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14年12月 前編

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『酔って記憶をなくします』石原たきび 新潮文庫 9784101336916 ¥430+税


 酔っ払い、それは奇跡を起こす生き物。乗り過ごしや、モノの紛失は序の口。酔って海へ、気づけば鼻の辺りまで海水が。上司のハゲ頭に柏手を打って拝む。交番のお巡りさんにプロポーズ。タクシーで5万円払い「釣りはいらねえよ」。居酒屋のトイレで三点倒立の練習。ホームレスと日本の未来について語り合う……全国の酔っ払いの皆さまがやらかした爆笑失敗談&武勇伝が173連発!(新潮社HPより)

『47都道府県 女ひとりで行ってみよう』益田ミリ 幻冬舎文庫 9784344416604 ¥571+税
33歳の終わりから37歳まで、毎月東京からフラッとひとり旅。名物料理を無理して食べるでもなく、観光スポットを制覇するでもなく。自分のペースで「ただ行ってみるだけ」の旅の記録。(幻冬舎HPより)

『哲学の先生と人生の話をしよう』國分功一郎 朝日新聞出版 9784022511157 ¥1,600+税
哲学者・國分功一郎が初めて挑む人生相談。ときに優しく、おおむね厳しい言葉で生きる力を与えてくれます。人気メルマガ「PLANETS」で話題の連載、待望の書籍化!(朝日新聞出版HPより)

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   「○○」のきっかけ

 みなさま、はじめまして。某出版社販売部の女子部員です。少しの間、お付き合いいただけると嬉しいです。
 何かを始めるきっかけになる本、みなさまありませんか? 私の○○のきっかけとなった本を3冊紹介させてください。

① 「減酒」のきっかけ 『酔って記憶をなくします』
想像の斜め上をゆく酔っぱらいたちのエピソードがてんこ盛りの本です。衝撃的におもしろいので、光の速さで読めます。ひとしきり笑ったあとに「明日は我が身かも」と思いました。私は強いわけでもないのにお酒を飲むことが好きです。たまに深酒し、友人に迷惑をかけたこともあります。現在は、「いい感じに酔えたな」と思ったらそこでお酒をストップしています。すごくないですか? でもそうさせるほどの力がこの本にはあると思います! 読む分には最高に笑えるけど、自分がしでかしたら全く笑えない……。断酒と決めきれないのは許してくださいね。酔っぱらうって楽しい!

② 「47都道府県制覇」のきっかけ 『47都道府県 女ひとりで行ってみよう』
著者・益田ミリ氏が四年かけて47都道府県に行く旅の記録です。みなさま、47都道府県中いくつ行ったことがありますか? 数えてみましょう。乗り換えのための滞在はカウントしません。旅行や観光、レジャー目的のみです。私は20です。制覇まであと27。県が違えば人も食べ物も街や自然も違う。人の優しさには直接ふれあいたいし、食べ物はその土地の空気と水のもとでおいしくいただきたいし、「知らない日本」を自分の五感で感じたい! そんな私は台湾人の母と日本人の父を持つハーフです。日本で育ち国籍も日本なので、普段は「私は日本人」感が強いですが、行ったことのない県に遊びに行くと、「私は半分外国人」感がひょっこり出てきます。「知らない日本」に出会うと「日本で育って良かった!」と思います。いろんな顔を持つ日本で育ったことに幸運を感じます(台湾も大好きです)。これからも「知らない日本」を体感するために、47都道府県制覇をがんばります。

③ 「哲学」のきっかけ 『哲学の先生と人生の話をしよう』
哲学者・國分功一郎氏が読者の人生相談に答える本です。深く、優しく、ときに厳しく、真摯に向き合う國分氏に感銘を受け、涙しました。相談内容では明かされていない相談者の心の中も深く考えられています。「哲学は人生論でなければならない!」という國分氏の強い気持ちを感じ取れます。これからの私の人生に、哲学はどうからんでくるのか。非常に興味深いです。まずはこの本で紹介されている哲学書から読んでみようと思います。
 最後に、私に貴重な場をあたえてくださった丸善 津田沼店 文芸書ご担当・沢田さん酒井さんに御礼を申し上げます。



