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17年01月 前編

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 爆発的な感染力を持つ上に、感染した場合の致死率はほぼ100%。しかもこれまで地上に存在しなかった新種の為、ワクチンも特効薬も無く、発病したが最後、もだえ苦しみながら死を待つのみ。そんな恐ろしいウィルスが、バンコクから羽田に向かう大型旅客機の中で増殖を始める。乗客は高熱と脱水症状で次々に倒れ、それを介護するCAも立て続けに罹患、機内は一秒ごとに凄惨さを増してゆく。
 
 と、ここまでで既に惨憺たる状況ではあるのだけれど、更に追い討ちをかけるが如く、緊急着陸の要請を香港にも台湾にも拒否される。勿論、中国政府及び台湾政府が未知の伝染病の上陸を懸念した為だけれども、ならばあらかじめ羽田に医療チームなり自衛隊なりを待機させておき、着陸と同時に患者の移送と治療に当たれば問題無かろう、などと思ったら甘かった。
 
 当局のシミュレーションによると、同機が羽田に着陸した場合、即座に患者を隔離したとしてもウィルスを完全に封じ込めることは困難で、3日後には23区内と横浜市、5日後には一都三県に感染が拡大し、数十万人規模の死者が出るという。政府が対策を協議する間にも、件のボーイングは刻一刻と羽田に近づく……。
 
《 今や、七二六便はL型ウィルスを国内に運ぶ輸送機と化しています 》
《 上空で旋回待機させるとしても、せいぜい一~二時間稼ぐのがやっとでしょう 》
《 これから都民を避難させるとしても手遅れだ…… 》
《 我々は八方塞がりの状態です 》
 
 という絶望的な状況が、「これでもか」というぐらい次から次へと繰り出されるのが、大原省吾の『計画感染』
 
 いやはやそのスピード感と緊迫感はタダゴトはない。発生した事件そのものがタダゴトではない上に、その進行が多視点から全方位的に描かれる為、読者は、様々な登場人物たちの様々な立場に於ける焦りや恐怖や苛立ちを、代わり番こに追体験することになる。例えば、緊急着陸の可能性を懸命に探る機長の視点。例えば、伝染病の発生という前代未聞の事態に激しく動揺する乗客たちを、果敢な笑顔で励ましなだめるCAたちの視点。例えば、自らの感染のリスクを顧みず患者たちのケアに当たる、たまたま乗り合わせた女医の視点。
 
 そして勿論、地上で事態の打開を目指す人々の迷いと決断も、矢継ぎ早に挿入される。例えば、とある殺人事件の捜査で偶然、新型ウィルスの存在を知った二人の刑事。例えば、新型ウィルスの脅威をいち早く突きとめ、政府に進言し続ける感染症研究員。例えば、首都圏壊滅というシナリオを前に、為すすべ無く狼狽える閣僚たち。
 
 それら十数人の視点が、作中の時間にして数分単位で切り替わる為、読者はさながら、テレビの多元中継でも見ているかのように「現在進行形」な焦燥を味わうに違いない。実のところ、細部のリアリティで挙げ足を取ろうと思えば取れないこともないんだが、ジェットコースターのように次から次へと山場が訪れるので、小賢し気なツッコミなどせずにストーリーのアップダウンに身を委ねるのが、多分、本書の正しい読み方。
 
 こういう感覚どこかで体験したことがあるような……と思いながらページをめくっていたんだが、ハリウッドの娯楽大作、『スピード』とか『ダイハード』とか『インディ・ジョーンズ』とかを観ている時のあのハラハラドキドキ。それがこの小説には確かにある。
 
 そして物語はいよいよ佳境へ。政府の高官が苦渋の表情で首相に進言する。曰く《 こうなった以上、我々の取るべき道は一つです 》って、いやいや幾ら何でもそりゃねーだろオイッ! ってツッコミながらも読者はきっと、最後まで諦めない何人かの登場人物たちに声援を贈らずにはいられない筈。スリルとサスペンスがてんこ盛りの上に、実にスカッとした気分も味わえるエンターテインメント。誰もが「いやぁ面白かった」と言って読了すること請け合いです。
 
 
 
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 動物の視点で描かれた小説と言えば、漱石の『吾輩は猫である』を筆頭に、斎藤惇夫、薮内正幸の『冒険者たち』とか、ルイス・セプルベダの『カモメに飛ぶことを教えた猫』とか、ミステリー作品なら、宮部みゆきの『パーフェクト・ブルー』とか、スペンサー・クインの『助手席のチェット』とか、その気になればまだ幾らでも挙がりそうだ。
 
