17年12月

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 我ながら他人のように自分を評するなあ、と思うが、十二月になると私は否応なく一年を振り返らないといけないような気でもするのだろうか。最近読んだ本でいうと『13・67』『琥珀の夢』は名作だと思ったが、それらを読んでいても「時間」に引かれて読んでしまう自分がいる。それは、瞬間とさえいえるような時間にもあてはまる。『Number 939号』の表紙を見て、ああ、確かにあの瞬間が伏線を含めてシリーズの全てを決めた瞬間だったなと思わされた、と先日も話したことがある。最後のギリギリ、その瞬間まで両チームがしのぎを削っていたからこそビデオ検証で判定が変わり、そして最後のサヨナラのシーンも「相手よりも半手先をいった」ホークスが勝ちをもぎ取った。そこまで含めて、あの瞬間を表紙にしたことが、あのシリーズを、そして『Number』という雑誌を、端的に表しているのかもしれない。暮れどきの季節だからなのかもしれないな、と時節のせいにしながら、そう感じる自分を観察してしまう、そんな師走である。
 人の寿命を八十年とすると、一歳児の一年は体感的には1/1年、二歳児の一年は1/2年……と積み上げていった際に、もう二十代には折り返しを過ぎているときいたことがある。計算をしたことはないが、一年一年が早く感じるようになることは、それだけその日常に馴染んだということの裏返しなのかもしれない。馴染んだからこそ見えづらくなってしまうが、一人の人生をさかのぼれば、必然的にそこには確実に積み上がっていった時間があるし、ウイスキーをつくるのには気の遠くなるような「利益を生み出さない」時間が必要である。「一人前の刑事」、「ウイスキーを商品になるまで育てられる人」……そういったものを育てる時間まで考えると、一言で言ってしまうのにはなかなか厳しい。それゆえに、物語にうっかり没入してしまうのかもしれない。

 ドラマで人気になって以降どんどん高騰して投資の対象のようになっている洋酒を皮肉るわけではなく、本当に言葉のままの意味で、そこまで大切に、大切に育てられたものだったら……と、大事に大事に……とより高い価値がつけられていくのが人情だろう。だが、そうやって囲い込んだところで、時間は無情に、そして等しくすべてに訪れる。残酷だとか、すばらしいとか、様々な言い方で色をつけられてしまいがちだが、実際のところ、そのままに受け入れるより他の方法はまだあまりわかってないように思う。


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 ああ、時間がたったんだな、と感じる瞬間は、人それぞれだろう。小さいと思っていた子供が学校に通うようになったことに感じる人もいれば、できたことができなくなっていくことに感じる人もいる。自分を振り返ってみて、私がその容赦なさというか、無機質さというか、ともかくそういったものを感じるのは、オリンピックやワールドカップのような四年に一度の祭典を迎えたときだ。『Number  940号』の表紙をみて、ああ、もうそんなにたったのか、と素直に思った。

 件の号は、ワールドカップの出場国のリストと選手がすべて揃っている号である……らしい。というのも、オランダ、イタリアがそこにはいないから、どこか違和感を覚えてしまう。

 特にこの二十年の日本にとって、サッカーは成長していく夢だったのかもしれない。Jリーグができ、ブラジルに勝ち、ヨーロッパのトップリーグに選手が出ていくようになった。ワールドカップは、出場どころか開催までした。世間には失われた二十年だのなんだのと暗い話も多かったが、そのなかでも折に触れてひときわ明るい話題だったのだと思う。だからこそ、ドイツで負けたときは呆然としたし、ブラジルで負けたときも喪失感があったという声が聞かれたのではないだろうか。
 日本がそうやって坂道を駆け上っていくなかで、坂道の上の雲はやはりまぶしかったように覚えている。二つ前のワールドカップ。オランダはロッペンやスナイデル、ファン・ペルシーらスターを揃えて、準優勝を果たした。三つ前のワールドカップ。イタリアはブッフォンらを中心とした守りでジダン率いるフランスに勝って、優勝を果たした。あ、聞いたことがある、という名前が出てきた人も多いのではないだろうか。中学生、大学生で迎えた当時は夜な夜なテレビにかじりつき、睡眠不足の不用意な高揚感のまま友だちと話した私も、その一人だ。そして容赦なく、本当に容赦なく、ここにあがった彼らのすべてが、ロシアのピッチに立つことはない。


