庫ほか
 日本探偵小説の父といわれている江戸川乱歩だが、その業績を一冊の本に凝縮したとしたら、本書になるだろう。本格ミステリーの謎解きと読み物としての面白さを日本的な作品風土の中で実現したのが『孤島の鬼』なのだ。

 物語は二部構成になっている。前半は東京を舞台に連続殺人事件を描いたミステリー。密室殺人に衆人環視下での殺人と「ザ・本格ミステリー」な事件を素人探偵が解決する。驚きの真相が明らかになった瞬間、新たな謎が提示されて、主人公は孤島へと赴くことになる。そして、妖しげな一家が支配する孤島においてサスペンスフルな宝探しが始まる。そう、探偵の推理はいつものように物語に終止符を打つ役割を果たさない。むしろ殺人事件に隠された大きな闇を探り当て、物語を大きく展開させるために探偵は推理するのである。前半の殺人事件を解決することで巨悪と対峙する後半があるのであり、後半があるからこそあのトリックが成立しうる、見事としか言いようのない「メビウスの輪」のような構造が、探偵の推理によって成り立っているのである。

 異なる性質の物語が巧みな筆によって描かれる物語。本格ミステリーにサスペンス、そして猟奇性といった所謂「江戸川乱歩的なもの」のフルコースを味わえる作品だ。

26位 原寮『私が殺した少女』 ハヤカワ文庫
 概してハードボイルド小説の主人公は不運であるように思われるが、本書の主人公はそれを自覚した上で自身の運命をこう表現している。「まるで拾った宝くじが当たったような不運」。主人公である私立探偵の不運は誘拐事件に巻き込まれたことから始まる。それは何ともアクロバティックな巻き込まれ方で、犯人が身代金の受け渡しに主人公を指名したのである。もちろん、誘拐被害者の一家とは面識も何もない主人公である。指名される理由は分からないものの、受け渡し役を引き受け不運の泥沼に入り込んでいくことになる……。

 冒頭の誘拐事件に関してだらだら筆を費やすことはしない。この順位の小説で誘拐モノがつまらない訳がないし、なにより誘拐事件は早々に決着してしまう。物語のメインはその後の誘拐事件の真相究明にある。被害者の親族から誘拐事件の継続捜査(厳密にはやや違うが簡略化)を依頼された主人公が、依頼主の親族四人が誘拐事件に関わっていないかを調査しつつ、事件の真相にたどり着こうとするのがこの物語のメインだ。依頼の趣旨は「四人が事件に関して潔白であることを調べて欲しい」というものだが、それぞれの関与を調べるにつれて「誘拐被害者一家」が抱える問題・事情etcが明らかにされる。そして、その調査結果から次第に事件の真相も明らかになるのである。人を描きながら事件も描く、見事な構成である。調査ものの醍醐味とミステリーの驚き、ハードボイルドのカッコ良さが全て詰った一冊だ。


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25位 松本清張『砂の器』 新潮文庫
 発端は身元不明の死体が線路の上で発見された事件。手がかりは事件直前に若い男と被害者が飲み屋で話しこんでいたという目撃情報のみ。警察はわずかな手がかりをもとに被害者の身元特定、そして犯人の特定にのりだす。しかし、インターネットもテレビもない時代のことだ。我々の想像もつかないほど被害者の身元を特定するのは困難を極めるのだった。

 マスメディアが発達していなかった舞台だからこそ、刑事の個々の執念が光る。彼らの執念が浮き立てば浮き立つほど、読者も近づいては遠のく真相のとりこになってしまうのだ。なにせ解明すべき謎は山ほどある。被害者の身元、犯人との接点、犯行の動機、そして真犯人の正体……。これらすべてが警察の捜査を描くことによって明かされるのではない。並行して描かれる前衛芸術家たちの物語が事件捜査と交叉し始めた瞬間から事件は真相の断片を現し始めるのだ。泥臭い事件捜査の世界とハイカラな若い芸術家たちの世界を交叉させ、事件を形作る複雑な人間関係の綾が解き明かされていく過程は見事としか言いようがない。執念の捜査で明らかにする事件の真相、まとめてしまえばこれだけだが、熱量を感じる執念の書き方、単純な様で計算された事件の構造に引き込まれてしまうのは必至だ。

24位 江戸川乱歩「二銭銅貨」 文春文庫『江戸川乱歩傑作選 獣』収録
 たった二枚の銅貨からここまで話が膨らむものなのか。ざっくり話の筋を説明すれば、帝大の貧乏学生が二枚の銅貨から推理に推理を重ねて大金の隠し場所を探し当てるという、いわば「論理のわらしべ長者」。この小説が乱歩のデビュー作であり、「本格的な探偵小説を書いてやる」という意気込みを感じる短編に仕上がっている。謎解きよりも怪奇色が強かった「変格探偵小説」が多かった当時、論理性を重視した作品を世に送り出すことは乱歩の強い願望だったに違いない。それはこの小説がほとんど探偵役の台詞、つまり推理で成り立っていることが表している。銅貨の発見からどのような思考の筋道をたどって金のありかを突き止めたのか、探偵の思考をたどることが物語になっているのである。物語に謎があって推理をするのではない。謎を推理をすることが謎を生み、その謎を推理することでまた謎が生まれていく……、まさに推理をすることそれ自体が物語となった、最高度に純度の高い探偵小説だ。ミステリーを読む醍醐味が最も体感しやすい小説の一つといえよう。

 「純粋に論理的な小説? なんだか難しそう……」と思われたなら謝らねばなるまい。要するに「一人の男が語る、地に足ついた妄想話」だと思ってもらって間違いない。抜群に面白い妄想であることは約束する。


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23位 京極夏彦『姑獲鳥の夏』 講談社文庫
 この作品がミステリー界に与えた衝撃は計り知れなかっただろうと思う。それも全てあの「驚愕の真相」にあるのだが、この「驚愕」の意味合いが他のミステリーの宣伝文句と違っている。賛否両論、まさに未知のジャンルと遭遇した戸惑いを含んだ驚愕だったのだ。

 京極夏彦はこの作品で一種の実験をしたのではないかと考えている。それは科学的、哲学的な知識や論理を極限まで突き詰めたうえでしか構築できないトリックは可能かという実験だ。冒頭で京極堂と関口が交わす(京極堂がレクチャーする?)認識論や記憶に関する問答を長々と繰り広げるのであるが、あれは「驚愕のトリック」を成立させるための土壌を読者の中に作る準備作業であり、SF小説であれば作品世界の説明に当たるものだったのだ。この論理の土壌なしにして真相のみを知ったのであれば、あのトリックは「トンデモトリック」として相手にすらされないだろう。しかし、京極堂のレクチャーによって論理の土壌が出来上がっている読者は(賛否こそはあれ)あの真相を理解できてしまう。と、同時にこの本が今まで体験したことのない種類のミステリーだったことに気づくのだ。

 賛否両論巻き起こしたミステリー、これが成功したか否かはこれがシリーズ化し、非常な人気を博している事実が答えになっている。

22位 有栖川有栖『双頭の悪魔』 創元推理文庫
「読者への挑戦状」、探偵が真相を語り出す直前にはさまれる、「ここまで読めば真相に到達することはできる。さあ、読者よ推理したまえ」といった主旨のページ。これが本書では都合三回も繰り返される。なぜ三回も繰り返されるのか、それはこのミステリーが三段ロケットのような構造になっているからなのと、それだけフェアな論理を展開できると著者が自負しているからだ。

「学生アリスシリーズ」の第三作目にあたる本作は、おなじみの推理小説研究会のメンバーが、奇しくも二グループに分かれて事件に遭遇する。完全に連絡が途絶えてしまった状況でそれぞれに事件の真相を解明するのである。つまり、名探偵役の江神二郎が不在のグループ(有栖川、織田、望月)もディスカッションを重ねながら犯人の名前を言い当てるのである。探偵・江神の明晰な推理もいいが、行きつ戻りつのディスカッションも面白い。もちろん、「読者への挑戦状」を挟んだ後の解決編になるので、両者とも鮮やかな論理で犯人を言い当てる。

 以上で終わったとしても十分ミステリーとして満足な作品だが、この二つの事件が解明された後にも「読者への挑戦状」は突きつけられる。そう、コトは二つの事件を個別に解決して終わりではなかったのだ。第一、第二の解決編の後、安心しきっていた読者は最後の最後に最も驚くべき推理を江神の口から聞くことになる。論理の美しさもさることながら、事件の構想も練られた本格推理の一つの完成型である。



後編に続く⇒



















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by dokusho-biyori | 2017-05-03 08:59 | バックナンバー | Comments(2)

17年05月 後編

⇒前編から続く


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 ここのところ珍しく、立て続けに翻訳ものばかり読んでいてしかもアタリばっかりだったから、今回はそれらをまとめて紹介したい。

 キルメン・ウリベ『ムシェ』(金子奈美訳/白水社)は、ずーっとフィクションだと思っていたけど、実在の人物に材を取った半ばノンフィクションだった。「ムシェ」とは、その人物の名前。

 冒頭は、悪名高きゲルニカ爆撃の描写だからスペイン内戦の話かと思ったらそうではなく、スペイン内戦から第二次世界大戦の終了までを、ベルギーの文学青年ロベール・ムシェとその家族、友人の目を通して描いた物語。ではそのムシェとは何者か? サブタイトルに《 小さな英雄の物語 》とある通り、恐らくはどこの国の歴史教科書にも登場はしないけど確かに存在した筈の、当時大勢いたであろう勇気と善意を兼ね備えた一市民。

 その半生は、例えば内戦が激化するスペインからの疎開児童を引き取ったり、その内戦を記者となって取材したり、ナチスによって第二次世界大戦の幕が切って落とされると、ベルギー国軍に徴兵されて前線で戦ったり、負傷して後送され入院したりする。そして、ベルギーがナチスに屈した後、占領下の見せかけの平和の中で生涯の伴侶ヴィックと結ばれ、子宝にも恵まれ、一時的ながらも幸せな生活を手に入れる。

 といったところまでが物語の前半分。そしてここで、「ところが」という接続詞を使わなければならないのがとても残念。物語の後半で展開するのは、「小さな英雄」という称号に相応しいムシェの、そして彼の妻ヴィックの生き方。「自分がその立場だったら、同じ事が出来るか?」と何度も自問しながら読み進めたのだけれど、勿論、考えるまでもなく俺には無理。

 ムシェは、占領下のベルギーでレジスタンスに身を投じる。資金を集め、時には自ら軍用列車に爆薬を仕掛ける。そして、親衛隊に捕まり、強制収容所に送られる。


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 この間のムシェの行動も英雄的なんだけれども、僕はそれ以上に、ムシェの生還を信じ続ける妻ヴィックの気概とか愛情とか健気さとかに、強く心を揺さぶられた。ムシェがどこかで生きていると、そして必ず我が家に帰って来ると信じて、彼に話しかけるつもりで綴った日記が現存するんだけれども、そしてその一部が本書にも引用されているんだけれども、それを読んで胸打たれない者が果たしていようか? いや、いない(反語)。「小さな英雄」とは、だから、一人ムシェだけを指す言葉ではないんだろうな。

 そして全編を通して、当たり前だけど、やっぱり戦争は愚かで無残で悲しいな、と。それぞれの国が掲げるそれぞれの「正義」の名の下に、人々の文化も生活も幸せも未来も、木端微塵に吹き飛ばしてしまうのが戦争であり、本書の爆撃砲撃虐殺の描写と、つい最近ニュースで目にしたシリアの惨状がどうしても重なって、そんな「正義」なら要らん! と、どこの誰にともなく強く激しく訴えたい。

 岡倉覚三(天心)が、『茶の本』の中で言っている。
《 Fain would we remain barbarians, if our claim to civilization were to be based on the gruesome glory of war.――われわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう 》と。
或いは、ジョン・レノンだって『Happy Xmas』で歌っている。
《 War is over if you want it.――みんなが望めば戦争は終わるよ 》と。

 本書カバーの写真は、その後の運命も知らずに家族でくつろぐ、在りし日のムシェ一家。こういう幸せを燃やしつくしてしまうのが戦争なんだと、改めて痛感させられた読書だった。


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 同じ時代の作品をもう一つ。物語が展開する場所も時代も作中で名言されている訳ではないけれど、著者の出自などから、ナチスドイツに蹂躙されていた頃のハンガリーが舞台だろうと言われてます。

 という程度の予備知識しか持たずに手に取ったアゴタ・クリストフ『悪童日記』(掘茂樹訳/ハヤカワepi文庫)は、戦火を逃れて疎遠だった祖母の家に疎開してきた双子の男の子(十歳ぐらい?)たちが主人公。戦争の影響で学校が閉鎖されてしまったため、文章の練習のために彼らが自主的に書き継いだ日記、という体裁をとる作品。主役の双子は、乱暴な喩え方をすると、野坂昭如『火垂るの墓』の清太・節子兄妹をもっとずる賢くタフで冷酷非情にした感じ。

 例えば、母を思い出す度に辛い思いをしなくて済むようにと、彼らがとった行動は……母の優しい言葉の数々を何度も何度も繰り返し口にする。《 私の愛しい子! 最愛の子! 大好きよ……けっして離れないわ 》と。そうやって飽きるまで繰り返すことで、思い出すことによる痛みを麻痺させる。……たかだか十歳かそこらの子どもに、なんちゅーことをさせんねん、戦争は(泣)。

 右はほんの一例で、過酷な環境を乗り切る為に彼らは彼らなりの倫理観を養いながら育っていくんだけども、その行動が僕の目には独善だったり無慈悲だったりに映ることが実は多々ある。でも、周囲に叱ったり導いたりしてくれる大人がいない以上、それもやむを得ないのかなと感じると同時に、先々どんな大人になってしまうんだろうと考えると、憐れでもあり恐ろしくもある。『論語』の《 思いて学ばざれば則ち殆し(思而不学則殆)》を嫌でも想起してしまう。勿論、彼らの「殆さ(あやうさ)」は彼らのせいではなく、やはり戦争が悪いのだけれども。


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 次は北欧はアイスランド発のミステリー。ラグナル・ヨナソン『雪盲』(吉田薫訳/小学館文庫)は、五月九日発売のピカピカの新刊。

 舞台はアイスランドの田舎町シグルフィヨルズル。主人公は、新人警察官のアリ=トウル・アラソン。

 というカタカナを聞いただけで敬遠してはいけない。確かに他にも、パトレクスフィヨルズルだのホウラヴェグルだのといった日本人には馴染み難すぎる地名や、フロルフュルだのカルトゥルだのウールヴルだのといった、男か女かの判別も出来ない人名が沢山出てくるけど、特に人物については著者の描き分けがしっかりしていて、あと多分翻訳もこなれていて、最初の印象よりも遥かに読みやすいことに驚く筈だ。

 で、そのストーリーはと言うと、アリ=トウルが警察官になったのは別に正義感あってのことではなく、不況が長引く中で他に働き口が無かったというだけの動機。だから首都レイキャヴィークからシグルフィヨルズルに引っ越すことも想定外だったし、結婚も視野に入れていた恋人が一緒に来てくれないのも想定外だし、赴任先がとんでもない田舎だったのもアイスランドでも有数の豪雪地帯だったのも想定外。つまり彼は、着任した時点で既に半ば後悔しており溌剌としたルーキーらしさが全然無い(笑)。おまけに、田舎すぎて事件らしい事件も全く無いから、仕事に遣り甲斐も感じていない。

 が、或る日、アイスランドの国民的作家が階段から転落死する。何も起こらないことに慣れ切った上司は「事故」として簡単に処理を進めるが、幾つかの不自然な点が気になったアリ=トウルは、独断で死者の近辺を探り始める。

 そして数日後、彼は夜中にふと目を覚ます。《 階下で床板がきしむ音がした。突然、目が覚めた理由がわかった。家の中に誰かいるのだ。自分以外の誰かが 》。という辺りまでで物語の約三分の一。