 リチャード・アダムズの『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』もそんな動物視点の物語の一つだけれど、特筆すべきは、単に「視点」のみならず、思考や行動原理まで含めて徹底して「野生動物」として描かれている点だろう。
 
 例えば『吾輩は猫である』の場合、苦沙弥先生の飼い猫たる《 吾輩 》が一人称で語り手を務めはするものの、彼は、苦沙弥先生が迷亭や寒月たちと交わす戯れ言を、時には呆れたり小馬鹿にしたりするほどにまで理解しており、即ち相当に人間的である。
 
 これに対して『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』はどうかと言うと、例えばアスファルトを敷いた道路を見ても、彼らはそれが何なのか解らない。人間が作ったものらしいとは思うものの、それが危険かどうかの判断がつかず無闇に警戒する。或いはタバコ。人間が咥え、そして時々投げ捨てて行くそれは、彼らにとっては《 いやなにおいのする白い棒 》でしかなく、無論、その使い道など知る由も無い。或いは、海。旅の途中で出会ったユリカモメに「大地の終わりに広がる大きな水」の話を聞くのだけれど、ウサギたちには全く理解の外の話で、「嘘ではないんだろうけど正直何のことだかさっぱり解らん」といった具合。
 
 要するに本書に登場するウサギたちは――そしてウサギ以外の全ての動物たちも――食事や排泄から物の見方考え方まで、「擬人化」を極力排して描かれる。だから読者は、ちょっとした丘や、人間なら飛び越えられる程度の小川が、ウサギたちにはこんな風に見えるのか!? と「ウサギ視点」で物語にのめり込む。距離にしてたかだか10マイル、僅か数ヶ月の冒険譚が、『東方見聞録』『コンティキ号探検記』にも劣らないアドベンチャーに思えてくる。
 
 物語はイギリス南部、ニューベリー近くの野原から始まる。そこで暮らす野うさぎの群れの中の1匹、まだ幼いファイバーには、危険を予知する不思議な力が備わっている。と言っても薄ぼんやりと「何か悪いことが起こりそうだ」と感じる程度。だからその日、彼が大きな危険の兆候を感じ取って、村中みんなで避難すべきだと訴えた時に、信じてついてきたのは彼の兄であるヘイズルを始め、村での立場が弱い者ばかり僅か11匹。
 
 そして彼らは、生れて初めて村を出る。見知らぬ動物の気配に怯えながら森を抜け、身を隠す巣穴も無いまま雨に濡れる。犬に追われ、カラスに襲われ、ネズミの群れに襲撃される。一度などは人間が仕掛けた罠に捉われさえする。そもそもは危機を避けるために村を出た筈なのに、その後の旅路は文字通り一難去ってまた一難。不安と緊張の連続で心がささくれ立ち、仲間割れ寸前の喧嘩をしたりもする。
 
 それでも彼らは歩き続ける。ファイバーの霊感とヘイズルのリーダーシップに率いられ、戦闘担当として身を挺して群れを守るビグウィグやシルバー、そのひらめきで何度も危機を救う知恵者のブラックベリ、物語の語り手としていつもみんなを勇気づけるダンディライアンなど、11匹がそれぞれの個性や特技を生かして、一つ一つ困難を乗り越えてゆく。その知恵と勇気とチームワークを、どうかとくとご覧頂きたい。
 
 タイトルにもなっている「ウォーターシップ・ダウン」とはイギリス南部の田園地帯に実在する地名で、11匹のウサギたちの旅の目的地である。が、実はダウンに到着するのは物語の序盤僅か四分の一の辺りで、その後にもまだまだ彼らの困難は続く。と言うか、むしろダウンに巣穴を掘って小さいながらも「村」を作ってからの方が、実はアドベンチャー度は増してゆくのだけど、その頃には読者は誰もが、11匹のウサギとともにハラハラしたりドキドキしたり、時には喝采を叫んだりしている筈だから、ここではこれ以上は語るまい。ただ『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』が、映画や演劇も含めて僕がこれまでに見た動物視点の物語の中で最も好きな作品である、とだけ言っておこう。
 
 
 
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71位『哲学者の密室』笠井潔 創元推理文庫
 
 これほど一見さんお断りな小説は稀だろう。その敷居の高さたるや京都の老舗御茶屋並みである。かくいう僕も前作のネタばれ(本作はシリーズ第四作)というぶぶづけを供されつつ、ハイデガーの『存在と時間』をモチーフにした哲学問答、1,000頁超の長さに一週間の読書をほぼこの一冊に費やした。
 