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 この号の記事で言えば、時間とともに変わったと思うのはサッカーだけではない。アイルトン・セナというドライバーの名前を聞いたことのある人も多いであろうF1でも、かつては常勝を誇ったマクラーレン・ホンダが、信頼性不足・性能不足でいったん幕を閉じた。「マクラーレン・ホンダの名前だけでは一馬力も出ない」という現実は、ただただ厳然とそこにあった。組織としてF1に挑めるものでなければ、サーキットという戦場では生き残れない……記事は重く語る。ありきたりだが、常に変わり続けないと、常に変わらないでいることはできない、ということなんだと思う。オランダの育成制度に物を申すロッペンしかりだ。

 何か変わるということは、何かを失うということでもある。そう思えば、何も持っていないというのは幸せなことなのかもしれない。逆に、何かを得てしまったということは、そこからが本当に大変なのだろう。何かを失わないために、別のことを失う勇気が必要になり、そこからはひたすらに、失う恐怖と付き合っていかざるをえない。年齢が上がって常勝という言葉に憧れ以上の敬意を感じるようになったのは、そのことに気づいたからかもしれない。

 あなたは今年、何を手にし、そして何を失っただろう。時間はまた、等しく積み上がっていく。次のワールドカップでは、またいくつものドラマが生まれるのだろうし、またヒーローが生まれ、それを数年後懐かしく、どこか喪失感をもって思い出すのだろう。そのときに、このワールドカップに至るまでのドラマを、読み直してもらいたい。スポーツ好きとして、こういう号は是非オススメしたい。来るべき一年が、よきものでありますように。



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《 どうせ死ぬから、今、生きてるんじゃないのか。どうせ小便するからって、おまえ、水、のまないか? どうせうんこになるからって、おまえ、もの、くわないか? 喉、渇かないか? 腹、すかないか? 水やくいものは、小便やうんこになるだけか? 》

『田村はまだか』朝倉かすみ

 やる前からさかしらに悪い結果を予測して、やらないことを正当化する、その格好悪さよ。その気になれば、「やらない理由」は幾らでも挙げられる。



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 昨今の日本の文学界で、後ろ向きにしか生きられないネガティブな人物を描かせたら、奥田亜希子が断トツだろう。過去に区切りをつけられず延々と後悔し続けたり、失くした幸せにばかり焦点を合わせて未来があることを忘れていたり、或いは、容姿やセンスや才能が極端に劣っていると信じ込み、人並みの幸せなど端から諦めていたり……。要するに彼女が生み出す人物たちは、男も女も、人生が実につまらなそうなのだ。

 勿論、日々の暮らしの中で笑ったり喜んだりということはあるだろう。が、胸の奥の深い部分で「自分には価値が無い」と確信しきっているために、幸せに対する執着が極度に薄い。喩えるなら、カリブ海に浮かぶセレブの別荘だのアラブの石油王が持つロールスロイスだのをテレビで見ても、僕らはフツー、自分には縁が無さ過ぎて本気で手に入れたいとは思わない。そういったレベルで、奥田亜希子の作中人物たちは、夢や希望を諦めている。手に入らなくて当然だと思っている。そこに見え隠れするのは、自虐と言うよりも自嘲。自己嫌悪ではなく自己否定。