 以降、雪に閉ざされた最果ての薄暗さの中で、アリ=トウルの地味で孤独な捜査が進んでゆく訳だけれども、田舎町特有の人間関係や、住人たちそれぞれが抱える屈折した過去へのこだわりが薄紙を剥ぐようにじわじわと明らかにされてゆく過程は、極端な起承転結や派手などんでん返しは無いのに飽きさせない。おまけに、新天地でのアリ=トウルの仄かな恋という読ませどころもあって、最後まで滞ること無く読了した。著者は新人らしいけど今後も楽しみ。


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 最後にもう一つ北欧の作品を。『満開の栗の木』(柳沢由実子訳/小学館文庫)の著者カーリン・アルヴテーゲンは、スウェーデンで一番人気の作家だそうだけど、ゴメン俺はちっとも知らなかった。

 視点は主に二人。アンダシュ・ストランドベリ(♂)は四十代半ばにして大成功している実業家で、お金には全く不自由していない大富豪。にも関わらずと言うか、だからこそと言うべきか、強烈な虚無感を抱いて自殺をはかり、しかし運よく大した怪我もせずに命拾いする。

 そんな彼がふとした気まぐれから訪れた山村のさびれたホテルのオーナーが、もう一人の主人公ヘレーナ(♀)。半年前に離婚したばかりでその傷は未だに癒えず、しかも反抗期の娘との断絶にも悩みながら、希望を持てずに鬱々と日々を浪費している。

 で、この二人が出会って何が起こるかと言うと、実は特別な事は何も起こらない。アンダシュは、うんざりするような現実を逃れる為に、素性を隠してホテルに住み込みの大工として働き始める。そして《 なにか新しいことが目の前に現れたら、必ずやってみること 》と自分に誓って、人生の寄り道をスタートさせる。

 ヘレーナは相変わらず娘の反抗に手を焼き、底意地の悪い隣人との付き合いに悩まされ、狭い村社会の噂好きな人々に苛立ち、そして、自分を捨てて去った元・夫への恨みつらみが、心の中で不完全燃焼のまま常に燻っている。

 この二人が急速に恋に落ちたりするのかと思ったらそんな安易な展開にはならず、かと言って殺人などの事件も起こらず、ホテルの経営を立て直すお仕事小説になる訳でもなく、ならば何が描かれるのかと言うと、森の中のボロ小屋に住む奇妙な老人との出会いをきっかけに、アンダシュとヘレーナが各々の過去を振り返り、否定してきた考え方を許容したり、拒否してきた人物を受け入れたりする姿が、抑制の利いた筆致で綴られる。


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 例えば三角錐という立体を見る時、真横からだけしか見なければそれは三角形にしか見えないし、下からしか見なければ今度はそれは円にしか見えないだろう。見ている物は同じ三角錐であるにも関わらず、見る角度によってまるで違う形に見えてしまう。そして、自分が見ている角度だけが唯一正しい見方だと頑なに信じている限り、その人にはその立体の真の姿は絶対に分からない。

 本書を読んで強く思ったのは、ひょっとして人生にも同じような理屈が当てはまるのではないか? ということ。

 仕事や学校や家庭や地域や血縁など、様々なシーンで出逢う人間関係や事象に於いて、自分の見方に固執する余り、その物事の本質を見誤っていることが、即ち三角錐を三角形や円だと思い込んでいるのと同じような過ちが、僕たちの日常には溢れていたりはしないだろうか?

 アンダシュとヘレーナは、雪深い田舎の自然の中で、徐々に徐々に、そのことに気がついてゆく。そして一度気がつくことが出来れば、忌わしく呪わしかった筈の過去や、煩わしいだけのものだった人間関係が、別の形に見えてくる。過ちや失敗の原因が自分にあると認めたくないが故に、偏った角度でしか見ようとしていなかった物事の真の姿を見つめることで、彼らは少しずつ自らを縛っていた鎖を断ち切ってゆく。そのプロセスが、穏やかで気持ちがいい。

 物語は、もうほんの少しだけ先の展開が知りたい、というぐらいのところで、漸く訪れた遅い春の兆しとともに静かに終わる。アンダシュとヘレーナのその後の人生を想像しながら、馥郁とした余韻に長く浸れる読書になった。



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『悪童日記』アゴタ・クリストフ/堀茂樹 訳
『姑獲鳥の夏』京極夏彦
『江戸川乱歩傑作選 獣』江戸川乱歩 著/桜庭一樹 編
『飢餓海峡』水上勉
『孤島の鬼』江戸川乱歩
『砂の器』松本清張
『雪盲』ラグナル・ヨナソン/吉田薫 訳
『双頭の悪魔』有栖川有栖
『人形はなぜ殺される』高木彬光
『満開の栗の木』カーリン・アルヴテーゲン/柳沢由実子 訳
『ムシェ』キルメン・ウリベ/金子奈美 訳
『妖異金瓶梅』山田風太郎
『レディ・ジョーカー』髙村薫
『私が殺した少女』原尞


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編集後記
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連載四コマ「本屋日和」
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5月のイベントカレンダー
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by dokusho-biyori | 2017-05-03 08:35 | バックナンバー | Comments(0)

17年04月 前編

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 春ですね。新入学、新社会人。新しい土地で新しい生活がスタートした方もいらっしゃるのではないでしょうか。この春から津田沼での生活がはじまりましたという方、はじめまして。よろしくどうぞご贔屓に。近年、津田沼駅周辺もかなり開けてきて、最近では住みたい街的なランキングに登場するようになったようですね。
 
 さて「春ですね」とか言っておいて私が今回ご紹介するのはホラー作品です(※ 私の紹介文ではたいして怖くないとは思いますが、念のため苦手な方はご注意ください )。
 
 ホラー作品は好んでは読まないけど、普段はそこまで苦手ではないのですが、書評で手元に置いておきたくない、本棚に並んでいるのも嫌などと言われる本作。読んだらやっぱり怖かった……。わかっていたけど怖かった……。この手の作品はネタバレすると面白くなくなると思われるかもしれませんが、多少内容を把握していた方が心の準備ができていいかもしれません。ネタバレしても怖い自信があります。
 
 ただ「怖い」と言っても性質が他のホラー作品と違うかんじがするのです。
 
 はじまりは小説家の「私」の元へ届いた読者からの一通の手紙。「誰もいない和室から畳を擦るような音がする」。その手紙の内容に興味を持った「私」は差出人の久保さんと連絡を取り、久保さん宅の怪異を調べはじめます。すると、怪異は久保さんの部屋だけではなく、同じマンションに住む別の住人の部屋や近くの団地にも起きていることがわかってきます。調べていくうちに怪異はその「土地」に刻まれ残ってきた、歴史に関係しているのではないかという仮説に辿り着きます。住人が変わっても、建物が変わっても続く怪異。土地の記憶という穢れの発端はどこなのか――。
 
 まず「私」はこれといった怖い思いや気持ち悪いと感じる出来事を体験していません。取材によって、当地の住民や所縁のある人々から話を聞いて、それを元に久保さん宅に現れた怪異の経緯と、その奥にある真実を探っているだけです。要は地域に伝わるよくある怪談話を拾い集めているだけ。なのに何故怖いのか。
 
 ホラー映画やゲームなんかでは、背後から忍び寄る影、見なきゃいいのにゆっくり振り返る、と急に大きな音とともに画面いっぱいにドン! と得体の知れないモノが出てきて、キャー!!! みたいなイメージですが、この作品にはそれがありません。読みながらじわりじわりとまるで染みが広がるように怖くなり、怪異の正体が明らかになるにつれ、ヒュッと寒くなり自分の足元が不安になる。
 
 それは知らずに自分も穢れに触れているかもしれないことに読者が気付くからでしょう。自分だけならまだしも、周りの人にも影響を与えているかもしれない。逆に周りからもらっているかもしれない。家は、家族は大丈夫だろうか。今度遊びに行くあの家は、友達は。引っ越す予定のあの部屋は、土地は……。そう考えるともうエンドレスです。
 
 土地の穢れ、穢れに触れた者、穢れに穢れが重なり、人の移動によって怪異は広がっていく。何がきっかけで穢れに触れてしまうかわからない。仕事、学校、結婚、人付き合い。生活を営む以上防ぎようがない。
 
 しかしそうなると、怪異の根っこが気になってくる。
 
 怪異を辿って取材を重ねる中で集まる、一見関係がなさそうなひとつひとつの情報や出来事が、やがて全て繋がっていく……という謎解きのような要素もあるので、怖いのにページをめくる手が止まりません( 余談ですが、個人的に小野不由美作品は散りばめられた点と点が線で結ばれていき、繋がってかたちになり、物語が加速し動き出す気持ち良さが好きです。代表作の『屍鬼』『十二国記』も然り )。核心に近付きいよいよ佳境か!? というところで、この怪談は
《 聞いただけでも祟られる 》
《 聞いても伝えても祟るから、一切、記録することができない 》
え、待って。それ今言うの? 私読んでるけどこれ大丈夫なの? 本になって出版されて日本中に流通していろんな人の手に渡ってるのにこれ大丈夫なの? これフィクションだよね? 大丈夫だよね?
 
 というのも、この「私」は作中では名前は出てきませんが、経歴などから小野不由美さんご本人であると推測でき、さらに実在の作家仲間も登場し、取材の内容もとてもリアル。フィクションなのか実際あった体験談なのか、読者には全くわからないのです。そんな中で「聞いても伝えても祟られる」なんて言われたらびびりますよ。完全に読者巻き込まれてます。
 
 話は戻りますが、春ですね。新しい土地で新しい生活がスタートした方もいらっしゃるのではないでしょうか。
《 我々が住んでいるこの場所、そこには確実に過去の住人がいたはずだ。前住者の前にはさらに前の住人がおり、その前にはさらに以前の住人がいた。(中略)ある建物が建設される以前の土地、その「土地」に住んでいた住人までもが現在に影響を与え得るとすれば、問題のない土地など、果たしてこの世に存在するのだろうか 》
私達の住む街、土地、家、前住者にはどんな歴史があるのでしょうね――。
 

 
 
 
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 レビューも後半戦に突入し、ミステリー界隈でなじみのある著者や作品が多くなってきた。特に『犬神家の一族』は何度も映像化されていて、本は知らなくてもその作品名は知っている人が多いと思われる。監督や公開年によって、同じ作品であってもぜんぜん違った作品になっているので是非見比べて欲しい。更に今回は奇跡のような「季節銘柄」がランクインしている。この時期に読むとラストン余韻もひとしおである。
 
41位 宮部みゆき『模倣犯』 新潮文庫
 ミステリー史上、稀に見る目立ちたがり屋の犯人だ。そもそも犯罪者は目立ちたがり屋であってはならないはず。自分に注目を集めることはすなわち、容疑を深めることに繋がりかねないからだ。しかし『模倣犯』の犯人はそんな常識などお構いなし。世間の注目を集める「劇場型犯罪」を実行し、日本中の注目をわが身に引きつけるのだ。この物語はそんな異常な犯人の計画に巻き込まれ、翻弄される人々の群像劇である。
 
 文庫本全五巻、まさに大長編といえる長さだ。並みの作家であればこれだけの長さの物語を書くと中だるみが生じたりするのだが、そこは流石「稀代のストーリーテラー」宮部みゆき。読者を飽きさせることなく、むしろ五冊で物足りなさを感じさせるほどの見事なストーリーテリングだった。僕が一週間かからずに読みきってしまったという事実がその証左である。一体どうしてこの小説は読者を惹き付けるのか。おそらく超目立ちたがり屋犯人の造形に成功した事が大きい。犯罪者でありながら目立ちたがり屋、という矛盾を解決してしまうほどの智慧を持った彼が、関係者を思いのままに翻弄する様があまりにも自然で華麗なのだ。むろん、群像劇であるからには犯人に振り回される関係者たちも丁寧に描かれる。丁寧に描かれた彼らもまた、活き活きとした登場人物なのだが、だからこそ彼らの生い立ちや現在を巧みに利用する犯人の計画は完璧に思えるし、身近になってきた彼ら関係者の人生がどう狂わされていくのか気になって仕様がなくなってしまう。
 
 これだけ多くの登場人物を出しながら、それぞれの運命が絡まりあい、互いに作用していくさまを自然に描いた小説は少ないだろう。読後、やはり文庫で五冊分の長さは必要だったのだと思わされる。
 
40位 竹本建治『匣の中の失楽』 講談社文庫
 日本ミステリー界には厳然とそびえる難攻不落の山が四つある。ミステリーというジャンルを過剰までに突き詰めた結果、非情に読みづらいが何だかすげーと思ってしまう四作品、マニアたちはそれらを「日本四大奇書」と呼んでいる……。そして、その一つが『匣の中の失楽』である。
 
 この小説は構造自体も作品の面白味の一つであり、展開の一つ一つに驚いて欲しいのであらすじは詳しく書かかないことにし、この小説のどのあたりが奇書と呼ばれているのかの個人的な考えをつらつら書こうと思う。
 
 前置きが長くなってしまったけれども、『匣の中の失楽』の一番の特徴と言えば延々と繰り返される推理合戦だろう。主人公たちは目の前で起こる事件に対し、友人が被害にあっているにもかかわらず、悲しみはそこそこに嬉々として事件の推理に熱中する。しかも推理合戦にルールを設けるのだから、事件の真相解明が目的と言うより「いかに面白い回答を見つけるか」を目指すゲームをしているようである。事実、なかなか面白い推理もいくつか披露されるのであるが、しかしこの「人間を描くこと」を放棄した態度は何なのであろう。もしかしたら、この推理合戦に興じる主人公たちは我々ミステリー好きの読者そのものなのではないか。小説の中の謎解きをゲームとして享受し、「もっと面白い解決を」と要求するミステリーマニアと重なって見える。つまり、作中の登場人物はまさに小説を読んでいる我々であり、小説を読んでいる我々は物語の中の彼らなのである。そしてこれが小説のあの構造を生み出すのであるが、それは読んで確かめて欲しい。
 
 と、「奇書」なので小難しいレビューにしてみたが、とりあえずミステリーが好きなら一度はチャレンジしてみて欲しい「山」である。一筋縄でいかない物語を読みきったときには、ミステリーというジャンルが違って見えるはずである。ただ、『匣の中の失楽』は奇書の中でも比較的読みやすい作品なので、「なに?『匣』が読了されただと!?」「しかし奴は我々四天王の中では最弱。」「どれ、次は俺が……」みたいな状況です。
 
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39位 横溝正史『犬神家の一族』 角川文庫
 おそらく、この全作レビュー企画の中で作品の中身と関係ないところで有名な小説№1かも知れない。湖に突き出した男の二歩足という光景は芸人の一発芸になったこともある名シーンである。角川映画の初期作品にしてその地位を磐石にしたとも言われている市川昆監督「犬神家の一族」の原作である。
 
 映画は映画として評価するとして、さて小説としてはどうだろうと考えた時に、初読時の興奮を思い出す。それはあまりに自然かつ必然的に描かれるメイントリックの素晴らしさへの興奮だった。ミステリーのトリックは大掛かりなものであればあるほど、当然の如くわざとらしさが目立つようになる。「わざわざこんな殺し方する?」という疑問である。大概は「小説だからいいか」と自己完結して終わるのだが、『犬神家の一族』では複雑で大掛かりなトリックが使われているのにも関わらず、とってつけた感がない。犯人の行動原理はトリックと直結するし、トリックが生むひずみが事件の不可解な現象として現れる。つまり、物語とトリックが見事に融合しているのだ。何と鮮やかなトリックだろう!
 ちなみに、佐清のマスクは映画の白い目出しゴムマスクという印象が強いが、作中ではデスマスクのように目や鼻が描かれた、特殊メイクのようなマスクだ。白いマスクでも不気味だけど、表情が全く変わらないデスマスクはもっと不気味だったろう……。
 