『コールド・スナップ』トム・ジョーンズ/舞城王太郎 訳 河出書房新社 9784309206578 ¥2,000+税

 クソったれのボケってなもんだ。神はどうして私にこんなことしたの? 暴力・痛み・性・死……サノバビッチとジャンキーまみれのファックライフ! 魂が共鳴する舞城初の翻訳書。解説:柴田元幸。(河出書房新社HPより)

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まったくこんなにめんどうくさい小説は読んだことがない。
と言いつつ二度も読んでしまった。そしてこれは、壮大なテレ隠し文学だなと思った。
かなり乱暴に言ってしまうと、文章の8割・・・いや、9割意味がない。ただただラリって、ぶっとんでるだけであります。
終止、躁鬱のどちらかか、べろんべろんに酔っぱらってるか、ドラッグで頭の半分とんでるかのどれか。
それなのに残りの1割で、ちらりちらりとのぞく人生の深淵が、こちらの心に深く差し込んできて驚かされてしまうのだ。
予想もしてないのだから。

少なくとも表題作『コールド・スナップ』は、傑作だと思った。最後の七行ではあやうく泣きそうになってしまった。
うそだろ、さっきまであんなにヘロヘロだったじゃん。。あぶな、こっちも深みにはまっちゃうところだったわ!
と、すんでのところで滂沱の涙を流すのをなんとか踏みとどまりました。電車のなかで・・・。
それで、ああその他九割のどうしようもない文章は、どうもこの人テレているらしいと思ったのだ。ほんとのこと言ってもしょうがないし恥ずかしいから、ごまかすために酔っ払ったり、ジャンキーになったりしてるのかもしれないなと。
それでも、それでもやっぱり最後の瞬間には人生の美しさを信じてしまってる人だという気がして、油断してるとふいにそういうところをだしてくるもんだから、こちらも思わず足をとられそうになってしまうのだ。
その他の短編は、正直非情にムラがあり、素晴らしいものもたくさんあるのですが、あれっ・・・えーっ・・・というものもあり・・・でも
おーブラザーおまえだったらまあいいよ。カンパイしようぜっていう具合になってしまうという。
おそろしきトム・ジョーンズ・・・

それからやはり、これだけ表紙にもバンッと大きく 〝 舞城王太郎訳 〟 と入っていると、訳がどうなのかがどうしても気になるところ。
わたしには専門的なことは、なんらわからないのだけど、たしかに型破りなんだろうと思うし、マイジョー! という感じはたっぷりです(なんせ冒頭一行目が 〝 クソったれのボケってなもんだ 〟 から始まる)。
読みづらい人には、たぶん本当に読みづらいと思う。
翻訳のルールとか基本とかきっと完全に無視なんだろう。
でも、唯一無二ではあるんじゃないかなーと思ったし、前にどなたかが言っていたのだけど、翻訳物はいろんな訳があってもいいと思うって。たしかにそうだなぁと。
だからこの『コールド・スナップ』いつか違う人の訳でもぜひ読んでみたい。
きっとまた違う感慨を与えてくれる。そう信じられる作品。

めんどうくさいけど、愛おしい。
人間そのものととてもよく似た小説だなと、そう思った。
(酒井七海)



『しょっぱい夕陽』神田茜 講談社 9784062192279 ¥1,300+税

 人生、まだまだ折り返せてない。仕事も恋愛も現役まっただ中、家庭や人生設計は問題だらけ、でも心はあの頃のまま――。48歳の年女・年男たちの奮闘を描く、ユーモアとペーソスに溢れた作品集。(発売前プルーフより)

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友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ


ってのは、ご存知石川啄木の『一握の砂』(新潮文庫、他)から。短歌に興味が無くてもこの歌の、特に上の句には共感できるって人はたくさんいるんじゃないでしょうか。友人知人や同級生、会社の同僚上司部下など、自分の周りの人たちがことごとく立派に見えてしまう。逆に自分自身のことは、とりわけ劣っているような気がして元気を失くす。そんな気持ちを全く経験したことの無い人なんか、恐らく一人もいないでしょう。
 自分に比べてあの人はこんなに○○だ、という「○○」の中に人それぞれ色んな言葉を当てはめて、羨むやっかむしょげ返る。例えば、自分に比べてあの人はこんなに「友達が多い」、「成績が良い」、「収入が多い」、「役職が高い」、「お洒落が上手い」etcetc……。
 友がみなわれよりえらく見ゆる日よとは、なるほど巧い事を言うもんだと思います。