 にもかかわらず――。どの作品でも、晴れた空の下で大きく伸びでもしたかのような、清々しい読後感が待っている。それをこれから、順番に紹介してみたい。

まずは、第三十七回すばる文学賞受賞のデビュー作『左目に映る星』(集英社)。主人公の早季子は、都内の会社の事務職で二十六歳。外見も性格もごく普通のOLさんのようだけれども、ただ一点、小学生の頃の初恋の相手が忘れられず、「あんなにも理解し合える相手は彼が最初で最後だろう」と新しい恋は諦めて、その代わり(と言ってはなんだが)、合コンで出会う好みのタイプと一晩だけの情事を楽しんで、相手の男から正式に交際を申し込まれると《 特定の人の恋人になるようには、性格ができていないみたい 》などとのたまわったりして、なんだかやたらと刹那的に生きている。


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 が、その合コンがきっかけで、初恋の男子児童と同じ癖を持つ宮内なる人物と知り合うことになる。と言っても勿論全くの別人で、それどころか「リリコ」なる売れないアイドルの追っかけにほぼ全ての休日を費やしているような、まぁひと言で言えば〝 おたく 〟な訳で、だから早季子は情事が目的ではないし、ましてや恋愛の対象などとは毛ほどにも思っておらず、ただ、「時々右目をつぶって左目だけで世界を見る」癖について問いただしたくて近付いただけ。しかし、そうとは知らない宮内は、早季子もリリコのファンなのだという勘違いを深めてゆき、大小様々なリリコ情報を律儀に早季子に知らせて寄越す……。

「まいっちゃうなぁ」という早季子の溜息が聞こえてきそうな展開であるが、とは言え、彼女の様子を不審に思った親友が《 早季ちゃん、そんな人と話が合うの? 》と問えば、早季子は《 誰にだって一つくらい、好きで好きで堪らないものはあるんじゃない? 映画とか車とか仕事とかさ。それが家族や今の恋人だと健全に見えるってだけの話で 》と即答するあたり、彼女は宮内が〝 おたく 〟であることで彼を蔑んだり嘲笑したりということはなく、そんな偏見の無さが早季子の、ひいてはこの物語全体のチャームポイントになっているのは間違いない。しかしそれ以上に、多くの読者の共感を呼ぶであろう本作品の最大の魅力は、著者の細やかな心情描写にあると思っている。

 例えば。早季子が宮内と、動物園に行く場面がある。待ち合わせ場所には宮内の方が先に来ており、彼は《 ちょうど一本早い電車に乗れたもので 》と淡々と口にするが、その手にある動物園内マップを目にした瞬間に、早季子は《 この人はわざわざ早く来たのだ 》と確信する。話の本筋には絡まない実に何気ないシーンだが、宮内が持つマップを見ただけで、早季子を退屈させたりしないよう早めに着いて計画を練っていたらしい彼の気遣いを慮ることが出来る早季子の、ナチュラルな温かさに思わずホッとさせられる名場面である。


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 或いは、紆余曲折を経て気持ちを沈ませる早季子の描写を挙げてもいい。《 早季子は冬に閉じ込められた気がしていた。明日も明後日も何日後も、朝、目を覚ましては寒さに身を震わせ、ストールを肩にかけて出勤し、ときどき自動販売機で温かい飲み物を購入して、凍えた指先を缶の熱に浸す。自分のそんな姿しか思い描けなかった。暖かい季節は二度と巡ってこないように思えた 》。どうだろう。悲しいとも落ち込むとも寂しいとも言わずに、見事に早季子の内面を浮き上がらせた名文ではなかろうか。

 ちょっとエラそうなことを言わせて貰うと、小説とは〝 何を書くか 〟よりも〝 何を書かないか 〟の方が重要だったりすることがしばしばあって、そもそも人間の心理など「悲しみ一色」とか「寂しさ一色」などといった単純なものではなく、様々な感情のグラデーションである筈で、それを悲しいとか寂しいなどと一言で言い切ってしまっては、それは文学ではなくもはや「説明」に過ぎず、そういった安直な表現に頼らずに、人物の心の周辺を丁寧に描き重ねることで一番の核心部を読者に想像させる、こういった文章をデビュー作の時点で既に使いこなしている奥田亜希子は、ここ何年かの内に必ずや直木賞の候補に挙がってくると断言したい。