38位 泡坂妻夫『11枚のトランプ』 創元推理文庫
 本書を読むにあたって、著者がマジック好きであったこと、相当な腕前のマジシャンであったことは知っておいたほうがいいだろう。なぜならば『11枚のトランプ』にはマジシャンもマジックもこれでもかと言わんばかりに登場するので、「なんでこんなにマジックだらけなのか」と疑問に思うかもしれないからだ。
 
 舞台は地方の演芸ホールで開かれる奇術公演。その公演中に行方をくらませた一人の奇術師が死体となって発見されるという事件が描かれる。のっけから公演の描写で、紙上でマジックが次々と披露される。しかも部分的に種も明かしてくれるサービスつきだ。そして肝心の殺人事件は奇術の最中に行われる。しかも、その奇術公演を使ったトリックなのだから、奇術のトリックの裏で殺人事件のトリックも進行しているという何ともアクロバティックなミステリーなのだ。
 
 ちなみに作中作で「小説風の奇術のネタ帳」が出てくるが、これもミステリーのショートショートのようで、かつ完成度が高くて楽しめる。ミステリーに奇術、アイディアの出し惜しみをしない著者のサービス精神にあふれる一冊だ。
 
37位 松本清張『ゼロの焦点』 新潮文庫
 新婚早々、結婚相手が出張先から忽然と行方をくらましたら。それも、ただ消えたのではなく不可解な言動をしていた相手であったら。そして、謎を追うにつれて周囲の人間が次々と死んでいったら……。
 
 松本清張といえば社会派ミステリーの祖として有名である。密室殺人や呪われた旧家など非現実的な要素とは決別して、もっと人間の業や社会の矛盾を描こうとした社会派ミステリーはどうしてもトリックの点で楽しめないのではという不安を持ってしまう。事実、清張以後、雨後の筍のように量産された社会派気取りのミステリーにはそういうものも多いと聞く。しかし、『ゼロの焦点』は違った。大きなテーマとしては確かに社会的な問題、戦後日本社会がいかに混乱していたか、それがどんな悲劇を巻き起こしたか、が物語の中心となっている。一方で、行方不明になった男の素性という謎は取ってつけたような解決で終わらずに、鮮やかな○○○○トリックで驚かせてくれる。綺麗に隠された伏線も見事だし、夫の隠された素顔が次々と明らかにされていくスリリングな展開など、純粋なミステリー要素だけでも十分楽しめるのだ。
 
 人間ドラマを描きつつもミステリーとしての楽しみを損なわない、社会派ミステリーが目指すべき原点にして一つの到達点がここにある。
 
36位 歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』 文春文庫
 なんとタイミングの良いことだろう! まさか四月号に『葉桜』の回がまわってくるとは。まことに運命とはおもしろい悪戯をするものである。
 
 いわゆるどんでん返し系のミステリーである。同じくどんでん返しミステリーの『イニシエーションラブ』がどんでん返すことである種のイヤミス的な驚きを与えたのに対して、『葉桜の季節に君を想うということ』は最後のどんでん返しによって、小説が至上の人生賛歌を歌っていることに気づかされ、心が温かくなってくる。
 
 物語は大きく三パートに分かれていて、メインになるのは悪徳商法を繰り返す会社を調査する男の物語だ。この部分だけでもユーモラスなハードボイルド小説として楽しめる。楽しめてしまう分、「何か仕掛けられている」というのを忘れた状態で種明かしをされるので見事に騙される。騙されたことがわかった瞬間、小説の表情がガラッと変わり、今まで隠されていた物語のテーマが深く胸を打つのである。
 
 ミステリー的な要素だけであれば、個人的にはメインのトリックは想定の範囲内。ミステリーのトリックではヤクザ潜入編の滅多刺しにされた変死体の謎が面白く読めた。
 
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35位 江戸川乱歩「陰獣」『江戸川乱歩傑作選 獣』収録 文春文庫
 江戸川乱歩は日本探偵小説の父といわれながらも、じつは自作においてミステリー小説として高く評価されている作品は少ない。どちらかと言えば怪奇趣味小説が評価されていたりする。ところが「陰獣」は、乱歩最大の持ち味である怪奇趣味がミステリー要素と見事に融合した奇跡のような作品になっている。
 
 一人の夫人がある小説家から脅迫状を受け取り、身辺を付け狙われているのではないかと主人公に相談することから物語は始まる
 
 血みどろな怪奇小説ばかりを発表している作家は、作品そのもののねちねちとした陰湿さで婦人をストーキングしているらしいのであるが、その行方は杳として知れない。彼の行方を捜すうちについに悲劇が起きて――。というあらすじ。作家のストーキング行為や婦人の隠された秘密などが作品に背徳的で、耽美的な乱歩ファンが大好きな雰囲気を醸成しているし、次第に婦人が追い詰められる展開はサスペンスフル。そして、最後の意外な解決と余韻を残すラスト、文句の付け所がない。エンターテインメントとして完成度の高い作品だ。
 
 ちなみに、そのストーカー作家は明らかに乱歩自身がモデルである。自作のパロディも出てくこともあって、乱歩ファンならニヤニヤできる。
 
34位 泡坂妻夫『乱れからくり』 創元推理文庫
 奇術ときて次はからくりである。38位『11枚のトランプ』では奇術を作品に多用した泡坂妻夫が『乱れからくり』ではからくりを作品に多く登場させている。からくり人形、万華鏡、迷路……、からくりやおもちゃに関する薀蓄も満載で著者の趣味が垣間見える。
 
 事件は玩具会社の経営者一族の息子が隕石に衝突して(!)急死したことから始まる。次々と不可解な死を遂げる一族だが、その死には他殺であれ自殺であれ、事故であれ決定的に腑に落ちない点が残る。どうせ殺人なんだろう、と僕は意地の悪い読み方をしていたのだが、それでもアリバイがあったり動機がなかったりとにかくどんな仮説もしっくりこない。それもそのはずで、真相は僕の想像もおよばないものだったのだから。なまじミステリーを読んでいただけに見事に騙されたと言うべきか。犯人がいて、綿密に練り上げた犯罪計画を着実に進行する、そういうありふれたミステリーとは一線を画しているのだ。この奇想天外なトリックは「からくり」というモチーフと密接に関係しているし、「からくり」だらけの物語だからこそとても印象深いトリックとして読者の記憶に残るのだろう。
 
33位 鮎川哲也『りら荘事件』 創元推理文庫
 「本格ミステリーってどういう小説のことですか」と聞かれたら、僕は『りら荘事件』を読んでくださいと答える。それほど謎解き小説として純度の高い小説なのだ。
 
 山奥の山荘に集まった若い男女に次々と襲い掛かる殺人者の手、現場に残されたスペードのカードは何を意味するのか、そしてあらゆる場面にちりばめられた登場人物たちの不可解な言動等々、一見バラバラに見える断片でちょっとやそっとじゃ真相にたどり着くことができない。しかし、ちょっと視点を変えて手がかりを丹念にたどっていけば、解決を読まずとも真相にたどり着くことが出来るようになっている。堂々と読者への挑戦がされるくらいフェアなミステリーなのである。とはいえ、大抵の読者は推理を諦めて解決編へと読み進むのだが、その時真相を語りだすのは刑事ではなく、れっきとした私立探偵が読者を真相へと導くのである。
 
 なんだかこう書くと教科書みたいで地味な印象を受けるが、ばたばた人が殺されていくので展開は飽きないし、スペードのカードの使い方も綺麗で驚かされる。なにより、疑問に思っていた描写が次々と伏線として回収されていくのは気持ちが良い。「再読三読によって妙味が増す端麗巧緻なギミック」なんて本の裏に書いてあるけどまさにその通りの「スルメ本」。
 
32位 高木彬光『刺青殺人事件』 光文社文庫
この本を読むまでは知らなかったのだが、刺青は一種の日本的芸術文化として海外で評価されているらしい。繊細な指先の技術で、鮮やかな図面が肉体的な苦痛を伴って半永久的に身体に刻み込まれる行為は、なるほど確かに官能的な美があると言えなくもない。刺青といえば反社会的な連想をしがちな現代人も、妖艶な刺青に彩られた『刺青殺人事件』を読めばきっと「刺青」で画像検索してしまうだろう(検索しました)。
 
 この刺青というモチーフの活用が素晴らしい。まず、乱歩ばりの怪奇的な雰囲気の演出に成功している。美女の肉体に彫られた刺青や、刺青コレクターなど耽美なフックで作人世界に引きずり込む。さらに、この刺青が肝心のトリックにも関係してくるのだ。そもそも刺青は彫ったら一生消せないもの。つまり、刺青は指紋並みの、もしかするとそれ以上の身分証明になるのだ。『刺青殺人事件』で起こるのはバラバラ密室殺人。バラバラ死体というのは身元の特定が困難で、時にはすり替えトリックが行われたりするのだが、刺青はその可能性を否定する材料になる。すると、なぜバラバラする必要があったのかといった問題が代わりに出てきたりして謎は深まるばかり。死体に刺青があるだけでミステリーはここまで面白くなるのだ。
 
 発表は1948年と戦後ミステリーの初期作品。密室の謎やバラバラの謎など、ミステリーを書いてやる! という著者の情熱が感じられる作品であり、その情熱が見事な完成を見た一作である。
 
 
 
後編に続く⇒
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
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by dokusho-biyori | 2017-04-01 21:20 | バックナンバー | Comments(0)

17年04月 後編

⇒前編から続く
 
 
 
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 窪美澄と言えば、いびつな愛情と歪んだ家族を描くイメージが強いけれども、僕の場合は、彼女が紡ぐ「要領が悪い人たち」の生き方に、より強く惹かれてきた。
 
 最新刊『やめるときも、すこやかなるときも』でも、やはり「要領が悪い」人たちが、誠実に生を紡いでいく様子が綴られる。
 
 主人公は32歳独身の桜子さん。数年前に仕事で知り合った男性と付き合って、二股かけられて結局は捨てられたという、それが唯一の恋愛らしい恋愛で、以降《 私は恋愛そのものに向いていないのかもしれません。いろいろ考えすぎてしまって、ふられてばかりいますから 》と、恋も結婚も半ば諦めている気配。その上、実家の印刷会社が潰れて以来、酒に酔っては暴れる父と、そんな父に恭順することだけが務めだと思っているような母とに縛られて、まるで網にかかった小鳥の如く、じたばたともがくような日々を暮らしている。
 
 というプロフィールだけでも、桜子さんが生きるのが下手過ぎて、だけども決して悪い人ではなさそうで、と言うかむしろ多分いい人なんだろうけど自分には取り柄が無いと思い過ぎていて、美人でおしゃれな二人の親友と自分を比べて《この二人に会うと、この二人ですら縁遠いのだから、自分なんて縁がなくて当然だとなぜだか安心することができた 》などと言うぐらい徹底して後ろ向き。更には《 仕事にやりがいがないわけではない。責任のある仕事だって任せてもらえるようになった。けれど会社と自宅だけを往復する毎日に私は少し、疲れてる 》と、うつむきがちにトボトボと歩を進めるようなうつろな毎日。
 
 そんな桜子さんに、不意打ちのようにして大恋愛が訪れる。が、この新たな恋でもやはり彼女は要領が悪く不器用な振る舞いを繰り返し、そのギクシャクとした一生懸命さが健気と言うかピュアーと言うか、一読者として応援せずにはいられないのだけれど、前出の二人の親友も同様に勇気づけたり助言したりと気が気ではない様子で、その友情にもまた心を揺さぶられる読者はさぞ多かろう。
 
 例えば、桜子さんがつい有頂天になり過ぎた時に、親友の片方が《 桜子は今までこういう経験ないかもしんないけど 》と優しく諭す場面がある。《 うまくいってる恋愛を女友達に話すときは最大限に気を遣わなきゃ。(中略)桜子の恋愛を喜んでないわけじゃないんだよ。だけどそれと同じくらい、ねたみとか、そねみとか……やっぱりあるわけよ人間だから。顔にはださねども 》。そして直後に付け加える。《 でも、桜子、きれいだよ今 》と。
 
 こんな素敵な友達に支えられて、桜子さんは、おぼつかない足取りながらも歩みを進める。時には《 恋愛ってつらいものだな 》と泣きが入ることもあるけれど、駆け引きだのテクニックだのとは無縁に、誠実に自らの恋を見つめてゆく。そのまっすぐな姿に、「要領」より大事なことってあるんだなと、目を開かれる思いをするのは僕だけではない筈だ。
 
 つまり、だ。窪美澄の小説に出てくる要領が悪い人、後ろ向きに考えるのが癖になっている人、生きるのが下手な人、そして「仕方が無い」という一言で多くの事を諦めてきた人。そんな人たちが、それでも諦めたくない何かが胸の中に残っていることに気がついて、「仕方が無い」に懸命に抗う姿に、僕はいつも励まされるのだ。
 
 その好例として、2012年の『晴天の迷いクジラ』も挙げてみたい。
 登場人物は主に三人。20代半ばの田宮由人は、倒産寸前のデザイン会社で自宅に帰るヒマも無い程の社畜労働を強いられる。殆ど会えずにいた恋人には手ひどくフラれ、挙句の果てにはウツを患って死を思う。
 
 そのデザイン会社の社長の中島野乃花は、裸一貫から築き上げた会社の断末魔を目の当たりにして絶望し、こちらも同じく死を考える。
 
 そんな二人が、日本列島の南の方の小さな漁港に迷い込んだクジラのニュースを偶然見かけて、とっさの気まぐれで機上の人となる。《 死にかけてるクジラ見に行ってからうちらも死にましょうよ 》と、殆ど破れかぶれで南へ向かう。
 
 そして彼らが現地で出会った、小汚い身なりの女の子――16歳になる篠田正子は、度を越えた母親の干渉に擦り切れるように消耗し続けた結果、自分の部屋に引きこもってリストカットを繰り返す。その延長として無自覚ながらも「死」を思い、早朝にフラフラと街をさまよっていたところを、空港からクジラの海に向かうべくレンタカーを走らせていた件の二人に拾われる。
 
 といった書き方をすると典型的なロードノベルのようだがそうではなく、ページの大半が割かれるのは、回想的に描かれる由人、野乃花、正子それぞれの生い立ち。
 
 そこで読者が目にするのは、これぞ窪文学とでも評すべき、ボタンをかけ違えまくった親子の姿。「あなたのため」の一言を水戸黄門の印籠の如く振りかざし、自身の価値観で子どもをがんじがらめにする母親。その母親がお仕着せる理想像を拒む術を知らず、言われるがまま操り人形のように生きる幼い由人、野乃花、そして正子。それはまるで、四角や三角の箱をかぶせられて不自然な形に熟れ育ったスイカやメロンのようであり、読んでいるこちらまで息苦しくなる程の窮屈な日常を「仕方がない」と受け入れてしまっているかつての三人に、恐らく大半の読者は「そんな親など放り出せばいいのに」とじれったいやら苛立たしいやらの気持ちを抱くだろうけど、そこで放り出せないところが「要領が悪い人」たる所以な訳で、そんな彼らが、自分で勝手に浅瀬に座礁してしまったマッコウクジラを目にした時に、どうにかして再び広い海を自由に泳がせてやりたいと願うのは、決して動物愛護の精神からだけではないだろうというのは容易く想像がつくことで、要するに死を思って南の果ての漁村まで辿り着いた三人ではあるけれど積極的に死にたかった筈はなく、それしか方法が見つからなかっただけの話であって、生きてゆく術があるのなら当然ながら彼らだって生きていたいに決まっているのだ。
 
 そんな風に不器用ではあるけれど決して卑怯ではない彼らに、作者はまるでご褒美のような優しい出会いを用意する。《 なーんにも我慢することはなか。正子ちゃんのやりたいことすればよか。正子ちゃんはそんために生れてきたとよ 》 《 薬のんだって、入院したってよかと。どげなことしたって、そこにいてくれたらそいで、そいだけでよかと 》 《 由人くん、死ぬなよ。絶対に死ぬな。生きてるだけでいいんだ 》。――素朴な漁村で素朴に生きる人たちから貰った飾り気のない思い遣りが、涸れた田畑に降りそそぐ雨のように、三人の心に沁み込んでゆく。
 