 でもな、とここで伊坂幸太郎さんの『ラッシュライフ』(新潮文庫)から、泥棒の黒澤のセリフを引いて反論してみたい。
〝 でもな、人生については誰もがアマチュアなんだよ。そうだろ? 誰だって初参加なんだ。人生にプロフェッショナルがいるわけがない 〟
 だから、だ。自分より素敵な人生を生きているように思えるあの人や、自分より楽しく暮らしているように見えるあの人も、きっと、みんな、誰だって、人知れず間違ったり悩んだり傷ついたりつまづいたりしながらエッチラオッチラ汗水流して、水前寺清子さんじゃないけれどそれこそ三歩進んで二歩下がるような毎日を生きているに違いない訳で、そういった試行錯誤は「人生のアマチュア」である僕らは誰もが似たり寄ったりな筈で、要するに、人生の充実度だの達成感だの幸福度だのは周りからどう見えていようと本当のところは本人にしか分かり得ないことだし、だから、それらを計る物差しだって人それぞれだろうし、バラバラの物差しでいくら比較しても無意味でしょう。他人との比較なんか、馬鹿馬鹿しいからもうやめよう。

 そんな風にスッキリと割り切ったような気持ちになれるのが、神田茜さんの『しょっぱい夕陽』。登場するのは例えば、妻には浮気され、同窓会では忘れられ、自分のことを在っても無くても構わない石ころみたいな存在としか思えない公務員。或いは、お局的存在として周りから煙たがられ、保護者からも冷たい目で見られて居場所を失くすベテラン保育士さん。そんな五人の四十八歳の、取るに足りないちっぽけな暮らし。多分全員が、自分は何者にもなれずに終わるらしいと、覚悟とも諦めともつかないものを胸の中に抱えつつ、若い頃に描いた人生とは似ても似つかない毎日を生きている。
 うん、確かに生きていくのはラクじゃないよね。それは僕だって今まで散々体験してきた訳で、この物語の主人公たちの痛みや切なさは、ヒリヒリするように実感できる。だからこそ、彼らが、在りもしない幸せ、在りもしない充実との比較を拒んで自分の意志で踏み出す一歩に、精一杯の声援を贈りたくなる。
 恐らく彼らの人生は今後も順風満帆ということは無いだろうし、上中下という分け方をすれば少なくとも上流に入ることは無いだろう。でも、それで良いんじゃね? だって彼らは、〝 幸せは人との比較の中には決して存在しない 〟 ということを、はっきりと実感したんだから。

 そう言えば、かの有名なラ・ロシュフコー公爵が、こんな言葉を遺している。
〝 われわれは、どちらかといえば、幸福になるためよりも幸福だと人に思わせるために、四苦八苦しているのである 〟(『ラ・ロシュフコー箴言集』二宮フサ訳、岩波文庫)

 そんな貧弱な生き方は、僕は御免こうむりたい。(沢田史郎)



『1000ヘクトパスカルの主人公』安藤祐介 講談社 9784062170444 ¥1,300+税

 一人暮らしのアパート、コンビニのアルバイトに軽音サークル。特に不自由はなく、不満も無い。就職活動を前に漠然と不安を感じていたからだろうか、大学3年生の城山義元は、空を見上げていた。「もはや上手い下手の次元ではない。奇跡の産物に思えた」物語の後半で、義元は感謝する。仲間に、片思いの相手に。老婆に、主婦に、すべての縁に感謝する。1000ヘクトパスカルの空の下、せいいっぱい生きる人たちを描いた、唯一無二の青春小説。(BOOKデータベースより)