ついでに言及しておくと、彼女の小説は心情描写だけでなく情景描写も読み応えがあり、例えば早季子と宮内が夜の公園のベンチで話しているこんな場面。《 そのとき、一台の車が背後の道を通った。車体からはエンジン音より大きな音楽がもれていて、こぼれた旋律が残り香のように周辺を漂った 》。これなども、目から入った文章が瞬時に音と映像に変換されはしないだろうか? こういった細かい――下手をすると気付かれずに読み飛ばされてしまうかも知れないぐらい些細な――リアリティを積み重ねることでしか出せない〝 物語の立体感 〟とでも言うべきものが、本作に限らず、奥田亜希子の小説には溢れている。読者諸兄には、ストーリーを追うだけでなく、奥田亜希子ならではの表現を、是非とも堪能して頂きたい。


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 で、ストーリーの方はと言うと、例の幼い初恋以来、「一致すること」と「分かり合うこと」がイコールだった早季子が、〝 不一致だからこそ生まれる一体感 〟に気付くことで急転直下の展開を迎える。終盤、《 このあいだの映画、私、本当は全然面白いと思わなかったんです 》から始まる早季子の言葉は、日本の恋愛小説史に残る名セリフだと思う。引用は控えるので、是非ご自分の目で読んで、温かい勇気が湧いてくるのを実感して欲しい。

 さて、先を急ぐ。デビュー二作目『透明人間は204号室の夢を見る』(集英社)は、これまた人生を投げてしまったような二十三歳の女性が主人公。幼い頃からコミュニケーションが苦手で、《 分かりやすくいじめられるというよりは、触れてはならないものとして扱われ続けた学校生活 》を送り、今は雑誌のライターと棚卸しのアルバイトの兼業で生活している実緒。実は高校生の頃に文芸誌の新人賞を受賞したことがあるが、以降全く書けていない。出版界からは半ば忘れられ、私生活でも友人と呼べる存在はおらず、いわんや恋人をやといった感じで、稀に好意を抱く相手が現れても、《 自分なんかに関われば、相手の素晴らしい性質はきっとマイナスに傾き、損なわれてしまうだろう 》とまで後ろ向きに考えるのだから、悲観的にも程がある。

 そんな実緒がふとしたきっかけから、春臣といづみという大学生カップルと知り合い、不器用な友情を育んでゆく、というのがこの物語の大まかな筋。……なのだが、そこは奥田亜希子である。安物のテレビドラマのような分かりやすい起承転結とも、予定調和のハッピーエンドとも、一切無縁。人生で初めて、友だちと呼ぶに相応しい相手と知り合った実緒の心の浮き沈みを、ただひたすら丁寧に書き紡ぐ。それによって、「期待し過ぎては後で落胆する」と自らをネガティブに戒めながらも、どうしても高揚してしまう彼女の情感が、読者の心にジワジワと沁みてゆく。


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 実緒がいづみから、「ほいっ」っといった気軽さで飴玉を貰う場面がある。そんな気取らない親しさで誰かから何かを貰った経験が無い実緒は、その包み紙をどうしてもゴミとは思えずに、なんと自宅のデスクにそっと飾っておくのだ。多分実緒は、嬉しかったのだろう。そしてそれ以上に、いづみとの関係が壊れてしまうのが怖かったのだろう。だから、どうか壊れませんようにと、きっと祈るような気持ちで包み紙を飾っていたのではないか。そんな想像を働かせながら読み進めると、男の俺でさえ、しくしくと胸が疼くような切なさを感じずにはいられない。