 そう、人生は彼ら三人が考えているよりも、もしかしたら遥かにシンプルなものなのだ。急がないこと、比べないこと、怖がらないこと、そして自分自身を信頼することetc……。かのチャーリー・チャップリンだって、映画『ライムライト』の中で言っている。《人生には勇気と想像力と、あとはほんの少しのお金があれば充分さ( All it(=life) needs is courage,imagination and a little dough. )》と。
 
 とにかく何しろ、「要領が悪い」と言う時、確かに「悪」という字を使いはするけれど、それは善悪とか正邪という意味での「悪」ではなく、「不得手」とか「未熟」とか「拙い」とかいう語感に近い訳で、だとしたら、寝技も裏技も使えない馬鹿正直な人たちはどちらかと言うとむしろ「善」であり、窪美澄作品に登場するそんな不器用な人たちが、ドーピングもカンニングもせずに愚直に生きる姿にこそ、僕は、派手なサクセスストーリーよりも遥かに励まされることが多いのだ。
 
 
 
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『犬神家の一族』横溝正史
『江戸川乱歩傑作選 獣』江戸川乱歩
『残穢』小野不由美
『刺青殺人事件』高木彬光
『11枚のトランプ』泡坂妻夫
『晴天の迷いクジラ』窪美澄
『ゼロの焦点』松本清張
『匣の中の失楽』竹本建治
『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午
『乱れからくり』泡坂妻夫
『模倣犯』宮部みゆき
『やめるときも、すこやかなるときも』窪美澄
『りら荘事件』鮎川哲也
 
 
 
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編集後記
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連載四コマ「本屋日和」
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4月のイベントカレンダー
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by dokusho-biyori | 2017-04-01 21:04 | バックナンバー | Comments(0)

17年03月 前編

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 人が恋をした時に使われる文章には色々ある。恋に落ちる、恋をする、好きになる、惹かれる……尽きることなくきっとそれは生まれ続けるだろうが、大抵は聞いたことのあるような言葉ばかり。勿論、口語で使うと思いっきり恥ずかしくなるような言葉もあるが。そんな中で「目覚めるように恋をする」という表現と「私は命をかけて貴方のものになる」というこの二つの表現。特に前者はストンと心の中に落ちて来るような言葉として引っかかった。綾崎隼の『命の後で咲いた花』
 
 単行本から晴れてこの度文庫化されたこの作品は、著者自らがオペ室で手術されている時に考えたものだとあとがきにて綴られている。単行本で読んでいた時「ええええ」と驚き涙が引っ込んだのを私は覚えている。ある意味脳内を見てみたいと思った瞬間だった。……というのは置いておいて。
 
 この読書日和に初めて文章を書いた際も綾崎さんのお話だったが、このお話もまた伏線に伏線が張られた私の言葉で言う「綾崎ワールド」全開のお話である。私の読解力の問題なのかは疑問だが、伏線に気付き推測を立てるもののそれが回収された時推測と異なることが多いのもまた魅力ではある。だがあまりにも純粋に書かれた恋愛小説は純粋すぎて現実世界にはないだろうと思いつつも泣いてしまう。
 
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 物語は二部構成、文庫版には書き下ろしの番外編が書かれている。一部では中学校教師を目指す榛名のどうして教員になりたいか、大学生活や恋愛模様が描かれている。その一方で二部では一部でも出て来る羽宮サイドの、同じく人間模様が描かれている。共通点は、教職希望という夢と恋だ。
 
 つい数年前まで留年の危機と戦いながら大学生活を送ってきた私としては、ああ……うん、分かる分かると頷ける大学模様。最初のオリエンテーション眠くなるよね、とか、あの人いつも同じ席だよね、とか、お願いだから飲み会で絡んで来るなこの野郎とか。そんな当たり障りない、きっとどこかで誰かが経験しているような大学模様がすっきりと描かれている。印象的なのは榛名が教育実習にて自分は向いてないのではないかと羽宮に相談した際の彼の返答だ。
 
「教壇に初めて立った奴が、ミスもなく十分な授業を出来るはずないだろ。自分には向いてない? 二週間で何が分かるんだ。失敗して何が悪い」
 
 …………ごもっともです!!! 榛名の自分向いてないかも、と言う不安も勿論分かるのだが羽宮の言葉もとても分かるどころか身に沁みるというか耳が痛いと言うか。入社して二ヶ月でこの自分には向いてないと言う壁にぶち当たった過去の私に聞かせてあげたい言葉である。きっとどの職に就くことになっても(または就いていても)、最初は何も分からない。だから聞いて吸収してまた前を向いていくのだと思う。
 
 そんな羽宮に惹かれていくのが榛名である。ここで冒頭に書いた言葉を思い出して欲しい。「目覚めるように恋をする」。これは榛名の心情だ。一部の一話のサブタイトルだが、そうかこういう言葉で表すことができるのかと感銘を受けた。どういう意味なのかはぜひ読んでほしい。もしくは察してほしい。
 
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 さて羽宮がメインとなる二部では社会に出てからのお話である。中学校教師となった彼女と一般就職した羽宮の短いようで長い、深く純粋な恋愛が主である。だが彼女はある日仕事を辞めて実家へと帰ってしまう。追った先で待っていたのはあまりにも酷すぎる現実で。
 
 実は彼女は病を抱えておりそれが悪化してしまい社会復帰するのは厳しい状態にまで追い込まれていたのだ。彼女は幸せになってもらいたいから別れてほしいと告げるけど、羽宮は引かない。最後までそばにいさせてほしいと告げる。自分のことよりも人のことを優先してしまう彼女らしい言葉だが、現実ではどうなのだろう。もし恋人にそう切り出されたら、あなたはどう返答しますか? 私? 残念ながらそういうお相手がいないのでコメントを控えさせていただきますね。
 
 刻一刻と迫る命の時間。その中で彼女は羽宮に夢を託す。「教師になってください」と。自分が途中までしか出来なかった事を最愛の彼に託したのだ。幼い頃からその職に就きたかった羽宮に希望を持たせたのは間違いなく、今にも尽きてしまいそうな命の持ち主である。
 
 人の言葉とは不思議なもので。そんな小さな言葉一つでも誰かの背中を押す大きな言葉になりうる。けれども逆もまた、どんなに小さな言葉でも誰かを突き刺す鋭利なナイフになる。作品内ではそんな言葉の在り方も多く描写されている。綾崎さん特有だろう。
 
 単行本発行から四年の月日が経ち、彼の今の作品と比べてみる。言葉の在り方も、伏線の多さも回収も変わらず活かされている。だがこの作品に関しては、恋の感情に関しては、どの作品よりもずっとずっと清らかで深く、どこまでも透き通った水のように澄んでいると感じる。
 
「私は命をかけて貴方のものになる」。二部の三話での台詞であり、尚且つサブタイトルである。これ以上にない、最上級のプロポーズだ。
 
 
 
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 半分が過ぎた。だんだん冒険小説やサスペンスは少なくなってきている気がする。さて、今回は『半七捕物帳』がランクインしている。恐らくこれはシリーズ全てを指していると思われる。これを全て読むのは流石に無理だったので、光文社文庫の『半七捕物帳〈一〉』の収録作でレビューすることにしましたのでご承知おきを。
 今回は『太陽黒点』を再読できたのが何よりの収穫。やっぱすげえや山田風太郎。

51位 島田荘司『奇想、天を動かす』光文社文庫
 
 恐ろしいことに(?)消費税が導入された直後が作品の時代となる。10%に挙げるか否かが、消費税があることは前提の上で議論されている現在、消費税あるなしが騒がれている物語は一種の異世界のようにすら思えてきて……。
 
 と何のことやらの導入となったのは、この物語の発端となる殺人事件というのが消費税に関係があるから。消費税導入を知らなかった老人が3%の税金を請求されて逆上、店主の女性を殺害した、と動機が薄弱でしょぼい事件だと思われていたのが、アウトサイダー刑事が捜査をするにつれて過去の事件との関係が見えてくる、という本格ミステリーお得意の構図である。良くある手法とはいえ、入り口の事件が矮小な分、新しい事実が発覚するたびに事件がどんどん壮大な全体像を見せてくるので「まさか」の驚きと興奮は大きい。過去の事件の密室死体消失トリックなんかは「絶対こんなの無理でしょ」という状況を見事可能にしてしまう発想は賞賛の言葉しかない。このトリックを某少年漫画が流用していなければもっと驚いたんだろうなと思うと悔しさがつのる。
 
 社会問題を上手く絡めている部分も評価されているが、レビューが散漫になってしまうのでそこは割愛。とはいえ、社会派の部分を抜いて本格ミステリーの部分だけでも十分楽しめるのは間違いないのだ。
 
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50位 馳星周『不夜城』角川文庫
 
 情熱の炎は赤いとは限らない。燃え上がる炎が真っ黒な場合もあるだろう。『不夜城』はまさに真っ黒な情熱で読者を焼き尽くさんばかりの小説だ。
 
 舞台は新宿歌舞伎町ではあるが、我々の知る歌舞伎町ではない。その裏にある暗黒街の歌舞伎町を舞台に大陸系のマフィアが牛耳る闇社会が描かれる。主人公はアングラな歌舞伎町を器用に生き抜いている日本人と台湾人のハーフだ。絶妙なバランス感覚で平穏を保っていた生活は、ひとりの男の登場で崩れ始める。その男はかつて主人公の相棒であったが、過去に裏社会のボスの反感を買った「指名手配犯」である。くさいものにしていた蓋が外れた如く、突如として危うい立場に立たされた主人公は生き抜くための計画を練る。
 
 嘘と裏切りの連続、ひたすら己の利益にのみ行動し、そのためには他人の命を駒のように扱う……。表社会の倫理を粉々に砕くような世界である。「えー、こんなのひどすぎるぅ」と言ってしまうヤワな読者には向かないだろう。しかし、このダークな世界観に脳髄まで浸ってトリップしたような感覚の読書体験はなかなかない。いわゆる暗黒小説(ノワール)と呼ばれているハードボイルド小説の亜流ジャンルでは日本を代表する作品と言えよう。ただ、血も涙もない小説のように書いてきたが、主人公とヒロインの関係は非情だけれども、普通の男女では到達できないようなところで深く繋がったような、崇高な結末を迎えたと僕は思うので、血も涙もない裏社会を描きながら、そこで花開いた極彩色の愛の物語でもあるのだろう。
 
49位 京極夏彦『絡新婦の理』講談社文庫
 
 さて、また箱の登場である。今度は前回よりもさらに分厚い。電車で読むと腕が疲れる。
 
 と、冗談はさておき、今回の京極堂は「あやつり」がテーマである。事件の裏には実は黒幕がいた! というサプライズは上手く伏線を張っていればかなりのインパクトを与えられる一方で、無限に黒幕を作ってしまう危険性を孕んでいる(犯人を操る黒幕、それを操る黒幕、またそれを操る黒幕、以下無限)。これはミステリーの評論等でよく問題にされ、麻耶雄嵩あたりはこの問題が大好きすぎて論理の袋小路に入り込んだような小説を書いている(褒め言葉)。それに比して本作は安心していただいていい。なぜならかなり序盤から事件に黒幕がいることが京極堂によって指摘され、「ゴール」が設定されているからだ。ゴールが分かっているなら簡単な事件に思えるが、そうではないらしい。京極堂曰く、どんなエラーも真犯人の計算のうち、あがいても真犯人の計画を妨げることはできない。たとえ名探偵たる京極堂が介入したとしても、その行動自体が計画の歯車のひとつになってしまうらしい。まさに完璧な犯罪計画。はたしてそんな神のような所業が可能なのか。そう、この神がかった犯罪がどのような構造をしているのかという問題こそ『絡新婦の理』のミソなのだ。正直ここまで大掛かりなあやつりトリックは無かったのではと思う。下手なサプライズよりも、完璧な犯罪計画で知的興奮を味わえるミステリー。
 
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48位 山田風太郎『太陽黒点』角川文庫
 
 山田風太郎のミステリーは予備知識一切無しで読んでもらいたい小説が多いが、この『太陽黒点』もその一つだ。生半可に内容を知っていると作品を充分に楽しめなくなってしまうからだ。だからといってレビューしないわけにはいかないので悩みどころ……。
 
 あらすじとしては非情に簡単だ、貧乏学生がアルバイト先で出会った令嬢の玉の輿に乗ってのし上がろうとするあまり、自分も周囲も傷つけ堕落していってしまうダークな青春物語。
 
 正直なところ、僕は一回目に読んだ時はそこまで凄いとは思わなかった(もちろん面白く読んだが)。しかし、今回全てが分かった状態で再読すると随所随所で鳥肌が立った。なんと上手い構成なのか、一人の青年とその周辺人物の運命が神の御業によって決定付けられていく様がはっきりと分かるのだ。「二度読み必須」を謳うミステリーは数多いが、トリックの確認だけではなく作品を全く違った読ませ方をさせる小説はなかなかない。本当の意味で二度楽しめる小説である。
 
47位 藤原伊織『テロリストのパラソル』文春文庫ほか
 
 開始早々大爆発が起こる。映画のようなオープニングは『MOZU』に似ているが、主人公は公安ではなくただのバーテン。しかもアル中というこれだけだと頼りなさ過ぎる主人公なのだが、その過去は学生運動に参加していたり、ボクシングで期待の新人だったりと実は武闘派。爆破事件の被害者にかつての学生運動の仲間の名前があったことや、現場から指紋つきの酒瓶が発見されたことなどから、事件に隠された陰謀に巻き込まれていくことになる。
 
 本書の批判に「様々なことが繋がりすぎてあまりにも偶然に頼りすぎている」という意見が見受けられた。しかしそれは裏を返せばプロットに無駄がないということ。一見関係なさそうに思えた人物、事柄も一つの真相に収斂していく様は読んでいてため息が出るほど。単にアル中のおっさんが陰謀に巻き込まれてきりきり舞いしているだけの物語ではないのだ。
 
 ちなみに、主人公の経営しているバーにはフードメニューがホットドッグしかない。しかし、このホットドッグが実に美味そうに描かれていてちょっとした飯テロ描写である。その描写の見事さにNHKの二次元グルメドラマ「本棚食堂」に取り上げられたこともある。ドラマにもなっているのでDVDを見るお供はポップコーンではなくホットドッグで決まりだ。
 
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46位 船戸与一『山猫の夏』小学館文庫
 
 この本を読み終えたのは2月22日、ニャンニャンニャンの日つまり猫の日である。愛くるしい猫の写真がSNS上で見受けられたが、この山猫は、愛嬌はあっても愛らしさは皆無のおっさんである。その名を裏社会に轟かせている伝説の傭兵、それが山猫だ。
 
 今回の山猫の任務は男と駆け落ちした娘を連れ戻すこと。家出娘の捜索とはいえ、駆け落ち相手の男の家系が悪かった。家出娘の家と血で血を洗う争いを繰り広げている家の息子なのだ。簡単に言えばロミオとジュリエットのジュリエット奪還任務であるが、男の家も傭兵を雇っているからロマンチックな風情はない。両家の傭兵が出会うことはすなわち殺し合いの始まりを意味する。常に緊張感が漂う、過酷な任務が始まる……というのは前半のあらすじにしか過ぎず、どうやら山猫はこの任務のさらに先にあるものを見ているようだ。前半で描かれる山猫の奇妙な言動の理由が明らかになる後半の展開は凄まじい。前半では単なる雇われ者にしか過ぎなかった山猫であるが、後半になり山猫の壮大な計画が始動すると、すべての登場人物が山猫に踊らされることになるのだ。読者もまた、山猫の智略にただただ圧倒されるしかない。彼の計画は常に読者の予想を超えるのだ。
 