 ……断言しよう。上記の苦労に見合う読書体験であった、と。
 
 舞台は20世紀ドイツ。富豪の邸宅(もはや城レベル)で一人の男の他殺体が発見される。しかし、現場は「三重の密室」となっていて……。30年前、ナチスドイツ時代に起きたもう一つの密室殺人と複雑に絡み合う事件に名探偵・矢吹駆がいどむ! というのがあらすじらしいあらすじ。ミステリー要素だけ抽出しても魅力的な事件、捨てるに惜しいダミー推理、見事な解決と充分楽しめる。ただ、これだけでは「良くできた探偵小説」でしかない。忘れてはならないのが笠井流の哲学がこの小説には描かれているということ。人はなぜ人を殺すのか、死とは何なのか、ミステリーでしか語りえない哲学がこの本にはある。
 
70位『七回死んだ男』西澤保彦 講談社文庫
 
 地方ルールというのがある。特定の地域で制定されている特殊ルールのことだが、西澤保彦のミステリーの大半は「西澤地域」の地方ルールが適用された特殊ミステリーだ、と僕は思っている。
 
 本作の地方ルールは「タイムリープ」。『時をかける少女』から『僕だけがいない街』まで綿々と受け継がれている「同じ日を繰り返しちゃう」アレである。主人公は一日を八回繰り返してしまう奇妙な「体質」の持ち主。リプレイする日がランダムにやってくる厄介な体質であるところ、祖父の遺産相続が絡む重要な新年会の日がリプレイしてしまう。特に何事もなく一回目が終わったと思ったら、何と二周目に祖父が殺されてしまう。主人公は殺人が起こらないよう、犯人の妨害工作に出るのだが……。
 
「ははん、この作品はここにトリックがあるな」と予想をつけていたところを見事に裏切られた。西澤保彦は自身の設定した「地方ルール」の中でしか描けない謎と驚きを用意していたのだ。
 
69位『魔都』久生十蘭 朝日文芸文庫(品切れ重版未定ただし青空文庫にあり)
 
 かつて、僕の友人がこの小説をこう評した。日本版「24‐TWENTY FOUR-」。ジャックバウアーの顔が浮かんだあなた、大正解。とはいえ主人公が「大統領!」とか叫ぶことはなく、約24時間の事件をリアルタイムに描いていく手法において似ているのである。
 
 お忍びで来日していた安南皇帝が大晦日の東京で失踪する。しかも皇帝の邸宅で起きた不審な愛人の墜落死の直後に。偶然事故の場に居合わせ拘束される記者、墜落事件の真相を追う刑事、事件を穏便に処理しようとする政府、そして事件の背後で蠢く怪しげな人物たち、と様々な視点から大晦日から元旦にかけてめまぐるしい展開を見せる事件を描いていく。断片的に描かれる事件が次第に大きな全体像を見せていく過程は圧巻。それぞれの人物が己の思惑にそって好き勝手に行動して事件が進展していくので、まさにリアルタイムに事件が生成されていくような感覚に陥る。いわば、生きた事件を読んでいるような感覚だろうか。
 
 ちょうど時期だし、年末年始の読書にはちょうどいいかも。
 
68位『しあわせの書』泡坂妻夫 新潮文庫
 
 「紙の本ならではのトリック」とオビに朧井朝世さんのコメント。確かにこれは紙ならではの本だ。ただ、前回の『イニシエーション・ラブ』みたいに「映像化不可能なトリック!」(映像化したけど)と謳われる類のトリックではないと断っておこう。
 
 あらすじは非常に単純。新興宗教「惟霊講会」にまつわる奇妙な出来事(予知、死者の復活)の謎を解き明かすべく、探偵役のヨギガンジーが宗教団体の断食合宿に参加する。というもの。本編は丁寧に伏線が張られていて、最後の意外な結末が綺麗に決まっている泡坂らしい本格ミステリーに仕上がっている。ただ、これだけではオールタイムベストにランクインすることは無かったろう。本書の真の驚きは隠されたもう一つのトリックなのだ。さて、これ以上何かを書こうとすると危うくネタばらしになりそうなので控えておく。ただ、この本は図書館などで借りるのではなく、買って手元に置いておくことを強くオススメしたい一冊だ。
 
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67位『警視庁草紙』山田風太郎 ちくま文庫
 
 山田風太郎の明治小説、二回目の登場である。90位にランクインした『明治断頭台』はミステリー色が濃かったが、本作は歴史色強め。史実をベースにしつつ警視庁vs元町奉行・岡っ引きの騙しあいを描く。
 