 物語は終盤、実緒のコミュニケーション下手がモロに出て、ありきたりのハッピーエンドには至らない。が、曲折浮沈の果てに彼女は頓悟する。自分が原稿用紙と向き合うのは、誰かに読んで貰うためではなく、自分が書きたいからこそだと。ならば、買い物をするのも料理をするのも仕事をするのも、生活全般、生きて暮らしていく全ての瞬間に於いて、人にどう思われるかではなく、自分がどうしたいかの方が大事なのだと、多分彼女は気付いたのだ。だから、かつてはジーンズを買っても《 裾をきれいに切ってもらったところで、自分を見る人はいない 》と、裾上げにすら尻ごみしていたが、恐らく今後は、試着室から店員に声をかけるに違いない。たとえ誰も見てくれてはいなくても、おしゃれを楽しむのに「自分がしたいから」という以上の理由など要らないのだと、ごく自然に思えるようになったのだから。

 三作目の『ファミリー・レス』(KADOKAWA)は、当欄17年2月号で大きく採り上げたので、今回は、軽く触れるにとどめたい。

 とある事情から最愛の姉と絶縁した妹が、自分の傷を正面から見つめて新たな一歩を踏み出す「プレパラートの瞬き」、妻の親類一同とソリが合わない売れない画家が、妻の祖父と意外な点で趣向が一致することを知って、初めて親しみを覚える「指と筆が結ぶもの」、婚約が破談になった娘と、その父親の教え子だったという青年の奇妙な邂逅を、彼女の飼い犬の視点から綴った「アオシは世界を選べない」など、ちょっとギクシャクしてしまった六つの家庭を題材に、家族のあり方を鋭く問いかけてくる短編集。どの作品も奥田亜希子らしい深くて繊細な文章が溢れていて、実に甲乙つけがたい。


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 例えば第四話、冴えない中学生男子のピュアな恋を描いた「さよなら、エバーグリーン」では、主人公の曾祖母が、散りゆく桜を眺めながら《 きっと、また来年も春が来ることを知っているから、咲くことにも散ることにもためらわないんでしょうね 》と、誰にともなく呟く場面があるのだが、その言葉が、主人公が健気な決意を表明するラストシーンにきれいにつながってゆくあたり、下手なミステリーよりも遥かに「ハッ!」とさせられる。これがあるから、奥田亜希子はやめられない。どうか皆さんも、話の筋だけでなく、ちょっとした文章の裏に作者が忍ばせた登場人物たちの心の機微にも、目を配り心を配りながら楽しんで欲しい。

 さて四作目。『五つ星をつけてよ』(新潮社)も、自分を肯定出来ない六人の男女が登場する短編集。

 第一話「キャンディ・イン・ポケット」は、自己否定型の女子高生の、卒業式当日を描いた青春小説。自分を地味で冴えないマイナー系だと規定して、《 ピエロになるかもしれない危険な橋は渡りたくなかった 》と、目立たないことだけを心がけて学校生活を送ってきた沙耶。そんな彼女に、学年中の人気者で男子にも女子にも友だちの多い椎子が、どういう訳だか親しげに接してくる。が、沙耶は、自分のようなつまらない人間が椎子の親友になろうなどと高望みしてはいけないと、常に自分を戒めてきた。《 地元の友だち、という重りでもって椎子のそばに留まるには、私の存在は軽すぎた 》と、卒業後には忘れられることを覚悟して、「親友になりたかった憧れの同級生」との最後の一日を、そっと抱き締めるようにして過ごす。


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 ところが! という起承転結の「転」以降は、この作家の本領発揮! ラストシーンは、校門を出て駅までの歩き慣れた道を踏みしめる沙耶。《 呼吸を整えるため、目を閉じて大きく息を吸った。/春の匂いがした 》という僅か二行の文章が、この作品を最高の成長小説へと昇華させている。沙耶が己の皮膚感覚のみで春の到来を感知した、その意味するところを推し量りながら、ゆっくりと物語の余韻に浸って頂きたい。