 腕っぷしの強さとキレッキレの頭脳をもつこの猫は、どちらかといえば躊躇いなく人を殺す暴力的な人物に描かれている。しかし、最後に明かされる彼の秘密に思わずキュンとしちゃう人も多いはず。
 
45位 大沢在昌『毒猿 新宿鮫Ⅱ』光文社文庫
 
 毒猿とは台湾の伝説の殺し屋で、彼を裏切った台湾マフィアのボスを殺すために日本に来ているらしい――。そう、新宿鮫シリーズの二作目は台湾マフィアが中心の物語で、なんと今回レビューの『不夜城』と題材が一緒。ただ、『不夜城』が完全に裏社会の話である一方で、一応『毒猿』は警察組織が機能しているので表社会の論理が通っている。個人的にはネガとポジのような感覚で二つの物語を読んだ。
 
 一作目で鮮烈なデビューを果たした新宿鮫であるが、意外にも第二作目では影がうすい。主役の座は毒猿と彼を負う台湾警察の刑事の二人が占めている。鮫島は台湾刑事の相棒となって毒猿を追うことになる。
 
 ところで、前作では正体不明の凶器というミステリー的な謎解き要素があったが、本作にはそういったガジェットは無い。なのに前作より評価されているのはなぜか。それはハードボイルドとしてより純度の高い作品に仕上がっているからだろう。警察、毒猿、台湾マフィア、三つの勢力が入り乱れる事件をスピード感たっぷりに描いている。次々と殺される台湾マフィア、追い詰められる毒猿、まるで生きているかのように刻々と変化する事件を鮫島とともに現在進行形で体感できるのだ。クライマックスの緊張感たるや気持ちが入りすぎて窒息しそうになった、と大げさに言ってみたくなる作品。
 
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44位 皆川博子『死の泉』ハヤカワ文庫
 
 第二章を読み始めるまで「おや?」という気持ちで読んでいた。というのも、どう考えてもミステリーには思えない物語だったからだ。「これは、『ダックコール』の再来か!?」と。物語は第二次世界大戦下のドイツ、私生児を身ごもった主人公はナチの産院に身を寄せる。人種差別問題や悪化する戦況、主人公は次第に追い詰められていく……。という銃後の戦争系の物語でミステリー要素と言えば、不老不死の研究をしている医師の存在くらい。それも戦中は珍しい話ではないく、ミステリーというジャンルには分類しづらい物語が続く。とはいえ、著者特有の素晴らしい文章に飽きることなく読みすすめられるのであるが。
 
 ところが第二章に突入すると様相は一変。複数の人物の視点がめまぐるしく切り替わり、それぞれの思惑が交錯するサスペンス色の強い物語へと変わる。そして最後にはとあるトリックも明かされるのだから、結局はミステリーだった一安心というわけだ。簡単に書いてしまったが、第二章以降は第一章がしっかりしているから成り立っている。登場人物の行動原理や伏線も全て第一章が無ければ成り立たない。それほど緻密に組み上げられた物語なのだ。
 
 さて、この小説は物語と同じく注目すべき点がある。それは著者の文章力だ。文学作品に勝るとも劣らない見事な文章は物語を一層豊かにする。特に狂人の描写が凄まじい。精神が錯乱している様子が見事に描かれている。この文章を読むだけでも価値がある一冊だ。
 
43位 桐野夏生『OUT』講談社文庫
 
 本書のあとがきにおいて、タイトルの「OUT」を松浦理英子大先生は「一億総中流社会的な一般社会から外れた女達」とアウトサイダーのようなニュアンスで書いている。「OUT」な場所にいる女達が「OUT」な行為によってどんどん「OUT」になってしまう物語りだと。しかし、僕は違った意味で「OUT」という単語を理解した。つまり、主人公たちは現状から「OUT」したくて、日常に風穴を開けたくて「OUT」な行為をし続けるのではないか、と。
 
 冒頭から描かれる女達の日常は、地獄のように過酷な日々。そんな日々から彼女たちが抜け出すために請け負った行為が「死体処理」である。同僚が殺した夫の死体をバラバラに切り刻んで遺棄したのである。結果として汚泥を啜るような日常からは「OUT」した彼女たち。しかし、当然の如く彼女たちの犯行は追求を受けることになって……。
 
 何が一番恐ろしいかといって、先述の「地獄のような女達の日々」がすぐ隣にあるような日常として描かれていて、倫理を無視して「遺体損壊」へと一気に飛躍してしまう彼女たちの思考が抵抗無く受容れられてしまったことだ。「これはありうることだ」思ってしまうのである。多くの人が抱えている日常への鬱屈した思い、そこから「OUT」したいという欲望を極限的な形で描き出した作品といえるのかもしれない。
 
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42位 岡本綺堂『半七捕物帳』光文社文庫
 
 今や当たり前のジャンルとなった捕物帖の先駆け的シリーズ。日本ミステリーの黎明期において重要な役割を果たしたと言われていて、確かにこのシリーズは一九一七年スタートで、乱歩のデビューはその六年後なのだ。どれだけの後進作品に影響を与えかは計り知れないものがある。
 
 さて、全集の1巻、14作品を読んだところの一番の驚きは作品テイストの多様さだ。怪談調、サスペンス、本格テイストの作品etc。毎回違った趣向を凝らしてくるので飽きない。さらに提示される謎が興味深いものばかりなのだ。例えば、干からびた生首を持つ浪人、ひとりでに鳴り出す半鐘、忽然と消えた美少年、「これ、どういうこと?」と気になってしまうものばかり。それが短編という短さでサクサク解決していくのでストレスフリー、次から次へと読んでしまう。
 
 ただ、ミステリーとして謎解き要素は総じて弱い作品が多い。現代ミステリーばりのトリックを期待すると肩透かしを食らうのでそのあたりは広い心で読むのがベスト。ただ、たまに解決も素晴らしい作品があることは明記しておきたい。
 
 また、半七捕物帳は江戸風俗の史料としても評価が高い。制度や文化など「へえ」と感心できるトリビアが豊富だ。もちろん、人の価値観も現代とは異なるので、登場人物の行動原理も現代とは違う。そこが謎解きのミソになることもあるので、時代小説でしか書けないミステリーであると評価するのともできよう。
 
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後編に続く⇒
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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by dokusho-biyori | 2017-03-03 21:55 | バックナンバー | Comments(0)

17年03月 後編

⇒前編から続く
 
 
 
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 今回は、時間ものの名作を幾つか読み返しながら、「今」と「未来」について考えてみた。
 
 トップバッターには、ケン・グリムウッドの『リプレイ』が相応しかろう。43歳の主人公ジェフが、冒頭の一文でいきなり死んでしまうという珍妙な幕開けだ。
 
 で、その後どうなるかっつーと、彼は気が付いたら18歳の頃に戻っている。25年前の若々しい身体で、時代も間違いなく25年前。ただ一点、彼の記憶だけは元のまま。つまりジェフは、18歳から43歳まで25年間の記憶を保持したまま、もう一度人生をやり直すことになる。言わば「未来からやって来た男」になった彼は、株価の上下から競馬の大穴まで全てお見通しな訳で、当然それを利用して大儲けする。掛け値なしの大富豪になる。ブラボー!
 
 が、あろうことか43歳になった途端、また死んでしまう。そして、気が付くとまた、18歳に戻っている。そして43歳になったら三度、死んで、三度、時間を遡って生き直す。更に、四回、五回、六回……。ジェフは、訳も解らないまま、死んで戻って生き直す、を延々と繰り返す。そして、その度に「より良い人生」を模索するのだけれど、毎回毎回、何かしら失敗し、大小様々な後悔を抱えながら43歳で死んでしまう。
 
 ところが或る日、何十回目か何百回目かの43歳の時、やはり理由も解らないまま唐突に彼は、「リプレイ」の輪から抜け出すことに成功する。その瞬間、彼は――音楽にしろ映画にしろ文学にしろ、あらゆるものを体験し尽くして飽き飽きしていた彼は――聞き覚えのない音楽を耳にして狂喜する。《 それにしても、どんな歌であれ、今までにぜんぜん聞いたことのない歌を、なんと聞きたかったことか! 》。
 
 そうなのだ! どこにでもいる凡庸な中年オヤジが何度も人生をやり直すという夢のような設定のこの物語は、見方を変えれば何度やり直しても完璧な人生にはならない男を描いている訳で、それはつまり、何度生き直そうとしょせん人間は神様になれる訳ではないと言っているのであり、同時に、やり直しの利かない時間を生きる僕らに向けた「人生は一度しか無いからこそ素晴らしい!」という、力強い声援にもなっているのだ。
 
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 そんなメッセージを内包した作品の一つとして、畑野智美の『ふたつの星とタイムマシン』も挙げてみたい。
 
 今よりちょびっと未来の日本。そこではタイムマシンが、あたかも現代のリニアモーターカーの如く「実用間近か!?」と期待されていたり、数千人に一人の割合で超能力者が存在することが認知されていて、やはり現代のカラオケバトルのような、視聴者参加型の超能力番組が放送されていたりする。
 
 そんな世界で、例えば或る女子大生は、試作品のタイムマシンを使って、悔やみきれない過去を変えようとする。しかしタイムマシンの開発者は忠告する。曰く《 過去を変えたら、もっと悲惨な未来になるかもしれない。今が一番いいと思っていた方がいいです 》。このセリフは、続編である『タイムマシンでは、行けない明日』を読むと一層深みを増すのだけれど、「今が一番いいと思っていた方がいい」とは、なんという人生肯定の言葉だろう!
 
 本書には他にも、瞬間移動の超能力を使って週末ごとに世界旅行を楽しむOLだとか、自分の周りだけ時間を遅らせることが出来る小学生だとか、はたまた「惚れ薬」を手に入れて意中の女性を振り向かせようとする青年だとか、奇跡とでも言うべき力を手にした男女が登場する。
 
 だけどその行間から溢れ出すのは、奇跡の礼讃ではなく、むしろその逆、万能ではない僕らの生を精一杯肯定せんとするメッセージだ。少々便利な力を手に入れたとて、それを使うのが人間である以上、やはり失敗と後悔はつきまとう。ならば、特殊な能力を使って人生のドーピングをするよりも、始めから「人生は思うに任せない」という心づもりで生きていけばいいではないか。そんな主張を本書から読みとるのは、果たして僕の深読みのし過ぎだろうか?
 
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 中山智幸の短編集『ペンギンのバタフライ』も、現在肯定の時間旅行ものと言っていいだろう。
 
 とある町のとある坂道。そこを自転車で後ろ向きに下ると過去に戻れるというのは、第一話「さかさまさか」。半信半疑で試してみた主人公が、まんまと戻れた過去の世界で、一人の女性から忠告を受ける。《 わたしのいちばんの失敗はね、過去に戻れば運命を変えられるって勘違いしたこと。わかる? 結局、いましかないんだよ 》。
 
 或いは第三話「ふりだしにすすむ」では、平凡なOLが、未来からやって来たという老人に頼みごとをされる。ならば「自分の未来を教えて欲しい」と交換条件を出すものの、「知らん方がいい」とはぐらかされる。何故か?
 
 ここで僕はふと考えた。自分の未来が分かってしまったら、努力して「今」を変えていく気になれるだろうか? 判明した「未来」が良いものだったにしろ悪いものだったにしろ、それが「既定事項」だと言われたら、それでも努力を続けられるだろうか? 例えば、「あなたの明日のテストは60点と決定しています」と告げられたら、それでもテスト勉強を頑張れるだろうか? 僕には無理だ。「どうせ~なんだから」と、知らされた「未来」を口実に「今」の努力を放棄してしまうに違いない。だから老人は言ったのだろう。《 知らないからこそ生きるに値するんだ 》と。そして続ける。《 ありきたりだが、悲喜こもごもがある。いい人生かどうかは、きみが最後に決めることだ 》と。
 
 即ち、だ。人生の先に待ち受けているのが良い未来なのか悪い未来なのか、それはあらかじめ通達されるべきものではなく、それらを通り過ぎた後、ゆっくりと振り返った時に自分自身で判断すべきものであると、そういうことをこの老人は言っているのではなかろうか。別の言い方をするならば、将来、過ぎ越し方を「良い人生だった」と思い返せるかどうか、それは、そこに辿り着くまでの自分自身の行動次第だと、そういうことをこの老人は言っているのではなかろうか。
 
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 そう言えば、映画史に残る時間もの、かの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でも、シリーズの最後の最後で似たようなことを言っていた。タイムマシンで持ち帰った「未来の自分の解雇通知」が白紙になっていて驚くマーティとジェニファーに、ドクことブラウン博士がしたり顔で告げるのだ。「君たちの未来はまだ白紙という意味だ。誰にとっても、だ。自分の未来は自分で切り開くものなのだよ(It means your future hasn't written yet. No one's has. Your future is……whatever you make it.)」。
 
 或いは、日本代表級の時間もの、『ドラえもん』にも、相似形の言葉がある。「45年後……」というタイトルの短編で、文字通り、45年後ののび太が少年時代を懐かしんで、タイムマシンで現代に遊びに来るという話だ。例の如くドタバタ喜劇が展開された後、すっきりした顔で未来に帰ってゆくオッサンのび太。その別れ際に彼が、少年のび太にそっと告げるアドバイス。《 一つだけ教えておこう。きみはこれからも何度もつまづく。でも、そのたびに立ち直る強さも、もってるんだよ 》。
 
 多分きっと恐らくけだし、「未来」というものは、何度もつまづきながら「今」をつなげていった先にしか存在し得ず、ということは、つまりその「未来」を決めるのは、無数に連なる「今」を生きる自分自身だと、そういうことを藤子・F・不二雄さんは言いたかったのではなかろうか。
 
 いや、一人藤子氏に限らず、ここに挙げたどの作品もどの作者も、言いたいことは結局一つなんだという気がするがどうだろう? 未来は白紙だ、と。だからこそ、人生は生きるに値するのだ、と。そう思うと、つまらん日常もほんの少しだけ、輝きを増すように感じるのは、決して僕だけではないのではなかろうか。
 
 
 
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『OUT』桐野夏生 講談社文庫
 
『命の後で咲いた花』綾崎隼 メディアワークス文庫

 
『奇想、天を動かす』島田荘司 光文社文庫
 
『死の泉』皆川博子 ハヤカワ文庫
 
『絡新婦の理』京極夏彦 講談社文庫
 
『太陽黒点』山田風太郎 角川文庫
 
『テロリストのパラソル』藤原伊織 文春文庫
 
『毒猿』大沢在昌 光文社文庫
 
『ドラえもん プラス 5』藤子・F・不二雄 小学館てんとう虫コミックス
 
『半七捕物帳』岡本綺堂 光文社文庫
 
『ふたつの星とタイムマシン』畑野智美 集英社文庫
 
『不夜城』馳星周 角川文庫
 
『ペンギンのバタフライ』中山智幸 PHP研究所
 
『山猫の夏』船戸与一 小学館文庫
 
『リプレイ』ケン・グリムウッド 杉山高之/訳 新潮文庫
 
 
 
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編集後記 
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連載四コマ「本屋日和」
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3月のイベントカレンダー
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by dokusho-biyori | 2017-03-03 21:54 | バックナンバー | Comments(0)

17年02月 前編

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 動物が出ているテレビ番組を見ているとどうしてもその可愛らしさ故か「飼いたい」と思うことがある。だが安易に「飼いたい」と言って飼えるものではない。そこには家族として迎え入れる「覚悟」と「愛情」と言う名の「責任」が伴うからだ。口にするものの実際に飼わないのは、自分が一度愛犬を亡くしているからとすっかり染み付いてしまっている『犬の十戒』があるからだろう。そんな『犬の十戒』を交えたお話『犬と私の10の約束』を紹介したい。
 