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 自分自身の十代、二十代を振り返る時いつも、甚だ疑問に思うことがある。若い頃って、どうしてあんなにも自信過剰でいられたんだろう? まともな努力もしてないくせに、人生きっとどうにかなると信じていたし、大人になれば自動的に幸せになれると疑わなかった。♪ そのうち何とか、な~るだ~ろ~う~! って、植木等かっちゅうねん。
 今思うに、多分あれは本当の意味での「自信」ではなく、先行きに対する漠然とした不安や焦りがたくさんあって、それに押しつぶされない為に、或いはそこから目を逸らしたいが故に、根拠も無いまま自分の未来を無理やり信じ込もうとしていただけ、なんだろうなぁきっと。

『1000ヘクトパスカルの主人公』は、そんな若い頃の 〝 地に足がついてない感 〟 とでも言うべき動揺を丁寧にすくい取っていて、どこか懐かしいような気持ちでのめり込んでしまった。
 神田川沿いの安アパートで独り暮らしをしながら大学に通う城山義元くんと、彼の決して多くはない友人知人との交流を、彼の狭い生活圏の中だけを舞台に描いた、パッと見かなり地味な青春小説。そこには厚い友情も、燃えるような恋も、汗と涙のスポーツも、一切登場しない。義元くんとその仲間たちは、授業に出たり出なかったり、酒を飲んだりバイトをしたり、彼女が出来たりフラれたりしながら、何一つ特別な要素の無い学生生活を、エンジョイと言うより浪費していく。
 ところが或る日を境に、彼らの「執行猶予期間」は終わりを告げる。就活という名の椅子取りゲームに否応なく参加させられて、彼らは途惑いを隠せない。例えば、義元くんのサークル仲間の一人は、こんなことを言う。
〝 だって、おかしいと思わないか。試験の点数とか惚れたはれたにしか興味のなかったような学生たちが『用意、どん』で一斉にスーツ着て、御社の社風が云々だのモチベーションだのスキルアップだのって大層なことを語り始めるんだぞ。なんだか気味が悪いよ 〟
〝 お目出度い人間だったよ。子供の頃から自分は何者かになるもんだって、根拠もなく信じ込んでた。その何者かっていうのが全然具体的じゃないんだ。とにかく 〝 何か 〟 でかいことをやるとか、〝 何か 〟 で大儲けするとか、漠然とし過ぎていて妄想にすらなっていない。気が付いたら何者でもないまま時間だけが経ってた 〟

 いやあ解るなぁという人、結構いやしませんかね? 「社会」という得体の知れないものが上から覆いかぶさってくるような、何とも言えない圧迫感。住み慣れた水槽がジワジワと狭められて、少しずつ身動きが取れなくなっていくような息苦しさ。自分の意志とは無関係に物事が進んで、覚悟も出来ない内に何かが終わり、決心もつかないまま何かに巻き込まれてゆく。そんな青春期特有の狼狽と混乱を、この作品は僅か十人かそこらの登場人物に実に巧みに語らせていると思う。これ、二十数年前の僕が読んだらどう感じたんだろうな。

 巨大なベルトコンベアの上で選択の余地も無いままに流されていくような日々の中で、しかし義元くんは、自分なりの道標を見つけ出す。ヒントは、唯一の趣味と言っていい「写真」。レンズを通して目の前の風景の一部を選び取る。それは取りも直さず、他の全ての景色を切り捨てる事でもある、と気付いた彼は、一人静かに決意する。曰く
〝 そんな中で時々、自分がたくさんの落とし物をしてきたように思えて寂しくなることもあった。でもそれはないものねだりなのだ。何かを選ぶということは、他の全てを切り捨てること。落とし物のように思えるものは全部、選び取ってきたものと引き換えに切り捨ててきたものなのだと思う 〟

 人生は毎日が選択の連続だ。しかも、後戻りがきかない。だから自分が選ばなかったものの方に、つい未練を感じてしまうこともある。でも、今目の前にある現実、平凡で見あきた日常は、自分自身がファインダーを覗いて切り取った風景なんだ。だったらもっと大事にしてみてはどうだろう、自分が選択した景色を。年甲斐もなく、そんな爽快な気分にさせてくれた義元くんとその仲間たちに、心からのスタンディングオベーション!(沢田史郎)



⇒後編へ続く
by dokusho-biyori | 2014-11-25 09:00 | バックナンバー