 そして最新刊『リバース&リバース』(新潮社)は、傷つき折れかけた人々が、もう一度頭をもたげて一歩を踏み出す物語。

  視点は二つ。ティーンズ雑誌「Can・Day!」の編集者・菊池禄は、「ろく兄」のペンネームで読者からの相談コーナーを担当している。《 僕の回答で気持ちが楽になったと、一件でも反響があれば疲れは吹き飛んだ 》と、やり甲斐を感じていたが、年を追うごとに読者からの手紙は減り続け、遂に編集長からは、コーナーの大幅削減を示唆される。そしてプライベートでは、少年の頃の後悔を払拭出来ずに自分を価値の無い人間だと決めつけて、《 つまらないのは自分だけではないと思いたかった 》という、それこそつまらない動機で、誰のものとも知れない退屈なブログをチェックするのを日課にしている。

 もう一つの視点は、長野の山里でその「Can・Day!」を毎月楽しみにしている女子中学生の郁美。幼稚園の頃から常に一緒だった親友の明日花が、イケメンの転校生にのぼせあがって、急速に自分から離れていくことに焦りを覚え、苛立ちを募らせる。

 そんな二人が、交わること無くそれぞれの視点でそれぞれの日常が進行してゆくのだが、周囲にはごく当たり前に生きているように見せかけながらも、心の〝 芯 〟と言うよりも〝 底 〟の方で自分を信頼しておらず、自分自身への不信感が生き方を窮屈にしてしまっている様子は、読んでいるこちらまで時に息苦しくなる。


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 くどいようだが、奥田亜希子は後ろ向きにしか生きられない人物を描くのがホントに巧い。と同時に、いや、だからこそと言うべきか、後ろしか見えていなかった彼や彼女がふとしたきっかけで振り向いて、「なんだ、道は前にも続いているのか」と半ばあっけに取られながらも踏み出す一歩が、彼女の作品には必ず描かれている。それは例えば松岡修三氏のようにポジティブを無理強いするのではなく〝 ネガティブに傾きがちな自分をも受け入れる 〟〝 ネガティブであることで自分を否定しない 〟、そんなふんわりとした自己肯定。まさにそれこそが、奥田亜希子の文学の一番の魅力ではなかろうか。

 勿論それは『リバース&リバース』でも同様で、例えば、ある人物が終盤に放つこんなセリフ。《 人はね、ずっと被害者の立場ではいられないの。日常生活の中では、誰もが被害者にも加害者にもなるの。なっちゃうの。なにかでは傷つけられる側にいても、また別のなにかでは人を傷つけてる。私たちはね、許したり許されたりしながら、何度も何度も関係をひっくり返しながら、なんとか進んでいくしかないんだよ 》。この言葉は自分が被害者であることばかりを強調するある人物に向けてのものなのだが、実は、加害者の側、傷つけてしまった側に対しても、「だからといって、自分を完全に否定する必要はないんだよ」と、優しく諭してくれているように、僕には思えるのだ。

 さて、思いがけず長くなった。最後にもう一度だけ言わせて貰おう。奥田亜希子の作品には、後ろ向きにしか生きられないネガティブな人物ばかりが登場する。しかし、だからこそ、そんな彼らに、僕らは落ち込んだり凹んだりする自分を重ね、彼らが不器用ながらも前を向いて一歩を踏み出す姿に、清々しい励ましを感じるのではないか。本当に心が俯いてしまっている時に、「元気を出せ」と言われて元気が出るなら苦労は無い。元気を出したくても出せないから、僕らは苦しむ。ならばいっそ、「前を向けない自分も、自分。否定しないで受け入れてあげよう」と言われた方が、遥かに救われる時がある。ポジティブな考え方ばかりが奨励される世の中で、ちょっと疲れたなと思ったら、奥田亜希子を試して欲しい。きっと、心の凝りがほぐれる筈だ。



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『五つ星をつけてよ』奥田亜希子

『Sports Graphic Number 939号』

『Sports Graphic Number 940号』

『田村はまだか』朝倉かすみ

『透明人間は204号室の夢を見る』奥田亜希子

『左目に映る星』奥田亜希子

『ファミリー・レス』奥田亜希子

『リバース&リバース』奥田亜希子



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連載四コマ「本屋日和」
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12月のイベントカレンダー
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by dokusho-biyori | 2017-12-08 09:07 | バックナンバー | Comments(0)