 大人のみならず小さい子にありがちな「この子飼いたい」と突然捨て犬やら迷い犬やら、まあ所謂野良を拾ってくるこの光景。話の導入は十二歳の少女・あかりが偶然自宅に迷い込んできた仔犬を捕まえようとするところから始まる。しかし丁度なんてタイミングだ、母親が倒れてしまい犬どころではなくなってしまった。父親は医者で忙しく母親は入院……普通に考えてこのぐらいの年の子ならば寂しかろう。その穴埋めとなったのが仔犬……ではなく、四月に知り合ったギター少年の進だった。そうか、男の子か!! と思ってしまった私は悪くないと思いたい。
 
 進と和やかな日々を過ごす中、とある日曜日。あかりは再び例の仔犬と遭遇する。今度は捕まえちゃいましたよ。無事に家族として迎え入れました。そのことを入院中の母親に仔犬を連れて見せに行くと(病院に連れていいのかと言うツッコミは敢えてスルーしよう)、母親からあかりに犬を飼う時の10の約束を渡される。それが『犬の十戒』なのだが、あかりが大人になるまでにそれらが守られたかどうかは読んでみて確かめて欲しい。
 
 さて繰り返し出てくる『犬の十戒』。物語の中では10の約束とされているこれは一体なんぞや、となるだろう。元々は著者不明と言われている英詩であり、犬と人間の在り方について書かれているものだ。
 
 犬だけではなく動物の寿命は私たち人間よりもはるかに短い。それは私たちよりも早く年老いていくものだからどうこうできるものではない。だが生きている間にできることはたくさんあるのもまた事実。私たちに感情があるように飼われるペット達にも感情は存在するのだ。そしてこの『犬の十戒』は犬だけではなく全ての動物、そして人間同士の関係にも照らし合わせることができる。全ては紹介しきれないが、ほんの一部紹介しよう。
 
【私の一生は10~15年くらいしかありません。ほんのわずかな時間でも貴方と離れていることは辛いのです。私のことを買う(飼う)前にどうかそのことを考えて下さい】
 一度飼うとなったら最期まで面倒を見るのが最大の責任である。短い命の中飼われるペット達は何を思うのか。例えば主人公のあかりのように寂しく思うでしょう。きちんと面倒を見てあげられるか、愛情を捧げられるか、「可愛い」と言う一過性の感情だけに囚われていないか、覚悟を決めなければならない。
 
【私を叩く前に思い出して下さい。私には貴方の手の骨を簡単に噛み砕くことができる歯があるけれど、私は貴方を噛まないように決めている事を】
 怒りの感情をぶつけることがどういうことか。手を上げればペット達も人間も痛みを伴うのは当たり前の話である。それでも噛み付いて来ないのは犬がきちんと主人だと認めているからであって。人間もそう。手をあげ返す人もいるだろうけど、本当に信頼しあっていれば物理的な痛みは返さない。ペット達……特に犬は人間に本気で噛み付くようなことがあれば、あっさりと保健所行きである。そのことをわかって欲しい。
 
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【最期の旅立ちの時には、そばにいて私を見送って下さい 。「見ているのが辛いから」とか「私の居ないところで逝かせてあげて」なんて言わないで欲しいのです 。貴方が側にいてくれるだけで、 私にはどんなことでも安らかに受け入れられます 。そして……どうか忘れないで下さい。私が貴方を愛していることを】
 飼われてきてからどのくらい一緒に過ごせるか分からないけれども、必ず死というものは訪れる。見ているのは確かに辛いけれども、もし仮に自分が大切な人と死に別れなければならない状況下だったら。私はあまり見られたくはないがそれでもどこか寂しく思う節はある。それはペット達も同様だ。たくさんの愛情を受けてきたのだから。最期まで見届けるのが、飼い主としての最後の役割なのではないのだろうか。
 
 昨今、一年間で保健所での殺処分が決まっている動物は、犬猫だけでも七、八万頭と言われている。元々野良だった子たちもいるが、その中には一度飼っては人間の勝手で捨てられて望まない運命に当たる子たちすらいる。人間同様虐待されて捨てられる子だって。その現実を頭に入れて欲しい。そして『犬と私の10の約束』で人とペット達の繋がりを、並びに『犬の十戒』を念頭に入れて動物を飼って欲しい。また既に飼っている方々は今一度自分がどういう風に接しているか、思い出して欲しい。
 あなたは、守ることができていますか?
 
 
 
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61位『奪取』真保裕一 講談社文庫
「なあ、銀行と知恵比べしてみるってのも、面白そうだとは思わないか?」この主人公の一言に物語の全ては集約されている。国家技術の粋を集めて作られた紙幣の偽物を如何に作り上げるかという難題に挑戦する主人公たちは、まさに壮大な「知恵比べ」をしているのである。どんな紙を使えばいいのか、インクの色は、すかしの入れ方はetc……試行錯誤を繰り返す彼らの姿にどこからともなく「地上の星」が聞こえてくる……。
 
 物語は三部構成になっている。中でも第一部の着眼点は素晴らしい。友人の借金返済のために、一週間で1260万円の金を捻出する――。このミッションインポッシブルへの解決法が盲点を付いていてめちゃくちゃ上手い。主人公の天才っぷりが遺憾なく発揮される。ここで「贋金作り」という犯罪がとても知的でロマンにあふれた魅力的なものに思えてくる。そしたらもう上下巻一気読みである。二部、三部と激流のような物語に翻弄されて、爽快な一撃が待っているラストまで一直線である。
 
 ちなみに、本書は「印刷」に関する小説でもあるので、その方面への薀蓄も豊富。印刷業界に詳しくなれる。
 
60位『理由』宮部みゆき 新潮文庫
 お隣さんの名前を聞かれてすぐに答えられるだろうか。名前は分かっても家族構成や職業などは分かるだろうか。僕の場合、東西南北のご近所さん全てに関して答えは「否」。特にアパート暮らしの頃は顔さえも分からなかった。なので、たとえお隣さんがいつの間にか全く別人になっていたとしても気付くことは無いだろう。思えば、これほどミステリーの謎として魅力的な題材はそうそう見つからない。本書ではその魅力を存分に使った事件が起こる。
 
 とある高層マンションで殺人事件が発生する。一室で発見された三体の死体と一体の墜落死体。これだけで衝撃的な大量殺人事件であるのだが、なんと四人の死者とマンションに登録されている住人は全くの別人だったことが発覚する。では、元々いた家族はどこに行ったのか、誰が死んだのか、そもそも何故住人が入れ替わったのか。もはや謎が多すぎて続きを読むしかなくなってしまう。事件は関係者の証言を積み重ねていくことで真相をあらわにしていくのだが、着地点は輪郭すらつかめなかったスタートからは想像も付かないほどのリアリティがある。
 
59位『弁護側の証人』小泉喜美子 集英社文庫
 本書を読むにあたってアガサ・クリスティー『検察側の証人』を先に読むべし、みたいな人がいるのでその通りにしてみた。まあ、結果としてはどちらでもいいかな。読めばより騙されやすくなるといった程度だと思う。ただ、『検察側の証人』も傑作なので読んで損はない。
 
 帯にも「映像化不可能」と謳ってあるし、物語冒頭でもそれと匂わす表現があるので明記していいと思うが、本書はいわゆるどんでん返し系のミステリーだ。最後に種明しで物語の様子が180度回転してしまう仕掛けが施されているのだ。あらゆる場面、セリフが正反対の意味を持ってくるので、真相が明らかになってからパラパラと読み返すと自分がいかに読み違えていたか分かるし、著者の巧妙な仕掛けに気づいて面白い。ただ、サラーっと流し読みしてしまうと騙され損なう恐れがあるのでそれなりにじっくり読むことをお勧めする。
 
 因みにトリックを除くと本書はいわゆる嫁いびりものとして読むことができる。不幸な生い立ちの主人公が家庭に入っていびられる様をヤキモキしながら読むだけでも面白い。
 
58位『猛き箱舟』船戸与一 集英社文庫
 プロローグのカッコ良さが尋常ではない。特殊部隊がある男の暗殺ミッションを遂行している場面から物語は幕を開ける。要人を幾人も殺めているというその男は、深手を負いながらも巧妙に追っ手から逃げ続ける。戦略的に罠を張って逃げる男、クレバーでクールである。そして追い詰められた男が見せる姿も、男なら誰もが憧れを抱くだろう。
 
 と、ハイテンションなプロローグが終わると物語は過去へともどる。そして、プロローグで追われていた男が主人公だと分かるのだが、しかしその様子にはプロローグのようなクールさは見られず、ただのチンピラのように描かれる。その主人公が日本財界を裏で牛耳る男の下で傭兵として働くことになるのが前半、つまり上巻のあらすじだ。海外の紛争地域で戦闘に参加するところまで描かれる前半は、リアルな戦争小説としての楽しみがある。しかし、後半、下巻に突入すると男の戦いの意味合いは一変する。そして、チンピラでしかなかった男が、プロローグの化け物めいた戦闘員へと変貌していく様が描かれるのだ。あまり詳しく書くとネタばれになってしまうが、前半の戦闘は戦争ゲームをしているような興奮があり、後半の戦闘は男の情念そのもののように読者の心を熱くする。ひとりの人間としてここまで凄まじい生き様はあるだろうかと思わせる、まさにタフガイな小説だ。
 
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57位『八ツ墓村』横溝正史 角川文庫
「祟りじゃーっ!」という老婆の叫びとか、ライトを鬼の角のように立てた殺人鬼の画が有名すぎて内容があまり知られていない印象を受ける本書。全て映画の影響が大きすぎるせいなのだが、これは原作がしっかりしているからに他ならない。本書はミステリーの枠を超えてエンターテイメントとして超一流の作品である。
 
 物語のメインは八つ墓村といういかにもな村で起こる連続殺人をめぐる謎である。無差別に殺されていく被害者たちの共通点は何か、なぜ殺されるのか、という所謂ミッシングリンクものとして展開される。一方で落ち武者の隠し財宝をめぐる宝探し小説としての一面も併せ持つ。本格ミステリーと冒険小説の見事な融合、幸福なマリアージュである。
 
 ところで、ものすごく話題がそれるが、年に一度ツイッターで行われる横溝ヒロイン総選挙なるイベントがあるのだが、そこで圧倒的人気を誇るのが本書のヒロイン里村典子だ。典子の他にも魅力的な女性が登場する本書は男性読者の好みがわかる試金石のような役割も果たす。個人的には主人公の姉、田治見春代のいじらしさがたまらない。
 
56位『異邦の騎士』島田荘司 講談社文庫
 小説の中の記憶喪失者はミステリーの読者と非常に似ているということを発見した。どういうことかと言うと、世界では何かが起こったはずなのに、それを知らない(覚えていない)。そして「何かが起こった」という謎を知ることが目的になり、他者(探偵)が導いてくれる。謎が解かれていくということは記憶を回復していくことに似ていると思うのだ。本書はまさに記憶喪失の一人称で描かれていたミステリーだ。冒頭から記憶喪失であることに気づいた主人公の混乱っぷりが見事に描かれる。そこから段々と過去が明らかになっていくのであるが、どうやらそれは忌まわしき過去のようで……。記憶を失った直後、出会った女と幸福な同棲生活をしていた主人公は記憶を取り戻すべきか否かのひどいジレンマに悩まされることとなる。このジレンマこそが真相が明かされたときの驚きにつながり、何とも切ない読後感を生むのである。
 
 さて、僕はレビューの前半に意図せずともちょっとした意地悪をしてしまった。ちょっとヒントを出すと、真相へとたどり着く(記憶を取りもどす)道のりが本当に正しいと言う証拠はどこにあるのだろう……?
 
55位『サマー・アポカリプス』笠井潔 創元推理文庫
 矢吹駆シリーズの第二作。『哲学者の密室』のレビューでも書いたが、このシリーズは原則一見さんお断りなので、きちんと『バイバイエンジェル』からお読みすることをオススメする。でないと、僕のように前作のネタばれを喰らいながら読みすすめることになるからだ。
 
 さて、本書はミステリーの要素として、密室殺人、アリバイトリック、見立て殺人、多重解決等々を含んでいるが、なかでも注目したいのが見立て殺人だ。本書の事件の要と言っていい見立て殺人の意味、これが今までレビューした『悪魔の手毬唄』『霧越邸殺人事件』とは全く違っている。なによりもその必然性を生むのが困難な見立てなのだが、一番すっきりとした理由付けに成功している。トリックに見事に組み込まれていて、本格ミステリーとして見事な完成度を誇っている。
 
 ただ、キリスト教の宗教史云々が事件の背後に存在するため、斜め読みすると事件の全容が把握できなくなる。腰をすえてじっくり読むべく本である。間違っても電車の中で読んで何度も同じ箇所を読み返すような、僕のようにはならないで。
 
54位『半落ち』横山秀夫 講談社文庫
 ミステリーの謎は大概殺人行為そのものから発生している。所謂、フーダニット(誰がやったか)、ハウダニット(どのようにやったか)、ホワイダニット(なぜやったか)という分類も全て殺人行為に関係している。ところが本書は誰がやったのかも、どのようにやったのかも、なぜやったのかもすべて明らかになった上で謎が提示される。「殺人から自首までの二日間、犯人はどこで何をしていたか」このことに関しては一切しゃべろうとしない犯人に「何かある」と直感した刑事、判事、事件記者など様々な立場男が真相究明に挑む。正直どうでも良いと言ってしまいそうな謎であるが、そこに警察上層部の捜査妨害が入ってきたりして急にきな臭くなってくる。ここで権力という大きな正義に屈するか、それとも己の信念を貫くかという、横山秀夫お得意の「男たちのドラマ」が立ち上がってくるのだ。男たちはそれぞれ真相に近づいていくのだが、必ずどこかで挫折し(決して真相究明に失敗するというだけではない)、まるでバトンリレーのように次の男の視点に切り替わる。題材としては地味であるが、視点を変えることで飽きさせない手腕は見事。そして、全て持っていく「空白の二日間」の真相はハンカチの用意が必要だ。
 
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53位『マークスの山』髙村薫 新潮文庫
 表紙で「雪山で起こる連続殺人をめぐる山岳ミステリー」と勘違いしていたが、実際は骨太の警察小説だった。もちろん、雪山の殺人事件も関係しているが、メインは首都圏で起こる連続殺人事件だ。この事件を追う刑事たちの姿を圧倒的なリアリティで描いたらしい。らしい、なんて中途半端な語尾にしたのは、心理描写や捜査の方法は確かにリアルであるけれども刑事たちのキャラが立ちすぎて「現実にもいそう」とは思いづらかったから。ただ、それはむしろ良い意味でキャラ立ちしているのだ。特に刑事たちが個性豊かでその言動だけでも面白い。個人的には服がダサくて、チビでデブで仕切りたがりとちょっとウザいけれども矢鱈に頭の切れる吾妻ペコ(このニックネームも面白い)がお気に入り。
 
 本書のもう一つのオススメポイントは殺人者の視点が描かれていること。それも短期記憶障害で記憶の混濁がしょっちゅう起こる人物の心理を見事に描いている。捜査パートが骨太の警察小説であれば、犯人パートは猟奇的な幻想小説だ。この二つがどうやって一つの事件に収斂していくのだろうとハラハラするのも一興だ。
 
52位『第三の時効』横山秀夫 集英社文庫
 短編集というのは大概一作くらいは残念な思いをするのだが、本書は全て傑作ミステリーという素晴らしい短編集だ。F県警という架空の県警を舞台に、常勝集団と言われるほど検挙率の高い捜査一課の活躍が描かれる。どれも警察小説としてリアリティがありながら、本格ミステリーとしての仕掛けも見事に決まっている。例えば表題作の「第三の時効」は冷血な班長の下で働く捜査員が、事件関係者に同情を覚えながらもその家族を壊しかねない解決に進むしかない苦悩を描き、同時にタイトルの持つ意味と最後のどんでん返しであっとさせられる。
 