 山田風太郎の明治小説は虚実ない交ぜの妙というのが最大の魅力とされているだけあって、実際にあった出来事をベースに小説が組み立てられている。そのため、明治時代の知識がある人は十全に楽しめるはず。しかし、僕のような高校日本史の知識など大学合格とともに忘れ去った人間でも面白く読める。ミステリーの短編連作としても面白く(特に銀座レンガ街を舞台にした二作)、体制vs反体制の丁々発止の騙しあいはおかしくて、明治時代の風俗史としても面白い。森鴎外や夏目漱石、樋口一葉などの文豪がモブのようにひょっこり登場する愛嬌も良い。
 
 ちなみにこれ、確か初出は文春文庫なんだよなあ。なんで絶版にしちゃったんだろ……。

66位『黒い家』貴志祐介 角川ホラー文庫
 
 真に怖いのは妖怪や化け物ではなく、われわれ人間なのだ……という類のホラーである。それもチェーンソーを振り回す仮面の怪人が登場するアメリカンなホラーではなく、ぞわぞわ悪寒がするような極めて日本的な怖さだ。
 
 主人公は保険会社に務める男性。彼は訪問先の家で偶然(?)その家の子どもの縊死事件に居合わせてしまう。子どもには生命保険がかけられていたが、保険金目当ての殺人ではないかという疑いがもちあがり、保険料の支払いは滞る。子どもの父親は毎日窓口にやってきて主人公を呼び出し、催促をする。声を荒げることも無く、暴力をふるうことも無く、毎日、毎日、執拗に……。
 
 犯人の人物造形が凄まじい。「真に怖いのは人間」と言葉にするのは簡単だが、それを体現した人物を描けた小説はどれほどあるだろう。その意味において『黒い家』の犯人描写は凄まじいまでに成功した。人間の厭な部分を剝きだしで見せられたような、文章から瘴気が立ちのぼってくるような気分にさせられる。現代社会で描けるホラーのお手本と言えるのかもしれない。
 
65位『新宿鮫』大沢在昌 光文社文庫
 
 刑事は基本的に二人組みで行動しなければならないらしい。だから水曜日の九時からやっているドラマはその意味では現実的なのだろう。ところが、この『新宿鮫』から始まるシリーズの主人公・鮫島は一人、単独で捜査を進めるはみ出し者である。つまり一匹狼! ハードボイルドだっ!
 
 と、いうことで日本のハードボイルド警察小説の代表作である『新宿鮫』である。シリーズの第一作である本書は鮫島が追う密造拳銃事件と連続刑事殺しが並行に進行する。この二つの事件もミステリー的な仕掛けが施してあって面白いのだけれども、リーダビリティーを高めている最大の要素は鮫島とその恋人・昌という二人の魅力的なキャラクターの絶妙な関係だろう。捜査ではガチッと強い鮫島が恋人と接する時は若干緩む、弱さみたいなものを見せる。この恋人とのプライベートな関係が鮫島の人物を深く描くのに役立っているのみならず、拳銃密造事件と関わりがあったりクライマックスを盛り上げてくれたりする。つまり、警察小説として事件を描きながらシリーズの登場人物たちを紹介するという離れ業をやってのけているのだ。
 
 シリーズ第二作『毒猿』は45位にランクインしている。また鮫島たちに会えると思うと今から楽しみだ。

64位『すべてがFになる』森博嗣 講談社文庫
 
 どうでも良い話だが、このレビュー企画では「ミステリ」という言葉は使わず、「ミステリー」という言葉に統一するように心がけている。世の中には「ミステリ」と呼ぶ人もいれば、「ミステリー」を使う人もいて、それぞれ使い分けがあるようなのだが、面倒なので統一しているのだ。で、何がいいたいのかと言うと、世の中にはもう一つ「ミステリィ」なる呼称もある。しかもそれは森博嗣の作品にしか使ってはいけないらしい……。その理由は分からないが、とりあえず「ミステリー」でも「ミステリ」でもなく「ミステリィ」でしかない何かが森博嗣の小説にはあるのだろう。
 
 その森ミステリィの第一作。孤島の研究所で15年間も軟禁状態で生活する天才工学博士・真賀田四季、彼女の部屋からウエディングドレスを身に纏い、四肢を切断された死体が現れる。人工知能によって監視され、制御された研究所は彼女の部屋を完全な密室にしていた。異常状況下での密室殺人(いや、密室殺人自体が異常状況下での殺人なのだけれども……)に高まる解決への期待に見事応える解答が示される。いろいろな密室トリックを読んできたけど、「なるほど、この手もあったか」と思わせてくれる新鮮なトリックであった。
 
 
 

⇒後編に続く
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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by dokusho-biyori | 2016-12-30 05:32 | バックナンバー