 また、本書は同じF県警を舞台にしながらも視点人物は短編ごとに違う。当然、捜査一課であっても複数班があるわけで、班の内側から見た場合と外側から見た場合とで一人の人物の評価が違ってくるので、短編ごとに登場人物が掘り下げられていくことになる。つまり、事件は一つの短編内で完結するが、F県警という舞台絵繰り広げられる物語は一冊を通して描かれている。短編ミステリーとして一編ずつ楽しみながら、刑事たちの群像劇として一冊とおして楽しむ、二重に楽しませてくれる仕掛けである。
 
 
 
後編に続く⇒
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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by dokusho-biyori | 2017-02-03 10:30 | バックナンバー | Comments(0)

17年02月 後編

⇒前編から続く 
 
 
 
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 今回は、2016年に読んだ新刊の中から、とりわけ強く印象に残った作品を四つほど採り上げたい。いずれ劣らぬ傑作揃いで甲乙つけ難く、故に順位やランキングという体裁はとらずに、発行日順で紹介したい。
 
 まずは五月の奥田亜希子『ファミリー・レス』。2014年にすばる文学賞でデビューした新鋭の、これは三作目。タイトルは恐らく造語だろうが、無理矢理日本語に置き換えると「家族欠落」或いは「家族未満」といったところか。その名が暗示する通り、ここに登場する老若男女は、「家族」と呼ぶには何かが足りない。戸籍の上では家族でも、心は他人よりも離れてしまったり、家族同様に暮らしていながら遠慮や気兼ねを払拭出来なかったり、或いは、存在さえ知らなかった血縁者が突然現れて戸惑ったりと、様々な距離感の六つの「家族未満」が描かれる。
 
 この作家の作品は前作『透明人間は204号室の夢を見る』で初めて読んだんだけど、市井の人々の後ろ向きの感情をこれほどナチュラルに描ける人は、昨今ちょっと見当たらない。と言っても誤解しないで頂きたい。話が暗いとかストーリーに救いが無いという意味では、決してない。むしろ、単純なハッピーエンドの物語では味わえない不思議な安らぎがある。
 
 例えば松岡修三氏のように、何でもかんでもポジティブに捉えて前向きに生きることばかりが奨励される世の中だけど、生きていればどうしたって後ろ向きにしか考えられない時期もある。元気を出せと言われて元気が出るなら苦労は無い。前を向かなきゃと頭では解っていても、心がついて来ないから苦しいのである。
 
 そんな時に奥田亜希子の作品は、「そのまんまでいいんだよ」と優しく肯定してくれる。歩いていて転んだ時と走っていて転んだ時とどっちが痛い? 傷が大きいのは、全力疾走していたからこそ。そんな自分に鞭打って無理に前を向こうとするよりも、傷ついた自分を労わってあげよう。いずれ自然に元気が出るまで、泣いたりふさぎ込んだりする自分を許してあげよう。
 
 そんな奥田亜希子ならではの温かみを実感したければ、まずは本書の第一話「プレパラートの瞬き」を読んで頂きたい。
 
 二十代半前半の主人公・希恵には、かつてツーカーの仲だった姉がいるのだけど、現在はほぼ絶縁状態。どうやら余程のことがあったらしいのだけど、希恵はその過去から目を逸らし続けている。とは言え、記憶を失った訳ではないので何かの拍子にその「出来事」に焦点が合ってしまうことはしばしばあって、だけれども彼女は、恐らく自己防衛反応なんだろう、「私は傷ついてなんかいない」「過去を引きずってなんかいない」と懸命に演技する。周囲に対しても、自分自身に対しても。
 
 が、そんな無理をいつまでも続けられる筈がなく、臨界に達した慟哭はラストシーンで遂に爆発する。堰を切ったように泣きじゃくる彼女の悲哀に、心を動かされない読者は恐らくいまい。「君は悪くない」「次はきっといいことがあるよ」と、一言言ってあげられたらと、きっと誰もが思うだろう。
 
 けれど希恵は、多分この後、立ち直る。しんどかった経験を「無かったこと」のように無視するのではなく、自分が傷ついたという事実を受け入れることで、初めて過去は過去になる。悲しんでいない人を慰めることは出来ないのと同じで、自分自身の悲しみをまずは自分で認めないことには、立ち直ることも前を向くことも難しい。俵万智に「悲しみがいつも私をつよくする今朝の心のペンキぬりたて」という歌がある。相田みつをは「あのときのあの苦しみも あのときのあの悲しみも みんな肥料になったんだなぁ」と言っている。或いはアメリカのジャーナリストだったか詩人だったかは(うろ覚え)、「目が洗えるほどたくさん涙を流した女は、視野が広くなるのよ」とかいう言葉を遺したそうだ。
 
 首根っこ掴んで無理矢理前を向かせるようなプラス思考の押し売りに、ちょっと疲れたりしている人には、奥田亜希子をお薦めしたい。
 
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 お次は六月の『ロボット・イン・ザ・ガーデン』だ。
 舞台は、家事用アンドロイドが高額ながらも普及し始めた未来の世界。ロンドン郊外に住むベンの庭に、或る日、一台の小さなロボットが現れる。一般的なアンドロイドと違って何の取り柄も無さそうな、しかもどこか壊れかけているらしいそのポンコツに、親の遺産でダラダラと日を浪費するベンは自分自身を重ねて親しみを持ち、「タング」と名乗るそのロボットを、製造元まで送り届けて修理してやろうと決意する。
 
 斯くして始まるベンとタングのずっこけロードノベル。これが楽しいの楽しくないのって! 一応学習機能は備わっているらしいタングだけれど、取り敢えずは人間の幼児並みの知識しか持ってないようで、空港で迷子になったと思ったら、初めて乗るエスカレーターに一心不乱。昇っては降りて昇っては降りてを嬉々として繰り返していたり、幼児期特有の反抗期なのか(?)、ベンが迷子になるから離れるなと言っても「やだ」、床が滑るから気をつけろと言っても「やだ」。そのフリーダムな言動にベンは度々苛立つのだけど、読者はハートを鷲づかみにされること請け合いだ。
 
 帯にも書いた通り、2016年で僕が「最も、ずーっと読んでいたかった本」。因みにこれは、販売促進用に考えたコピーではなく、ゲラを読んだ直後に担当編集さんに送ったメールの一部。つまり100%個人的な感想で商売っ気抜きだから信じていいよ(笑)。
 
 さて、先を急ぐ。賽助というラノベっぽい著者名で敬遠してはいけない。七月に出た『君と夏が、鉄塔の上』は、近年随一のまっとうな青春小説だ。主役は三人。鉄塔おたくの伊達成実(♂)。幽霊が見えるという特技の持ち主、比奈山優(♂)。そして、美人だけれど変わり者という評判の帆月蒼唯(♀)。全員、中学三年生。彼らのひと夏の冒険は、近所にある鉄塔のてっぺんに座る男の子が幕を開ける。帆月が見つけたその男の子は何故か彼女にしか見えず、霊感がある比奈山にも見えないということはどうやら幽霊ではなさそうで、だとしたら、地上五〇メートルに座り続けるあの子は何者? ってな謎解きに、受験だとか友情だとか恋だとかを重ね合わせることで、子供から青年へと脱皮しつつある少年たちの軽やかさも淋しさも、活き活きと描き出している。また、《 誰かにためらいなく蓋をされたように、あっけなく夜になった 》といった、この著者独特の気の利いた言い回しや、外国映画にでも出てきそうな洒落た会話も本書の魅力。『スタンド・バイ・ミー』とか『サマーウォーズ』とか『夏の庭』とか、そのテの話が好きな人なら一気呵成に読める筈。
 
 そして最後は、直木賞候補にもなった須賀しのぶの『また、桜の国で』。先々月に紹介した帚木蓬生『ヒトラーの防具』と同じ時期、こちらはポーランドのワルシャワにある日本大使館を舞台に、やはりナチスのホロコーストに懸命に抗う人々が描かれる。序盤、人物の動きが少なくて、ともすれば史実の「説明」になりがちな点が残念と言えば残念だけれど、中盤以降、主人公とその親友たちが大事な者を守るため瓦礫の中から立ち上がり、決死の覚悟でナチスに闘いを挑んでゆく姿には、何度も心を揺さぶられる。
 
《 国を愛する心は、上から植えつけられるものでは断じてない。まして、他国や他の民族への憎悪を糧に培われるものであってはならない 》
 
終盤、主人公が決然と言い放つこの言葉に触れる為だけでも、本書を手に取る価値はあると思う。
 
 
 
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『犬と私の10の約束』川口晴
 
『改訂完全版 異邦の騎士』島田荘司
 
『君と夏が、鉄塔の上』賽助
 
『サマー・アポカリプス』笠井潔
 
『第三の時効』横山秀夫
 
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『猛き箱舟』船戸与一
 
『奪取』真保裕一
 
『半落ち』横山秀夫
 
『ファミリー・レス』奥田亜希子
 
『弁護側の証人』小泉喜美子
 
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『マークスの山』髙村薫
 
『また、桜の国で』須賀しのぶ
 
『八ツ墓村』横溝正史
 
『理由』宮部みゆき
 
『ロボット・イン・ザ・ガーデン』デボラ・インストール/松原葉子訳
 
 
 
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編集後記
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連載四コマ「本屋日和」
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2月のイベントカレンダー
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by dokusho-biyori | 2017-02-03 10:28 | バックナンバー | Comments(0)

17年01月 前編

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 爆発的な感染力を持つ上に、感染した場合の致死率はほぼ100%。しかもこれまで地上に存在しなかった新種の為、ワクチンも特効薬も無く、発病したが最後、もだえ苦しみながら死を待つのみ。そんな恐ろしいウィルスが、バンコクから羽田に向かう大型旅客機の中で増殖を始める。乗客は高熱と脱水症状で次々に倒れ、それを介護するCAも立て続けに罹患、機内は一秒ごとに凄惨さを増してゆく。
 
 と、ここまでで既に惨憺たる状況ではあるのだけれど、更に追い討ちをかけるが如く、緊急着陸の要請を香港にも台湾にも拒否される。勿論、中国政府及び台湾政府が未知の伝染病の上陸を懸念した為だけれども、ならばあらかじめ羽田に医療チームなり自衛隊なりを待機させておき、着陸と同時に患者の移送と治療に当たれば問題無かろう、などと思ったら甘かった。
 
 当局のシミュレーションによると、同機が羽田に着陸した場合、即座に患者を隔離したとしてもウィルスを完全に封じ込めることは困難で、3日後には23区内と横浜市、5日後には一都三県に感染が拡大し、数十万人規模の死者が出るという。政府が対策を協議する間にも、件のボーイングは刻一刻と羽田に近づく……。
 
《 今や、七二六便はL型ウィルスを国内に運ぶ輸送機と化しています 》
《 上空で旋回待機させるとしても、せいぜい一~二時間稼ぐのがやっとでしょう 》
《 これから都民を避難させるとしても手遅れだ…… 》
《 我々は八方塞がりの状態です 》
 
 という絶望的な状況が、「これでもか」というぐらい次から次へと繰り出されるのが、大原省吾の『計画感染』
 
 いやはやそのスピード感と緊迫感はタダゴトはない。発生した事件そのものがタダゴトではない上に、その進行が多視点から全方位的に描かれる為、読者は、様々な登場人物たちの様々な立場に於ける焦りや恐怖や苛立ちを、代わり番こに追体験することになる。例えば、緊急着陸の可能性を懸命に探る機長の視点。例えば、伝染病の発生という前代未聞の事態に激しく動揺する乗客たちを、果敢な笑顔で励ましなだめるCAたちの視点。例えば、自らの感染のリスクを顧みず患者たちのケアに当たる、たまたま乗り合わせた女医の視点。
 
 そして勿論、地上で事態の打開を目指す人々の迷いと決断も、矢継ぎ早に挿入される。例えば、とある殺人事件の捜査で偶然、新型ウィルスの存在を知った二人の刑事。例えば、新型ウィルスの脅威をいち早く突きとめ、政府に進言し続ける感染症研究員。例えば、首都圏壊滅というシナリオを前に、為すすべ無く狼狽える閣僚たち。
 
 それら十数人の視点が、作中の時間にして数分単位で切り替わる為、読者はさながら、テレビの多元中継でも見ているかのように「現在進行形」な焦燥を味わうに違いない。実のところ、細部のリアリティで挙げ足を取ろうと思えば取れないこともないんだが、ジェットコースターのように次から次へと山場が訪れるので、小賢し気なツッコミなどせずにストーリーのアップダウンに身を委ねるのが、多分、本書の正しい読み方。
 
 こういう感覚どこかで体験したことがあるような……と思いながらページをめくっていたんだが、ハリウッドの娯楽大作、『スピード』とか『ダイハード』とか『インディ・ジョーンズ』とかを観ている時のあのハラハラドキドキ。それがこの小説には確かにある。
 
 そして物語はいよいよ佳境へ。政府の高官が苦渋の表情で首相に進言する。曰く《 こうなった以上、我々の取るべき道は一つです 》って、いやいや幾ら何でもそりゃねーだろオイッ! ってツッコミながらも読者はきっと、最後まで諦めない何人かの登場人物たちに声援を贈らずにはいられない筈。スリルとサスペンスがてんこ盛りの上に、実にスカッとした気分も味わえるエンターテインメント。誰もが「いやぁ面白かった」と言って読了すること請け合いです。
 
 
 
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 動物の視点で描かれた小説と言えば、漱石の『吾輩は猫である』を筆頭に、斎藤惇夫、薮内正幸の『冒険者たち』とか、ルイス・セプルベダの『カモメに飛ぶことを教えた猫』とか、ミステリー作品なら、宮部みゆきの『パーフェクト・ブルー』とか、スペンサー・クインの『助手席のチェット』とか、その気になればまだ幾らでも挙がりそうだ。
 
 リチャード・アダムズの『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』もそんな動物視点の物語の一つだけれど、特筆すべきは、単に「視点」のみならず、思考や行動原理まで含めて徹底して「野生動物」として描かれている点だろう。
 
 例えば『吾輩は猫である』の場合、苦沙弥先生の飼い猫たる《 吾輩 》が一人称で語り手を務めはするものの、彼は、苦沙弥先生が迷亭や寒月たちと交わす戯れ言を、時には呆れたり小馬鹿にしたりするほどにまで理解しており、即ち相当に人間的である。
 
 これに対して『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』はどうかと言うと、例えばアスファルトを敷いた道路を見ても、彼らはそれが何なのか解らない。人間が作ったものらしいとは思うものの、それが危険かどうかの判断がつかず無闇に警戒する。或いはタバコ。人間が咥え、そして時々投げ捨てて行くそれは、彼らにとっては《 いやなにおいのする白い棒 》でしかなく、無論、その使い道など知る由も無い。或いは、海。旅の途中で出会ったユリカモメに「大地の終わりに広がる大きな水」の話を聞くのだけれど、ウサギたちには全く理解の外の話で、「嘘ではないんだろうけど正直何のことだかさっぱり解らん」といった具合。
 
 要するに本書に登場するウサギたちは――そしてウサギ以外の全ての動物たちも――食事や排泄から物の見方考え方まで、「擬人化」を極力排して描かれる。だから読者は、ちょっとした丘や、人間なら飛び越えられる程度の小川が、ウサギたちにはこんな風に見えるのか!? と「ウサギ視点」で物語にのめり込む。距離にしてたかだか10マイル、僅か数ヶ月の冒険譚が、『東方見聞録』『コンティキ号探検記』にも劣らないアドベンチャーに思えてくる。
 
 物語はイギリス南部、ニューベリー近くの野原から始まる。そこで暮らす野うさぎの群れの中の1匹、まだ幼いファイバーには、危険を予知する不思議な力が備わっている。と言っても薄ぼんやりと「何か悪いことが起こりそうだ」と感じる程度。だからその日、彼が大きな危険の兆候を感じ取って、村中みんなで避難すべきだと訴えた時に、信じてついてきたのは彼の兄であるヘイズルを始め、村での立場が弱い者ばかり僅か11匹。
 
 そして彼らは、生れて初めて村を出る。見知らぬ動物の気配に怯えながら森を抜け、身を隠す巣穴も無いまま雨に濡れる。犬に追われ、カラスに襲われ、ネズミの群れに襲撃される。一度などは人間が仕掛けた罠に捉われさえする。そもそもは危機を避けるために村を出た筈なのに、その後の旅路は文字通り一難去ってまた一難。不安と緊張の連続で心がささくれ立ち、仲間割れ寸前の喧嘩をしたりもする。
 
 それでも彼らは歩き続ける。ファイバーの霊感とヘイズルのリーダーシップに率いられ、戦闘担当として身を挺して群れを守るビグウィグやシルバー、そのひらめきで何度も危機を救う知恵者のブラックベリ、物語の語り手としていつもみんなを勇気づけるダンディライアンなど、11匹がそれぞれの個性や特技を生かして、一つ一つ困難を乗り越えてゆく。その知恵と勇気とチームワークを、どうかとくとご覧頂きたい。
 
 タイトルにもなっている「ウォーターシップ・ダウン」とはイギリス南部の田園地帯に実在する地名で、11匹のウサギたちの旅の目的地である。が、実はダウンに到着するのは物語の序盤僅か四分の一の辺りで、その後にもまだまだ彼らの困難は続く。と言うか、むしろダウンに巣穴を掘って小さいながらも「村」を作ってからの方が、実はアドベンチャー度は増してゆくのだけど、その頃には読者は誰もが、11匹のウサギとともにハラハラしたりドキドキしたり、時には喝采を叫んだりしている筈だから、ここではこれ以上は語るまい。ただ『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』が、映画や演劇も含めて僕がこれまでに見た動物視点の物語の中で最も好きな作品である、とだけ言っておこう。
 
 
 
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71位『哲学者の密室』笠井潔 創元推理文庫
 
 これほど一見さんお断りな小説は稀だろう。その敷居の高さたるや京都の老舗御茶屋並みである。かくいう僕も前作のネタばれ(本作はシリーズ第四作)というぶぶづけを供されつつ、ハイデガーの『存在と時間』をモチーフにした哲学問答、1,000頁超の長さに一週間の読書をほぼこの一冊に費やした。
 
 ……断言しよう。上記の苦労に見合う読書体験であった、と。
 
 舞台は20世紀ドイツ。富豪の邸宅(もはや城レベル)で一人の男の他殺体が発見される。しかし、現場は「三重の密室」となっていて……。30年前、ナチスドイツ時代に起きたもう一つの密室殺人と複雑に絡み合う事件に名探偵・矢吹駆がいどむ! というのがあらすじらしいあらすじ。ミステリー要素だけ抽出しても魅力的な事件、捨てるに惜しいダミー推理、見事な解決と充分楽しめる。ただ、これだけでは「良くできた探偵小説」でしかない。忘れてはならないのが笠井流の哲学がこの小説には描かれているということ。人はなぜ人を殺すのか、死とは何なのか、ミステリーでしか語りえない哲学がこの本にはある。
 
70位『七回死んだ男』西澤保彦 講談社文庫
 
 地方ルールというのがある。特定の地域で制定されている特殊ルールのことだが、西澤保彦のミステリーの大半は「西澤地域」の地方ルールが適用された特殊ミステリーだ、と僕は思っている。
 
 本作の地方ルールは「タイムリープ」。『時をかける少女』から『僕だけがいない街』まで綿々と受け継がれている「同じ日を繰り返しちゃう」アレである。主人公は一日を八回繰り返してしまう奇妙な「体質」の持ち主。リプレイする日がランダムにやってくる厄介な体質であるところ、祖父の遺産相続が絡む重要な新年会の日がリプレイしてしまう。特に何事もなく一回目が終わったと思ったら、何と二周目に祖父が殺されてしまう。主人公は殺人が起こらないよう、犯人の妨害工作に出るのだが……。
 
「ははん、この作品はここにトリックがあるな」と予想をつけていたところを見事に裏切られた。西澤保彦は自身の設定した「地方ルール」の中でしか描けない謎と驚きを用意していたのだ。
 
69位『魔都』久生十蘭 朝日文芸文庫(品切れ重版未定ただし青空文庫にあり)
 
 かつて、僕の友人がこの小説をこう評した。日本版「24‐TWENTY FOUR-」。ジャックバウアーの顔が浮かんだあなた、大正解。とはいえ主人公が「大統領!」とか叫ぶことはなく、約24時間の事件をリアルタイムに描いていく手法において似ているのである。
 
 お忍びで来日していた安南皇帝が大晦日の東京で失踪する。しかも皇帝の邸宅で起きた不審な愛人の墜落死の直後に。偶然事故の場に居合わせ拘束される記者、墜落事件の真相を追う刑事、事件を穏便に処理しようとする政府、そして事件の背後で蠢く怪しげな人物たち、と様々な視点から大晦日から元旦にかけてめまぐるしい展開を見せる事件を描いていく。断片的に描かれる事件が次第に大きな全体像を見せていく過程は圧巻。それぞれの人物が己の思惑にそって好き勝手に行動して事件が進展していくので、まさにリアルタイムに事件が生成されていくような感覚に陥る。いわば、生きた事件を読んでいるような感覚だろうか。
 
 ちょうど時期だし、年末年始の読書にはちょうどいいかも。
 
68位『しあわせの書』泡坂妻夫 新潮文庫
 
 「紙の本ならではのトリック」とオビに朧井朝世さんのコメント。確かにこれは紙ならではの本だ。ただ、前回の『イニシエーション・ラブ』みたいに「映像化不可能なトリック!」(映像化したけど)と謳われる類のトリックではないと断っておこう。
 
 あらすじは非常に単純。新興宗教「惟霊講会」にまつわる奇妙な出来事(予知、死者の復活)の謎を解き明かすべく、探偵役のヨギガンジーが宗教団体の断食合宿に参加する。というもの。本編は丁寧に伏線が張られていて、最後の意外な結末が綺麗に決まっている泡坂らしい本格ミステリーに仕上がっている。ただ、これだけではオールタイムベストにランクインすることは無かったろう。本書の真の驚きは隠されたもう一つのトリックなのだ。さて、これ以上何かを書こうとすると危うくネタばらしになりそうなので控えておく。ただ、この本は図書館などで借りるのではなく、買って手元に置いておくことを強くオススメしたい一冊だ。
 
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67位『警視庁草紙』山田風太郎 ちくま文庫
 
 山田風太郎の明治小説、二回目の登場である。90位にランクインした『明治断頭台』はミステリー色が濃かったが、本作は歴史色強め。史実をベースにしつつ警視庁vs元町奉行・岡っ引きの騙しあいを描く。
 
 山田風太郎の明治小説は虚実ない交ぜの妙というのが最大の魅力とされているだけあって、実際にあった出来事をベースに小説が組み立てられている。そのため、明治時代の知識がある人は十全に楽しめるはず。しかし、僕のような高校日本史の知識など大学合格とともに忘れ去った人間でも面白く読める。ミステリーの短編連作としても面白く(特に銀座レンガ街を舞台にした二作)、体制vs反体制の丁々発止の騙しあいはおかしくて、明治時代の風俗史としても面白い。森鴎外や夏目漱石、樋口一葉などの文豪がモブのようにひょっこり登場する愛嬌も良い。
 
 ちなみにこれ、確か初出は文春文庫なんだよなあ。なんで絶版にしちゃったんだろ……。

66位『黒い家』貴志祐介 角川ホラー文庫
 
 真に怖いのは妖怪や化け物ではなく、われわれ人間なのだ……という類のホラーである。それもチェーンソーを振り回す仮面の怪人が登場するアメリカンなホラーではなく、ぞわぞわ悪寒がするような極めて日本的な怖さだ。
 
 主人公は保険会社に務める男性。彼は訪問先の家で偶然(?)その家の子どもの縊死事件に居合わせてしまう。子どもには生命保険がかけられていたが、保険金目当ての殺人ではないかという疑いがもちあがり、保険料の支払いは滞る。子どもの父親は毎日窓口にやってきて主人公を呼び出し、催促をする。声を荒げることも無く、暴力をふるうことも無く、毎日、毎日、執拗に……。
 
 犯人の人物造形が凄まじい。「真に怖いのは人間」と言葉にするのは簡単だが、それを体現した人物を描けた小説はどれほどあるだろう。その意味において『黒い家』の犯人描写は凄まじいまでに成功した。人間の厭な部分を剝きだしで見せられたような、文章から瘴気が立ちのぼってくるような気分にさせられる。現代社会で描けるホラーのお手本と言えるのかもしれない。
 
65位『新宿鮫』大沢在昌 光文社文庫
 
 刑事は基本的に二人組みで行動しなければならないらしい。だから水曜日の九時からやっているドラマはその意味では現実的なのだろう。ところが、この『新宿鮫』から始まるシリーズの主人公・鮫島は一人、単独で捜査を進めるはみ出し者である。つまり一匹狼! ハードボイルドだっ!
 
 と、いうことで日本のハードボイルド警察小説の代表作である『新宿鮫』である。シリーズの第一作である本書は鮫島が追う密造拳銃事件と連続刑事殺しが並行に進行する。この二つの事件もミステリー的な仕掛けが施してあって面白いのだけれども、リーダビリティーを高めている最大の要素は鮫島とその恋人・昌という二人の魅力的なキャラクターの絶妙な関係だろう。捜査ではガチッと強い鮫島が恋人と接する時は若干緩む、弱さみたいなものを見せる。この恋人とのプライベートな関係が鮫島の人物を深く描くのに役立っているのみならず、拳銃密造事件と関わりがあったりクライマックスを盛り上げてくれたりする。つまり、警察小説として事件を描きながらシリーズの登場人物たちを紹介するという離れ業をやってのけているのだ。
 
 シリーズ第二作『毒猿』は45位にランクインしている。また鮫島たちに会えると思うと今から楽しみだ。

64位『すべてがFになる』森博嗣 講談社文庫
 
 どうでも良い話だが、このレビュー企画では「ミステリ」という言葉は使わず、「ミステリー」という言葉に統一するように心がけている。世の中には「ミステリ」と呼ぶ人もいれば、「ミステリー」を使う人もいて、それぞれ使い分けがあるようなのだが、面倒なので統一しているのだ。で、何がいいたいのかと言うと、世の中にはもう一つ「ミステリィ」なる呼称もある。しかもそれは森博嗣の作品にしか使ってはいけないらしい……。その理由は分からないが、とりあえず「ミステリー」でも「ミステリ」でもなく「ミステリィ」でしかない何かが森博嗣の小説にはあるのだろう。
 
 その森ミステリィの第一作。孤島の研究所で15年間も軟禁状態で生活する天才工学博士・真賀田四季、彼女の部屋からウエディングドレスを身に纏い、四肢を切断された死体が現れる。人工知能によって監視され、制御された研究所は彼女の部屋を完全な密室にしていた。異常状況下での密室殺人(いや、密室殺人自体が異常状況下での殺人なのだけれども……)に高まる解決への期待に見事応える解答が示される。いろいろな密室トリックを読んできたけど、「なるほど、この手もあったか」と思わせてくれる新鮮なトリックであった。
 
 
 

⇒後編に続く
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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by dokusho-biyori | 2016-12-30 05:32 | バックナンバー | Comments(0)

17年01月 後編

⇒前編から続く 
 
 
 
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63位『夏と冬の奏鳴曲』麻耶雄嵩 講談社文庫(品切れ重版未定)
 
 前回『ダック・コール』のレビューは「これはミステリーではない」と断言してからはじめたが、今回は「これはミステリーなのか?」という困惑からはじめたいと思う。いや、雪の密室や首の無い死体などミステリーとしての要素はあることにはある。ただ、舞台設定は現実離れしているし、キュビズムの薀蓄が長々と語られるし、すっきり全て分かる解決はないし……、僕らがミステリーだと思っている範疇からはみ出しまくっているのである。とはいえ、一応あらすじをば……。
 
 舞台は絶海の孤島、その名も「和音島」。島に名を冠せられた少女・和音は20年前に死んだとされているが、当時の関係者には色濃く影響を及ぼしている。和音の影が支配する「和音島」で起きた殺人事件。しかも死体は雪の降り積もった夏の朝に発見された。次々と犠牲者が増える中、主人公たちは生還できるのか、そして惨劇の真相とは?
 
 こう骨組みの一部だけ取り出すとオーソドックスなミステリーのようだが、先述のように一筋縄ではいかない奇妙な小説なので、あらすじはあらすじの役割を放棄している。まだ深く読んでいないので断定できないが、きっと作中で紹介されるキュビズムの理論を使って読み解いていくと全てが分かるのだろう。読者が探偵となって小説を解決に導くことが求められているのかもしれない。一応、解説サイトみたいのが色々あるようなので時間が無い方はそれを参照することができる。
 
62位『首無の如き祟るもの』三津田信三 講談社文庫
 
 日本の土俗的な舞台設定で本格ミステリーを書かせたら存命作家の中ではピカイチ、三津田信三の最高傑作とも言われているのが本作である。何がそこまで評価されているのか、推測でしかないが先ず媛首村という怪異の伝承が根強く残り、かつ旧家の相続争いが繰り広げられるミステリーとしては最高の舞台設定に成功していること。そして、怪異に満ちた事件を論理的に、それもたった一つの手がかりが解決へと導く美しい謎解き、この二点が評価の対象となったのではないか。特にミステリーとしての謎の設定において、あえて既にやり尽くされた感のある「顔の無い死体」をとり、なおかつ題名において『首無~』と謳っているのはミステリーマニアに正面きって喧嘩を売っているのに等しい行為である。そして、売られた喧嘩は買う主義のこわ~いミステリーマニアの方々を降伏させたわけだ。きっちりかっちり、全てのピースが見事にかみ合った「顔の無い死体」への解答である。
 
 とはいえ、全てガチガチの論理で埋め尽くされているのではない。この小説には論理では解明できないちょっとした余白がある。その余白がまた、ホラーとミステリーの融合という著者独特の味を出しているのだ。
 ちなみに、単行本では媛首村や媛首山参詣道の地図がないので地理の把握が難しい。文庫版で読むことをオススメする。
総評
 
 以上、71位から62位までのご紹介。今回紹介した中で、ミステリーの謎解きを楽しみたいと言う人には『首無の如き祟るもの』『すべてがFになる』、サスペンスを楽しみたいと言う人には『魔都』『新宿鮫』、良くわかんないけど頭がぐっちゃになる変な小説が好きという変態のあなたには『夏の冬の奏鳴曲』をお勧めしたい。
 
 今回再読した中で『魔都』と『警視庁草紙』はその面白さにあらためて気づかされた。『魔都』は大晦日に毎年読んでも良いかも、と思ったり、『警視庁草紙』は司馬遼太郎の『坂の上の雲』とかで勉強してからまた読みたいと思わされた。
 
 さて、この企画も次回で折り返し地点。来月も思わぬ傑作との出会いを期待しつつ、61位の『奪取』が手に入らず60位の『理由』に手を伸ばすのであった……。 
 
 
 
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『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』リチャード・アダムズ /神宮輝夫 訳
 
『首無の如き祟るもの』三津田信三
 
『黒い家』貴志祐介
 
『計画感染』大原省吾
 
『警視庁草紙』山田風太郎
 
『しあわせの書』泡坂妻夫
 
『新宿鮫』大沢在昌
 
『すべてがFになる』森博嗣
 
『哲学者の密室』笠井潔
 
『夏と冬の奏鳴曲』麻耶雄嵩
 
『七回死んだ男』西澤保彦
 
『魔都』久生十蘭
 
 
 
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編集後記
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連載四コマ「本屋日和」
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1月のインベントカレンダー
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by dokusho-biyori | 2016-12-30 05:23 | バックナンバー | Comments(0)